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肥満防止法

by 夢喰

プロローグ

 厚生労働省健康保険部・運輸省都市交通部・環境省省エネ対策部合同会合

 医療費の抑制に置いては、過剰な投薬や検査を抑制する事と共に、国民が疾病、特に慢性疾病に罹らない環境を作る事が最重要である。この観点において、我が国の男性の肥満の増加は、我が国のみならず世界的な傾向であるとはいえ、将来の医療財政に暗雲を投げかけるものと言わざるを得ない。ちなみに女性については世界的傾向は肥満であるものの、我が国のみここ50年間一貫して痩せる傾向にあり緊急の対策を必要としない。
 肥満男性の増加は、都市交通における一車両あたりの輸送能力・冷房能力の低下並びに、混雑時に置ける不快指数の増加という形での問題を引き起こし、特に後者は精神衛生上の問題をも引き起こしている。肥満者特有の脂と悪臭は、煙草と同様に将来の公共交通機関で禁止すべき対象の一つである。
 更に近年急速な伸びを見せている航空機輸送に於いては、肥満者の増加はそのまま燃料の増加、ひいては二酸化炭素排出の増加を引き起こし、現に米国等では超肥満者に対して2人分の料金を課している所もある。他にも、エレベーターや家庭冷房など、公共部門以外での影響を考えると、肥満者の増加は、地球環境を考える上で、更に電力資源を考える上で無視出来ない問題となっている。
 これらの事情により、肥満者の増加を抑える事、ひいては肥満者数を減少させる事は、持続型成長を目指す上で欠く事が出来ない。

 その為の方策として、当合同会合では、
『超肥満は環境犯罪ある』
と認識する事を推奨する。これは一件唐突に思われる提案かもしれないが、性的嫌がらせ(セクハラ)という概念の登場の歴史を考えれば、驚くに当たらない。環境や社会への影響を考えれば、寧ろ肥満よりも先にセクハラが犯罪として認知されてしまった事の方が不思議である。少なくとも肥満体での公共交通機関の利用が犯罪であるという概念は十分に社会的認知を得る筈である。
 超肥満が犯罪であるという認識に立てば、それを予防し、万が一この犯罪を犯した時に速やかに更生させる手段を講じるべきである。この手段に関しては、従来から知れている4項目
* 食事療法
* 運動療法
* 十分な休養
* 食事制限を促進する薬
が真っ先に推奨されるべきだが、昨今の肥満増加という現実は、推奨だけでは不十分である事を意味している。そこでこれらの他に可能性のある方策を当合同会合では提案したい。具体的には・・・


その1 (小学1〜4年:肥満の進行)

 20XX年11月生まれの翔太君は今流行の一人っ子という事で甘やかされて育っています。それでも幼稚園で躾が良かったのか、小学1年4月の測定では

身長116.3cm, 体重20.9kg, 胸囲58cm
【男子平均 116.7cm, 21.5km, 15.8cm、  女子平均 115.8cm, 21.0kg, 15.7cm】

と標準そのものの健康な体です。肥満度を示すローレル指数(RI)も RI=133 と当然ながら標準です。
【ローレル指数(RI)=体重g/身長mの3乗は小学校から中学前半まで使われる肥満度指数で標準が130程度で160以上が肥満】
 この翔太君、生まれつき運動が苦手で、外で遊ぶのも余り好きではありません。運動が苦手でも、外で遊んだり体を動かすのが好きであれば、いつかは運動も人並みに上手くなるものですが、翔太君はそういう人間ではないのです。ただ運動神経ゼロかと云うとそうでもなく、クラスの男の子20人を5つのグループ(トップ3人、出来る4人、普通の6人、普通以下4人、苦手3人)に分けると下から2番目ぐらいでしょう。11月生まれなら当然かも知れません。
 そんな翔太君ですが、小学校に入るとますます運動をしなくなりました。というのも、お勉強がある程度出来たら、他の事には余り構わないのが小学校の先生だからです。このあたり、幼稚園の先生と言うか保母さんとは違います。かくて、翔太君はぶくぶく太り始めました。小学生低学年と云うのは普通なら4ヶ月に1キロのペースで太るものですが、翔太君はなんと2ヶ月に1キロのペースで太ったのです。もっともその程度では運動能力が極端に落ちる事もありませんから何、の不便も感じない1年を過ごして2年生になりました。
2年生に上がるとさっそく身体測定があります。

身長122.1cm, 体重26.1kg, 胸囲61cm (RI=143), 脇下62cm
【男子平均 122.5cm, 24.2km, 60.4cm, RI=132
 女子平均 121.7cm, 23.6kg, 58.9cm, RI=131】

ちょっと太り気味ですが、標準体重の3キロ差というのは骨の太さ等の個人差の範囲で目立つ程ではありません。気をつけてみたら太っているな、という程度です。更に運動能力で言えば、ガリガリよりも少し太り気味の方が力が出ますから、相変わらずの普通以下グループで、こちらも目立つ事はありません。そして外で遊び疲れない分、勉強は普通に出来るし親の影響で宿題とかもきちんとするので、相変わらずの食生活です。太らない筈がありません。
 もっとも、この年には世の中で一つの変化がありました。それは肥満予防法というのが出来た事です。男の肥満は既に社会・福祉・環境問題になっていて、例えば肥満者に余分な税をかける等の色々な法案が審議されましたが、既に肥満になっている人間に対して『後だしじゃんけん』のように規制するのはおかしい、という理由により、別の案が最終的に決まりました。それによると、小学3年4月時から中学3年4月時まで、毎年の身体測定を元に、注意(0年目)、要注意(1年目)、警告(1年半目)、再警告(2年目)、という段階を経て、最終的に
『非運動型肥満児』
という判定(2年半)を受けたものは、ダイエットを強制されるというものです。再警告判定と最終判定には身体測定結果だけでなく運動能力測定も加味しますが、これは相撲・プロレスなどの重量型スポーツに向いた人間にダイエットを求められないからです。ちなみに、対象は、現時点で小学3年以下の男の子全員です。というのも、既に10歳以上の子供に対して行うのは後出しジャンケンのような不公正感が残るのと、いっぺんに全年齢で行うだけのリソースが足りないからです。
 法律の試行が4月からなので、翔太君の学年とその一つ上の学年の男の子が初めての対象になります。だから、翔太君もこのままぶくぶく太ると黄色信号です。とはいえ、法律が決まったのが5月で、その段階では翔太君はそこまで肥満ではありません。しかも注意から強制ダイエットまで2年も期間があり、さらに強制ダイエットといっても刑務所に入れられる訳ではないので、余り気にする事はありません。結局、翔太君は太り続け、3年生になった時に

身長127.8cm, 体重32.0kg, 胸囲64cm (RI=153), 脇下66cm
【男子平均 128.2cm, 27.3km, 62.9cm, RI=130
 女子平均 127.5cm, 26.6kg, 61.5cm, RI=128】

と標準体重を5キロもオーバーしてしまいました。5キロといえば、体全体に0.5cm程度の皮下脂肪がまんべんなくついたぐらいになり、腹や尻や脇下どの厚い所では2cm程の贅肉がついています。肥満の基準であるRI=160には至りませんが、太り気味である事は一目瞭然で、当然ながら
「気をつけなさいね」
と注意を受けました。
 もっとも、注意を受けたのは翔太君だけではありません。注意は1学年4クラスの男の子約80人のうち25人近くが注意を受けていました。というのも、1回目の注意判定では運動能力は調べず、RIが145を越えていたら無条件に注意を出していたからです。学童の標準がRI=130で、肥満が160ですから、これでは本当に
『交通事故に気をつけなさいよ』
程度の注意です。肥満の親元にこの情報が伝わると、どの親も安心して、特に翔太君のような甘親の場合は、却って以前の食生活
『もっと食べなさい』
を繰り返すようになったのです。結局、翔太君はこの年も太り続けて4年生になった時には

身長133.2cm, 体重37.4kg, 胸囲68cm (RI=158), 脇下70cm
【男子平均 133.7cm, 30.8km, 64.9cm, RI=129
 女子平均 133.6cm, 30.1kg, 64.3cm, RI=126】

と標準体重を2割近くもオーバーし、学年で11人しかいない要注意者に入ってしまいました。昨年までははっきりした基準が決まっていなかった各種注意・警告も、今年からはきちんと決まっていて

  注意(RI>145)
  要注意(前年の注意者で且つRI>153)
  警告(半年前の要注意者で且つRI>160)
  強制ダイエット(半年前の警告者で且つRI>160、且つ単純筋力を除く全ての運動能力で標準以下の者)

となっていて、RI=158の翔太君は確かに要注意者になります。ちなみに今年も単なる注意を受けた者がいます。その半数が昨年の注意者で、残りが新たな注意者です。
 要注意者の数はクラスで2〜3人しかいませんから、さすがに翔太君の親も少し気になりました。なので、今までみたいに
「もっと食べなさい」
とは言わなくなりましたが、しかしその程度のソフトな対応で食生活が改められる筈がありません。太る最大の原因は食事でなく清涼飲料水とスナック類だからです。
 一方、学校でもクラスの子の見る目が「翔太君=肥満児」という風に変わって来ます。もっともイジメはありません。肥満がらみのイジメが起こりうる事は法律が出来た時に想定済みで、その対策が為されているからです。実際、イジメと云う秘密の遊びでは、子供達は先生が予想出来ない子をターゲットにするので、要注意者は却って安全圏なのです。それでも翔太君以外の子は、危機感から少しは体重を気にするようになって、特に1人は運動能力条項での特例を狙って運動を始めるようになりました。でも翔太君は甘やかされて育っているので危機感はありません。結局、要注意者11人だけを対象にした半年後の測定では

身長135.8cm, 体重40.0kg, 胸囲70cm (BMI=21.7, RI=159.7), 脇下72cm
と、指数そのものはあまり変わらないのに、6番目に悪い結果となり、警告(RIが160以上)を受けてしまいました。もっとも翔太君には今回の警告には不満もあります。というのも四捨五入で無理矢理160にされたこともさることながら、測定前に小便に行きたかったのに急かされてそれで行けなかったからです。もしもほんの100gでも減って40.0kgでなく39.9kgだったらRI=159.3となって堂々と要注意のままだった筈です。でも養護の先生に
「それなら半年後に160以下になれば良いじゃないの、どのみち貴方にはダイエットが必要よ」
と頭ごなしに言われてグーの音も出ません。
 さて、4クラスある学年全体でも警告を受けたのは6人だけです。ちなみに1つ上の学年には警告者は3人しかおらず、その3人とも運動が出来る感じなので、半年後の運動能力測定で『猶予』になるでしょう。猶予判定を貰うとプロセスが半年分逆戻りするのだそうです。翔太君の学年でも猶予を貰えそうな子が3人いますから、翔太君は最も悪い3人の一人なのですが、運動能力判定について何の考えもない翔太君にそんな事は分かりません。なんせまだ小学4年生なのです。楽しく食べて楽しく寝てたのしくゲームして必要な程度に勉強すれば十分です。しかも、今回の測定に不満があるから、ふてくされてダイエットを真剣に考えようという気になれません。
 それでも親はさすがに心配し始めました。実際、翔太君をお風呂で見ると、お腹ばかりか胸まで少し出て来て、少なくとも同じ年の普通の女の子よりは胸があります。だから、翔太君に外で遊ぶように言いますが、もともと体を動かすのが嫌いな子にそんな事を言っても、家以外の室内で怠惰に過ごすだけの事ですし、きつい運動メニューを親が強制したところで、そんなメニューほど長続きしないものです。しかも、運動の後に清涼飲料とかスナック類を食べて暇をつぶすものですから、逆効果でしかありませんでした。食事だって1ヶ月程は考えていましたが、結局の所、ダイエットなんてそんなに続くものではありません。2ヶ月もするとダイエットも緩くなり、3ヶ月目ともなると翔太君自ら強制ダイエットの中身を調べて、
『そこまで酷い内容じゃないなら、そっちでダイエットしようかな』
とさえ思うようになってしまいました。だから半年後の最終判定でリバウンドもあって5年生4月の身体測定では

身長138.3cm, 体重42.9kg, 胸囲73cm (RI=162.2), 脇下75cm
【男子平均 138.9cm, 34.3km, 67.3cm, RI=128
 女子平均 140.3cm, 34.4kg, 67.0cm, RI=125】

と判定基準のRI=160を大きく超えて、とうとう、強制ダイエットを受ける羽目になりました。標準体重より9キロ、判定基準より1キロも余計に太っていたのではトイレとかの言い訳は効きません。確かに翔太君は肥満児なのです。
 強制ダイエットの該当者は翔太君の学年で2人減って4人、上の学年でも2人減って1人ですが、そのうち実際に強制ダイエットに参加させられたのは翔太君を含めて5年生の2人だけです。残りは身体測定の翌日に行われた運動能力測定で猶予を貰っています。ちなみに要注意者(RI>153)は6年生5人、5年生4人、4年生8人で、かなりの数がいますが、いかにそういう仲間が多くても、強制ダイエットであるかないかの差は大きいのです。
 このあと、翔太君にはどのような運命が待っているのでしょう? いや、翔太君だけでなく、全国の小学5〜6年生のうち、翔太君と同様の判定を受けた約8000人にばどのような運命が待っているのでしょうか?


その2 (小学5年前期:ダイエット運動)

 小学校内でこそ強制ダイエット該当者は2人だけですが、翔太君の住む近隣市郡を合わせると、全部で11人(6年生3人5年生8人)います。そして強制ダイエットの内容は、民間のスポーツジムでのダイエットメニューです。 もっとも、ダイエット運動のメニュー自体は別段スポーツジムに行かなければならない内容ではありません。というのも、何処のスポーツジムでも、病院のリハビリ室でも、具体的なダイエット運動メニューは有酸素運動が主体であり、それを週に3〜5回行うという内容だからです。もちろん各自の肥満度や運動能力に応じてメニューを変えて行く所に、トレーナーの意義があるのですが、いずれにしても、わざわざスポーツジムに行く意味は余りありません。しかし、肥満児の多くは強制的にトレーニングをさせないと自らトレーニングをしないから肥満なのであり、そういう強制を具体化する為のスポーツジムなのです。
 なお、スポーツジムに来る際は
『義務教育の一部』
『医療行為の一部』
『しつけの一部』
という3つの面を考えて、会費の大半が国庫補助となり、親の負担は2ヶ月で1500円です。これならお小遣いを削る程度で済みますし、そもそも政府も
『子供ならお小遣いの為に減量する』
という子供心理を考えているのです。もっとも実際の親の出費はジムまでの交通費とかありますから、少し余計にかかるかも知れません。
 ちなみに、心臓病等の病気の場合は例外で、医者の診断書をもってダイエット方法を選ぶ事が出来て、たとえば薬餌療法や特別施設での寮生活があります。翔太君たち6人のうちのひとり(4年生)も、運動療法でなく薬餌療法をとっています。薬餌療法は言わば裏技なので、本当に病気なのかは分かりませんが、のんびり屋の翔太君はそんな事を疑う事はありません。だから、他の数校から来た4人と共に、こうしてスポーツジムに来ているのです。

「君達は厳しい徴兵検査に合格した誉れ高き第一期生だ!」
強制ダイエットの担当者はこのような第一声のあと、翔太君達11人に笑いかけて
「だから自信を持って堂々としなさい」
と結びました。予想外の挨拶に、11人ともが嫌な予感を得てお互いに顔を見合わせていると、担当のトレーナはニヤニヤと30秒ほど気を持たせた後、
「君達はエリートなのだから、当然、厳しい訓練が待ち受けている」
と、やっと予想された事を言って、そのままその日のメニューを告げました。悪いトレーナではない様です。少なくとも翔太君は学校の先生より好感を持ちました。
 その日のメニューは、先ず体重を量った後、踏み台昇降150回と自転車8分を2クルーです。 トータルで30分の持久運動は肥満児には非常にこたえます。だから5人とも2クルー目の踏み台昇降では顎を出し、そのあとの自転車は一回目よりもギアを3つぐらい緩めてやっとペダルを踏みました。脱水防止の水補給はもちろんあって、1クルー目が終わった時に水を、2クルー目が終わったあと、梅干しと水の補給がありました。ただしダイエットが目的ですからエネルギーの塊であるスポーツドリンクはもちろん禁止です。もちろん清涼飲料水やジュースも
「飲むなよ、飲むなよなあ」
と先生からきっちり釘を刺されています。もっとも、
「だが、それでも人間は意志が弱い動物だから、飲んでしまう事もあるかも知れない。それは俺の知ったこっちゃない。俺はとっちゃ、お前達が太ったままの方が、長く国から給料が出続けるんで、有り難いからね」
と、罰クルーがない事を前もって教えてくれますから、自分に自信の持てない翔太君は安心しました。まあ、トレーナにしてみれば、仮病で来ないというパターンが一番困るからでしょう。
 こうして1日目が終わりました。へとへとにはなりましたが、他の10人が自分と同じぐらいにへばっているので、学校での体育ほどには徒労感はありません。これなら、担当のトレーナーの指定する週4回のダイエット運動にもついて行けそうです。それは他の4人も同じでしょう。こうして1週間もすると他の4人とも打ち解けて楽しくジムに通うようになりました。

 ダイエットというのは、脂肪の中の水分が抜けると急に体重が落ちなくなります。本当はダイエット初期の体重低下は、脂肪でなく水分の減少現象が原因なのですが、そういう事は体重計は教えてくれません。だから、本当に脂肪が落ち始める前に効果の頭打ちを経験して、それでダイエットが挫折するケースが多いのです。特に成長期だと背が伸びる分、自然に体重が増えます。
 これを打開する為に、翔太君のトレーナーは、5人の体重を毎日記録に付けてお互いに見せ合うようにしました。これだと頭打ちが一人だけでないから、少しだけ頑張ろうという気になるでしょう。先生の意図はそこにあります。しかし、人によっては、その前にヤケになって、運動分を余分に食べたり怠惰に過ごしたりする者も出て来ます。翔太君たち11人も、この2グループに分かれました。7人は我慢してダイエットを続けたのですが、翔太君を含む4人(5年生3人、6年生1人)は梅雨の降り篭められる時期に食生活が戻ってしまいました。
 こうなるとダイエットへのモチベーションが急速に下がります。これではいくら週に4回のジム通いをしても、ジムでの運動も手抜き気味となり、他の連中に遅れをとるようになってきました。例えば自転車の回転数が少なくなったり踏み台昇降が遅くなったりです。膝が痛いだの腰が痛いだの言い訳はいくらでも作れます。担当の先生にしてみればサボらずにジムに来ているだけで充分ですし、11人のうちの7人が頑張っていれば上々の戦果ですから、ひとりやふたりの落伍は気になりません。
 そうして迎えた夏休みは、学校の帰り道でない分、ジムもサボりがちになります。その結果、リバウンドが起こって、結局、5年生10月の身体測定では

身長140.7cm, 体重45.2kg, 胸囲75cm (RI=162.3), 脇下78cm

と全く変化しませんでした。結局、RI>160のままなのは翔太君を含めて4人だけで、残り7人は160以下(うち2人は153以下)です。全国で見ると、第2期に入ってしまった『第1次入隊組』は全国で6000人で、そのうちの半数程がRI<160、半数程がRI>160です。数字だけを見ればRI>160の肥満が6割減った訳ですから。政府は鼻高々です。更に、新たな警告者(1学年下)は全国で4000人で、昨年の4年生(約7000人)よりも大きく減っています。これは「見せしめ効果」に違いなく、予防という意味でも政府は鼻高々です。

 さて、今回の測定で、第1期強制ダイエット対象者は3つのグループに分けられましたが、そのうちRI>160(翔太君たち)の者は第2期強制ダイエット対象者、153<RI<160の者も第1期の強制ダイエットを継続させられ、たといRI<153になっても警告扱いで、半年後に153を越えたら再び強制ダイエットになります。前科者は初犯よりも条件が厳しいのです。その分、RI<153で『仮』卒業となった者も、オプションでダイエットジムにあと半年だけ参加できます。2ヶ月で1500円という破格ゆえに全国の親の殆どがジムを継続させました。翔太君の組も同じで、だからジムには相変わらず11人が通っています。もっとも先生の対応は仮卒業組の2人と卒業予定組5人と翔太君達4人とで違い、一番力を入れているのが卒業予定組で、次に力を入れているのが翔太君達です。
 では、第2期対象者はどうなるのか? ジムのほうは第1期の継続であるものの、ジムだけでは不十分という事で、特別なダイエット帯を着けるように強く指導されます。義務ではありません。というのも、帯代(国庫補助半分で2000円程度)が自己負担であるだけでなくチェックが出来ないからです。この帯は肋骨下部の胃の回りを締め付けるもので、要するに背骨コルセットのようなものです。ただ、普通のコルセットが肋骨の下の腰を締めるのに対して、この帯は、胃を小さくする事が目的なので腰の上の肋骨を締め付けます。もっとも、常時締め付けるのは成長に障害が出る可能性があるので、ジムでのトレーニングの直後、夜まで付けるというのが指導な内容です。
 こうして、ジム参加11人のうち、翔太君たち4人が、ジムの最後にダイエット帯をして帰るようになりました。囚人の鎖を付けられいる気分でちょっと恥ずかしいですが、それ故に、ダイエットジムも再び少し熱心になってきました。というのも半年後にまたもRI>160のままだと、もっと恥ずかしいものを着させられるという噂を聞いたからです。


その3 (小学5年後期:コルセット風のバンド)

 ダイエットの具体的な方法は、肥満防止法に伴って出来た肥満防止委員会によって決められます。例えば、ダイエットプログラムへの強制参加までのプロセスと、ジムでの有酸素運動をメインにするダイエット方針を決めたのはこの委員会です。これは、法律制定直後に定められました。判定基準の肥満度(RI)を決めたのもこの委員会です。
 委員会には医学関係者やスポーツ関係者だけでなく、補正下着の経験を持つ衣料製造関係者や児童心理学者、精神医なども加わっていて、最終的には子供達が自主的にダイエットに心掛けるように仕向ける事を目標にしています。世界でも類例のない試行錯誤なので、プログラムの成果を元に随時修正する必要があり、身体測定後の5月末と11月末に、半年後の強制ダイエットプログラムを更新しています。
 ダイエットプログラムで成果を上げない子供への追加処置については、委員会での主流の意見は、テクニカルにダイエットを押し進めるという意味のほか、本人への激励と云う意味と懲罰という意味も考慮すべきだという事になっていて、その結果、
『本人が着たくなくなるような補助服』
という方向性が1年以上も前に打ち出されました。こういう方針は当然マスコミにも知らされ、その結果
「児童虐待ではないのか」
という問い合わせが相次ぎました。
 しかし、強制ダイエット第2期向けの15センチ幅のダイエット帯のデザインが4ヶ月前の12月に発表されると、マスコミの関心は一気に薄れました。というのも、それが背骨痛防止バンドのようなデザイン
(例えばwww.backsupport.co.uk/low-back-pain-support/category.php)
であって、恥ずかしさも何もない品物だったからです。
 もちろん、どんなデザインであれ、それを身につける当人には
『罰則のダイエット服』
という恥ずかしさはありますが、それは当人だけの問題であって、マスコミから見る限り、このような中性的なデザインに対して『児童虐待』というバッシングは出て来ません。それどころか、こういう良い品物に半額近い国庫補助が出る事への非難が出た程です。結局、発表時(4ヶ月前の6月)と使用開始時(10月)の反応はどちらも好意的なもので、その結果、第3期以降のデザインに対する興味をマスコミは完全に失ってしまいました。もっとも、翔太君にしてみれば、それでも気になるというのが本音であり、
『今よりもっと恥ずかしい服』
という噂が流れるのは当然です。もちろん肥満防止委員会もそういう効果を狙っています。

 報道フィーバーが終わった10月末に、強制ダイエット第3期向けのダイエット服のデザインを決める会議が開かれました。その際に決まった方針は、第2期用のように、お腹の一部を締め付けるベルトでなく、上半身全体を覆う服にするという事です。目標はあくまで食欲を落とす事ですが、第2期用のダイエット帯が運動の後のリバウンド的な間食や夜食を防ぐものであるのに対し、第3期用では胃を恒常的に小さくして、ついでに肋骨が肥満によって肥大してしまうのを予防する事を考えています。というのも、対象が成長期の子供である以上、骨のサイズが大人に比べてコントロールしやすいからです。
 実際、肥満を続けると肋骨が拡大して、肥満の一番の問題である内蔵脂肪が腸以外にもつきやすい状態になるのは知られている事で、その逆を第3期で目指す訳です。恒常的な締め付けとなると、骨全来の成長のバランスを考えなければなりません。なので、局所的に押さえ込む帯タイプや、肥満の目立つ下半身の脂肪を押さえ込むガードルタイプはダメで、肋骨全体の骨格を押さえるタイプにする必要があります。
 この内容から自然に想像されるのは、きつめのシャツですから、マスコミも余り興味を持たなかったと見えて殆ど報道されませんでした。しかし、肥満防止委員会が11月末に最終的に決めたデザインは少し違い、女性用スリーマから装飾を外して、お腹に当たる部分を硬めにした裁断です。これなら確かに肋骨全体を締め付けますし、肋骨からはみ出た内蔵が腹部を妊婦のように大きくする事もある程度防げます。
 このようなデザインになった根底には、出来るだけ既存のデザインをそのまま流用してコストを抑えるというのがあります。既存のデザインで子供サイズとなると、無条件に女性用の補正下着Sサイズに類似したデザインにならざるを得ません。もちろん、法律で女装をさせるなんてもっての他ですから、わざわざ「男子用ダイエットシャツ」と呼び、しかも念の入った事に肥満男児のモデルに実際に着せて、その写真を該当者の親に送っている方針は決まっていますが、内実は女性用なのです。こういう荒技が可能になったのも、マスコミの関心が薄れてしまったからです。
 もっとも、このデザインを決めるに当たって、肥満防止委員会は、一応、児童心理学的に大きな問題になるかどうかも吟味しています。
「恒常的な締め付け」
という事は、要するに学校の体育の着替えの時に人に見られる事を意味しますから、ダイエットに失敗した罰を受けている事を皆の前に曝すようなもので、その意味で
「恥ずかしい恰好」
ではあります。しかし、それを見るクラスメートの目はどうでしょう?
 彼らは翔太君がダイエットジムに行っている事を知っています。そこに服が加わろうか加わるまいか、気にしないのが大多数であり、それに気付くような聡い人間は、身体測定の結果だけで全てを理解する者です。そういう意味では、ここで異色な服を着ても、それはあくまでダイエットの一環であって、女装という意味で取られる事は有り得ません。更に、肥満に関して揶揄したり虐めたりする事はどの学校でも厳禁となっています。
 もちろん、実際に着る翔太君にとっては
「体育の着替えの時に目立つ罰下着」
です。でも、こういう不安が翔太君をダイエットに向かせる訳ですから、肥満防止委員会として、この種の不安をいちいち取り上げたりはしません。更に、このデザインだと、女児・婦人用補正スリーマとして市販出来る強みがあります。つまり製造元の視点からすると、大幅なコスト削減が可能です。その上、たとい肥満者の中に性同一性障害者がいたとしても、このデザインなら問題はありません。そう、20x0年代ともなると、性同一性障害者に対する配慮も必要なのです。
 デザインの発表は、ダイエット帯の時と違って記者会見も何も無く、単に翔太君たち肥満児の親に通知しただけです。その通知では「男子用ダイエットシャツ」と呼び、肥満男児のモデルに実際に着せた写真まであります。これは翔太君を安心させました。いや、翔太君ばかりでなく全国に3000人(第一期の4割)いるダイエット帯着用者も安心した事でしょう。というのもモデルが着た姿は、引き締め効果にも関わらず全般に太って見えて、乳房に当たる部分だけが目立つと云う事が無かったからです。要するに普通のシャツのように見えたのです。
 そもそも、見た目を良くする補正下着でなく、時間をかけて体型を変えるダイエット下着の場合、その着用で見た目が急に変わる必要はありません。特に、成長期という事で、これ以上太ってはいけない所を押さえ込むのが主目的の場合はそうです。もちろん、説明文を細かく吟味すれば、これが女子用デザインという事は分かりますが、そこまで気の回る親は普通いません。そして、4月になって、先に男の子に着せて『男子用』と言ってしまえば既成事実の勝ちです。

 話を10月に戻します。翔太君は真面目にジムの課題に取り組み、ダイエット帯も嫌々ながらも言われた通りにジムの後に夜まで着用しました。この頃になると、ジムの課題も踏み台昇降120回と自転車6分を3クルーに増えています。それだけではありません。天気が良かった事もあって、ジムが無い週末にも近くの河川敷まで自転車に乗るようになったのです。もっとも、のんびり屋の翔太君ですから、自転車で使ったカロリーをしっかりスポーツドリンクで補給していたりします。なので、肥満防止委員会がダイエットシャツの基本デザインを決めた時も減量はそこまで進まず、その後、クリスマスから正月にかけての増量期も重なって、2ヶ月で0.9kg も太ってしまいました。
 小学5年生というのは背が伸びる時期ですから、月に0.5kg前後太るものです。それと比べて翔太君が太った訳ではありません。しかし、翔太君にとってみれば、手抜き気味だった前の半年2.4kgと同じペースであり、決定的なのがダイエット仲間の11人の中で2番目に成績が悪いという事です。他の連中の食事療法がそれほどキチンとしているという事実に思い至りません。それどころか、週末の自転車で他の連中よりも真面目に取り組んでいるのにと思っています。それにも関わらずダイエットの効果が上がっていないというのが、翔太君の目に見える結果です。唯一の改善点はダイエット帯で止める位置が1センチ程短くなった事
(肋骨下部=73センチ→72センチ)
で、それとて脂肪が上下に逃げてしまったせいのような気がしないでもありません。

 肥満防止委員会から4月以降の対応策の通知があったのがこの時です。不安が溜まっている時ですから、特に気になります。ところが、蓋を開けてみれば普通のシャツに近いモデルなのです。これでは、自ずからダイエット熱も落ちるものです。なので、運動の方は半年前と同じようにやや疎かになり、例えば週末の自転車は寒さにかこつけて殆どしなくなりました。それでも運動の量的には半年前より多くなっています。というのも、他の第二期組3人が一応頑張っているので、それに引きずられる形でジムでの運動をきちんとやっているからです。まさに教育効果です。
 一方、ダイエット帯のほうは云われた通りにつけています。運動が嫌いでおっとり性格の翔太君にとって、こんな帯でダイエット出来るのなら、儲けものだからです。だからジムの日と云わず、他の日の夕方もこれを締めるようになりました。近所の人に上着に透けて見えるかも知れないという恥ずかしさはとうに過ぎ去って、今では学校の友達に見られなければ良い程度にしか思っていません。そして、理由はともかく1センチ縮んだ事が翔太君を元気づけて、是非とももう1センチと思っているのです。人間、分かりやすい目標があった方が頑張れるのです。
 その結果、ダイエット帯で止める位置が、1月に入って更に1センチ短くなりました。
(肋骨下部=72センチ→71センチ)
その時の喜びは前の1センチと比べ物になりません。というのも、10月から11月にかけて1センチ縮んだのが皮膚がベルトに慣れた為と思えるのに対し、今回のは確かに胴囲1センチ分(皮下2ミリ)だけ脂肪が減った事を意味しているに違いないからです。
 翔太君を元気づける話がもう一つあります。それは、これから成長期に入って背が伸びるだろうという事です。だから頑張れば多少体重が増えてもRI<160になるチャンスがあるのです。こういう細かい事を翔太君は気にしませんが、ジムの先生が翔太君を元気付ける為に教えてくれました。そのお陰で気力が続き、ジムにもサボらずに行きます。もちろん、それは翔太君のレベルでのがんばりなので、これ以上太らないという効果はあっても痩せる効果はありません。でも、今の翔太君にはそれで十分なのです。こうして3月頭にはダイエット帯で止める位置が更に1センチ短くなりました。
(肋骨下部=71センチ→70センチ)

 ダイエット帯の位置が70センチになった日、翔太君は当然ながら、それが単に脂肪が上下に移動しただけのものでない事を確認しました。帯は幅15センチありますから、乳首のすぐ下からおへその所まで覆っています。そして、帯の上下にははみ出た脂肪が溜まっています。これは11月以来そうで、問題はそれがどのくらい増えているかです。1月に72センチから71センチになった時は余り変わりませんでした。今回もぶよぶよ感はあまり変わらない気がします。しかし、何となく見た感じが違うのです。段差が大きい気がするのです。冷静に考えて、翔太君は一つの結論を出しました。つまり帯の外側の脂肪はあまり変わっていないけど、帯の所に脂肪が減った分、段差が大きくなったに違いありません。
 それだけなら何でも無い事ですが、翔太君は帯の上の方を見て良い気分になりました。つい最近映画でみた、筋肉がしっかりついたヒーローの胸と同じように、胸から腹にかけて奇麗な段差になっているからです。翔太君の胸についているには贅肉であって、むしろ脂肪にちかくヒーローの筋肉ではありません。しかし、男である以上、贅肉は脇から肩から胸まで繋がっており、そういう形状だけは確かに女性の乳房よりヒーローの筋肉胸に近いのです。小学生の翔太君が憧れのヒーローを夢見てもおかしくありません。そして、その体型を作ったのは翔太君に云わせればダイエット帯です。
 従って、翔太君が
「ダイエット帯も悪くないや」
と思ったのも自然でしょう。どのみち、今の体重ではどう頑張っても4月以降もダイエット帯の再着用になりますから、ある意味、自己弁護の本能が働いたと云えます。この、自己弁護本能は、ダイエットシャツに対しても生まれました。つまり
「ダイエット帯でこれだけ効果があるなら、ダイエットシャツはもっと効果があるだろう」
と思うようになったのです。それは、ダイエットに向けた気合いが抜けた事を意味します。結局、4月の測定では

身長143.2cm, 体重47.4kg, 胸囲77cm (RI=161.4), 脇下80cm
【男子平均 145.3cm, 38.8kg, 69.3cm, RI=127
 女子平均 146.8cm,39.3kg, 70.7cm, RI=124】

と僅かの改善にとどまりました。身長が伸びる事を考えたら、半年後のRI<160も夢ではありませんが、他の連中と比べると、ちょっとがっかりする結果です。というのも、第2期組の4人のうち、2人が背の伸びた効果でRI<160となったのです。もっとも、強制ジムの場合と同様にRI<153で卒業となりますから、再びダイエット帯を着用しますが、この2人が第3期に突入する翔太君と差がついたのは確かです。他の連中も同様に改善して、11人のうち、6人まで(中学生3人全員)がRI<153となったのです。うち2人は完全に『卒業』です。
 一方、新5年生から、新たに5人が第1期強制ダイエット(ジム)に加わります。これだけメンバーが変わると、RI<153の6人全員がジムに出なくなり、メンバーがすっかり代わってしまいました。6年生の居残り組は5人で、そのうち、翔太君たち2人だけが、ダイエットシャツ着用対象者となります。


その4 (小学6年前期:バンドの効果)

 一方、肝心のダイエットシャツですが、その適用は10月に延期になりました。その理由の一つが、第一期の強制ダイエットの成果が良かった事です。肥満児の数が1年前の8000人から半年前の3000人に減っており、更に第2期ではダイエット帯まで加えています。ここは性急に第3期で次のステップに進むよりも、ジムとダイエット帯の成果を確認するのが良いという判断が働いたのです。ちなみに今回RI=153〜160の男子は3500人で、数字だけなら前回とほとんど同じですが、そのうち2500人がRI>160の肥満児からの改善組ですから、約2000人がRI<153にスライドした事になります。第一期だけでこれを達成した2000人を合わせると、総計4000人(当初の半分)がジムでのダイエット運動だけで1年以内にRI>160からRI<153に改善した事になります。
 製造ライン側としても、該当者が何処まで減るのか分からないので焦る必要がないと判断しました。そもそも4月は新年度という事で製造ラインが比較的忙しくなります。どうせなら10月に合わせた方が良いでしょう。更にシャツのデザインにも問題があります。体育での着替えであれば、小学生の場合はシャツまで脱がなくてもおかしくありません。しかし夏の水泳のシーズンとなるとシャツを脱いでしまって、そのデザインがクラスメートの目により触れ易くなります。基本が女性用のデザインなので、その当たりの配慮も多少は合った方が良いという事になりました。それは修学旅行でも同じです。修学旅行は1学期が2学期に終わりますから、10月開始にすれば、そういう機会でダイエットシャツがクラスメートの目に触れる心配がありません。

 もっとも、10月への延期を正式に決めたのは3月です。というのも、ダイエットシャツを着させられるという不安によるダイエット効果を期待したからです。実際、RI>160の数がこの半年で3000人から700人(新中学1年100人、新小学6年600人)に減ったのを見れば、その効果は明らかです。ちなみに、100人の中学生1年生は、体質や遺伝、最悪病気の可能性があるとの危惧から、病院で検査を受け、最終的には遺伝疾患という判定となって、強制ダイエットを止める事になりました。もちろんジムへの参加もダイエット帯も任意で続けられますが、ジムは安いのは向う半年限りとなりました。そんな訳で、この4月からの強制ダイエットの主体は新6年生と新5年生です。
 翔太君の行くジムだと、参加者が5年生6年生それぞれ5人ずつです。5年生は第1期ダイエット組で、6年生5人のうちの2人が第3期(ベルト)、2人が第2期継続(ベルト)、1人が仮卒業です。5人もいるので、翔太君にとってジムは相変わらずの場所で、居心地はそんなに悪くありません。ただ、5年生が新たに加わったので、先輩気分で、ここは発奮してみせなければならないと感じています。そういう意味ではモチベーションは上がっています。

 しかし、この手のモチベーションは長続きするものではありません。それは自転車での散歩も同じです。なんせ梅雨の鬱陶しい時期なのです。清涼飲料水にしても、昨年こそは控えましたが、今年はスポーツドリンクを飲んでいます。一体、スポーツドリンクは砂糖の塊で、栄養バランスを崩すので海外では子供が買う事を禁止している所もあるほどですが、翔太君にしても親にしても、そんな事は知りませんから、スポーツドリンクとかイオンとか云う言葉に騙されて平気で飲むようになってしまいました。これでは、折角のダイエット帯と、それによる節食効果も台無しです。それどころか、折角の背の伸びる時期に入ったのに、栄養バランスを崩して、背の伸びを抑えてしまっています。そもそも肥満児は統計的に背が伸び難いという傾向にあり、翔太君の飲食習慣はそれに拍車をかけているのです。
 一方、ダイエット帯の効果は相変わらずあがっており、6月上旬には
(肋骨下部=70センチ→69センチ)
9月上旬には
(肋骨下部=69センチ→68センチ)
と胴体中部が更に2センチ縮まりました。その分の脂肪は上と下に移動し、下腹部は妊婦のように膨れて来ています。もっとも、この膨れと肩口についた脂肪のお陰で、肥満胸は辛うじて男の肥満胸と分かります。男の肥満胸は翔太君憧れのヒーローの胸と見た目だけは大差ありませんから、翔太君は気にしません。しかも胴体中部が細くなっているのだから、ダイエットの効果があがっていると誤解しています。実際、ジムでの測定では背が伸びた効果でRIの値が着実に下がっています。
 こうして運命の10月がやってきました。測定は保健室で、測定するのは例の厳しい先生です。なので摂水とかトイレとか気をつけて測定に望み、ついに

身長146.5cm, 体重50.0kg, 胸囲78cm (RI=159.0), 脇下81cm
とRI<160を達成しました。身長が春より3.3cmも伸びたお陰です。いや、ちゃんと栄養のバランスが良ければもっと背が伸びた筈ですが、とにかくこれで十分です。
 しかし、測定はこの日だけではありませんでした。強制ダイエットを3期も続けて受けてすらRI>153(160でない!)の肥満児は、体質や遺伝、最悪病気の可能性があるという事で病院で検査を受ける事になっています。中学1年生が4月に受けたのと同じ検査です。そして、検査のついでに病院の測定器できちんとした身体測定をする事になっていたのです。ただ、おっとり者の翔太君は、検査だけで身体測定はないと思っています。だから、保健室での測定の結果に気が緩んで、ちょっとスナックを多めに食べたりし、検査の日もトイレ以外の体重のコントロールを考えません。その結果

身長146.5cm, 体重50.3kg (RI=160.0)
という数字になってしまいました。
 まさに晴天の霹靂です。しかも検査では異常が見つからず、ついにこの地区どころか近辺の地区を合わせてすら唯一
「男子用ダイエットシャツ」
を着る羽目になりました。全国的に見ると、ダイエットシャツの該当者(半年ごとの検査で5回連続RI>160の小学6年生)は300人いたものの、検査の結果、6割が疾患または遺伝の問題であると診断されて、全国で小学6年生100人だけがシャツの対象者です。ちなみに今回RI=153〜160の男子は6年生が1800人で、うち300人がRI>160の肥満児からの改善組ですから、この半年でも再び2000人がRI<153(仮卒業)にスライドした事になります。

 ダイエットシャツの着用対象者が全国100人と極めて少ない事から、宣伝費が無い事を差し引いても、開発費とか初期投資とかの全費用を考えると1枚5000円になってしまいます。当然ながら、メーカーと肥満防止委員会とが交渉し、結局、
(1)定価を1枚2000円とし、更に4枚までは医療保険が使えるようにして、実質1枚600円とする。
(2)メーカーが全く同じものを市場に『肥満防止委員会推薦』というお墨付きで男女指定せずに自由価格で1ヶ月後に売り出しても良い。
という事になりました。自由価格とは、売れ行き次第では1枚1000円程度で売るかもしれないという意味です。量産すれば、そのくらいの値段は可能です。また、男女指定せずとは、男女兼用という意味ではなく、何も書かないという事です。もしも、これを子供下着コーナーに置いたなら、デザインが女性用補正シャツを流用しただけなので、一般消費者は女子用と思うに違いありません。そもそも婦人下着コーナーに置いて当たり前のデザインです。そして『肥満防止委員会推薦』のシャツなら、肥満気味の女の子や女性が買ってもおかしくありません。つまり、ダイエットに踊らされない男子は無視して、ダイエットに金をかける女性をターゲットのする訳です。
 もちろん、こういう宣伝の結果、ダイエットシャツの対象者の男の子が
「女の子と同じものを着させられている」
と不安に思うかも知れないという指摘は委員会内でもありましたが、大赤字という現実を背景に
「気にし過ぎ」
「そもそも過保護発想が肥満のもと」
という圧倒的多数意見に押し切られてしまいました。社会的にも肥満防止委員会のやり方に文句は出ないでしょう。なんせ、ダイエット帯のお陰で、疾患や遺伝に問題のない肥満児(RI>160)が、1年で約3000人から100人に減ったのですから、いかに成長期でRI値が下がりやすい時期とはいえ、委員会の実積はあなどれません。とにかく、 当初の8000人の肥満児のうち、半年ごとに2000人ずつがRI<153まで改善したのです。これらの成果は、半年前と同じく、瞬く間にマスコミに喧伝されました。これなら、ダイエットシャツどころか、ボディスーツやコルセット等、女性用補正下着をそのまま流用しても、肥満防止委員会への文句は殆ど出ないでしょう。

 そういう雲の上の話は、今の翔太君に関係ありません。彼にとっての不安は、学校でただ一人、新しいタイプのシャツを着たら、学校で皆に囃されるのではないかという事であり、せっかくダイエット帯で格好よい体型になりつつあるのがシャツで崩れるのではないかという事です。もっとも、期待もあります。ダイエット帯ですら効果があるんだから、ダイエットシャツならもっと格好よくなれるのではないか、というものです。着させられるかどうか分からないと何となく嫌でも、いざ着させられる事が分かると、それに順応してよりポジティブに考える。それが彼です。まったく正反対の人もいますから、これは翔太君の性格でしょう。
 そのダイエットシャツは、病院での検査の翌日に『任意』という名の強制注文の儀式があり、約10日後に学校の保健室に届きました。自宅でないのは現金の授受を学校で行うからで、しかも集金に当たって家の経済状況を考えるのに一番適したのが、現に昼食費を集めている学校だからです。もちろん、このシャツもダイエット帯と同じく『強く指導』されるだけですが、ジムと違い学校現場での『指導』は強制も同じです。
 保険適用限度の4枚を注文した翔太君がダイエットシャツを保健室に取りに行くと、あの厳しい養護の先生から
「毎日着るように、できれば週末も」
と念を押されて渡されたました。放課後で人がいない事もあって、その場で
「サイズの確認をしたいので、いま着てくれる?」
と、さっそくシャツに着替えさせられます。そう言われた翔太君が4枚入ったパックから白のダイエットシャツを取り出してみると、シームレスのそれは全身競泳水着のように全体的に圧縮性が高い事がひと目でわかります。広げてみると、それは半袖で、胸の所だけ左右とも直径6センチ程緩くなって、そこだけ圧縮力が無いために膨らみまである感じに見えるデザインです。でも、のんびり屋の翔太君は、自分の肥満胸に合わせてあると思って、そこまで気にしません。いや、気にしない訳ではありませんが、厳しい養護の先生の手前、頭を真っ白にして、そのままシャツを着ました。全国の他の100人も、恐らくは多少の戸惑いと共に試着したでしょう。
 半袖ですから、肋骨の下部だけでなく、脇の下もきっちり締め付けます。だから、締め付けの殆どない乳房部が、残丘のように少しだけ浮き上がるのは仕方ありません。もっともRI=160(標準体重を10kg以上オーバー)ぐらいの肥満児となると、脇筋肉部の贅肉が余りに多いため、多少の浮き上がりは極端には目立ちません。胸の脂肪が若干強調される程度です。養護の先生こそ胸の特殊性に気付きましたが、翔太君は気がつきません。というのも、全体的な締め付けの強さに閉口してしまったからです。コルセットのように息苦しいものではありませんが、細かい所まで気にする余裕が無くなるほどのきつさです。
 ともあれ、翔太君は、直ぐに鏡をみました。幸い、全体的な見た目は、普通のシャツとさほど変わりません。胸が少し強調されているものの、多少、肥満胸が出ているのは今までのシャツでも同じ事であり、むしろ胸自体も多少圧縮しているから翔太君には十分に満足のいくものです。そう、11歳では、肩口からの繋がり具合とか、ウエストとの対比とかいう発想はなく、単純に胸の大きさにしか目が行かないものなのです。なので、これなら体育での着替えとかでも級友に揶揄される心配がないと翔太君は判断しました。その判断は確かに今は間違っていません。安心した翔太君は、そのままいつものダイエットジムに向かいます。

 ジムは1人減って全部で9人です。6年生の仮卒業組が卒業してしまったからです。第4期(ダイエットシャツ)は翔太君一人で、1人が第3期継続(ベルト)、2人が仮卒業(RI<153)です。仮卒業の2人はジムもベルトも不要ですが、翔太君達2人に付き合ってあと半年残る事にしました。5年生の方も、1人が仮卒業、1人が第1期継続、3人が第2期(ベルト)です。メンバーがあまり変わらず、しかもベルト組が3人増えているので、ダイエットシャツを着る事にもそこまで抵抗がありません。
 かくして、着たてのダイエットシャツの上に体育服を着てトレーニングを始めました。トレーニングウエアの下に何も着ないのは中学か高校からで、小学生の翔太君はいつも下着シャツの上に体育服を着ています。これはダイエット見地からも正しく、ダイエットシャツの説明書にも、運動の際に着用すると更に効果が上がる(但し過負担に注意しなさい)と書いてあります。それによってシャツの寿命は短くなりますが、それはメーカーにとって有り難いだけの話です。
 ですが、いかにダイエット見地から正しくても、かなり締め付けた状態での運動は呼吸も心臓もきつく、いつもよりも早く息が上がってしまいました。幸い、ジムの先生がここ数日翔太君に注意していて直ぐに異常に気付き、普段より休憩を大目に取らせたり自転車のロードを軽くしたりして、なんとか無事にジムを終える事ができました。ジムの先生が翔太君に注意を払っていたのは、そろそろ彼がダイエットシャツを手に入れる頃だと思っていたからです。そこはプロですから、その手のシャツで運動すると普段と全く違う負荷がかかる事を知ってします。それは全国の他のジムも同じで、ダイエットシャツ着用直後の運動は、関係者が特に注意を払っていたのでした。
 ともかくも無事にその日のジムを終えた翔太君は、さっそくダイエット帯を取り出しました。半年前は嫌いでしたが、今はそこまで嫌ではありません。むしろ積極的に付けたいぐらいです。しかもジムのメンバーのほとんどが着用しているのだから、ここで帯を付けるのは当然です。なので、ダイエットシャツがダイエット帯の代わりになったかも知れない可能性は考えません。その様子をみたジムの先生も
「あ、それも付けるんだな、そうだよ、それがいいよ」
と慌ててフォローします。実はダイエット帯をどうするかについては何の規定もないのですが、本人が付けると云うのであれば、それを否定する必要はありません。

 ジムの先生にとっては翔太君のダイエット帯は有り難かったのですが、それを見た母親は少し困惑しました。というのも翔太君がダイエット帯を嫌っていたのを強く覚えていて、しかもダイエットシャツがダイエット帯の代わりになると思い込んでいたからです。もちろんその程度では困惑には繋がりませんが、家に帰りついた翔太君が、シャツを暫く着つづけた絞り効果でやや細くなった肋骨下部に気付いて
「ありゃ、今日は緩いや」
とダイエット帯を更にきつめに
(肋骨下部=68センチ→67センチ)
締め直したとき、胸の直ぐ下が殆ど段差になって、一瞬だけですが、同年代の女の子の胸のような感じに見えたからです。翔太君にしてみれば、帯をより締める事はダイエット的にも、ヒーロー願望の上からも喜びですが、母親にしてみれば、女の子っぽい胸を演出して喜んでいる息子という風に見えてしまいます。そして、こういう繊細な事こそ、簡単に聞き難く、故に誤解も解けにくいものなのです。


その5 (小学6年2学期:シェーパー)

 母親の違和感なんかに全然気付かない翔太君は、さっそくダイエットシャツを母親に見せました。それは確かに胃の回りを締め付けるものの、胸の所がゆるゆるしている事は、女の目から見れば明らかです。なので母親の当惑は更に大きくなりしたが、それでも、翔太君の体型にピッタリではあり、さっきの翔太君の様子だって、純粋にダイエット効果を喜んだ肥満児の姿と考えれば一応は納得できます。確かに肩口まで締め付けているために、胸が若干膨らんだ感じはしますが、それでも冷静に見れば、やはり分厚い感じの男の子の肥満胸で、先ほど女の子の胸のように一瞬見えたのが錯覚だったと思えるようになりました。乳房部が緩めとはいっても、脂肪胸自体を締め付けている事には変わりませんから、確かにダイエット効果はありそうです。それに、男でも乳首が擦れて困る人がいることぐらい、母親は知っていますから、シャツのデザインが肥満胸の乳首を守る為だと理解できます。そんな訳で、当惑は取りあえず消えました。
 こうして、翔太君はダイエットシャツを着る日々が始まりました。もっとも、その夜はシャツは着ません。というのも、シャツのきつさに閉口したし、母親も
「まだ初日なのだから、寝るときは寝間着に着替えたらどう」
とアドバイスしたからです。寝る時に体を締め付けられると熟睡できません。それは、子供といえども同じでしょう。そして、子供は夜は寝間着一枚で過ごして平気なのです。
 翌日は、いよいよ、ダイエットシャツ着用での初登校です。体育こそありませんが、それでもクラスメートの目とか気になります。シャツのきつさに閉口した反動もあって、上着は緩めの服を選びます。なので肩口の絞りが目立つ事もなく、胸全体が以前よりも絞れて見えるぐらいです。でも、それゆえに却って
「痩せる為の服を着ている」
とクラスメートに思われるのが気になります。なので当初はやや緊張していましたが、緩めの上着のせいか、誰も気付く事無く一日が終わりました。この頃になるとシャツの締め付けによる息苦しさも気になりません。子供にとっての1日とはとてつも長い時間であって、その間に慣れてしまうものなのです。トランクスとブリーフの違いのようなものです。

 シャツが届いて3日目になりました。この日は体育があります。当然、翔太君も着替えの際はクラスメートの目が気になって緊張します。なので出来るだけ平静を装って、さっさと着替えます。そのお陰で、翔太君の気付く限り、誰もシャツを問題にしていないように思えました。少なくとも翔太君は何も言われませんでした。翔太君にとってはそれで十分です。
 もっとも、減量に失敗して罰で今もジムに行っている事は誰でも知っているし、小学6年生ともなれば噂などから色々と最新情報を知っている者はいます。2日もあれば、そういう子からの情報で、翔太君がダイエット帯に続いてダイエットシャツを着させられている事をかなりのクラスメートが知っています。そして、中にはそういう下衆な興味を持つ子だって出て来ます。それは主に女の子です。だから、上着を着ている間こそ、子供の目には全くわからなくでも、着替えの間にシャツの違いに気付いたクラスメートはいます。
 とは言え、締め付けの強いシャツである事も、胸だけ緩めであるデザインである事も、当初は誰にも分かりませんでした。というのも、減量関係の話題で翔太君を揶揄する事が先生から厳しく禁止されていたからです。それは、翔太君の体をじろじろ見る事も含めます。だから、クラスメートは、シャツをじろじろ見るのもダブーだと思っています。加えて、ぱっと見の印象は、あくまで男の肥満胸です。肥満児の醜い体です。もしも丁寧に下から見上げるような形で翔太君の胸を見たら、あるいは肩口の絞りだけに注目すれば、普通の肥満胸とシャツを着た翔太君の胸の違いに気付くかも知れませんが、醜い肥満胸を観賞するようなクラスメートなぞいません。
 結局、シャツの違いは気付いたものの、大抵の肥満児を見る目と同じく、
「胸まで太っていて醜い」
「頑張ってダイエットしてね」
と心の中で呟くだけで終わりました。それがこの日の結果で、そのお陰で翔太君のダイエットシャツへの不安が急速に薄れました。

 体育の着替えも回数が重なると、翔太君の緊張もなくなるし、シャツの全体像も見えて来ます。いや、正確にはシャツではありません。シャツによって変形された体型です。当然ながら、クラスメートの女子の中には、新しいシャツが胸の脂肪が強調するデザインである事に気付く者もいます。それはこっそり男子に
「翔太君のシャツってちょっと変じゃない」
という風に伝えられます。このくらいの歳の男子は女の子の胸が膨らんで来つつある事に興味を覚えますから、直感的にそれを胸の事だと理解し、更に女の子の胸との比較の視点で翔太君の胸をじっくり見たいと思う子も何人か出て来ます。その為には、より親しい振りをするしかありません。
 もっとも、ダイエットとか脂肪とかを指摘する事は一種のタブーですから、掛けられる声は限られて
「お、シャツがカッコいいじゃないか」
「う、うん、ダイエット効果がある奴だよ」
「効果って?」
「少し締め付けるんだ! ってそんな、じろじろ見るなよ」
「あ、ごめん、でもちょっと格好よくなったね」
「え、そう。ありがとう」
先生から厳禁されているタブーへの対処とは、こんな具合になるのが普通です。
 一方、女子に、翔太君の醜い肥満胸を観賞する趣味はありません。シャツが変わった事を確認しただけで満足です。要するに、クラスメートへのシャツの披露は、翔太君にとっては問題なく終わったばかりか、仲良く声を掛けてくれる子が増えたという成果すらもたらしました。こうなると、嬉しくなって、寝間着の代わりにダイエットシャツを着て寝てはどうかというアイデアも浮かびます。
 確かに初日の母親の言葉に従って、今まで寝間着に着替えましたが、その際に母親は
「初日だから」
という言い訳を加えています。母親の真意は、
「理由はどうでも良いから夜まで着る必要はない」
ですが、翔太君は言い訳の意味をそのままにとるべきだと思いました。大人の不用意な言い訳はこんな所に影響を与えます。そして、順応性の高い子供ですから、一晩目こそきつさに熟睡出来なかったものの、翌晩ははやくも熟睡できるようになりました。

 一方、ダイエット帯の方も相変わらず使用しています。いや寧ろ頻度が増えたと云うべきかも知れません。どうせきつい思いをするなら、体型を格好よくしてくれるベルトをしなくちゃ損だという発想で、ジムの後だけでなく週末にダイエットシャツを着る際にも付けるようになったからです。シャツの効果も相まって、今までは肋骨下部の一番下だけが絞れていたのが、いわゆるアンダーバストの部分まで広範囲に及ぶようになりました。こうして12月中旬には
(アンダーバスト+肋骨下部=74センチ+67センチ→72センチ+66センチ)
と、アンダーバストまで細くなってきたのです。成長期で背が3センチ伸びているにも関わらずです。もはやダイエットシャツも、胸の下の方はそこまできついと感じません。きついのは肩口だけです。
 このくらいになると、脂肪だけでなく肋骨の方にも影響が出て、内蔵肥満の為に本来よりも拡大気味だった肋骨下部が、拡大を止めるどころか少し収縮しました。一体、大人の硬くなった肋骨ですらコルセットで変形するのです。ましてや若い翔太くんの肋骨が締め付けの影響をもろに受けるのは当然です。
 このように目に見えて成果が出ると、人間と云うのは現金なもので、胴を細くする事が快感となり、ダイエットシャツとダイエット帯の着用に熱心になりました。例えば、ジムの有る無しに関わらず毎日の午後に着用するようになり、とうとう12月下旬には、夜外すのを忘れて一晩中つけたまま寝てしまうという事までありました。土曜夜の事です。当然ながら、その翌朝に感じたのが、ダイエット帯が楽になっているという事で、試しに締め直してみたら、なんと
(アンダーバスト+肋骨下部=72センチ+66センチ→71センチ+66センチ)
が可能でした。わずか10日で1センチ縮んだのです。嬉しくない筈がありません。
 いったい、翔太君はなぜダイエット帯が夕方だけ着用なのか知りません。知っているのは肋骨を締める事によって胃を小さくし同時に内蔵脂肪を減らすという目的だけです。一方のダイエットシャツの方は終日着るように言われています。ならば、ダイエット帯も終日で良いじゃないかという気になります。もちろん、医学的には局部を締め付ける事と、全体を締め付ける事の違いは明らかで、局部の締め付けを長時間すると、コルセットの長時間締め付けと同じく、骨格の本来のバランスに影響が出るから勧められないのでが、そんな事を知る筈もない翔太君は、この日を境に夜も時々ダイエット帯を締めて寝るようになりました。

 肋骨下部の方はこんな具合に確実に絞られて行きました。こうなると胸囲(乳首の上のいわゆるバストでなく脇下のいわゆるチェスト)の方も気になります。というのも、そこはダイエットシャツで締めている場所であって、確かに贅肉があるからです。だから、アンダーバストが半年余りで4センチも縮んだにも関わらず、彼の肥満体型は男のそれで、翔太君はこれを
「太って見えて嫌だなあ」
と感じています。そこの脂肪が邪魔であることは、シャツが肩口を圧縮している事からも明らかです。しかし、肋骨下部と違い、目に見えた成果は上がっていません。10月の脇下81センチ(胸囲78センチ)から更に拡大する事こそ防がれていますが、細くはなっていないのです。
 こうして翔太君は、シャツの圧縮している肩口を、ダイエットベルトと同じように強く圧縮する必要を感じました。それで、とうとう、ズボン用のベルトを取り出して、それで胸囲(脇下)を締めるようになったのです。そんな事をすれば、胸の脂肪を強調することになりかねませんが、そんな事よりも醜さの方が気になったのです。12月中旬の事です。
 かくて、翔太君の胴体はまんべんなく絞られて行き、もしもきちんと計ったなら、上半身のサイズ(チェスト=脇の下、バスト、アンダーバスト、肋骨下端(女性のウエストに当たる位置)が、それぞれ
10月上旬 81−78−74−67
12月中旬 81−78−72−66
1月下旬 79−77−70−65
3月上旬 78−77−69−65
という具合に変化していった事が分かった筈でしょう。もっとも、胸囲はまだまだ男子平均より5センチも上回っています。

 さて、翔太君の胸に興味を持ったクラスメートの反応はどうでしょう。彼らは、単なる肥満胸に終わらず、女の子のような胸になって欲しいという、という妄想と繋がった興味で翔太君に接近しています。なぜなら、翔太君は男だから、おっぱいが出て来ても、胸を隠さないという期待が持てるからです。しかし、そんな期待は1ヶ月もしないうちに消えました。胸の大きさそのものがダイエットシャツの効果で少しながらも小さくなってきたからです。いつまでも発達しない肥満胸に興味が持続する筈がありません。小学生というのは飽きっぽいのです。もちろん、転校生のように、初めて翔太君の胸を見た人間には、ダイエットシャツで強調された翔太君の胸は衝撃的でしょうが、6年生の後半といえば、転校生もいない時期なのです。結局、一連の胸疑惑で残ったのは、翔太君がクラスメートと仲良くなった事だけで、その為に翔太君はダイエットシャツ、正確にはシャツによるダイエットがますます気に入りました。
 一方、女子は別の興味を示しました。ダイエットシャツが市販されたからです。宣伝こそありませんが、母親と一緒に下着コーナーに行けば、そういうシャツが売ってある事に気付きます。それが女の子です。当然、そのシャツから翔太君のシャツとを思い浮かべます。
「あれ、もしかして同じかも」
という反応の次に来るのは
「あんな肥満とお揃いの下着なんて汚らわしい」
というものでしょう。だから、翔太君のシャツを確認したくなる子も出て来ます。デザインを知らず遠くから人が来ているのを見るのと、デザインを知った上で見るのとでは把握度が全然ちがいますから、あっという間に
「あれって、胸の所がゆるゆるの下着だよねえ、きっと。可哀相&いやらしいかも」
という目で見るようになります。罰下着だと頭では分かっているから口には出しませんが、ちょっと引くのは確かです。


その6 (小学6年3学期:複雑な心境)

 成長期にも関わらず上半身が絞れて来たのは、もちろんダイエットシャツやダイエット帯だけの効果ではありません。固形食、例えば間食や食事が減った効果もあります。でも、それはダイエットシャツやダイエット帯の効果に比べたら些細なもので、その証拠に、体重の微増が続いています。もちろん身長が伸びた分、体重は増えるものですが、ちゃんとしたダイエットであれは体重は横ばいの筈です。だから、ダイエットシャツとダイエット帯には充分に感謝していましたし、ついつい母親に
「このシャツきついけど、本当に効果あるね」
と言っていたりします。
 一方の母親は、やや複雑な心境でした。クラスの子供の目・・・単純に胸の大きさにしか目が行かない・・・と違って、母親は上半身全体のラインを見るからです。確かに胸は小さくなっていますが、体が細くなった分、以前にも増して、胸が強調されてきています。そして、そういう体になりつつある事を翔太君が喜んでいるのだから、不安がもたげて来るのも当然です。とはいえ、翔太君がダイエットと食生活に興味を持ち始めた事は喜ぶべき事です。要するに良い方に進んでいるのか悪い方に進んでいるのかのどちらか分からないのです。
 不安要因はもう一つあります。それは翔太君の歩き方です。翔太君の足は贅肉の塊なので、簡単に股擦れを起こすという切実な問題があります。第二次性徴前の子供は股間が狭く、股擦れを起こし易いのです。肉が擦る場所は、太腿の横から後ろにかけてですから、がに股か内股で歩けば擦れずに済みます。普通の肥満児の場合は体重のバランスの問題もあってがに股になり易いですが、翔太君の場合、ダイエットシャツが腹部をやや圧縮する事から、お腹を引っ込めるような姿勢を無意識にとってしまって、その影響で股擦れ対策も内股気味の歩き方になってしまいました。それが段々母親の目につくようになっったのです。疑心暗鬼だからこそ目に付いたと云うべきでしょうが、とにかく、それで母親がますます不安になりました。そして、1月後半のある日、不安を決定づける事がありました。

 上半身のダイエットが進んできた翔太君にとって、次に気になるのは腹と足です。肋骨から押し出された内蔵で膨れ気味の腹部と共に、足をすらりとさせる事は彼にとって重要な案件になりつつありました。一方、いかに大根足になるのを防ぐかというのは、中学・・・小学生から見たら大人の第一歩・・・を前にしたクラスメートにとって重要な話題の一つです。微妙な話題なだけに、クラスメートがこれを翔太君に話題として振る事は今までありませんでしたが、体育が持久走に変わった1月後半に事情は変わりました。というのも、翔太君以外にも股擦れを起こす子が複数出て来たからです。
 お互いに
「股擦れが痛いな」
と慰めあえば、翔太君に話を振らない方が不自然です。
「翔太、おまえ大変だろ」
「うん、痛いのなんの、お前らがうらやましいよ」
「持久走ぐらい、短パンは止めてほしいよな」
「おれなんか、歩いててもなるぜ」
という会話は、女子にも伝わります。
 ダイエットシャツの市販で、女子の大多数は翔太君のシャツの胸部がゆるゆるな事を知っており、そんな彼女達の大多数は、翔太君に対し
「可哀相だけどキモい」
という印象を持っています。可哀相とキモいのどちらの印象が強いかは人によって異なります。中には本気で可哀相と思っている女子だっている訳で、とうとう
「ねえ、タイツ履いたら股擦れがなくなるんじゃない?」
と真顔でアドバイスする子が出て来ました。女の子の間では、とうの昔にレギンスで足を細く見せる会話があり、しかも見た目がレギンスと同じタイツにはスポーツ用の男物があるからです。
 女の子にもてない翔太君にとっては、自分の身を心配してくれる女の子の存在と、そういう女の子から声をかけられるだけで嬉しく、盲目的にアドバイスが頭に入ります。翔太君はその日のうちに母親へ
「ねえ、タイツを買ってよ」
とおねだりしました。母親の方は、今までの胸疑惑と内股疑惑で不安になっているところですから、直ぐに女物のタイツしか思い浮かびません。
「タイツって?」
と取りあえず聞きますが
「股擦れが痛いから。それに足を細くするっていうし」
「どんなの」
「なんでも良いよ、あ、ダイエット効果のある奴がいいな」
と、的を得ない返事です。
 実はスポーツタイツは伸縮性があるので、そこまでダイエット効果はありません。ダイエットなら女物のタイツすなわちレギンスです。つまりダイエットを強調する事で、女物レギンスを主張した事になってしまうのです。最終的にはスポーツタイツで話は決まったものの、この件で、母親の不安は一気に大きくなりました。

 こういう時に欲しいのは保険です。そう、2人目の子供、3人目の子供です。幸い、翔太は母親が若い時に出来た子供ですし、現代は35歳過ぎての出産が普通に行われる時代です。こうして、1月から2月にかけてのある日、母親は妊娠しました。そのお陰で、妊娠の疑いが濃厚になった3月以降は、翔太君には翔太君の好きにして貰おうと決心しました。翔太君はノーマルですから、明らかにとりこし苦労ですが、それが大人の目というものなのです。
 とはいえ、学業に関しては話は別です。翔太君の生い立ちを見れば分かるように、教育熱心な家庭なのです。だから、中学から私立に通わせる事は前々から考えています。しかも、翔太君の嗜好の対する不安がもたげて来た今となっては、その分の不利を跳ね返すぐらいの学歴をきちんとつけて貰おうという気になります。進学に関しては、父親は本人の意思を尊重する方針ですが、母親の意見に流されて、それを強くいう事はありません。しかも肝心の翔太君も別の意味で私学を考えているのです。私学を受ける事は年内には確定していました。
 翔太君の動機は母親とは全く別で、ダイエットジムのメンバーと同じ学校に行きたいと言う単純なものでした。彼を含めジムにまだ残っている同期生4人は、たといダイエットシャツが翔太君一人であっても、戦友のような関係です。中学になるとイジメが怖いという先入観がありますから、お互いに虐められないように力を合わせるべく、一緒の学校に行こうと申し合わせるのは自然な流れます。イジメの実情を知らないからこういう約束が出来るのです。もちろん、私学に通る学力が全員にあったわけではありません。でも、高望みでない程度の私学であり、しかも中学程度の受験ですので、普通の頭をしていれば2ヶ月も熱心に受験勉強すればどうにかなるものです。

 3月頭の受験の終わったあと、翔太君は中学生活に思いを馳せると同時に、改めて自分の肥満が気になりました。というのも他の受験生は翔太君より確かに細く、しかも自分のクラスメートの平均よりもスラッとしているように思われたからです。これは半分以上錯覚で、というのも成長期で急に背だけが伸びる時期だから、見慣れている友達・・・半年〜2年前のイメージ・・・と初対面の人間を比較したら、初対面の方がスラッとして見えるに決まっているからです。でも、そんな事に思い至らない翔太君にとっては、中学校で体型が目立ってしまう事が気になります。そうして、夜、風呂に入った時、久々に自分の体型をつくづくと見直しました。
 そのとき、始めて妙な印象を受けました。なんというか、見慣れた肥満胸の筈なのに、むらむらっときてしまったのです。それには、受験による開放感と、年齢相応に異性への興味が高くなった事の影響があります。女の子の胸ってどんな感じなのかな、という好奇心は男の子なら誰でも持っています。それを身近に見たいという欲望は、この年頃なら月日を追う毎に高まります。のんびり屋の翔太君とて例外ではありません。それが受験の終わりで急激に高まって、自分の胸ですら、そういう目で見てしまったのでしょう。同級生が2ヶ月前ぐらいに翔太君の事を「女の子の胸の代用」を意識したのと似た様なものです。だからそこ、ここ半年でとりたてて胸の形が大きく変わった訳でもないのに、女の子の胸を投影する事になったのです。
 一旦そういう目で見ると、翔太君の胸は、翔太君のような子供には女の子の胸と区別がつきません。もちろん、肥満胸で醜いという気分は今でもありますが、同時に、これが女の子の胸とどう違うのだろう、という疑問もわいて来るし、これが本物のおっぱいだったらなあ、という夢想すらしてしまいます。ただしあくまで夢想です。というのも、これが醜い肥満胸であり、それを小さくするべく、ここ半年頑張って来たという意識があるからです。もしも「女の子の胸」が夢想でなく、いきなり現実のものとして自分に突きつけられていたらパニックになるでしょう。そこが、「女の子っぽいところもある」というのと「女の子っぽい」というのとの違いです。理由はともあれ、この日を境に、翔太君は、自分の胸に女の子を感じるという奇妙な意識に目覚めてしまいました。
 もちろん、異性の体に興味を持つという事は、同時に恋愛と言う意味でも男らしく見せようという意識を持ち始める事を意味します。この時期の男の子は、クラスに必ず一人はいるというシンデレラのような美人に集中して興味を持つのが普通で、翔太君も例外ではありません。そして、翔太君のような肥満児には高嶺の花である事に間違いなく、女の子に格好よく見せる努力も無駄に感じるものです。だから、体型をより男らしく改善しようという意欲は余りありません。せいぜい髪とか顔が気になる程度です。
 翔太君の意識の変化は、翔太君のダイエットプラン・・・食事と運動と下着・・・にも若干の影響を与えました。というのも、女の体を意識するという事は、胸ばかりでなく体のラインをすっきりさせる事をも意味するからです。もちろん、それは元々のダイエットの目的と同じですが、胸と尻だけは小さくならなくても構わないという気分が加わるところが決定的に違います。かくて、翔太君はベルトやダイエット帯も今までよりきつく締めるようになりました。こうなると、もはやコルセットとなんら変わりありません。そして、そういう変化に一番はやく気付くべき母親は、新しく生む子供の事で頭がいっぱいです。

 服によるダイエットとしては、2月以来タイツも加わり、家では四六時中着用するようになりました。スポーツタイツなのでダイエット効果はほとんどありませんが、それでもほっそりしたデザインですから、足を細くする事に対する興味をそそると効果があります。その結果、スポーツタイツでは太腿のダイエットに不十分だと思うようなるのに時間はかかりません。だから、春休みに中学用のズボンを試着して、太腿のきつさを改めて認識した際には、はっきりと、もっときつめのタイツの必要を感じました。
 もっとも、タイツの件に関しては、母親と相談するのは憚れました。というのも、2ヶ月前にタイツの話をした時に母親があまり良い顔をしなかった事を覚えているからです。そして、そのタイツを使用した効果があまり上がっていないからです。これでは
「やっぱりダメでしょ? 運動しなさい」
と云われるのがオチでしょう。でも、ジムよりもダイエット帯やダイエットシャツの方が実際に肥満度が下がったという体験をしている翔太君にしてみれば、自分の嫌いな運動や食事でのダイエットよりも、既に慣れてしまった服ダイエットの方が効果があると信じています。なので、この件を蒸し返すのはもっと後の事です。
 ちなみに、運動や食事でなく、服を使ってダイエットするという発想は、まさに女の子のものです。そして翔太君も、そういう考えに少しずつ近づいていきました。翔太君はノーマルですから、女装趣味はありません。女装に対する性的興奮もありません。でも、頭の中に占めるダイエットの割合が増えるにつれ、こういう形の女の子的発想に抵抗が無くなってくるのは仕方ない事です。そして、それは、女性用の補正下着に対する免疫をも意味します。


その7 (中学入学:誤解の始まり)

 こうするうちに4月を迎えました。中学入学です。男女半々の共学です。私立ですから、通学が今までの1km以内から、一気に5kmになりました。このくらいなら女子でも自転車で通う距離でしょう。でも、翔太君はあまり運動が好きではありません。近所のバス停から学校の近くまでの直行路線があるので、雨の日とかは暑い日とかはバスを選ぶ事になります。週末に散歩に出るのと通学とは違うのです。
 通学範囲が広いという事は、色々な小学校から生徒が来ている事を意味します。だから、学年のメンバーが今までの顔なじみ・近所友達から大きく変わります。その大多数は、翔太君が肥満児としてダイエットの罰を受けている身である事を知りません。それは、事情を知らない者から色眼鏡で見られる可能性を意味していますから、母親からも小学校の時の担任からも
「目立たないように」
と言われています。そんな事を気にするぐらいなら、半数以上が同じ小学校出身となる公立中学にやれば良い筈ですが、母親も小学校の担任も、受験のためという妙な信仰の熱心な信者ですから、私立中学に翔太君を送り込む事に何の疑問も感じていません。そして父親は息子の事は母親に任せっきりです。
 目立たない事を心掛ける翔太君は、初心に戻って、体育などの着替えのある時は気をつけます。お陰でなんとか誤摩化せました。というのも、肋骨を絞ったとは言え、贅肉を積極的に減らすような本格的なダイエットをした訳ではないので、お腹まわりや顔が明らかに太っているからです。胸回りの脂肪のつき方が普通の肥満胸とちょっと違っていても、初対面の人は
「こんな感じも肥満もあるんだんあ」
「みっともない肥満だな」
であって、それ以上は詮索しません。4月のこの時期は、皆、新しい個人情報を網羅的に吸収するのに精一杯で、他人の醜い体の細かい所まで見る余裕なんてないのです。
 そうこうするうちに身体測定となりました。もっとも今回は殆ど緊張がありません。その理由の一つが、新しいペナルティが無い事です。肥満防止委員会は既に十分な成果を上げています。しかも前回のペナルティたるダイエットシャツが事実上の赤字である事から、衣類関係者の委員が新しいペナルティの提唱に非常に否定的だったのです。緊張しなかったもう一つの理由が、ダイエットシャツを気に入っている事です。3月に自分の胸を意識し、中学に入ってシャツが恥ずかしいかな、と思っている訳ですから、義務で仕方ないというスタンスで着れればこれ以上の口実はありません。なので、今までと違って、重めの体重値が出る事に何の躊躇いもありません。
 もっとも、身体測定で問題点が一つあります。それは皆の前で裸になるという事です。翔太君はあまり深く考えていませんでしたが、幸い、養護の先生から事前に呼び出しがありました。そう、養護の先生には肥満防止委員会から、該当者の名前が知らされているのです。そして、中学校に該当者が入学するのは今年が始めてなのです。だから、小学校でごく普通に他の生徒と一緒に身体測定を受けていた、という事は知りません。いや、これが公立だったら知っていたかも知れませんが、ここは私立です。連絡体系がちょっと違うのです。なので、養護の先生は大事をとって、事前に会っておこうと思いました。
 その結果、他の該当者3人・・・全員合格した・・・はごく普通の『やや肥満』の体型だったのに、翔太君だけは胸の回りがちょっと変に感じられました。しかも、女性用スリーマーのようなシャツに対して、
「それがダイエットシャツ?」
「うん、これは確かに効く」
「きつくない?」
「慣れてるから」
と、嫌な顔どころか、気に入っているようなそぶりまで見せています。先生が性同一性障害を疑ったのも当然でしょう。そんな目で翔太君が保健室から出て行くところを見ると、ちょっと内股気味の歩き方です。疑惑はすっかり大きくなりました。そこで、翔太君の身体測定を他の子から切り離すべく、当日に特別な用事をあてがって、多忙故に参加出来なかったという風にアレンジする事になりました。
 肝心の身体測定結果は、

身長150.3cm, 体重52.2kg, 胸囲77cm (RI=153.7), 脇下78cm, アンダー69cm, 肋骨下端64cm
【男子平均 152.6cm, 44.5kg, 72.2cm, RI=125
 女子平均 152.1cm, 44.2kg, 74.7cm, RI=126】

と、始めて大幅な改善が見られました。160を大きく割ったのですから当然です。そして、幸か不幸か、RIはギリギリ153を越えました。ダイエット帯と異なり、ダイエットシャツはRI>160で着用開始、RI<153で着用終了と、153-160がグレーゾンです。だから、翔太君は大幅な改善にも関わらず、もう半年はダイエットシャツの強制着用となります。
 この結果に対し、今だけは翔太君はちょっと嬉しいような気分になりました。というのも、ダイエットシャツの再購入の口実が出来たからです。翔太君はノーマルですから、これを女性用下着に似ているという視点では捉えません。単に他人と違うシャツという事が恥ずかしいのです。そして、そういうシャツを気に入っている事がバレるのが恥ずかしいから、公に認められた強制という文字が有り難いのです。もっとも、恥ずかしさの一部に、胸を大切にしたいとちょっぴりだけ思い始めている内心も入っているかもしれません。
 同期の残り3人は、仮卒業組は卒業してしまい、第3期継続(ダイエット帯)だった残り1人もRI<153で仮卒業なので、進学を機に止めてしまいました。というのも自転車通学で十分にダイエットになったからです。結局、翔太君はひとりぼっちになってしまいました。ジムで会わなくなれば、学校でも自然と疎遠になります。小学生の約束なんてこんなものです。ジムの方は新5年生が6人加わって、新6年生4人(うち1人は仮卒業で、1人が第2期継続、2人がRI>160)と翔太君を合わせて11人です。

 一方、学校を私学にした弊害は早くも5月に現れました。その伏線にはダイエットシャツへの慣れがあります。小学校のうちは、肥満とダイエットへの努力をずっと見て来た連中が同級生でした。だから、翔太君の少しだけ女の子を感じさせる肥満胸にも、女物デザインのダイエットシャツにも慣れっこで、特別な反応をする事がありませんでした。そういう環境で半年もダイエットシャツを着ていたのだから、のんびり屋の翔太君はダイエットシャツへの恥ずかしさをすっかり忘れてしまっています。でも、中学になるとクラスの大多数が翔太君のそういう努力を知りません。そんな中にダイエットシャツの恥ずかしさを忘れた翔太君が放り込まれるのです。
 入学当初こそ、太っている事への恥ずかしさから、着替えとかは少し注意して、小学校の同級生以外の目に曝されないようにしましたが、1ヶ月も経つとそういう注意も散漫になります。結果的に、体型とダイエットシャツがクラスメートに曝される事になりました。自然ななりゆきとして、クラスメートの中には、
「あれ、あのシャツおかしいんじゃない」
「胸がちょっと出ているよな」
と気付く者が出てきました。
 ただ、この時点ではまだ問題になりませんでした。というのも、中学になると着替えは男女別になるので、翔太君のシャツを見たのは男子だけだからです。他人の服に目敏く、それを直ぐに噂にする女子と違って、男子の多くは他人のシャツに無頓着です。そして、それに気付くぐらいの細かな男子は、すでに翔太君のダイエット奮闘も知っている訳で、はやし立てるような無粋な事はしません。なんといっても、まだ初々しい5月なのです。

 ダイエットシャツがこのような反応を一部の生徒に静かに起こしていた同じ時期、翔太君はダイエットシャツのの再購入の為の呼び出しを待っていました。もちろん、半年前に購入した4枚があって今すぐ困る事はないのですが、それでもこのシャツを着続ける口実を補強するには、
『無理やり新しく買わされた』
という事実があった方が安心出来ると言うものです。それで、ゴールデンウイーク明けに、とうとう保健室に顔を出しました。
 養護の先生に、言葉を選びながら
「あのう、この間の身体測定で、ダイエットシャツの着つづけなければいけなくなったと思うのですが、これって半年前みたいに注文するのですか」
に尋ねます。
「ダイエットシャツって、この前着ていたシャツよね・・・」
養護の先生には突然の話なので、頭をかしげています。というのも、前回からたったの半年ということと、赤字になるという事から、肥満防止委員会が今回の強制購入を省略して、それで学校にもシャツの購入に関して何の連絡もしなかったからです。
 反応の鈍い先生に、翔太君が
「はい、今も着ています」
といいつつ、制服を脱ぎ始めました。養護の先生だし、前回の面接でシャツを見せているし、そもそもシャツの相談に来たという事で、今はシャツ姿が恥ずかしくありません。そんな翔太君の行動におかまいなく、養護の先生は養護の先生で
「・・・注文って話がよく分からないのだけど、もっと説明してくれる?」
と尋ねました。
 シャツ姿になった翔太君は
「ずっと太り過ぎで、半年前にこのシャツを買わされたのです。そして、今回も基準値を超えたから、また半年着続けなければならない筈なんです」
中学1年生の話はとびとびですが、そこは養護の先生ですから何を言っているのか概ね分かります。そうして、ひととおり聞いた所で
「じゃあ、半年先まで強制着用だから、その為にシャツを買わなければならないって事?・・・」
買うと買わされると違いを除けば話はだいたい通じています。
「・・・そして、半年前はシャツを保健室で買ったのね?」
「はい、そうです」
「おかしいわねえ。そんな話はまだ聞いていないけど」
「ああ、そうですか・・・」
「ちょっと、調べてみるね」
そう言って、養護の先生は電話番号を調べ始めました。先日の面接に先だって、4人の生徒の名前が通知されていますから、その時の通知文書を調べれば電話番号は分かります。
 電話の結果、強制購入で無い事を聞き出しました。ついでに、同じ種類のシャツが市販されているとの情報を聞き出しました。というのも、翔太君が買いたがっていると思ったからです。なんせ、わざわざ保健室まで来たのです。
 さて、前回の面接で、翔太君が性同一性障害ではないかと疑った事を、今の短い会話で思い出しました。となれば、女物っぽいシャツを買いたいと思うのも頷けます。
「えっとね、翔太君、今回は保健室では売らないの。でもスーパーあたり売っている筈だって」
「じゃあ、それを買わなければならないのですか?」
「そうね、スーパーの下着コーナーかな」
こう答えた時、養護の先生は、下着コーナーでも、子供下着コーナーではなく女性下着コーナーかも知れないと思いましたが、さすがにそれを一気に言い切ってしまう精神的余裕はありません。本当に女物っぽいシャツを自発的に買いたいのが確信が持てなかったからです。

 ここで話は終わりの筈ですが、スーパーで買うという話を聞いて、翔太君はもう一つの懸念を養護の先生に聞いてみる事にしました。母親に話せなかったタイツの話です。
「えっと、もうひとつあるのだけど、ダイエットシャツで上半身は少しスッキリしてきたのだけど、その分お腹とか足とかが醜く太って、股擦れも酷いし」
と相談し始めました。
 例によって話はとびとびですが、それでもシャツの話よりは分かりやすく、養護の先生は直ぐに
(なんだロングガードルで済む話じゃないの)
と気付きました。そうです。足の部分が長い補正下着と言えばガードルです。そして
(ははん、ガードルを履く口実が欲しいのね)
と合点しました。この時点で、性同一性障害の疑惑は、養護の先生にとっては50%以上になってしまいました。こうなると対応が難しくなります。というのも、初めての経験だったからです。
 もっとも、養護の先生には、やる気も出て来ました。この問題はどの学校でも対応に困っている課題で、それ故に、これをきちんと対応したいという情熱を持っている先生も少なからずいるからです。情熱というと聞こえは良いですが、その内実は名を上げると云う無意識の名誉欲だったりします。養護の先生にとっても、それは同じです。自分を頼って来た初めての性同一性障害かも知れないという事実は、彼女を熱心にするに十分でした。だから、門前払いのような対応は出来ません。とりあえず
「えっと、ちょっと調べてみるから、明後日の放課後にまた来てくれる?」
と答えました。それまでに、自分でガードルをいろいろ調べるつもりです。女物を着る事を恥ずかしがっている様子に見えたから、本人がそこまで気にせずに着れるデザインを捜す必要があると感じたからです。
 2日後、養護の先生が示した答えは、一番安いタイプのガードルでした。猿股みたいなデザインで、色は黒。というのも白のガードルには、フリルのついていないものがないからです。同じコーナーにダイエットシャツの代わりになりそうなキャミソールも置いてあったので、両方の商品名をネットで検索して、それをプリントアウトして
「女性インナー」
という文字だけをマジックで消します。そして
「こんな感じの下着はどう?」
と紹介しまいした。
「へえ、良さそうだなあ、何処に売ってます?」
翔太君はこれが女物ガードルだと気付きません。それを良い事に養護の先生は
「***の3階よ。お母さんに買って貰いなさいね」
とあっさり説明しました。中学生ぐらいなら下着は母親が買うのが普通です。なので、女性下着コーナーでは翔太君が買いにくいという問題はありません。更に性同一性障害なら母親も知っているべきです。

 養護の先生から翔太君が持ち帰って来たプリントは母親に衝撃を与えました。それまでは性同一性障害かもしれないという不安を持っていたけど、あくまで不安であって疑いでも確信でもなかったのに、その疑いが一気に50%以上になってしまったからです。そういう母親の心配を翔太君は知りません。だから、
「これ、どうしても欲しいの?」
と母親が不安げに尋ねるのを聞いた翔太君は、素直に
「それと似たものならなんでも」
と答えました。こうなると母親も覚悟を決めなければなりません。買う前にカウンセラーに会う必要を感じました。そのアレンジとかが優先して母親が直ぐにガードルを買う事はありませんでした。

 そうこうするうちに夏服になりました。温暖化対策で更衣期間はゴールデンウイーク明けから2週間で、第4週には全員夏服です。肥満胸というのはワイシャツ越しに分かる代物ですから、夏服になると翔太君の肥満胸もさらけ出されます。ワイシャツ越しにダイエットシャツの細かなデザインとか、翔太君の胸のちょっと違う所まではとても分かりませんが、肥満胸が見えるだけに、クラスメートの一部が感じた事が噂として伏流する下地にはなります。だから、部活等、他のクラスの友達との猥談・・・女子の胸の品定め・・・の中で
「おっぱいといえば、翔太の奴も良い胸してるぜ」
という形で噂が流れるのに時間はかかりませんでした。こういう事は、もしも翔太君が小学校からの持ち上がりの中学に行けば起こらなかった筈なのです。というのも、同じ小学校出身が大半であれば、
「あ、まだあの醜い肥満?」
「強制ダイエット、大変ね」
「自業自得だろ」
という突き放したものに違いないからです。
 もっとも、噂と言うのは本人に伝わらないのが普通です。とくに肥満話が禁句である事は翔太君と同じ小学校から来た子から伝わっています。だから、翔太君は何も知らないまま、安心して今まで通りにシャツとベルト類とで体を絞り続けていました。

 夏服になって直ぐに母親の方も動き出しました。


その8 (中学1年6月:ガードル)

 母親の方はというと、先ず会ったのは養護の先生です。面会はすぐにアレンジ出来て、学校の外で会う事になりました。というのも繊細な話だからです。でも、どちらも性同一性障害の問題に関しては素人ですから、そんな素人同士が会った所で、疑念を無意味に深める事はあれ、解消する事はありません。結果的に、母親も養護の先生も、悪い意味で先入観を持ってしまいました。
 問題はそれだけではありません。それは養護の先生の熱意の空回りです。人間、熱意に駆られて勉強した事は、ちょっと天狗になって、出来るだけ自分で実践したいと思うからで、今の場合だと、専門カウンセラーに出来る事が自分に出来ない筈は無いと思い込む最悪の態度となって現れました。一方、母親の方は息子の事を外聞が悪いと思っていますから、カウンセラー無しで済ませられるものなら済ませたい心理が働いています。
 かくて、養護の先生の間違った熱意と、母親の見栄と、両者の誤解が重なって、
「女装を抑圧するのは一般論として良くない」
という一般論で話が勝手に進んでしまいました。翔太君がガードルのプリントを家に持ち帰った2週間後のことです。
 さっそく、母親はロングガードルを買いました。それに対する翔太君の反応をみて、本当に女装したいのかどうかを見極めようという理屈です。但し、自転車用のサイクルパンツのようなシンプルなデザインで色も黒です。そして、まさにそういうデザインの為、翔太君の方は女性下着だという認識を持ちませんでした。確かに補正下着の殆どが女物である事は知っているものの、養護の先生から貰ったプリントに書いてある通りだし、スポーツ用のズボンにそっくりだし、ひらひらの刺繍とかないし、何よりも母親が買って来たものですから、男物か最悪ユニセックスだろうと思って全然気に留めません。だから母親の心配をよそに、平気で
「あ、それそれ」
と無邪気に喜んだりしています。ちなみに、ダイエットシャツのほうも同時に買ってあります。正確には半年前に買わされた奴と少し違います。というのも、市内の店舗では売り切れていたからで、類似のデザインの女性用インナーになりました。母親にしてみれば、ガードルだけ買うのも、こっちと一緒に買うのも同じ事です。

 こうして、初めての下着女装は、本人の無自覚のままに始まりました。それを母親が悲しんだのは言うまでもありません。母親を悲しませた事は他にもあります。10歳前半の子供にとって、他の男子と違うものを履いているという事自体が、男物女物に関係なく非常に恥ずかしいもので、出来るだけクラスメートの目に触れないように、履くのは家にいる時だけになります。そういう態度は、母親には
「下着女装と分かっているから恥ずかしがっている」
と見えてしまいます。こういう悲観的な見方から、
「本当はもっと本格的に女装したいに違いない」
という、悲観のスパイラルの入り込んでしまうのに1週間もかかりませんでした。
 そういう目で翔太君の上半身を見ると、肋骨下部だけでなく、胸の上の肩口のところも、無理やり細く押さえ込んでいるように見えます。つまり女装だけでなく、体の細い女の子になりたいのだとしか思えなくなってしまいます。まさに悲観のスパイラルです。しかも、妊娠以来、母親は半分諦めの心境にもなっているので、ブレーキはありません。だから、悲観的な見方は逐一養護の先生に伝えられ、伝言ゲームの常で、養護の先生は、翔太君を完全に性同一性障害と思い込んでしまいました。
 こうなると、次のステップの問題になります。思春期の性同一性障害の場合、女装生活を始めさせる事の他に、可逆的な方法(抗男性ホルモン治療)で第二次性徴を押さえ込む事がスタンダーな対処法で、その為には、学校内での環境準備と共に、翔太君を専門家に紹介する事が不可欠になります。養護の先生は熱心ですから、クラス担任などへの根回しがさっそく始まると共に、知り合いの専門家にも相談しました。
 もっとも、実際の面会は、母親の見栄と翔太君の無関心の為に、母親面会が7月、翔太君との面会に至っては2学期にずれ込んでしまいました。母親面会では、母親は体型やガードルの例をとって
「性同一性障害の疑いが強くて困っている」
と、母親自身が思っているよりも強く主張しました。というのも、わざわざここまで来たのだから、深刻な症状でないと母親失格だという別の見栄が働いたからです。悲観はしているけど、それでも社会的には恥ずかしい。無意識の見栄とはそんなものです。
 こうなると、専門家も
「とにかく本人に会わなければ何も言えない」
という前置きだけでは済まされません。少なくとも
「女装を抑圧するのは一般論として良くない」
という例のアドバイス程度はしなければならなくなるし、学校で養護の先生がやろうとしている環境づくりにも多少のクレジットを与える羽目になります。

 一方の翔太君です。5月末にガードルを履くようになって以来、ますます
『服による体型補正』
に熱心になって、肋骨全体をシャツやベルトできつく締めるようになりました。その結果、胃や消化器が細くなって、食も更に細くなりました。それはスポーツドリンクなどで入って来る量でも補えない栄養不足を引き起こしました。つまり本格的なダイエットは始まってしまったのです。それまで過食気味だったのが、急に栄養不足になると、まず減るのが成長です。ただでさえ肥満児は背が伸び難いものですが、翔太君はその効果が倍加して、成長期だと言うのに背の伸びも減りました。それは第二次性徴に関しても同じです。具体的には声変わりが進まず、発毛が遅れがちになり、精通とかも遅れる事を意味しています。
 さて、サイクルパンツにせよ、タイツにせよ、これらの締め付け系衣料は、痩せたスポーツ体型の人間向けにデザインされており、肥満体型用には作ってありません。そして、タイツのように服全体で締めるボトムスの場合、尻の大きな女とちがって、尻の細い男は、お腹の膨らみが服を下に押し下げます。だからこそ、男はベルトが必要で、女のようにベルトなしで服が止まる訳ではありません。ズボンが下がらないのは、僅かな腰骨が引っ掛かりとして機能する痩せ男だけです。
 ズボンを押し下げるのは腹圧だけではありません。太腿も、上が太く下が細いので、その部分もズボンを下に押し下げます。特に男の場合は筋肉が動くので、脂肪というクッションで筋肉の動きが服に伝わりにくい女よりも、この押し下げ効果が効きます。
 こんな具合ですから、肥満児の翔太君のガードルもほんの数回の洗濯でずれ落ちるようになりました。ちょうど、ガードルのお腹を押さえる機能が気に入って、一枚だけでなく、もう一枚は欲しいと思った矢先です。ちなみに、翔太君の場合は、ガードルの上からダイエットベルトで締め付けており、それがベルトの役割を果たしています。しかし、ベルトは肋骨下部の締め付けの為のもので、ガードルの上端には僅かしかかからず、その部分を留める効果はあまりありません。そういう事情ですから、どうせ買い足すのなら、ずれ落ちないようなデザインを捜しておく必要があります。それで、ネットで「ダイエット用の服」を検索し、今履いてやつと類似のデザインを捜しました。
 こうして調べれば、のんびり屋の翔太君といえども、今履いている奴が女性下着である事に気付かない筈がありません。6月半ばの事です。もっとも、それに気付いた時、翔太君は
「まさか」
とまず思い、続けて
「こんなもの、履けるものか」
とヤケになりました。そのくらい血が上ると、何故、母親がガードルを買うのにためらったのか、という誤解の部分にまで頭は回りません。単に、暫くガードルを履くのを止めただけの事です。こうして、翔太君の下着女装はいったん止まりました。但し、シャツの方は未だにユニセックスと思っているので気にしません。

 しかし、そういう時に限って、外圧というのがかかるものです。ガードルがずれ落ちるようになる前に、ガードルの替えが欲しい事を母親に漏らしており、それを聞いた母親が半ば諦めの心境で、ガードルを買い足したしまったのです。即座に買わなかったのは、心の整理と責任転嫁の為に養護の先生に相談した為であり、その結果、黒以外の色を選びました。
 翔太君がガードルを履くのを止めた数日後の事です。なぜこんなに上手いタイミングかというと、ガードルがずれ落ち易くなっている事に気付いた母親が、翔太君がガードルを履くのを止めたのをみて、ずれ落ちるせいだと思い、買うのを急いだからです。だから、新しいガードルは、ちょっとだけお腹のほうの締め付けがきつくなっています。まさに、より女の子っぽい裁断と色という訳です。
 新しいガードルを貰った翔太君は、
「あ、ありがとう。あ、でも、、」
と一旦は断ろうと思いましたが、断る口実が思いつきません。というのも、買って来たのが不意打ちだったので、いままで女物だと知らずに履いていたという事実を思い出せなかったからです。母親の方は、一瞬の躊躇いを、恥ずかしさと勘違いして、ついうっかり
「女物しかなかったけど、いいわよね」
と聞いてしまいました。反応を見る為の絶好のチャンスを逃したくなかったのです。
 でも、そういう質問は、翔太君にとっては不意打ちのダブルパンチになります。その混乱で、ついつい、
「知ってるよ」
と正直に、しかし全く誤解の残る答えをしてしまいました。答えた後に、実は知らなかったと言おうとしたけど、咄嗟に言い訳を整理出来ません。そして、次の瞬間には、場当たり的な言い訳で逃れるしかないと感じました。
「でも、ダイエットにいいし」
正確な言い訳でないので尻すぼみです。それは、母親に
『本当は女物が履きたくて、ダイエットというのは口実に過ぎない』
と確信させるのに十分な言葉遣いでした。一方の翔太君のほうも、自分自身の言霊に縛られて、その日から再びガードルを履く事になりました。前回とちがって、はっきりと女物だと意識して。一旦かけ違ったボタンはもう戻せません。


その9 (中学1年7月:ボディースーツ)

 新しいガードルを履いた時の恥ずかしさと興奮は、女物というだけで言葉では尽くせないほどのものとなりました。それがたといブリーフの上から履いたものにせよ、下着女装という自覚があったからです。戸惑いは他にもあります。
 今度のガードルは、腹圧でずれ落ちないように丈が高くなっています。その結果、ダイエットベルトの位置に重なるようになりました。ずれ落ちるのを防ぐには、その位置は便利で、ガードルの上からダイエットベルトを締める事になるのですが、その為に男の一物がきつく締め付けられ、小便も簡単には出来なくなってしまいました。
 今まではサイクルパンツの感覚で履いていたので、ブリーフごと上から降ろしておしっこをしていました。でも、ベルトをガードルの上に締めると、ベルトを外さない限り小便はできません。もとより太腿を細くする為のロングガードルですから、下から出す事も出来ません。もちろん、ベルトを外すのは下の方だけですから、その上に着るズボンがジャージみたいなものであれば、手間がちょっと増えるだけの話です。でも、普通のズボンやジーンズだと、ズボンそのものも半脱ぎにならないとベルトの一部を外す事もできません。つまり、個室でないと小便が出来ないのです。家の洋式便器でこそ立ったままの小便がなんとか可能ですが、外の和式トイレでは、個室での小便は、女の子のようにしゃがんで小便する事を意味しています。
 この事実に気付いた時、翔太君は自分が女装趣味の変態のような気がしました。もちろん、変態と感じたのは翔太君がノーマルだからです。そういう恥ずかしさを感じた次の瞬間、今度は男の一物を締め付けている事実を意識してしまいました。それは、男の股間である事を隠す為にそうしているのでは無いのか、という妙な気分です。いかに医学的に翔太君がノーマルであっても、翔太君自身には、もはや自分がノーマルだと言い切れる自信がなくなってしまいました。
 もっとも、この種の初々しい恥ずかしさは、日を追うにつれ意識しなくなるものです。結局、2週間もすると慣れてしまって、7月上旬には、逆にガードルの体型改善効果を実感するようになってきました。そう、確かに
『ダイエットの為に下着女装する』
という彼自身の言霊の通りになってしまったのです。こうして意識がガードルから離れると、今度は上半身に興味が戻りました。ガードルに慣れた以上、上半身を細くする為の下着女装を思いつくのは時間の問題です。

 一方、6月下旬と言えばプールが始まる季節です。翔太君にとっては昨年と同じことの繰り返しです。確かに、2月頃にいったん胸をむらむらときたものの、恥ずかしいという気持には至っていません。いや、恥ずかしさはありますが、それは今までとおり、肥満胸の恥ずかしさです。だから、ごく普通に水泳に参加しました。そして、秘せば花なりという通り、おおっぴらな胸は、その大きさがいかに普通の女の子並みでも、興奮を起こしません。
 もちろん始めのうちは、翔太君の胸に女の子っぽさを感じる者もいたでしょうが、肥満気味の胸は翔太君に限らず、翔太君の胸だけがとりわけ大きい訳ではありません。要するに、クラスの太り気味の男の子数人が対象になってしまうのです。しかも、中学1年程度では女子の腰のくびれもあまりありませんから、翔太君の細めの肋骨も全く注目を浴びません。
 もちろん、12〜13歳の男の子ですから、女子の胸談義の時に
「みろよ、あいつ、翔太よりと同じ程度じゃねえか」
とか、
「ありゃ、翔太よりでかいな」
という言い方で茶化す者が出て来きますが、あくまでも冗談の延長です。中学では小学校の時のように肥満を語る事はタブーではないので、こういう形で発散されて、じめじめしたものが残らないのです。こうなると、胸は興味の対象としてなく、単なる肥満気味の胸と言う意味にしかなりません。
 そんな訳で、裸の姿の方は問題ありませんでしたが、それでも、女子の胸と比較される事が何度かあったのですから、翔太君自身は自分の胸と女子の胸とを比較するようになりました。それは、女子に胸に対するある種の憧れを意味します。つまり、今まで、女子の胸は
「見てみたい」
「触ってみたい」
という手の届かない性的対象でしかなかったのに、それに
「あんな胸を持ってみたい」
という意味合いが加わったのです。そもそも、この頃の健全な男の子には、女の子の胸への好奇心から
「あんな胸をつけた時の感触ってどんなだろう」
と思う者が結構います。それは別に異常でもなんでもありません。ただ、翔太君の場合は、それが夢想でなくやや現実的に感じられただけです。
 こういう関心は、ガードル事件以来の上半身への関心とあわさって、上半身を細くする際の胸の保護をはっきり意識するようになりました。今までは、ベルト等で体を締め付ける際になんとなく胸を守っていたのが、女の子のような胸を残すという具体的な目標は出て来たのです。こうして、夏休みには、上半身を細を細くする為なら女性下着を来ても構わない気持になってきました。どうせ既にガードルを履いているのです。それが上半身に及んだ所で、親はきっと何も思わないでしょう。もっとも、思いつくのと実行するのとは別の話です。というのも、ガードルは養護の先生に勧められたものなのに、上半身女装は自分から言い出さないといけないからです。
 そんな折、それは夏休みに入ってからですが、上半身のダイエットの為の下着をネットで捜す事を思いついた翔太君は、その時にボディスーツというのも初めて見て、それがワンピース型の水着のデザインと同じである事に直ぐに気付きました。そういうデザインを見て直ぐに思いつくのはトイレの困難です。どうしているのだろうかと調べると、なんとクロッチ部を開閉するようになっています。これには翔太君も感心しました。というのも、今のやりかたよりも遥かに簡単そうに思えたからです。こうして夏休みも半ばになる頃には、ダイエットの為にボディスーツを着る事を少しずつ考えるようになりました。ただ問題はデザインです。というのも、ガードルと違ってボディスーツは大抵が刺繍してあるからです。でも、そういうハードルの為、逆に
「刺繍の無いボディスーツならマジで試したいな」
という気持を強めてしまいました。

 母親がカウンセラーに会ったのは、こんな時期です。正確には少し前の7月半ばの事です。
 ガードル事件以来、母親は翔太君の胸の異常さ、つまりアンダーバストと肩口が細くなっていること、に注目するようになっています。ですからカウンセラーにも
「女の子になりたいのか、胸だけを残して体を細くしようとしている」
証拠として告げる事になります。しかも、
『わざわざカウンセラーに会うのだから、本当に性同一性障害でないと、息子を一番理解する者として恥ずかしい』
という見栄があって、表現も大げさになりがちです。こういった一連の主張は、カウンセラーに対してある種の先入観を植え付けると共に、母親自身にも
『きっと性同一性障害なのだから、それを最大限尊重すべきだ』
という自己暗示をかける結果になりました。
 こうなると、カウンセラーのほうも、
「実際の処方は本人に会わないと何も分かりません・出来ません」
の一点張りでは済まなくなります。結局
「体を痛めないように気をつける」
というアドバイスと共に、
「本当に女の子になりたいのなら、早めに抗男性ホルモンを処方しないといけないから、はやく診察に来るように」
と急かす事にもなります。また、このカウンセラーは、更に踏み込んで
「おしっこを座ってする訓練」
も始めたほうが良いと言いました。恥ずかしさの為に本人がカミングアウト出来ない事例があるからです。個室ででないとおしっこの難しい服を着させるのも一案で、例えば、ズボンを完全に下げないと出来ない下着を履かせるというのが有り得ます。
 そんなアドバイスと、ダイエット服を考えながら、何気なく普段の買い物のついでにスーパーの女性下着コーナーに寄ると、ボディースーツが目に入りました。さすがに高級感のあるデザインばかりで、しかもブラジャーまでくっついているサンプルばかりで、中学生には相応しくありませんが、それでも、
「息子はこう云うのを着たいのかもしれない」
と気にかかります。しかも、クロッチ部を開閉するデザインなので、座って小便をする訓練にぴったりです。その時は、そこまでしか考えませんでしたが、母親がバーゲン品を求めて婦人服コーナーや下着コーナーに行くのは毎週の事です。その度に同じ事を思い出すうちに、中学生でもおかしくないデザインと値段のボディースーツがあれば、翔太君の為に買って上げても良い気になってきました。

 こうして、母親の方も翔太君の方も、シンプルなデザインであればボディースーツを買って(着ても)も良い機運になってきました。あとはきっかけです。言い出したのは翔太君のほうです。というのも、ガードル2枚だけでは洗濯が追いつかないからです。いかにガードルの下にブリーフを履いていたとはいえ、夏ですから直ぐに汗ばみます。そして夏休みなので、毎日一日中ガードルを履いています。なので2日続けて着るのが限界です。後から買った、締め付けの強いガードルが洗濯中のある日、とうとう
「おかあさん、このパンツずれ落ちるから、新しいのが欲しいのだけど」
と切り出しました。
「この前のと同じのでいいの?」
と聞く母親に、顔を真っ赤にさせながら
「えっと、あれだとおしっこが大変なので、下の所が開閉出来る奴ってないかなあ」
と切り出しました。そう、彼は、こういうリクエストが下着女装趣味のカミングアウトに似たようなものだと感じているのです。顔色と声色を聞いた母親は『太腿を締めるというのは口実で、本当はボディスーツのほうが着たいんだ』と勝手に納得しました。
「えっと、ボディスーツってのがあるけど、知ってる?」
「う、う、うん」
こうなると、母親も覚悟を決めて聞かなければなりません。
「それを試したい?」
これでイエスなら、このまま女装がエスカレートする事を覚悟しなければなりません。そして、本人が望めば、ブラジャー付きは勿論の事、装飾の派手なデザインでも仕方ないと思いました。止めたいけど、止めてはいけない。そんな気分です。
 一方の翔太君は、ボディスーツの中でデザインの派手でないのを捜していた所ですから、
「う、うん、そうだけど、でもー、シンプルなデザインのってあるの?」
と顔を赤くしながらもやっと尋ねました。
 不安が先走りしていた母親にしてみれば、シンプルさを求めただけで大きな安堵です。息子が女物のボディースーツを着たいと言ったにも関わらずです。
「そんなのがあったら捜してみるから」
と答えました。こうなると、翔太君も、本気でネット検索を始めます。そして、その日のうちにはシンプルなデザインを見つけました。それを母親に言い、母親は翌日の買い物の時に、そのプリントアウトを店員に見せて尋ねます。
 こうして見つけたのは、バレー用下着などである、シームレスのボディースーツです。ブラジャー機能はありませんが、それでもダイエットシャツよりも胸の部分が緩く作られています。買ったのはや、それだけではありません。下にパンツもはかずにボディースーツをそのまま着られたのでは、洗濯が大変です。しかも母親は翔太君が女装したがっていると思っていて、自分をそれを見守る理解者なのだと思っています。だから、当然のようにショーツも買いました。もちろんシンプルなスポーツ用のデザインで、ジュニア用ということで3枚セットです。
 ボディースーツ1枚とショーツ3枚を買って来た母親は
「ボディースーツ買って来たわよ」
とそれだけ言って、ショーツについては何も言わずに、翔太君に手渡しました。デザインがシンプルなので、ぱっと目にはショーツだと分かりません。どうせいつものブリーフだろうという先入観があります。だからボディースーツについて
「じゃあ、着てみる」
とだけ返事して部屋に向かいました。そのうしろで、
「洗濯が大変だから、パンツも履きなさいね」
という母親の声が聞こえます。
 部屋に入り、受け取ったものを広げて、はじめて、それは女物のショーツであることに気付きました。即座に思いつくのは、母親の下着という事です。でも、それは即座に打ち消しました。というのも母親の下着は大抵はこんな地味な色とデザインではないからです。それに、さっきの母親の声が甦ります。これを履けという意味なんだろうなあ、でも確認するのは恥ずかしいなあ、と頭がぐるぐる回ります。そして、なによりも、ブリーフの為に股間が蒸れているという事実があります。正確にはブリーフのためというより、ブリーフの上からガードルとダイエットベルトで締め付けているためですが、りゆうはどうあれ、ブリーフの息苦しさを感じているところです。女性下着は汗吸い機能が男性下着よりも弱い事から、遥かに薄く作ってあり、ショーツも例外ではありません。なので、翔太君も、ブリーフの代わりにショーツを履けば楽だろうなと感じました。もとより、ガードルで女性下着に対する抵抗が薄れているし、これからは、もっと凄いボディースーツを履こうという所なのです。
 こうして、あっさりと、翔太君はショーツを履く事に決めました。もちろん、そう決心することと、実際に履く事は別物で、心臓の動悸を感じながらの初着用となりました。着る順番は、ショーツ、ガードル、ダイエットシャツ、その上にボディースーツで、最後がダイエットベルトです。ガードルがずれ落ちるのをボディースーツで抑える構図です。準備が出来た所で
「お母さん、いいよ」
と母親に声を掛けます。というのも、ボディースーツで居間にいくのは憚れたからです。ダイエットシャツだけの頃は居間に行く事もありましたが、ズボンで隠れない上半身は女物となると恥ずかしくて出来ません。こうして、翔太君は下着姿の恥ずかしさというも初めて感ずるようになりました。それは、翔太君にとっては、何だか女の子に近づいてしまったのではないか、という不安を感じさせた瞬間でもあったのです。
 翔太君の着替えの合図を聞いた母親が翔太君に部屋に行くと、予想に反して、ボディースーツの下にガードルを履いています。母親は、てっきり、翔太君がボディースーツだけを着ると思ってショーツを用意したので、すこし肩すかしです。もっとも、部屋を見回すと、ブリーフが脱ぎ捨ててあります。買ったショーツも2枚しかないように見えます。つまり、翔太君がブリーフからショーツに履き替える為に、わざわざガードルを脱着した事になります。だから
『あの子、そんなにショーツが履きたかったのね』
と誤解してしまっても仕方ありません。この日を境に、母親は翔太君用に男物の下着を一切買わなくなりました。


その10 (中学1年8月:女性用ズボン)

 ボディスーツは肩で止めますから、ガードルよりも強く股間を上向けに押し付けます。もちろん、単に細く絞る為だけならガードルの方が効果的かも知れませんが、ガードルにせよ、ガードル機能付きのパンストにせよ、トイレで簡単に脱着できるようにする為の伸縮性が仇となって、ずれ落ちてしまう問題が出て来るのです。ずれ落ちる心配がないのは、ウエストがきちんとくびれたスタイルの良い女性あって、ガードルを必要とする肥満体型の人ではありません。当然、男の場合はもっとずれ落ちやすく、いだからこそ、翔太君はベルトで止めたり、ボディースーツを買う事を考えたりしたのです。
 股間を上向けに押し付けるという事は、一物は行き場が無くなる事を意味しています。特に翔太君はガードルとボディスーツを組み合わせましたから、何処に格納しても不快です。だから、よりマシな格納方法を試行錯誤するのも自然な成り行きで、その結果、偶然で股間がタック状態になりました。初着用の夜の事です。竿は後ろ向き。体感的に少し奇妙な感じがするし、前から見ると、女の子のようなフラットな股間で、見た目も奇妙な感じがします。でも収まりの良さが抜群なので、この日以来、ガードルしか履かない場合ですら、その状態で過ごすようになりました。
 女の子のようなフラットな股間に全く興味が無かったと言えば嘘でしょう。ごく普通の男の子の好奇心に従えば興味はある筈です。でも、今の翔太君は女装だという意識がありますから、内心の興味が、純粋な男の子としての興味なのか自信がありません。だから、無理やり
『いやいやながら仕方なく女の子風の股間にしているんだ』
と思い込むようにしています。でも、もしかすると、その道に足を踏み込みかけた結果としての興味なのかも知れないという不思議な感覚にとらわれました。
 彼の不安はともかく、股間をガードル等で長期間締め付けたり、ましてやタックで一物を体内に入れたりすることは、男性機能を損ね、一物の元気が次第に出なくなります。でも、そういう繊細な事を母親は子供に言う事ができませんでした。そもそも
『女の子になりたいの?』
というシンプルな質問すら出来ない母親なのです。ましては性教育は難しいのです。だからのんびり屋の翔太君は、いつまでも問題点に気付かず、夏休みの殆どを、起きている時も寝ている時もタック状態で過ごしてしまいました。

 ボディースーツを着るようになって、もう一つ問題がありました。それは、前屈みになった時に、背中の部分が見えてしまうという事です。母親の買って来たのは、刺繍の類いのない、シームレスのボディースーツです。でも材質や肌への密着度は普通のシャツや今まで着ていたダイエットシャツとは違います。だから見る人が見れば、背中の部分だけからもボディースーツと分かるでしょう。それが翔太君には恥ずかしかったのです。ダイエットシャツが恥ずかしくなかったのは、それが如何に女性下着と類似のデザインでも、名目が男女兼用だからです。
 外出の際にいちいちボディースーツを脱ぐのはのんびり屋の翔太君には合いません。家に居るときだって、いつ訪問者が来るか分かりません。対策として考えられるのは丈の長いシャツを着る事と、腰の深いズボンを履く事です。一体、ボディースーツを着ている女の人は、それを着ているを他人に知られない事に成功していますが、それはブラウスやTシャツもズボンやスカートが長めだから出来るのです。翔太君だって、シャツは長いものを持っています。でも、ズボンは持っている数が少なく、どれも十分に深いとは言えません。だから前屈み気味になると後ろががら空きになるのです。この問題は母親も認識しており、見栄として、息子の下着女装を見られたくないというのがありますから、母子で、より丈の深いズボンを買いに出掛ける事になりました。
 買い物は人の多い所に出るので、翔太君もさすがにボディースーツを着ていません。その為に、腰の深さがどれだけあれば十分なのか買う時に分かりませんでした。だから、せっかく男物のズボンで腰丈のやや深いものを見つけても、安心できません。そして、深そうな奴に限って、中学1年には高級すぎるスラックスばかりなのです。母親にしてみれば、そんな曖昧な長さものを買うぐらいなら、値段のもっと安い、バーゲン品の女物ズボンで間に合わせた方がマシというものです。というのも、母親の常として女物の服はいつも見ていて、腰の深いタイプのバーゲン品がある事を知っているからです。
 ズボンである限り、女物でも十分に妥協の範囲です。それどころか、もしも近い将来、女物しか着なくなっても役に立つでしょう。他人から後ろ指をさされそうな女性下着やスカートやブラウスとは違います。だから
「もう一ヶ所見るから、ついてらっしゃい」
と言って、翔太君を婦人服のコーナーに連れて行きました。そして、母親はワゴンの前で止まって、バーゲンのズボンをひとつひとつ調べ始めました。
 下着コーナーではないし、母親と一緒ですから、別に行って恥ずかしい場所ではありません。しかも、ワゴンです。それが男物コーナー処分品か、女物コーナー処分品か、男女関係なく処分品を入れているところなのか翔太君には分かりません。なので、母親が選ぶ様子を平気で見ています。母親は母親で、お尻をすっぽり包むタイプ、つまり腰の深いズボンをあっという間に数着見つけました。さすがワゴンのプロです。いずれも男が履いてもそこまでおかしい柄ではありません。その中から翔太君に選ばせようという訳です。翔太君にしてみれば、母親が選んだズボンだし、どれも男が履ける色やデザインなので、そこが婦人服コーナーである事など気がつきません。しかも、翔太君は服のデザインなんであまり知りませんから、色だけで気に入ったのを選びます。
 しかし、そういうのに限って、気付きにくいところで問題があるものです。実際、翔太君の選んだズボンは、前のチャックが半分のしかないタイプでした。数年前までは女物も男物もチャックが下まで開くデザインでしたが、最近の新しいデザインの女物には、半分しか開かない奴があるのです。というのも単なる脱着だけの目的なら、尻からウエストの向けて細くなっている部分だけが開閉出来れば十分だからです。もちろん伸縮性はないし、女物ですから遊びの空間もありません。だから、立ち小便しようにも、ズボンを降ろさない限り出来ません。そういうズボンを翔太君は選んでしまいました。そして、そういう女性しか履かないズボンを翔太君が選んだのを見て、母親は
『女物が履きたかったのね』
と不安半分に納得しました。
 そんな母親の気持を全然知らない翔太君は、買ったズボンは嬉々として使いました。というのも、十分な腰丈があって、特に尻の部分がゆったりしていて、普通の長さのシャツを着ていても、前屈みの時にボディースーツが露出しないからです。そればかりか、尻のゆったりしたデザインは、彼のような肥満にとって悪くありません。前がきちきちであることも、それとてダイエットの目的に合っているし、タックで下腹部が既にフラットになっているから、ズボンによる不快感は、他の押さえ込みと同じ程度にしか感じません。しかも、前がきつくて尻がゆったりというデザインだと、より楽に内股気味の姿勢が続けられ、それは同時に、タックを無理無く長時間続けられる事を意味しています。だからフラットな股間だけでなく、足の向きまで含めて、以前よりも女の子っぽく見える下半身になりました。
 一方、小用の際の問題点である前開きは、ボディースーツを使っている限り関係ありません。結局、翔太君はこのズボンが女物である事にずっと気付きませんでした。だからこそ、夏中ずっと使ったのです。でも、母親は、翔太君が女物と知って履き続けていると思っています。母親が二度と男物のズボンを買わなくなったのも当然でしょう。

 こうして、いよいよ翔太君の下着女装生活が始まりました。買ったばかりの服は頻繁に着たくなるものです。ガードルの時もそうでした。ボディースーツとズボンも同じです。夏にも関わらず、翔太君はボディスーツは昼も夜も着続けました。ただし、さすがに暑いので、それを着るときは、下はショーツのみ、またはガードルのみですが、上はちゃんとダイエットシャツを着て、しっかり汗を流しています。というのも、わざわざ女性下着を母親に買って貰った以上、ダイエットもその分頑張らなければならないと思ったからです。それに、下腹部を押さえた結果、反動で肋骨下部が膨らみ、それに慌てたからです。だから、翔太君は、これらの補正下着の上に、肋骨と肩口を細くする為のベルトをして、今まで以上にきつく、そして長時間着用するようになりました。もちろん食事のダイエットもきつくなっています。
 本格的な下着女装生活になってトイレにも変化がありました。そう、家では小用を座ってするようになったのです。そもそも、今の住宅に使われている男女兼用トイレでは、男の人も座って小用を足すケースが増えています。母親も、それを理由に、翔太君に座って小用を足す事を薦めました。ボディースーツを買った日の事です。そもそも、ボディースーツを買った理由の一つが、座って小用する事に慣れさせる為です。翔太君にしてみても、ボディースーツとズボンの組み合わせだと、小用でも大と同じ手間がかかるし、便器からのはね返りが少し気になっていた所ですから、母親の意見に素直に従いました。もっとも、翔太君の潜在意識には、女性下着との正しい組み合わせとしてトイレでも女の子風に小用を足すべきだろうか、という葛藤もありました。それは、女の子を体験してみたいという好奇心と、これ以上女の子に近づきたくないという拒絶との闘いです。本人はあくまで自分がノーマルだと思い込んでいますが、本人の気がつかないうちに、女装に対する好奇心と嫌悪は、どちらも少しずつ大きくなっているのです。
 こうして始まった夏休みは、恥ずかしい女装をした元を取るべく、翔太君は体を絞る事、もっと正確には脂肪の位置を移動させる事に執心しました。その結果、今までは肋骨下部のダイエットベルトの更に下が関取のようにモッコリと膨れていたのが、そこが少し押さえられて、その分、肥満胸がより一層目立つようになりました。もっとも、胸囲自体はダイエットのお陰で1センチほど縮まっています。具体的には、1年前つまりダイエットシャツを買わされた時に比べて、脇下が5センチ、胸囲が2センチ、アンダーバストが6センチ、肋骨下部が3センチ縮まっています。その一方で座高が5センチ近く高くなっていますから、ダイエットシャツのサイズが合いません。しかも上からベルト類で締めているので、生地の傷みが早くなります。だから、5月に母親がショッピングセンターで類似品を買った頃には、始めの4枚はずいぶんくたびれてしまっていました。着れない事はなくとも、新品に比べるとその差は一目瞭然です。だから母親は何度か買い足しましたが、その頃は息子の為の女物の下着を買う事に非常に抵抗があったので、買うのは一枚ずつです。しかも、それが女物だと見せつけないよう、翔太君に渡す前に袋も札も外して、シャツ本体だけを渡していました。
 それでも翔太君からすると、以前のシャツと少しだけ違う感じがします。その違いの部分は主に胸の膨らみで、以前のシャツよりも、さらに緩めになっています。幸い、着用した後のシルエットは以前と同じなので、学校の体育の着替えで問題になる事はなく、それでのんびり屋の翔太君も何も気付かなかったのですが、ボディースーツを着用するようになってから気になりだしました。というのも、母親の買って来たボディースーツも胸の所が同じように処理されていたからです。そういう疑問を持ち始めると、今まで前屈みでシャツが見えてしまう事があったのを恥ずかしいと思うようになりました。

 夏休みの始めに恥ずかしさを覚えた翔太君は、下着女装を見られまいと外出を控えました。外出はジムに行く時だけで、その時はさすがにボディースーツは着ていませんが、それでもガードルは履いていました。というのもジムで下を着替える事はないからです。そういう翔太君ですから、夏はほとんど日焼けをせずに終わりました。いや、全くしなかった訳ではありません。それは夏休み後半の海外旅行の時です。というのも、母親の13年ぶりの妊娠で、この先、また育児で忙しくなる事を考えて、母親が動ける今のうちに海外旅行をする事を父親が提案したからです。母親が身重ですから、旅行は、お盆ラッシュを避けて8月下旬です。翔太君が高校生だったら、彼を家に置いて夫婦2人だけで新婚気分で行ったのでしょうが、中学一年というのは微妙な年齢で、しかも一人っ子なので、翔太君も一緒に行く事になったのです。それでも部屋割りだけは、夫婦と翔太君は別々です。
 海外旅行に行く事はカウンセラーも知っています。海外旅行では知り合いに会いませんから、多くの人が普段なら恥ずかしいという行為(例えば人前のキス)や恰好をします。その為に恥のかき捨て行為が国籍を問わずに問題になっているほどです。それは下着女装でも同じです。だから、カウンセラーは
「本当に女の子になりたいのなら、旅行中に女装を試して、それで満足するかを見るのが良い」
という月並みなアドバイスをします。外国人の性別や年齢は自国民に比べて分かりにくいものですから、日本人の中学生が、その体格と童顔から、外国で女の子に間違えられてもおかしくはありません。なので確かに女装を試すには最適なのです。唯一恥ずかしい思いをするかもしれないセキュリティは、金属探知にかからない限り、そして赤外線透視の進んでいるアメリカさえ避ければ問題ありません。
 もっとも、女装に踏み込ませるには母親にも躊躇いがあります。だから、取り合えず中性的な恰好をさせ、更に『ダイエットの為』の下着女装を止める必要が無い事だけを翔太君に告げました。翔太君には母親の意図が分かりませんが、下着女装を止める必要がないという言い分だけは理解出来ました。彼だって、知り合いに女装を見られるのが恥ずかしいだけです。だからズボンも、履いて行くズボンこそは腰の深い、翔太君が女物と気付いていないズボンですが、替えズボンは普通の男物です。持って行く下着は夏休みに着ていたもの、つまり全部女物です。シャツだけはさすがに男ものですが、今時の女の子は男物のシャツを平気で着ますから、ズボンとの組み合わせをみれば、全体のコーディネートは女装に近い中性でしょう。靴だって安全の為のジョギングシューツで男女兼用です。こうなると男を主張しているのは髪だけで、その髪も、ぼうぼうのままで夏休みに入ったので、今では耳が隠れるほどに伸びています。それを母親が少しだけ揃えて、ボーイッシュな女の子ならしてもおかしくないぐらいにしました。
 こうして旅行に家族旅行に出掛けた翔太君ですが、案の定、女の子に間違われる事も結構あります。と言うのも、入場券の販売で、日本人の年齢が分からずに尋ねられるような事が多いからです。その場合、
「その子は?」
という訊き方になりますが、外国だと
「Is she?」
「Is he?」
と性別付きの質問になります。そして、胴を補正下着で締め付けつつ胸だけを緩くしている翔太君は、女の子と思われる率が非常に高くなりました。そもそも、男の子を女の子と間違えても、それは男の子の問題ですが、女性と男性と間違えるのは、間違えた方が失礼なのです。だから、Is sheという言い方になるのも仕方ありません。でも、そんな事は翔太君には分かりません。ただ、恥ずかしいという気分があっただけですが、それでも、何度目かに間違えられた時、相手がとっさの言い訳として
「変装が上手いね、役者かスパイになれるんじゃない?」
と言った事をきっかけに、あまり気にならなくなりました。所詮、外国なのです。しかも、女の子と間違えられている限り、下着の問題は無いのです。こうして、この時以来、女の子に間違えられるのが却って快適に思えるようになりました。旅行中のハイな気分の成せる業なのでしょう。
 身重の母親はあまり遠くに出歩く事はありません。そんな女達を喜ばせる場所にショッピングモールがあります。だから旅行中は、父親は遠くへ散歩、母親は翔太君を保険につけての買い物というパターンが何度もありました。当然ながら婦人コーナーにも入って行きます。翔太君も始めはいやがっていましたが、女の子と間違えられている事を自覚するようになってから、あまり気にしなくなりました。というのも、補正下着に多少の興味があったからです。婦人コーナーはともかく、女性下着コーナーともなれば日本では絶対に恥ずかしくていけません。でも、此処は外国で、彼の事を知る人間は一人もいないのです。ましてや母親と一緒ですから、いつしか好奇心に目を輝かせていました。そんな翔太君を見ても、母親はもはやショックでも何でもありません。そして、自然な成り行きで、2回目のショッピングの際には割引品の補正下着を翔太君に買う事になりました。というのも、外国人用のガードルやボディースーツは、日本人用と違って、前や腰に比べて尻が大きいからです。肋骨だって日本人より外国人の方が大きいですから、肥満気味の翔太君には、こちらの方が着やすくてかつ効果があるように思えたのです。この日を含めて、旅行中に、新たにガードル3枚と、コルセット型のボディースーツとを買ってしまいました。いずれも日本製のように尻をも押さえる事はなく、翔太君のお気に入りとなってしまいました。
 母親と一緒とは云え、女性下着コーナーで自分用の下着を買ってしまった翔太君にとって、もはや、婦人服コーナーは恥ずかしい所ではありません。ここでの翔太君は女の子なのです。だから、母親から少し離れて歩き回ったりします。外国で誰も知らない所にいるからこその度胸と言えるでしょう。でも、それは、女の子を装っている事がバレたらいけない事を意味しています。だから、着ているシャツやズボンが気になったりしてきました。一方、そういう葛藤を知らない母親は母親で、翔太君の女装趣味がどのくらいなのかを知りたく、他に好きなものがないか尋ねて来ます。そういう意図を知らない翔太君は、朝晩が寒い事や替えズボンの腰が浅い事をなどを思い出して、長袖シャツやセーターやズボンを買いたいと答えました。ただし、それは男物の意味です。でも、女の子と思われている今の自分が、男性衣料コーナーに行くと、実は男なのに女性下着を買ったみたいに思われるのが怖く、セクションを移る気になりません。一方の母親は、もとより女物の衣料のつもりで質問していますから、スカート類を要求しなかっただけでも満足です。それでも、一応は男物から調べようと思ったのは、やはり見栄の成せる業でしょう。
 こういう2人の意見が一致したのは子供コーナーです。なんといっても、外国人が体が大きいのです。翔太君には子供用で十分です。その子供用ですら外国には男物と女物のコーナーがあります。そして、女の子と見られている事を意識している翔太君は、男物を買う事に消極的です。しかも、日本人が細身なので、長さと太さのバランスは女物で十分です。決定的なのは、バーゲン品がほとんど女物だと言う事です。こうして、とうとう女物のサマーセータを買ってしまいました。買い物はこの日だけではなく、旅行中に買い足しましたが、値段とサイズの関係で、ズボンも短パンもTシャツも全て女物を買ってしまったのでした。特にズボンと短パンはいずれもチャックの短いタイプで、前がきつい奴です。チャックが短くても困らなかった翔太君は、そんなところまで気付かないのです。


その11 (中学1年秋:カップ付きの下着)

 男の恰好をしながらも女の子に見られ、女物の服を買うというエキゾチックな体験は、あくまで海外旅行だけの特別なイベントで、いわば、高校文化祭のような無礼講のお祭りのようなものです。だから、日本に帰るや、女物の服を買うなんて恥ずかしい真似は絶対出来ないし、女の子に見られるような恰好をするなんてもっての他です。今にして思えば、なんであんなに恥ずかしい事が出来たのだろうと、翔太君は旅行をなつかしく振り返っています。このあたり、翔太君はやっぱりノーマルなのです。女性下着を着ているのはあくまでダイエットの為です。
 こうして2学期になりました。夏休みの新しい補正下着で下腹部の締め付けた結果、内蔵や皮下脂肪が上に移動しましたが、それでもダイエットもしたお陰で、全体的な体型のバランスは1学期よりも女の子に近づいています。具体的には、チェスト=脇の下、バスト、アンダーバスト、肋骨下端(女性のウエストに当たる位置)が、それぞれ
3月上旬 78−77−69−65 (自分の胸にムラムラ)
5月中旬 77−76−68−64 (初めてのガードル)
7月下旬 76−76−67−63 (初めてのボディースーツ)
9月上旬 75−75−66−62 (初めての女性下着コーナーでの買い物)
という具合に変化しました。
 しかし、胸全体は小さくなっているし、相変わらず肩口の太さが肥満気味なので、男子には見咎められません。そもそもトップとアンダーの差の9センチは日本規格ブラジャーのAサイズ未満で、国際規格ならAAなのです。無いに等しいと言えるでしょう。しかも、体育はシャツを着たままなので、裸を見せる事もありません。多少の違和感を感じた連中も
「ちょっとはダイエットしたのか?」
と言う程度です。もしも彼がボディースーツやロングガードルを履いていたら問題ですが、さすがの翔太君だって、そこまであからさまな女性下着を学校に着て行くような事はありません。もちろん、下着のシャツも、今や1年前のダイエットシャツではなく、女性用のダイエット用シャツですが、これは1学期の惰性で、しかも100%女性用だという確信が持てないので、そのまま着用しています。ただただ、シャツを他の男子に見せるのが恥ずかしく感じるようになっただけです。
 変わった事と言えば、他に髪があります。海外旅行の際に母親が多少切り揃えたものの、それでも耳の半分を隠すぐらいあります。それでも切った事には変わりないので、のんびり屋の翔太君は、それで十分だと思っています。母親も、将来の事を考えて切れとは言い出せません。
 もっとも、昭和と違い、今は中学校でもある程度の男子の長髪を許していて、翔太君の通う私立を含め、大抵の中学では、耳に半分かくれるまでがオフィシャルな許容範囲ですから、その意味では翔太君の髪はすでに許容限界レベルです。それどころが、耳にかかる髪の量自体が増えているので、伸び過ぎという感がします。ただ、それが問題になる事はありませんでした。というのも、学校に彼程度に短い髪型の女子は一人もいないので、クラスメートからみると、恰好いい髪でしかないからです。だから、
「いい親だな」
と羨ましがられる事はあっても、女装と結びつけられる事はありませんでした。この程度の長い髪は男子の憧れなのです。実際、少女漫画に出て来るモテ男は長髪です。そもそも
『翔太は肥満』
とクラスメートに刷り込まれています。夏休みを経て、もはや翔太君の肥満度はそこまで酷くないのですが、4〜5月の印象で、彼には肥満の烙印が押されているのです。そして肥満の女装に誰も興味はありません。
 一方、翔太君の髪の毛に関しては、養護の先生も担任や口うるさい先生方に根回しを始めていました。性同一性障害の可能性が高いという説得理由は強力な呪文なのです。

 そうこうするうちに10月の身体測定となりました。養護の先生がずっと忙しかった事もあって、測定は体育祭の振替休日の日になりました。その結果、

身長153.5cm, 体重51.8kg, 胸囲75cm (RI=143.2), 脇下75cm, アンダー66cm, 肋骨下端62cm

と、初めて体重が減りました。もちろん、未だにRI=145の注意者レベルに近く、身長が男子平均よりも5センチ以上低いのに、胸囲が男子平均を未だに超えているから、肥満体型と言えますが、少なくとも、肥満防止委員会の決める規定によれば2期続けてRI<153だったので、晴れて全ての縛りから開放される事になります。もっとも、それに関しては複雑な心境でした。というのも、ジムにしろベルトやシャツにせよ、強制されて良かったという気分があるからです。そういう強制がなくなるのです。例えばジムですが、お金を出せば通えるものの、今までのような国庫補助はないし、そもそも中学生で行っていたのは翔太君だけだったので、強制でないと行きずらい雰囲気なのです。結局ジムは諦めました。
 ジムより問題なのがダイエットシャツとダイエット帯です。というのも、今ではダイエットシャツの代用品が女性下着らしいと知っているからです。それすら着る口実が無くなると、ダイエットを理由に着ているボディースーツやガードルも口実が無くなり、それらを着続けるのが女装趣味のような気がします。更に悪い事に、肥満防止委員会がダイエットシャツの廃止を決めていました。というのも、ジムだけで十分だという世論が出始めたからです。それは医学会からもサポートされ、成人肥満のうちの問題になる例の殆どが、大人になってからの肥満であるというレポートが出されました。その真偽は議論中ですが、少なくとも、女性下着に近いデザインの服を強制的に着せるのはおかしいという意見が強くなり、廃止になったのでした。ダイエット帯についても検討中であって、廃止になるかも知れない情勢です。
 もっとも、これらの問題点は身体測定の前から分かっていた事で、身体測定は形式的にそれを確認する場所です。だから、測定の時に顔を合わせた養護の先生と、今後の事について相談しました。この日は測定の為だけに学校に来たので、翔太君はガードルも履いています。というのも、ガードルは、そもそも養護の先生が薦めて来た補正下着であって、相談をする以上、それを履いて行くのが礼儀だと思ったからです。その上で翔太君は
「この先、どうやって体を細くすれば良いでしょうか?」
とか
「ダイエット用の服は着続けても良いんですよね?」
という質問をしました。
 こうなると、養護の先生が、質問の意味を
『女物の服を着て良いか』
という風に取ってしまっても仕方ありません。だから、良い機会と思って
『体に関するカウンセラー』
に行くように翔太君を説得しました。体に関する事とは、養護の先生にとっては性同一性障害です。でも、それは翔太君にとってはダイエットの事です。だから、喜んでその薦めに従う事にして、家に帰って母親とも相談しました。母親としても、ここまで言われたのでは、これ以上、見栄で本人に行かせるのを遅らせる事は出来ません。こうして誤解のうちに、翔太君は養護の先生の知り合いのカウンセラーに会う事になりました。

 性同一性障害に関するカウンセラーを翔太君が初めて訪問したのは、その週の土曜日です。というのも、学校を休んで行っては間違った噂が立ちかねないからで、たとい学校帰りに行くとしても、制服である以上、噂の問題を抱えていたからです。土曜日だと制服の必要はありません。
 カウンセラーに会うのは、翔太君にとってはダイエットの相談ですから、現状を見て貰う必要があります。だから、関係する下着を全部来て行く事は、翔太君には当たり前の事でした。股間はもちろんタックです。
 とはいえ、下着女装を見られて良いのはカウンセラーだけですから、それが見えないようにと、海外旅行でに買ったズボンとサマーセーターを着ています。女物のセーターは男物より細長く尻まで隠してくれるので、いつしかそれを好むようになったのですが、だからと言って女装のつもりは全くありません。ズボンにしても、学校以外では座って小用を足すようになったので、男物と女物の違いが分からず、いつしか普段着で着るようになっていました。買った時は確かに女物の筈だったのですが、海外自体がエキゾチックだったので、遠い非現実的な思い出となってしまって、旅行から2週間もしないうちに気にならなくなったのです。セーターやズボンを気にしないのは他人も同じです。ズボンのファスナーの高さなんて、女の人でも気付かないのが普通でしょう。その意味では翔太君の選択は無難なのですが、ズボンや補正下着で足が内股気味になっている為に、カウンセラーには、ひと目で女物のズボンだと見破られました。
 こういう恰好を見れば、大抵のカウンセラーが、第一印象として性同一性障害を疑うでしょう。そもそも、養護の先生や母親からの前情報もあるのです。もちろん、カウンセラーはプロですから第一印象だけで薬等の処方を出すような事はありません。きちんと念押しの質問をするのが基本です。ただ、このカウンセラーは少し慌て者でした。もしかすると忙しかったのかもしれません。
「女の子になりたいの?」
という基本質問を端折って、女の子のどういう性質に憧れているかを聞いてしまいました。
 一方、翔太君は、カウンセラーの質問が、その手の話だとは夢にも思っていませんから、緊張を解く為の雑談だと解釈しています。だから、質問内容も、女の子のどういう所が好きか、という質問と取り違えました。痩せて女の子にモテる体型になりたいのだから、この手の質問は自然なのです。そこで翔太君は、どんな体型の女の子が好みかを思い浮かべました。補正下着を着るようになって以来、魅力的な女の体型を常に頭に描くようになっていますから、答えはすんなり出ます。同様の誤解は他の質問でも続き、女性下着や女物ズボンを履いている理由を問われて
「細くなりたい」
と答えるます。そんなすれ違い解答が重なれば、第一印象の先入観のあるカウンセラーが、翔太君の事を誤解してもおかしくありません。
 もっとも、だからといって直ぐに抗男性ホルモンを処方する事はありません。カウンセリングを何度かするのが原則です。そして、その前に女装を勧めるのがこれまた原則です。だから
「女の子の服を着ることは何も恥ずかしいことではないんだよ。だからもっと慣れることが先決だね」
と説明します。そして、その上で、男の脂ぎった体になるのを防ぐホルモンの存在と、第二次性徴を控えた場合にそれを早めに投与しなければならない事ぐらいは伝えました。もちろん、投与するかどうかの判断に、数回は来院して貰わなければ無い事も言います。ただし、来院時の恰好については
「次回は無理はしなくてよいんだよ。ただし一人で来るように」
と抑えた言い方です。というのも、普段から女の子の恰好をする覚悟が最低限必要で、そういう子は、再来院時も女装している筈だからです。一人で来るように言ったのは、自分の意志がどのくらい強いかを見る為です。
 ただ、抗男性ホルモン、特に非ステロイドタイプの奴は、男性ホルモンの効果が現れるのを抑えるだけで、睾丸の機能をあまり損ないません。少なくとも、そういう副作用はほとんど報告されていません。つまり、投与のあと、大人になって
『あれは気の迷いだった』
と本人が思ったら、男に戻る事がおおむね出来ます。ここが女性ホルモンと違います。しかも、非ステロイドタイプは内蔵への負担もありません。それ故に、第二次性徴を抑える切り札として、18歳未満の性同一性障害患者に頻繁に使われています。第二次性徴が顕在化するのは10歳代前半ですから、診断が100%確定でなくても、タイムリミットという観点から投与が早くなります。だから、カウンセラーは数回の来院と言いましたが、向う1ヶ月で再来院して、それが女装だったら抗男性ホルモンを投与するつもりでいます。こういう先生は本物の性同一性障害には非常に良い先生ですが、あとから後悔するような人には悪い先生でしょう。
 そんな事とはつゆ知らない翔太君には、何が
『無理をする事』
なのか分かりません。そもそも、今回の訪問はジムの代わりのダイエット法、正確には体を細くする方法をアドバイスして貰いに来たのです。結局、無理というのは、無理なダイエットという意味だと解釈しました。もとよりカウンセラーの他の言葉もダイエットと言う視点で咀嚼していますから、翔太君は
『男性ホルモンが多過ぎるから太る』
『抗男性ホルモンはそれを押さえる』
『体を絞る為には女物の服を着るのが一番』
と解釈しています。たしかに抗男性ホルモンを使ったダイエット剤は非医薬品として売られているし、女物はブラウスにせよTシャツにせよズボンにせよ、腰だけでなく肋骨も細い事を前提として作っていますから間違いではありません。

 抗男性ホルモンはカウンセラーが処方してくれますから、問題は女物の服の入手です。海外旅行の時と違って、何処で買い物をしても知り合いに出会うリスクがあるし、それどころか売り子が翔太君の同級生の知り合いという可能性だってあります。どんな街であれ、世の中は狭いのです。唯一の例外は夏休みの頭にズボンを買った時ですが、あの時はそれが女物とは知りませんでした。いや、今でも気付いていません。だからこそ、女物の服を買いに行くのは憚れました。それは母親にしても同じ事で、息子が婦人服コーナーに行くのを見栄が悪いと思っています。だから、ズボンやシャツは母親が見繕って買う事になりました。唯一の注文は
「ダイエットに向いている奴だったら何でも良いよ」
という程度です。まあ、普通の中学1年生というところでしょう。
 その結果、母親が買って来たのは、シャツ(ブラウス)と、レギンスと、カッブ付きのシェーパー(スリーマ)でした。シャツは細めながらも丈夫な生地でダイエットの向いている奴です。セーター類を着れば右前の大きなボタンが見えませんから女物のとすら分かりません。レギンスはきつめのもので、太腿のダイエットに向いている奴です。シェーパーはダイエットシャツの代用品ですが、カップ付きにしたのは、ブラジャーを買うよりもマシだからです。母親としては、コルセット型のボディースーツに慣れた息子がブラジャーをつけたがっているのではないかと心配していました。ブラジャーは透けて見える事が多い上に、その跡が体に残ります。だから、これをはめると、もはや引き返せないと思ったのです。それをカップ付きのシェーパーで済ませる事が出来れば、それに越した事はありません。もちろん、そういう心配は完全に見当外れですが、半年以上かかって熟成された誤解は、ここまでの行動を起こさせてしまうものなのです。
 母親が買って来た服は翔太君を喜ばせました。確かにダイエットに向いているからです。唯一、複雑な気分になったのがシェーパーのカップでした。というのも、カップはブラジャーを想像させ、そのまま「女性」下着を強調しているからです。しかもダイエットにブラジャー機能が必要と思えなかったからです。翔太君に女装趣味はありません。
 今までも新しい下着を目の前にする度に、ちょっと変態になったような興奮と少し恥ずかしい気分がしています。でも、それはダイエットの為であり、人に見られない限り、やましい事はしていないと思うようにしています。ブラジャーは別です。つける必然性が無い筈です。もちろん自分の胸に少しだけムラムラした事もあるし、男の子の常として、女の子の胸には興味がありますから、自分の胸を小さくしたくはないという微妙な気持は持っていますが、だからと言ってブラジャーには決してなりません。
 そんなブラジャーを想起させるシェーパーを母親が買って来たという事は、もしかしたら自分の胸もまた女の子のように守らなくてはならなくなったのか、という気がしました。翔太君はノーマルですから、そういうのは嫌です。だから、暫くの間はシェーパーだけは着ませんでした。その代わりに女物シャツとレギンスは必要以上に頻繁に着ました。
 そうは言っても好奇心とカウンセラーの言葉には勝てません。カップがあるのは、その分、他の所がきつく絞られている為かも知れません。結局、2週間もしないうちにシェーパーを試す事になりました。着ると確かにぴったりです。そうです、この時までに翔太君の肩口はかなり細くなっていて、カップ付きのシェーパーが快適に機能する体型になっていたのです。確かにカップのお陰で胸以外の締め付けに無理がありません。唯一の問題は、これをすると今までよりも女っぽい上半身になってしまう事ですが、それとてシャツとかを羽織ればほとんど目立ちません。こうして、翔太君はいつしかカップ付きを好むようになってしまいました。
 カウンセラーの言った「女装」という条件をクリアーした翔太君は、次のアドバイスを貰うべく、カウンセラーの予約を養護の先生にお願いしました。こうして前回から5週間後に翔太君はカウンセラー(医者)を再訪しました。その時の恰好は、前回を越える女装で、シャツは女物の右前合わせになり、シェーパーも前回と違ってカップ付きになっています。またズボンの下にはレギンスを履いていて、その上にガードルとボディースーツまでしています。普通の女の人でもそこまでは絶対にしませんが、ダイエットの努力を見せるという目的をもった翔太君にそんな常識は通用しません。これにはカウンセラー(医者)もびっくりし、ほとんど質問をしないままに、抗男性ホルモンの処方をしました。注射と丸薬の両方です。


その12 (中学1年11〜12月:抗男性ホルモン)

 カウンセラーの診断は、1回目は「再診の必要あり」程度でしたが、2回目は「疑い濃厚で、念のための処方をした」と両親に伝えられています。その母親は出産が近くて、翔太君の事を考える余裕はあまりなく単純に
『最後は女の子になってしまうのね』
とぼんやりと認め、そういう話を母親から聞いた父親も、新しい子供に希望を託して翔太君の事を諦めています。なので、抗男性ホルモンの投与はそのまま受け入れました。しかし、翔太君が未だにスカート類を要求しない不思議については
『恥ずかしがっているため』
と雑に考えて、それ以上考えません。

 抗男性ホルモンは、1960年代に発見された比較的新しいホルモン剤で、その名のとおり、男性ホルモンをブロックするホルモンです。男性ホルモンの分泌を抑えるタイプと、男性ホルモンを浴びた細胞が男性ホルモンに影響されないようにするタイプ(受容体タイプ)があり、いずれのタイプも前立腺ガンや前立腺肥大症の治療の必須薬として色々な種類の薬が発見・開発されており、なかでも一番良く使われている2種類の薬は、危険な副作用のほとんどない事で知られています。もちろん、男性ホルモンを抑える以上、服用中に性欲や勃起が減るとか、筋肉が維持出来なくとか、髭が薄くなるとか、胸がほんの少しだけ膨れるとか、禿げ難くなるといった副作用はありますが(最後のは効用というべきでしょうが)、これらとて薬を止めれば回復するのが通例です。だからこそ、性犯罪者に
『化学的去勢』
という名目での投与を刑罰に入れる国が増えているのです。現代の化学的去勢は50年前と違って、女性ホルモンは使いません。
 しかし、性関係の副作用が限られているのは、前立腺が問題になる高齢者や、性衝動の激しい成人の場合です。第二次性徴前だと、性発現を抑える効果を持ち、人によっては去勢された宦官よりも男性化が抑えられる事があります。というのも、抗男性ホルモンは、睾丸以外、例えば副腎皮質から分泌されている男性ホルモンの効果をも抑えるからです。去勢された宦官の中には、それでも髭を生やしていたものがいますが、これは睾丸以外からの男性ホルモンの効果で、この手の男性ホルモンは女性すら分泌していて、筋肉を作ったりするのに役立っています。抗男性ホルモンはこの手の男性ホルモンにも効きくわけです。もっとも、男性ホルモンを100%ブロックする訳ではなく、薬の効き方には個人差があります。だから、抗男性ホルモンを投与しても、外科去勢ほどに効果のない場合だってあります。
 翔太君の場合は、個人的にも薬が効きやすい体質だった上に、第二次性徴前で、しかも睾丸を長い時間タックしていたので、効果は覿面でした。第二次性徴は完全にストップしてしまいました。肩幅は子供のままで、一部の発毛はありますが、髭も脇下もつるつるです。体毛に至っては産毛が生え変わる為に抜けてツルツルに近くなった状態です。喉仏は無く、声変わりも始まったばかりで、メゾソブラの音程です。肋骨を絞っているせいで、声はあまり太くなっていません。その意味で女性に近い声です。だから家にかかる電話では母親と間違えられる事すらあります。要するに子供と女性の中間ぐらいの体なのです。その状態でフリーズすることは、体のラインを除けば、女性にとっての永遠の夢でしょう。
 唯一の速効部分は、筋肉が脂肪に変換し、新陳代謝が減って太りやすくなることですが、成長期という事と、前よりも熱心なダイエット(例えば腹筋運動)で、筋肉の消失は最小限で済んでします。そのくらいに翔太君はダイエットに熱心になっていました。なんせ、ここ半年で初めて体重が減ったのです。人は結果が目に見えると頑張れるものなのです。ですから贅肉のうちの脂肪部分が燃焼され、筋肉部分の一部は脂肪となり、男っぽさを感じさせるごつごつした部分が輪郭から消えて行きました。そもそも男でも副腎皮質などから女性ホルモンが分泌されていますから、翔太君のように抗男性ホルモンが効きやすい条件で第二次性徴前だと、女性ホルモンが女性化を少しだけ進める場合すらあるのです。だから、子供と大人の中間ぐらいの体でのフリーズどころか、(女に取って)より理想的な体に変化していく事になるでしょう。こういう変化は、外科去勢にないものです。
 外科去勢よりも女性化が進むのは胸も同じです。第二次性徴期はホルモンバランスの変化で普通の男の子にも女性化乳房という症状が現れる事があり、それを抗男性ホルモンは促進します。だから、ダイエットで胸の脂肪が減る効果は、翔太君の胸に乳腺が少しだけ発達して、それに脂肪が付随した効果でキャンセルしました。胸の大きさこそは変わりませんが、他が痩せた効果で、形が男の肥満胸からより思春期女子の胸に近づきました。ちなみに、思春期の女性化乳房は一時的なもので、普通は数年以内に消えてしまいます。たとい抗男性ホルモンによる女性化乳房でも、女性ホルモンによるそれと違って、薬を止めれば概ね元に戻ります。ただ、何事にも例外はあり、戻らない人や戻り難い人もいて、そういう例外の条件に翔太君は当てはまるかもしれません。

 もちろん、これらの変化は些細でゆっくりしたものです。だから、翔太君は11月第2週に服用しはじめた抗男性ホルモンは、当初は
「何も変化させない」
という効果しか残しませんでした。変化が起こらないという事は、簡単に認識されないものです。いつまでも一人だけ大人になっていない奴がいたところで、それが元々なので誰も気付きません。転校生や新任教師が来たところで、彼らはなじむのに忙しくて違和感を表に出すような危険な真似はしません。翔太君本人にしても、のんびり屋ですから、クラスメートのように男っぽくならなくても焦りません。もちろん、これが本当に性同一性患者なら、自分の体に一喜一憂するでしょうが、翔太君はノーマルなのです。唯一気付いた人間は母親と、月に一回合うカウンセラー(医者)だけでしょう。そんな状態ですから、翔太君は、いつまでも薬の本当の意味が分からずに摂取しつづけました。
 抗男性ホルモンを服用し始めた事は、学校側は知っていてもクラスメートは知りませんし、その事にだれも気付きませんでした。そればかりか、1学期に噂になりかけた胸や下着の話も2学期には収まって蒸し返されませんでした。これには10月後半から制服が冬服になったお陰もあります。
 クラスの中など顔を知っている人間の間では、夏休み明けの段階で、翔太君の胸への関心は薄れていましたが、だからといって、他の学年や学級の連中が翔太君に違和感を感じかなかった訳ではありません。翔太君を知らない人間にとっては、彼の体のラインや下着ラインは他の男子と少しだけ違って見えるし、髪の毛だって長めです。なので、クラスのメンバーにしても、全く関心が消えた訳ではなく、心の奥底にくすぶっています。そういう意味では9月も10月も一発触発だったのです。もしも10月に制服が冬服にならなかったら、翔太君への疑念は11月にでも大きな噂になっていたかも知れません。なんせ、10月から11月、11月から12月と、翔太君の女装はますます度が進んでいたからです。気がついていないのは翔太君だけです。
 例えばダイエットシャツですが、さすがにカップ付きシェーパーで学校には来ないものの、それでも、母親が1学期に買い足した、より胸のゆったりしたシェーパーに替わっているので、着替えの時に他のクラスの人間等に見られたら変に思われてもおかしくありませんし、夏服の下の下着ラインが女子の先輩から不自然に思われてもおかしくありません。夏以来、休日には外出する時に補正下着を着る事が増えていますが、秋の薄着でその下着ラインが全く気付かれずに済む筈がありません。その前に冬服になったからこそ、翔太君が嫌な噂を立てられずに済んだのです。
 冬服への更衣は、翔太君にとっても有り難いものでした。というのも、1学期までと違って、今の翔太君は下着を見られる事を恥ずかしいと感じています。それはガードルやボディースーツのようなあからさまの女性下着だけでなく、かつてダイエットシャツと呼んでいた下着も同じです。1年前に着始めたときは、それが他の人と違うという意味で恥ずかしかったのですが、今では、女性下着だからという意味で恥ずかしいのです。そして、一旦恥ずかしいと思うようになると、それが透けて見えるのも恥ずかしくなります。特にシャツの胸回りの恥ずかしさは、カップ付きのシェーパーを母親が買って来て以来、更に強くなって、もはや女の子の気持ちに近いものかも知れません。だからこそ、それらを隠してくれる冬服が有り難く感じられました。
 
 女の子に気持に近づいたもうひとつの証拠に髪の毛があります。そもそも「女の子の髪」はノーマルな男子には恥ずかしいもので、だからこそ男子は長髪を格好いいとは思っても、奇麗な長髪でなくワイルドな長髪にしか志向がありません。にも関わらず翔太君が散髪で普通の男子並みに髪を短くしませんでした。刈り上げる事もありません。
 その理由の一つは、女性下着との組み合わせで
『もしも外出中に下着がばれても、女の子と思わせれば、知人以外が誤摩化せる』
という潜在意識にあります。だから、女の子の服を着ることをカウンセラーに勧められた際に、
「服と性とのミスマッチを他人がどう思うか気になるなら、いっその事、外見も女の子の見られるような髪型にするほうが、中途半端よりも良い」
というアドバイスも受けたときも『妥当だ』と思って自然に受け入れられました。
 でも、それは
『中途半端がバレるほうが、女装する事よりも恥ずかしい』
と思い始めていること意味し、同時に
『自然に女の子として見られる』
ことを受け入れはじめていることを意味します。だからこそ、髪型すら女子と見間違えておかしくない中性的なものになりはじめました。
 そういう髪型は、学校からも黙認されています。10月に既に医師の診断を受けた事が、養護の先生から他の先生方にも伝えられているからです。しかも、翔太君が翔太君がこの事で他の生徒から浮き上がらないように対策もしています。
「男子は耳が出るぐらいに切る事が望ましい」
という一般的な決まりが一人の例外でいきなり大きく崩れるのを恐れて
「髪の毛が長過ぎる場合は、それを親が承諾しているかどうか担任から親に連絡が入る」
という条項が明文化すると同時に、翔太君にも
「お母さんに奇麗に切ってもらいなさい」
という形だけの指導を入れます。その母親は短くするというより、むしろ切り揃える感じで翔太君の髪の毛を弄りますから、長さこそ2学期いっぱいで耳の半分以下から半分を超える程度までにしか伸びていませんが、の代わりに同じ場所をカバーする髪の総量が増え、それが奇麗に揃えられていきました。

 冬服と言う事は、着替えが無い限り、カップ付きのシェーパーを着て学校に行っても同級生に気がつかれない事を意味しています。翔太君の学校は、掃除の時に上着を脱ぐ習慣のありますが、制服の下のシャツの上に着ているベストの類いまでは脱ぎません。さすがにシャツまで女物にするとベスト程度では誤摩化せませんが、シェーパーのカップは問題ありません。もちろんカップである以上、膨らみはあるし、ダイエット帯の上に出ている部分だけをみれば、もはやスポーツブラと変わりない裁断ですが、翔太君の肥満胸はクラスメートに認識されているのとダイエットシャツの着用を知られているのとで、ベストとかのない夏服ほどには目立ちません。だから、11月の半ばまでには、体育の無い日であれば、翔太君は朝の着替えでカップ付きのシェーパーを着替える事を止めて、そのままで学校に行くようになりました。そう、この頃までには、夜寝る時は、カップ付きとダイエット帯の組み合わせ常用して、それ故に母親も2度ほど買い足していたのです。そして箪笥の場所の確保の為に、普通の男物の下着シャツどころか、初代のダイエットシャツすら処分されてしまっていました。
 冬服による変化はそれだけではありません。冬服の与えた安心は「慣れ」という罠も用意していました。夏の間は、女性下着を家の中では着ていても、外出の時は着替えるかどうか考えていました。結局は着て行くにしても、その際に、それが外に見えないように、あるいは透けないに上着を気をつけていました。しかし冬服の季節と言う事は、普段の外出着も厚着になるだけでなく、制服でも代用出来る事を意味しています。行き先や目的によっては、制服の方が無難な外出なだけでなく、制服でも構わない外出がありますから、のんびり屋の翔太君は、これ幸いと、ボディースーツや右前ボタンの女物シャツを外出前に着替えずに出掛ける回数が増えて来ました。そういう事が増えれば、普段の学校にも、ついうっかり、女性下着のまま出掛けるとうミスを犯してしまってもおかしくありません。いや、これが慎重な人間ならそんなミスはしないでしょうが、翔太君の性格だとミスは簡単に起こるのです。実際、11月の下旬にはガードルを履いたまま学校に行ってしまいました。シャツの方は、もちろんカップ付きの下着ですから、完全に女の子セットです。
 気がついたのは、トイレで小便をしようとしてズボンのチャックを下ろした時で、アサガオが上手く隠してくれたから良かったものの、さすがに焦りました。ガードルが見られてしまうリスク以上に、ガードルの上にダイエット帯をしてきちんと止めているので、ガードルを下ろす事はそもそも不可能なのです。幸い、この頃までにはトイレは小便でも人のいない時を狙うようになっていて、近くにはだれも居らず、小便をせずにそのまま大便個室で小用を足して気付かれず、しかも体育の無い日だったので大きな問題にはなりませんでしたが、それ以来、再び気をつけるようになりました。
 しかし、この体験は、一日を誤摩化して過ごした経験は翔太君に妙な自信を与えました。そして、どこまで他人に気付かれずに女性下着を着れるかという挑戦へに興味を翔太君に生まれさせました。ゲーム感覚です。特に翔太君には、
『ダイエットの為』
という本人だけが納得する口実があるので、ゲームに負けても困らないかも知れないと誤解しています。
 そういう事に気付いた時期、タイミング良く期末試験の季節になりました。試験だけで授業はありませんから、学校は午前中で終わるし、1日目と2日目は着替えというイベントが突発的に入る可能性もありません。そこで、試験1日目はガードルだけでなくレギンスも試してみました。まったく問題ありません。そして、2日目には、ついにボディースーツを着て試験を受けました。3時間だけならおしっこも我慢出来ます。我慢出来なくても、大便を囃されるのを覚悟で個室に行けば良いだけの話です。当然ながら、この挑戦も問題ありません。これに気を良くして3日目も全部着込んで試験を受け、放課後は、クラスメートが部活や遊びに夢中になる中さっさと家に帰りました。結局、見合わせたのは女物の右前シャツだけです。これだけの事をやっていますから、アドレナリン値が上がり、試験の方も上手く出来た様です。そういう自信は、彼に対して
「下着女装すれば試験の成績が良くなる」
という縁起まで作ってしまいました。

 試験が終わった土曜日は、カウンセラーの訪問が入っていました。
「君はどんな体型を目指しているのかい、えっと、例えば有名人でいえばどんな人」
2ヶ月前とほとんど同じ質問をされて、翔太君が真っ先に思いついたのはアイドルのC子です。目指すという本来の質問の意味なら男性を選ぶべきでしょうが、質問の前半で細い人という仮の答えを得た翔太君は、後半の質問で、細身の有名人を尋ねる質問だとはやとちりしました。中学生のリアルタイムの会話なんて、このくらいザルなものなのです。だから、ファンであるC子を答えたのは別に不思議ではありません。
 中学と言えば、アイドルに熱心になり始める時期です。翔太君も例外ではありません。貧乳アイドルのC子の熱心なファンです。貧乳の代わりにとても細い体型をしていて、それだけでも憧れですが、顔立ちもなんとなく身近なものを感じさせてくれます。ある調査によると、人は従兄弟程度に類似した顔の人間を好きになりやすいのだそうで、それは親近感のある顔つきでありながら、近親相姦にならない相手を選ぶと言う本能から来るのだそうです。その意味で、C子は確かに従姉程度の距離感の高校生でした。
 そういうC子を選んだ答えはカウンセラーの医師にも納得出来るものでした。確かにどことなく翔太君の顔つきと共通したものがあります。その意味では、翔太君もきちんとダイエットしたら、性転換後にはアイドルになる素質があります。だからカウンセラーは翔太君を励ます意味で
「そうなりたかったらね、やっぱり薬だけに頼るんじゃなくて、ちゃんとダイエットと運動をしなきゃならないね」
とアドバイスしました。翔太君にすれば、このアドバイスは、錠剤や注射があくまでダイエットの補助であるという意味になります。性同一性障害という概念が入り込む余地はありません。
 「わかってます」
そう答えた翔太君は、自分がダイエットに以前よりも努力している事を、具体例を挙げて説明しました。間食を止め、食事の量を減らした事や、最近始めた腹筋運動の事はもちろん、ボディースーツやガードルを学校にも履いて行った事を自慢話のように話しました。これを聞いたカウンセラーの医師が、翔太君に対するホルモン治療に対して
「早まらなかった」
と安心した事は言うまでもありません。それは、性同一性性障害という診断がカウンセラーの頭の中で確定した瞬間でもありました。
 訪問2回目と言う異例の早さでホルモン治療の前半に踏み切ったのは、第二次性徴というタイムリミットが迫っていたからで、診断が95%以上確定した為ではありません。フライングである可能性を含めても、抗男性ホルモンを投与するメリットの方がデメリットよりも大きいと判断したのです。でも今回は違います。そして、この一番難しい診断確定という難関さえ乗切れば、あとは事務的な問題だけで、毎月の面会で気を張る必要はありません。副作用の有無だけ確認して、処方の量を調整すれば良いだけです。もちろん、いつの段階で女性ホルモンを投与すべきかという問題は残っていますが、それは現在の処方に本人が満足するかどうかを見極めたあと話で、当面は関係ありません。
 ともあれ、当事者である翔太君は、試験期間中の下着女装の挑戦をカウンセラーに褒められた事で、ガードルなどを着て学校に行く事を本気で考えるようになりました。体育などの着替えさえ無ければ問題ない筈なのです。ボディースーツですらトイレの問題さえ解決すればどうにかなるものです。もちろん、名目はダイエットですが、内実は「学校で人に気付かれないように下着女装する」
というゲーム感覚が大半を占めていました。そう、いつしか、女装する事が目的になり始めているのです。それは、カウンセラーの診断にたいして翔太君が辻褄合わせをしているのと同じ効果をもたらしました。


その13 (中学1年、年末:特別扱い)

 カウンセラーの診断は母親を通じて養護の先生にも逐次知らされました。だから11月に抗男性ホルモン服用が始まった時は、重大事項として職員会議に伝えられました。10月の初診断では相談が始まった程度で先延ばしでしたが、処方を始めたとなると学校側もほったらかしに出来ません。早急の問題としてトイレと着替えの対策が議論されました。他の生徒へのカミングアウトの方法も問題ですが、そこまですると制服の問題とか対外問題とか大きな変革を必要としているので、早急という訳にはいきません。
 緊急要件とがいえ、学校として動けるのは本人か保護者から正式な要請があったあとの話です。医師の診断だけでは動けません。確かに母親が養護の先生と連絡を取り合っていますから、その意味では保護者からの要請と拡大解釈出来ますが、前例のない事をやる以上、もっとはっきりした形の要請がないと保身の為に慎重になるものなのです。
 慎重な議論を繰り返しているうちに、12月に診断確定の報告が試験明けの月曜日に入りました。対策が遅れていると尻を叩かれたようなものです。ここまでくると、後から文句を言われるのも困ります。そこで、まず翔太君に面談する所から始める事になりました。本人にプレッシャーをかけないため、養護の先生の他に、女子の体育を担当する女性教師が一緒に面談します。その目的は翔太君の『性同一性障害』の度合いを理解して、どこまで女の子扱いすべきか方針を立てることです。女子トイレや女子更衣室の使用は無理だし、体育での女子扱いも厳しいですが、その他なら可能です。もちろん、最終的には親を交えての面談ですが、その前に、非公式に本人に会って話す必要があるという事で、その週の金曜日放課後に翔太君を呼び出す事になりました。師走で忙しいので土曜日に時間が取れずに金曜日になりましたが、翌週後半から冬休みに入るので、金曜日の放課後に保健室に来る暇な生徒はいません。

 前日に知らせを受けた翔太君は困ってしまいました。というのも、金曜日に体育が入っているからです。着替えがある以上、ガードルはもちろんのこと、カップ付きのシェーパーすら着るのが憚れますが、同時に、養護の先生に会う以上は、ダイエットの努力を見せるべく、もっとも補正効果の強い下着を着ていきたいものです。10月の身体測定であった時も、前回11月に会った時もガードルを履いていたし、11月にはカップ付きのシェーパーまで着ていました。なので、薬まで処方しているのに、服が逆戻りというのは薬に頼って努力を怠っているように見られる気がしました。でも、それだけでは、体育をサボる口実もありません。翔太君は人のいう事を聞く素直な子なのです。結局、これらの女性下着は、こっそり持って行って、体育が終わったあとに、どこかでこっそり着替える事にしました。
 しかし、そういう場所と時間は簡単には見つかりません。結局、チャンスのないまま、
『ええい、保健室で着替えさせて貰えば、一石二鳥じゃないか』
と思って、保健室に向かいました。
 翔太君が来たのを見た養護の先生は、挨拶代わりに、
「最近はどうしている?」
と問いかけつつ体育の先生に内線をかけます。もっとも、電話の相手が誰だか翔太君に分かる筈もありません。それどころか、ガードルとカップ付きシェーパーを着ていない言い訳をいう事で頭がいっぱいなので、電話の内容(すぐにもう一人保健室に来るらしい事)も聞こえていません。今の翔太君は
「あのう、体育があって、着替えが恥ずかしくて、あ、でも、いつもはちゃんと着ているんですよ、ほら、これ」
と下着を取り出して
「だから、体育のあとに着替えようと思ったんだけど、場所がなくて、えっと、ここで着替えても良いですか」
としどろもどろに小声で言い訳するのが精一杯です。
「そこで着替えてね、そっちは入口から見えないから」
と答えた養護の先生は、着替えの問題が切実であると確信しました。
 早速着替え始めた翔太君ですが、さすがにブリーフを脱ぐのは恥ずかしいので、その上にガードルを履きます。昨夏、母親がボディースーツと一緒にショーツを勝手に買って来て以来、翔太君はガードルの下は大抵ショーツを履いているので、この日もショーツを持って来ています。ガードルやボディースーツの下にショーツを履くようになったのは、そのように母親が薦めていると思い込んでいるからです。それに、ガードルとの組み合わせではショーツのほうがブリーフより蒸れなかったという翔太君の体験もあります。だから、この日もショーツを持って来たので、手にして履く事も考えたのです。
 そんな迷いで時間を食ったため、カップ無しシェーパーからカップ付きシェーパーに着替え、最後のダイエット帯を締め終わる前に、体育の先生が保健室に入って来ました。翔太君にとっては想定外の人物なのでびっくりで、ダイエット帯をあわてて締め終わりましたが、ズボンまで手が回りません。今まで養護の先生と家だけの秘密だった下着女装を他の先生に偶然見られるなんて、翔太君にとっては死にそうなほどに恥ずかしい事です。養護の先生が他の先生に話すとは思っていません。養護とはそういう立ち位置の筈です。
 でも、翔太君を真性の性同一性障害と信じ切っている養護の先生に、そういうノーマルな男の子の気持など分かる筈もありません。
「いいの、いいの」
と翔太君をなだめつつ、体育の先生を招き入れました。もはや翔太君はズボンを手に持って下着を隠すのが精一杯で、頭に血が上ってなにも考える事ができません。
 一方の体育の先生は、翔太君の下着女装については、男子の体育の着替えで噂になっていないので、養護の先生から情報も話半分にしか聞いていません。だから、目の前にガードルとそれを更に上から締め付けるコルセット風のベルトを着て、そのベルトの受けから、カップ付きのスポーツブラと見間違える感じで覗かせているシェーパーを目の当たりにして、衝撃を受けました。しかも養護の先生は
「この子、体育の着替えがあったので、今まで下着を着られなかったの。だから今、ここで着替えたのよ」
と、昼間『不本意な男物』を着ている事を伝えて追い打ちをかけます。
 そういうインパクトを受けて翔太君を見直すと、やや肥満気味ながらも子供の細めの肋骨骨格で、単純に肥満胸とは言い難いラインであるし、第二次性徴が始まっていない感じの肌や首であり、髪の毛も中性的に切り揃えられてバリカンなんか使っていません。そんな体に女性下着の組み合わせは、もはや女の子の雰囲気です。翔太君が恥ずかしさでもじもじしているのも女の子っぽさを加味しています。それを見た体育の先生は、翔太君の性同一性障害に早急に対応する必要、特に更衣室の確保の必要を確信しました。待った無しなのです。
 本来なら、このあとの会話で方針を決めるのが順当ですが、ここまで第一印象が強いと、残りの会話は、その印象の確認に終わるのは普通です。それでも仕事は仕事ですから、質問がはじまりました。それは
「いつもそんな下着を着ていているの」
という自然な疑問を体育の先生は発して自然に始まりました。もっとも翔太君は、突然の事で即座には答えられません。その様子を見て、養護の先生がようやくカミングアウトの恥ずかしさだと気付き
「あ、今日はね、翔太君の格好で、翔太君が嫌な思いをせずに済むようにと、先生方が助けてくれる事になったの。だって今まで大変だったでしょ、その着替えとかトイレとか」
と助け舟を出します。それを聞いて、ようやく翔太君も、着替えとトイレで困っている事を思い出しました。だから、
「家ではいつもこの格好です。ボディースーツも使った事があります」
と、まずダイエットの努力をアピールし、続けて
「でも、体育のある日は着替えがあるから、しかたなく男物のパンツやシャツに着替えています」
 ここで『しかたなく』と言ったのは、翔太君のダイエットの為にガードル類を推薦した養護の先生の顔を立てた発言で、もちろん翔太君にとってはダイエットに為に仕方なく女性下着を着ているのが建前です。これを守らないの女装趣味という翔太君にとっての変態になってしまう後ろめたさがあるから、取りあえずそのように自分に言い聞かせています。でも、以前と違ってショーツやガードル、カップ付きシェーパーになれて来て、その着心地は気に入り始めてすらいますから、その意味では本心としても「仕方なく男物を着ている」という面が出始めています。男物のパンツを履きたい気持は今やそこまで強くありません。そして、カップ付きのシェーパーもカップ無しより着心地がよいと感じ始めているので、カップ無しシェーパーが女性下着だと知っても、ユニセックスのダイエットシャツと同じ感じがするのです。

 翔太君の答えを受けて体育の先生は、
「じゃあ、体育の無い日は、女性下着を着ているの?」
と、ストレートに「女性下着」という言い方をします。そこまではっきりと意識した事の少ない翔太君にとって、初めて秘密を知った人にそのように言われるのは、きついものがあります。翔太君はノーマルなのです。女装趣味ではありません。現実のは女物になじんでしまっていますが、それは趣味と言うより日常でしょう。その意味では性同一性障害と類似していますが、ここでは関係のない話です。
 ともかく翔太君は恥ずかしい思いをしながらも、カップ付きのシェーパーを思い出して
「はい」
と正直に小声でこたえました。この答えは、翔太君にとっては
『恥ずかしくてもダイエットの為の女物の服を着る事で細い体に向かっている』
というニュアンスを多大に含んでいますが、養護の先生や体育の先生は当然ながら
『女性下着着用を他人にバレてしまうリスクまで負っても、女の子になりたいのね』
と解釈しますから
「苦労してるのね、頑張って!」
と励ます結果になったりします。
 質問は更に
「着替えとかで不便は感じない?」
「トイレはどうしているの?」
という既に分かっている事の確認が続きます。もちろん翔太君は不便を感じていますから、
「個室型のトイレがあると楽なんですけど」
と素直に答えます。それは、2人の先生にとっては
『これ以上、男子トイレを使わせるのは悪い』
というメッセージである以上に、男子の前で着替えなければならない苦痛というメッセージでもあります。
 こういう質問と平行して、体型の質問も出ます。翔太君は、2人の大人に詰問されるほどにダイエットが問題なのだろうと恐怖を感じて、言い訳のように
「成果は少しずつあがってます、だから薬も飲んでいるしシェーパーもきついのを使っているし」
と慌てて答えます。ダイエットシャツというオブラートに包んだ表現でなくシェーパーと言ったのは、女性用だと知っててもダイエットの為に使っているんだというアピールできるからです。
 そういう答えに対し、先生方は、既に先入観があるところに、肥満胸よりは女の子っぼさのある輪郭である下着姿を目の当たりにしていることもあって、
『下着を女物にしているだけでなく、体を女の子風にしようと努力している』
と理解しました。抗男性ホルモンの使用が頷けるのも当然ですし
『この胸を男子に見せたくないのは当然だ』
と考えるのも無理ありません。

 もっとも、実際の体育では、カップ無しシェーパーを着たままで着替えているし、しかも同級生は肥満胸と思い込んでいるので、妙な見方をされることもないし、それ故に翔太君も慣れで気にしていません。でも、実態を知らない養護と体育の先生にとっては大問題で、いつ大騒ぎになるか分からない爆弾を抱えているようなものです。結局、着替えとトイレの問題は、出来るだけ早く翔太君専用の場所を確保する方針が決まり、それまでは
「取りあえずこれから保健室で着替えなさいね」
と翔太君の隔離がなかば命令されてしまいました。2学期はごく僅かなので、正式には3学期からという事になります。
 翔太君にしてみれば理由がちょっと不明瞭で、晴天の霹靂の感じがしないでもありません。考えられる理由は
「ダイエットの進行をより日常的にチャックする」
ぐらいですが、それでも胸をあまり見られたくないという気持は最近持ち始めているし、以前のようにうっかり明らかな女性下着(シェーパーだけでなくガードルも)を着て登校してしまうポカをやらかすこともありますから、嬉しいのは事実です。でも、そういう隔離着替えをクラスメイトに囃されるのではないかという不安もあります。なので
「そこまで特別扱いして貰うわけには・・・」
とお茶を濁した返答をしますが
「無理して我慢してはダメ」
と心配そうにいわれると、そうすべきだという気になります。翔太君は優柔不断で気が弱いのです。独り言で
「ダイエットって大変だなあ」
と呟くのが精一杯です。
 呟きは微かすかしか聞こえませんが、それでも「ダイエット」の言葉は先生の届いたようで、それを聞いた先生は
「(体重関係の)病気の問題で日常的にチェックしないといけないので、保健室で着替える必要がある」
という理由付けを思いつきました。これならクラスメートにカミングアウトする必要はありません。学校としてカミングアウトを認める所まで行くには時間がかかるので、今の段階ではこれが最善です。トイレについてもカミングアウトせずに職員トイレ使用を取りあえず容認して、出来れば早いうちに保健室に隣接して身障者用個室トイレを作ることを構想しています。これは下痢の生徒や、尿検査などが緊急に必要な場合にも有用なので、予算化は難しくありません。なんたって私学ですから、次の理事会で決まれば直ぐに出来ます。

 そうこうしているうちに冬休みとなり、その忙しい時に母親が妹を生みました。女の子という事に父親はやや落胆しましたが、母親は安心しました。というのも、これで翔太君を女の子として扱う事が楽になったからです。だから、出産後の養生期に家事を徹底的に任せ、落ち着いた頃には赤ん坊の世話を積極的に手伝わせるなど、この機会にしか出来ない女の子教育を行いました。
 中学1年と言えば遊びたい時期であって、家事に時間をかけるなんて面倒な話です。でも、母親の事情を考えれば、冬休みぐらいは仕方ありません。それは、冬休みになってフルタイムの下着女装を始めた翔太君に
「ぼくって、もしかしたら男の娘の真似事をしているの」
という奇妙な感覚を与えました。そして、それに反発して、学校向けの服、つまりブリーフだけ男物という恰好をする事が2?3度あるのですが、その度に、ダイエットの初心やカウンセラーの話を思い出して
「努力していない」
という罪悪感を覚え、直ぐに女性下着に戻ります。いや、正直なところ、今では男物よりも女物の下着の方が気持良いので、それを着たいと内心は思っているのです。罪悪感は自分向けの言い訳に過ぎません。こうして、新年を迎える頃には、
「ダイエットなんだから、男の娘の真似事でもいいや」
と3分の1ぐらい思うようになってきました。
 冬休みでの変化は他にもあります。正月は食べ過ぎる季節です。体を締め付けた状態での食べ過ぎですから、体のラインは以前よりもカップ付きのシェーパーのより合うようになっています。その為か、シェーパーはカップ付きでないと落ち着かなくなりました。


その14 (中学1年1月:ショーツ)

 3学期になりました。体育での着替えは保健室で行なうが正式に決まり、登校初日に担任から伝えられました。理由は保健室面談で決まった
「病気の問題で日常的にチェックしないといけないので、保健室で着替える必要がある」
というものです。それはクラスメートに対しては大した影響がありませんでしたが、翔太君にとっては予想した以上のインパクトがありました。というのも、翌週の体育のある日に、
「保健室で着替えろというのは、実はダイエット服を体育の日も着ていることをチェックする為ではないか」
と思いついたからです。それはシャツだけでなくパンツを意味しています。だから、カップ付きのシェーパーとガードル、それにダイエット帯の組み合わせて学校にいきました。そして、ガードルを履くと思った段階で、翔太君のブリーフでなくショーツを履く事を慣れで選んでしまいました。
 こうして、この日は保健室で着替えましたが、体育は上下ともジャージで、しかも下に夏用の体操服を着るので、下着が目立つ心配はありません。ただし、ジャージと言っても、器械体操系など、場合によっては脱ぐ可能性もあり、その場合は、短い時間ながらもTシャツとハーフパンツになります。その場合、上はともかく、ガードルは確実にはみ出るので、下の下着はガードルの脱いでショーツだけになりました。
 この時が、翔太君にとってガードルと無関係に、ショーツを下着として使った初めての経験になりますが、着替えの時にそこまで考える余裕はありません。体育が終わり、ハーフパンツを脱いだ下がショーツだったのに気付いて、初めて
「あ、これ、女装だ」
と気付いて恥ずかしくなったのでした。しまったと思っても着替えはなく、急いで、翔太君にとって正しい組み合わせであるガードルを履きましたが、この日以来、ショーツを女性下着として強く認識するようになりました。そして、それ故に、自分が常時女装しているんだ、という後ろめたさを少し感じるようになったのです。もっとも、1週間も経つと、そういう気持にも慣れて、体育の時に事実上の女性下着になってしまう事への抵抗も減ってしまいました。こうして、限定的とはいえ、ダイエットと無関係の女性下着を身につける事に、すこしずつ慣れていったのです。
 ともかくも、この日を境に体育の有無にかかわらず、いつも下はガードルとショーツ、カップ付きシェーパーという女性顔負けの下着で登校するようになりました。毎日続いたのは、そのほうは体に合うような気がしてきたからです。ダイエットが上手く行けばカップ付きの強力なシェーパーの方が合うに決まっているという思い込みの影響もあるでしょう。
 トイレは保健室のある建物の奴を使います。毎日保健室に用事がある、断っておくと、独別扱いへの疑問も薄れて一鳥二石です。こうして、翔太君はトイレでも着替えでも他の男子生徒から隔離されることになりました。更に、毎日ガードルを履く関係からブリーフを履く機会が全く無くなってしまいました。それは同時に、着替え等で、他の生徒に下着姿を見らたら困るという気分を成長させ、学年末までには、他の男子に下着一切を見られたくないと思うようにまでなっていました。

 もっとも、保健室着替えという特別扱いについては、いつまでもこれで良い筈がない、とは翔太君自身も思っていますから、それから脱する為にも、ダイエットを早める必要を感じたのも事実です。いまや、学校にどんな下着を着て行っても困りませんから、コルセット機能のより強い下着を求めることになります。ガードルだけでなく、レギンスとの併用も増えて来ます。持っているガードルは外国人向けの骨盤の大きな体格に合わせている奴ですから、骨盤だけが守られた格好です。足も締め付けのきついレギンスとロングガードルで締め付けられます。ちなみにレギンスの着用は増えたのを見た母親は、靴下も女の子が履けるシンプルなデザインを選ぶようになりました。その中には長いソックスをあります。
 一方、上半身は、よりコルセット機能の強いカップ付きシェーパーを1月から登校にも毎日着ている他、肥満防止委員会のダイエット帯だけでなく、骨盤用・腰痛防止用のコルセットも母親に買って貰って、それを肋骨下部から腹部にかけて着用するようになります。この程度のものであれば母親に頼むのに葛藤はほとんど無いし、母親も即座に買います。また、夜間にベルトで締め付けている脇下も、より強力に締めるべく、買って貰ったコルセットのうちの幅が細いものも着用するようになりました。本当なら胴体全体を圧迫したいのですが、胸だけは痛めつけてはいけないと思っていますから、胸にかかる所だけ閉じない形で使用します。このように脇下の圧迫をしているのを母親が見かけた時はさすがに眉をひそめましたが、今は女の子になりたいのなら仕方ないと理解し、
『そこまでして、女の子になりたいのね』
と思うようになっています。
 さて、骨盤用・腰痛防止用のコルセットを買って貰った前後、翔太君は色々コルセットを調べましたが、コルセットの半分ぐらいは
『ダイエット=(女性的なラインの)ほっそりした体』
という目標で宣伝されています。ボディースーツに至っては
『ほっそりして(かつ女性的な)美しいライン』
を際立たせる為のものです。そういう宣伝ばかり見ていると、次第に、その(女性的な)美しさが自分のダイエットの最終目標であるかのような錯覚を起こすことも出て来ました。その度に、思い切り恥ずかしくなって
『これではいけない』
と思い直すのですが、それでも、『理想の体付き』の最終目標のイメージは、もはや昔夢見た筋肉もりもりではありません。弾力のある柔らかいイメージになりつつあります。しかも、冬休みの『男の娘気分』体験や着替えでの特別待遇など、女に見える体に『変身』出来る環境が整ったことも、彼の『理想像』の変化を助長しています。夏休みに女の子に間違われる体験をしたのも効いているかもしれません。そして、漫画なんかのヒーローものでナイスバディーの少女が格好良く出て来るものが増えた為、自分がそのようになってしまうかも知れないという危機感を消してしまったのです。危機感があれば、もっと『男の子の下着』を多用していた筈ですから。
 ともあれ、3学期には、翔太君はまさに24時間体制で下着での締め付けと食事ダイエットを強化する事になりました。締め付けによる力づくの骨格補正は、昔の中国の纏足と同じく結構効果があります。それが翔太君の肋骨を小さくしていましたが、3学期に入ってからは、他の骨格補正効果が働くようになりました。一つは強力な食事ダイエットで骨を弱くなったことで、もう一つは抗男性ホルモン効果で、これは骨の男性的な拡大を抑えます。しかも、3学期になって学校にもガードルとショーツの組み合わせて行くようになって、その圧力で睾丸が体内に押し篭められたタック状態が24時間続くようになり、睾丸に負担が急速に高くなりました。それは抗男性ホルモンの効果を加速します。その結果、肋骨が確かに細くなって、胸上部の肥満の感じが急速に薄れて行きました。それは、翔太君にとって
「抗男性ホルモンは確かに体を細くする」
という事実上の誤解をも植え付けてしまいました。

 かくて、体型はチェスト=脇の下、バスト、アンダーバスト、肋骨下端(女性のウエストに当たる位置)が、それぞれ
 9月上旬 75−75−66−62 (夏休み明け)
11月中旬 75−76−66−62 (抗男性ホルモン処方)
 1月上旬 77−78−67−63 (着替えの特別扱い)
 2月上旬 76−78−66−62
 3月中旬 75−77−65−61
という具合に変化しました。11月がほぼ横ばいなのは、体の成長とダイエットのバランス、1月に急に数字が大きくなっているのは正月太り、その後の変化は補正下着の常用の効果です。抗男性ホルモン服用は肋骨の拡大を抑える形で少し現れていて、トップの数字が横ばいなのは、それで細くなった分、胸の脂肪が集まったからです。こうして、3月末にはトップとアンダーの差が夏より4センチ開いて13センチ、つまり数字だけならBカップ(国際規格のAカップ)の体型になりました。
 この変化は補正下着がよりフィットするようになった事を意味しています。だから翔太君には女性下着以外を着る気分が完全に失せてしまいました。かつてガードルを買った頃はもちろん、ボディースーツを買った頃ですら、時々
『このままだと女装趣味になってしまう』
という焦りから、学校に行かない時でもブリーフだけで過ごす事がありましたが、その頻度はすっかり減って、学校を含めて3学期は1月に2回、2月3月にそれぞれ1回ずつです。その他は、基本的に女子でもここまではしないという下着女装です。それは補正下着へのフィット感をますます高め、そういうフィット感の高さをさらに求める形で、よりダイエットに励むようになりました。
 それは、それまでの、ダイエットの為の女装から、女装の為のダイエットという考え方への大変化を意味しています。この変化の意味に、翔太君だけが気がついていません。それは翔太君の感覚が、母親も養護の先生もカウンセラーの医師が間違って推察した方向に近づいてしまった事を意味します。だから、翔太君を性同一性障害と思い込んでしまった彼らの誤解はますます解き難くなりました。


その15 (中学1年2月:ブラジャー)

 3学期は新しく生まれた妹は、翔太君に別の変化ももたらしました。母親は翔太君の女の子教育のついでに、翔太君に赤ん坊とのスキンシップを積極的にさせました。女としてだけでなく母親としての気持や行動を知る事は、子供の産めないニューハーフにも有用だからです。
 乳児の世話をするのに重要なのは、乳児に世話人の匂いを覚えさせることです。だから、翔太君は妹を毎日一度は胸をはだけて抱きかかえる事になっています。赤ん坊は、乳首らしきものならなんでも吸ってみる動物で、だからこそおしゃぶりというのがあるぐらいですから、当然ながら翔太君の乳首を捜して思い切って吸い付きます。もちろんそんな事で乳が出る筈はありませんが、それでも元々、抗男性ホルモンと第二次性徴期のホルモンバランス崩れによって育ち始めていた女性化乳房を促進させ、同時に翔太君も
『自分の胸は特別かも』
という意識を芽生えさせました。
 その結果、翔太君は自分の胸を男共の目に曝してはいけないような気がし始めて来ました。こうして、今までは女物の下着を付けているのを見られるのが恥ずかしかったのが、女物の下着を付けずに胸がTシャツなどから透けてしまう事まで恥ずかしくなってしまいました。こうなったらカップ付きのシェーパーは手放せません。もはや女の子が胸を隠す気持と殆ど変わらないのです。女の子がブラジャーで胸を隠す気持が少し分かりました。中学生にとってブラジャーとは、垂れる胸を支える為や、形の悪い胸を良い形に見せる為のものではないのです。でも、さすがにブラジャーを付けたいとまでは思いません。というのも、そういう事は一瞬想像するだけですら恥ずかしい事でだからです。
 妹とのスキンシップの際、シェーパーを脱がなければならなりません。それは冬には向きません。だから今までいちいち開襟のブラウスに着替えてスキンシップをしていました。でもいちいちボタンまで閉じるのは面倒なので、肩に掛けるだけにして、胸を両手で隠しながら自室を出て、スキンシップの際も妹が取り付かない方の胸を余った手で隠します。
 そんな様子を何度も見れば、母親だって『ブラジャーがいるんだろうな』と察します。ついに2月上旬、
「恥ずかしい?」
と答えの明らかな質問で切り出しました。
 翔太君は少し戸惑いました。というのも、そのように言われた事がないからです。でも、その質問を、翔太君は、妹を抱いているという行為を恥ずかしいのか、という質問だと思いました。赤ん坊とのスキンシップは他のクラスメートのしないことであって、それは言われてみれば確かに恥ずかしい事かもしれないからです。もちろん、翔太君の内心は胸が恥ずかしいと思っていますが、そういう「女の子心理」は独り言ですら口に出すのも恥ずかしい事で、母親の質問が胸に関係しているかも知れないと考えるのはタブーなのです。だから、顔を少し染めて、首を縦に振りながら
「他の人と違うから」
と答えました。
 母親にしてみれば、翔太君が性同一性障害らしいと思っていますから、この発言で、胸を恥ずかしい思っているばかりか、本人が『自分が普通でない』と自覚していると勘違いしました。だから、
『確かに心も女の子なんだ』
と納得して、ようやく今まで先延ばしにしていたブラジャーを買う決心がつきました。いつかこの日がくると覚悟はしていたのです。
「前開きタイプのブラジャーがあるの、試してみる?」
 いきなりのブラジャーという言葉に、翔太君は聞き間違いかと思って、
「え、なに?」
と問い返すと
「だから、ブラジャー。必要なんでしょ?」
と返って来ます。この発言に、翔太君は大きく戸惑いました。妹とのスキンシップが恥ずかしいという脈絡で、ブラジャーが出るはずないからです。そもそも、この年頃の男の子には、ブラジャーという言葉を聞くだけで恥ずかしくなる子が多くいます。翔太君だってその一人です。それが自分に向けられたのだから、答えを思いつく前に、顔が恥ずかしさで真っ赤になってしまいました。
 こんな様子を見た母親は、ここは自分がしっかりして、息子の「女の子の心」を見守らなければならないとおもいます。だから、慰める為に
「恥ずかしがる事なんて無いから。そんな感じにはだけて、手で隠しながら家の中を歩き回るのってみっともないのよ」
と、女の子として扱う言い方をしました。しかし、こういう言い方は、翔太君にとっては、ブラジャーを強要しているのと同じです。自分がいつも胸を隠そうとしているのが悪かったのかも知れない、と思いました。しかし、同時に、他の人に見られないなら、ブラジャーでも構わないかな、という気にもなってきました。『ブラジャーを付けたいとまでは思わない』と決心は、裏を返せば、潜在的にブラジャーを付ける可能性を認めているのと同じです。それに、もう一つ、健全な男の子として、ブラジャーに対してエロチックな興味もあります。何よりも母親の承認どころか強要なのです。小声で
「うん」
と言いつつ首を弱々しく縦に振ってしまいました。あとには戻れません。

 翔太君の胸のサイズを測った母親は、トップ78cmのアンダー66cmで、既にBカップ並みの体型である事に驚き、翌日には早速前開きブラジャー(65B)を買って来ました。ブラジャーを前に翔太君がもう一度、恥ずかしくなりましたが、母親がきちんと手取りして付けて行くのて、逡巡する暇はありません。あれよあれよという間に着用をおわり、前ホックの開閉も習って、それを母親の前で復習し、さらに妹とのスキンシップの実践もします。母親にとっては当然の行為でしょう。
 ブラジャーは翔太君の承諾の元に買ったものなので、少なくとも妹とのスキンシップの際には着用しなければなりません。その際に胸をはだけて家の中を歩き回ることをたしなめられているからです。だから、この日を境に、毎日一度はブラジャーを付けるようになりました。もっとも、スキンシップが終わったら、自室に戻って、ブラジャーを外し、カップ付きシェーパーに着替えます。そんな翔太君に対し、母親は、ブラジャーのサイズが合っていない為だと思いました。
 翔太君は肋骨の形が女の子と違います。補正下着類で女の子っぽい形に変形はしていますが、それでも肋骨のせいでトップとアンダーの差に影響が出ています。だから、胸についた脂肪の膨らみだけを見れば、女子中学1年生の平均並の、AAカップとAカップの中間で、Bカップだとぶかぶかなのです。母親からみたら、ブラジャーと大差のないカップ付きシェーパーに着替えている事実は、そちらのほうがフィットしている証拠です。だから、数日後には探しまわった挙げ句に65Aを買って来ました。授乳前提の前開きタイプでAカップというのは普通にはありえないからです。
「やっと見つけたわよ。これなら合ってるんじゃないかしら。ずっと付けてても大丈夫と思うけど」
 この、母親の説明は、翔太君には、自分がすぐにブラジャーを外す事を咎めているように受け取られました。というのも、ブラジャーという下着は一日中付けるのが前提で、それを外してしまう事に違和感を感じていたからです。正確にはブラジャーをする事に対しての違和感ですが、いずれにしても、翔太君はブラジャーを付け続けなければならない、と感じました。だから、平日は夕方から夜まで、そして休日は一日中ブラジャーを着けます。洗濯しても夕方には乾いているので、取りあえず既にある2本(65Aと65B)でどうにかなります。その上にカシェーパーを着るのが翔太君の下着スタイルとなりました。たまに、ソフトタイプのボディースーツをその上に重ね着する事もあります。
 ブラジャーは付け始めた当初は恥ずかしく忸怩たる思いでしたが、2週間もすると、気に入るようになりました。というのも、シェーパーが変な具合に胸を押さえつけるのから少し守ってくれるからです。そもそも、胸を意識するようになった挙げ句に、カップ付きシェーパーばかりを使用するようになった翔太君です。カップの緩いシェーパーとちがって、本格的なカップのブラジャーの方がその目的に合致しています。慣れてくれば、夕方にいちいち着替えるのが面倒とばかりに、2本ローテンションで可能な範囲で学校にも時々つけて行くようになりました。

 さて、胸を曝す事が恥ずかしいという意識は、服の上からカップを付けている事を悟られる恥ずかしさを麻痺させます。つまり、今までならシャツを透してカップ付きの下着を見つけられるのが一番怖かったのに、それが2番目以下となって、注意がおろそかになったのです。しかもブラジャーという肩ひも等がバレやすい下着を着るようになって、カップ付きシェーパーへの注意はますます疎かになりました。幸い、学校での生活パターンでそこまで無防備になる事は3月までなく、体育も常にジャージで誤摩化せていたので、下着がバレる事はありませんでしたが、このままだったら近いうちに確実にバレるでしょう。特に夏服で通用する筈がありません。もっとも、翔太君はのんびり屋ですから、昨夏に困らなかったことから、自分が「女性下着」を意識して買ったブラジャーを着なければ良いだけだ、とそこまで深く考えていません。
 こうして、翔太君は3学期の終業式を迎えました。考えてみれば、この一年で、急速に下着女装にのめり込んだ事になります。一年前はショーツやガードルを履くなんて思いもよらなかったし、2学期だって学校へはブリーフに着替えて出掛けていたのに、3学期は
『僕は男だ』
と思い出す為にしかブリーフを着ることはなく、その他は常時女性下着なのです。下着シャツに至っては、1年前にはダイエットシャツしか着ていなかったのに、それがカップ無しのシェーパーとなり、今ではカップ付きシェーパーか、ブラジャーとシェーパーの組み合わせです。
 そんなライフスタイルに従って持ち物も変わりました。女性下着が増えた分、狭くなった箪笥の中のブリーフは使われないものとして次々に母親に処分され、今では2枚しか残っていません。下着シャツはとうの昔にシェーパーに入れ替わっています。そのシェーパーも、夜間に脇下を締め付けるので傷みが早く、何度か買い替えられ、光沢に入れ方とか、より女性下着である事が明らかなものも交ざっています。ジーンズは男物が1本しかありませんし、ズボンは制服以外は全て女物です。開襟シャツはさすがに男物がいくつかありますが、細身のブラウスも2枚あります。

 こんな翔太君に対し、クラスメートから疑惑の目がなかった訳ではありません。外観こそ冬服とジャージに妨げられて分かりませんでしたが、髪型があり、着替えがあり、服装があります。髪は、長さこそ耳を7割覆う程度ですが、襟首を含めてかなり奇麗に切り揃えられ、女の子と言っても通用します。クラスで騒がれなかったのは、変化がゆっくりだったからです。体育の着替えは、保健室でこっそり着替えています。毎日、何かのチェックで保健室に行っているのは、病気だけでなく、なにか秘密があるからかも知れません。更に、春の陽射しになってもベストを脱がず、体育はいつもジャージです。高校生よりも子供の中学生は寒さにもより強いから、多くの生徒が3月後半には体育の授業の途中でジャージを脱ぐのに、それが翔太君にはありません。
 女子の一部はさすがに
「変よねえ」
と囁きました。クラス替え前の嵐の前の静けさといえるでしょう。
 もっとも、ジャージに関しては、早々と解決しました。体育でカップ付きのシェーパーを付けるているのは、保健室で着替えるようになって、補正の強い下着でないと養護の先生の顔が立たないと思ったからです。カップ無しシェーパーであれば夏の体操服でも困らない事は数ヶ月前までの経験から知っています。だから、カップ無しシェーパーと体操服の両方を学校に持って行き、保健室でそれに着替えれば済む話なのです。ちなみに、体育のある日にブラジャーを付けては行きません。養護の先生が要求しているのは補正下着だと今も思っているからです。だからこそ、カップ付きシェーパーなのですから。


その16 (中学2年4月:スカート)

 さて、中学と言えば、コスプレのイベントに興味を持ち始める時期です。春休みはそれに相応しいイベントが各地であり、翔太君の住む街から電車で日帰り可能なところでも大きなイベントが、それより小さなイベントならそれこそ隣町レベルであります。春休みは宿題がありませんし、気候も暑すぎず寒すぎず、見物はもとより参加にも相応しい時です。
 翔太君自身にコスプレの趣味はありませんが、クラスメートに誘われたら数人連れ立って一緒に行くぐらいの興味はあります。実際にコスプレ会場につくと、良く似合う奴から全く似合わない女装コスプレまで色々います。それは下着女装という秘密を抱えている翔太君にとっては快適な場所でもあります。人気のキャラは男子中学1年生的にはラブコメよりバトルものの主人公で、ヒーローのコスプレにまず目が行きますが、そこは異性に強い興味を持ち始める時期ですから、魔法少女やメイドの格好にも関心はあります。
 クラスメートは普段から普通に接している連中で、単に見に行こうというノリでしたから、出掛ける際に自らコスプレするつもりもなく何の準備もしていません。しかし、会場ではスポンサーが飛び入り参加用に人気ヒーロー・ヒロインの安物コスプレ衣装を子供向けに貸し出ししています。小遣いのない小中学生向けということで、背の低い順に優先されてコスプレ衣装が30分ずつ無料レンタルされており、その為に全然似合わないコスプレが続出していました。
 そんな、他人のノリを見せつけられたら、自分たちも「母校代表」と自称して対抗してヒーロー・ヒロインの両方を仲間から出したくなるのは当然で、そんな目でメンバーを見れば、翔太君の髪型が目に付きます。今までは
『肥満児だから、こんなの何をやらせてもやらせても学校の恥』
と思っていたものの、よくよく体型を見るとそこまで酷くはありません。尻に重量感があるのとずんぐりした体型なので太った感じがしますが、標準の太さで、これなら体型で他の中坊にひけをとる事はありません。顔だって、お坊ちゃん風のおっとり屋という感じで、女装候補としてぴったりです。同級生の満場一致で、翔太君はヒロインのコスプレに当日参加させられることになりました。
 仕方ないという感じながらも承諾した翔太君は、いざ、バトルヒロインのワンピース型衣装を手にして困ったことに気付きました。というのも、今までの慣れで、同級生と遠出するこの日もカップ付きのシェーパーとロングガードルを履いて来ていたことを思い出したからです。その上にダイエット帯まで締めています。もしも朝の出がけに余裕があったら考えたかもしれませんが、ゲームに夢中で気がついたら時間だったので、慌てて飛び出した次第です。女性下着になじんでしまって、女装しているという緊張感がなくなっていたのです。体育の着替えが保健室にならなかったら、ここまでの失敗はなかったでしょうが、着替えの問題が3ヶ月もなかったことで、その手の心配を忘れてしまいました。

 翔太君は自意識は完全なノーマル男子ですから女子更衣室で着替える訳には行きません。試しに見た男子トイレの個室は汚く、とても着替えを置く場所がありません。諦めて更衣室に向かい、壁に向かうような後ろ向きになってシャツを脱ぎそのまま肩にかけて後ろから見られないようにして、急いでワンピースを着て、それからシャツを完全に外して一息つきました。そしてズボンを脱ぐついでに、ロング・ガードルも脱いでおきます。ワンピースの裾から出てしまいそうだからです。
 幸い、ガードルを履く時は必ずその下にショーツを履いているし、半年以上の毎日のタックでガードルがなくても股間はショーツに十分収まります。パンツを見せる真似をしないことは、翔太君の前の人々の様子で分かっていますから、そちらの問題はありません。こうして無事に着替えを終えると、恥ずかしさの峠はすっかり越えてしまいました。結局、初めてのスカート類だというのに、そちらの恥ずかしさを感じる余裕すらありません。まあ、コスプレ自体がそういうもので、女装の恥ずかしさより、皆の前で不細工な自分を曝す恥ずかしさを乗り越えるのが重要なイベントですから。
 こうして皆の前に登場した翔太君は、相棒との掛け合いを即興で行なったり、コスプレ最大の目的の写真撮影をしたりして楽しみました。それに、正直な所、ずっと下着女装を続けてきた翔太君は女装に若干の興味を持ち始めていて、その意味でもワンピースのコスプレは、体験としても楽しいのです。なんたって、コスプレは変装イベントであって女装ではないのですから。
 昨夏の海外旅行の時に不思議な女の子体験も今回のコスプレでプラスに働いています。遠い思い出は、純化するもので、コスプレ中の翔太君にとっての昨夏は、今や「女の子体験」という捉え方に変化しているのでした。だから、今後もコスプレで女の子役をやって良い気持に傾いてしまいました。
 しかし、翔太君もクラスメイトも気付かなかったことですが、コスプレ用のワンピースは女の子の体型のほうが見栄えが良いデザインなので、カップ付きのシェーパーとダイエット帯の組み合わせは、まさにその用を足し、Bカップ並みの胸を演出しました。しかも、一般のコスプレーヤが下に着ているTシャツなどが透けないような生地と色を使っているので、演出の元となるダイエット帯は外からは分かりません。つまり、着こなしだけ見れば女の子に見えてしまいます。しかも髪型も女の子っぽいカットです。なので、見物人の多くが翔太君のことを女の子だと勘違いし、ごく僅かだけが
『気合いの入った女装コスプレ』
だと認識しました。翔太君が男である事を知っているアシスタントの女の人もその一人です。その目で見ると、翔太君の体のラインは上に細い、まさに女装コスプレに向きの中性体型です。そこで、今後開かれるイベントでも招待されるようになる事になるのですが、それは別の話です。

 コスプレ大会の様子は、本人の許可があればネット等に曝されてコメントがつきます。翔太君も気持がハイですから、写真をネットに上げるのを承諾しました。実際に上がるのは印象的なコスプレや仲間内の写真だけというのが普通ですが、それでも十分な量の写真が他のクラスメートやその兄弟に拡散していきました。そして写真のアドレスがいくつかの伝言人を通じて翌日には養護の先生に知られ、その更に翌日には携帯メールを通じて母親に教えられて、彼女は息子のワンピース姿の写真を見ることになってしまいました。
 母親にわかるのは、前々日、コスプレか何か知らないイベントから帰って来た翔太君は楽しそうな様子だったことと、写真でワンピースを着て楽しそうにしている事です。その写真は、養護の先生をして、もしも翔太君が強く主張するなら女子制服の着用許可の考えなければならないと言わしめ、ついでに翔太君が自宅でスカートを着用しているか尋ねてさせたほどです。スカート着用に関しては、カウンセラーも24時間女装を1年続けないと次の段階が勧められないと前から言っています。
 着実に下着女装の段階が進み、学校ですら常時下着女装するようになったいま、次の段階がスカート類のアウターである事は明らかです。ただただ、それを望んでいる筈の息子から話は出てこなかったから、母親は今まで「待ち」で済ませてきました。でも、コスプレでの女装を楽しんでいる様子をみると、そんな事態ではないという気がします。きっと我慢しているに違いないのです。
 しかし、スカートを履きたいかどうかを息子にストレートに聞ける母親なら、始めから誤解なんて起こりません。母親にできることは、他の女性下着を買った時と同じように、翔太君の気持を誘導質問するとか、ショーツを買った時のように取りあえず買ってみて反応を見るという事ぐらいです。母親失格といえば簡単ですが、今の時代、もっとコミュニケーションの下手な母親も多いのでこの母親を責める事は出来ません。そんな具合ですから、母親は今回も、意を決して
「コスプレの写真、可愛かったわね」
と聞くのがやっとでした。
 翔太君もバレる覚悟が多少はあったし、既に下着女装をしている弱みもありますから、適当にあしらう事なく
「皆に無理やりやらされたんだ」
と口籠りながらも正直に答えます
「服は貸してくれたみたいね、楽しかった?」
これで素直にウンと答えられる男の子はいません。答える代わりに、イベントで大変だった部分を強調するのが普通です。
「いや、ほんとにいきなりで、着替えるのが大変だったけど」
母親も話を合わせて、写真の笑顔については追求しません
「確かに着替えは大変ね、女子更衣室は使えないし」
 この発言は、意図せずして問題認識を共有するという効果を生みました。それは潜在的に自覚していなかった本音すら出やすくするものです。翔太君は
「そうなんだよー、コスプレの時だけは、下着を考えないとー」
と答えます。コスプレに今後も行くと言う事を宣言した格好ですが、そういう重大な情報を発した自覚は翔太君にはありません。しかも、この発言は母親にとっては、より極端に
『今後もワンピースのようなスカート系を着る為にコスプレに出たい』
『でも、着替えのせいで下着女装が出来ない』
というメッセージになってしまいました。そこで、翔太君の気持を勝手に思慮した結果、
「コスプレだけなら家でもできるわよ」
という妥協案を出しました。コスプレが目的でなく女装するのが目的なら、この提案に載る筈です。
 一方、翔太君はこの提案を、コスプレと着替えの練習を家で行なうという風に解釈しました。それは服を用意する事を意味しています。
「あれ、そんな事のために、いいの? (コスプレ用の)服って高いんじゃない?」
この答えに息子の女装願望を確信した母親は
「普通のスカートかワンピースで良いんでしょ?」
とついにスカート類の自宅での着用について切り出しました。これで答えがイエスなら、息子の女装願望は確定で、既に性同一性障害の診断も出ている事から、早めに女装を始めさせなければなりません。
 翔太君の方は、コスプレの練習用という捉え方をしていますから、即座に
「あ、そっか。でも中古でいいから」
と答え、翔太君の自宅での完全女装が決まってしまいました。

 いくら中古で良いと言われたところで、母親としては自分の服を着せたりできません。というのも、息子は今後は男の娘としてスカートで外出とかもする筈で、年齢に合わない服を着せる訳にはいかないからです。だから、きちんとバーゲン品の子供用スカートと淡いピンクのフリルのついたブラウスを買いました。サイズは下着から想像できます。ワンピースでないのは、スカートだと500円程度のバーゲン品が沢山あるからです。
 母親の買って来たスカートを前にした翔太君は、自分の想像が甘かった事に気付きました。コスプレで恥ずかしくなかったから、スカートと聞いても軽く考えていたけど、それは間違いで、コスプレ会場でなく、家で落ち着いている時にスカートを履くとなると、もの凄く恥ずかしいのです。なぜなら、家でスカートを履く必然性がないからです。
 下着やブラウスは、ウエスト(翔太君にとっては肋骨下部)を細くするという目的がありますが、スカートを履くのは純粋に趣味の世界です。コスプレ会だから許されるのであって、日常で履くものではありません。昨日は、訳もわからず、家でコスプレの練習をするという流れでスカートを履く事になりましたが、いま考えると、ワンピースはともかく、スカートで着替えの練習の必要はないのです。せいぜい、スカートでガードルやショーツを見せないようにするアクション演技練習ぐらいですが、そんな動きを家の中で出来る筈もありません。なので、これを着るのは純粋に趣味であって、その意味で自分が女装趣味の変態のような気がするのです。
 でも、ここでわがままを言ってやめたら、心証を悪くして、今後のお小遣いとかに響きそうな気がします。中古やお下がりでなく、新品のスカートを母親がわざわざ買ってきたからです。なので、強制された訳でもないのに、強制された気分になって、恥ずかしさを我慢してスカートを履く事にしました。
 母親が見守る中、姿見の鏡を見ながら、ズボンを履いたまま、片足ずつスカートに足をいれ、腰の上まで引き上げてホックでとめます。この頃には既に肋骨下部(女子のウエストの高さ)の方が脂肪がない分、ややぶよぶよのウエスト(女子の下腹部の高さ)より細いくらいになっているし、そもそも肋骨下部のほうが下着やベルトですっかり慣れた位置なので、すんなりとその位置でスカートを止めました。そういう正しい位置で着用を成し遂げた息子を見て、母親は、女装が本当にしたかったのだと誤解を更に深めました。
 次の作業は下着を見せないようにズボンを脱ぐ事で、こちらも母親の指導がはいります。コスプレ技術というよりも、着替え自体が、翔太君が今後女の子として生きて行く為に必要な技術だからです。翔太君のほうは例によってこれをコスプレ対策と解釈しています。ちなみにロングガードルは履いたままです。履いているスカートがぎりぎりガードルを隠す長さだからで、それが見えないように振る舞うのは確かに良い練習です。
 下が終わると、今度はブラウスです。この日は自宅モード、つまり赤ん坊とのスキンシップの為にブラジャーを着け、その上のシェーパーを、簡単に脱げるようにとダイエット帯の上に垂らして着ています。
 ブラジャーの肩ひもや背中バンドは、厚手の生地のシェーパーであっても浮いて見えるものです。だから、カッターシャツを脱いだ時に、それを見咎めてしまいました。
「あ、ひもが見えてしまう」
思わず驚きの声を上げたのは、もしもカップ付きのシェーパーでなくブラジャーをしてコスプレ会場に行くと、着替えの際に後ろ向きになっても、シャツを脱いだ途端にブラジャー着用がバレることに気付いたからです。
 一方、母親は翔太君の驚きに、かえってびっくりしました。女物の夏服は下着が透けるのが当たり前だからです。
「そんなの気にしてたら、何も着れなくなるでしょ!」
とたしなめます。これを聞いて、翔太君はブラウスを急いで着ながら
「でも、着替えの時に見られると恥ずかしいし」
とブラジャーの透ける懸念を伝えました。
 着替えで異性に下着を見られるのが恥ずかしいのはブラジャーの紐だろうがスリップであろうが関係ありません。翔太君の心が女の子なら、肌着一般を男に見られるのも恥ずかしい筈です。ひもが見えてしまうというのは、その極端な例でしょう。そう解釈した母親は
「こめんなさい、そういう事ね。じゃあ、コスプレ会場でも男子の前で着替えるわけにはいかないわねえ」
と答えました。
 結局、着替えの練習という意味では、振り出しに戻ってしまいました。つまり家でスカートを履くメリットは全くない事になります。でも、母親に
「まあ、着替えの場所はあとから考えるとして、とりあえずその格好に慣れなさいね、歩く時に下着とか見えると良くないから」
と言われると、新品を買って貰った手前、コスプレの練習と割り切ってスカートで過ごさざるを得ない気がします。母親がやけに熱心な理由はよく分かりませんが、きっとコスプレ会場で、普段の下着女装がバレるのを気遣っているのだろうと想像できます。
 最後は靴下です。女の子用の長い靴下を、出来るだけガードルを見せないように履かなければなりません。靴下は随分前に買ってあったものの、冬で長ズボンのシーズンだったので、履いていなかったのです。ちなみに短い靴下は、学校指定が白か黒の無地、無修飾ソックスなので、男女の差はありません。だから今まで女子用の靴下と全く認識せずに、母親の買って来た靴下を履いていました。でも、このニーソックスは修飾もあって、明らかに女の子用です。もしもスカートでなかったら履くのに抵抗があったに違いありません。でも今は完全女装で、靴下ごときに抵抗はないし、むしろ、まさに「コスプレ」という気分にしてくれるので、翔太君は喜んで履いてしまいました。それを母親が更に誤解したのはいうまでもありません。

 服に慣れるという名目でスカートのまま一日を過ごした翔太君ですが、本当に女装が嫌なら、そんな配慮をせずにズボンに履き替える筈です。それが普通の男の子です。翔太君だって1年前までだったらそうしたでしょう。でも、翔太君には、すでに下着女装をしているという意識があり、それがバレても困らない為には、女の子風に格好をするほうが良いのではないのか、という気持を持ちはじめてします。だからこそ髪の毛も中性的な長髪なのです。スカートで一日過ごしたのは、もはや100%不本意というわけではありません。
 翌日の朝、翔太君がズボンで寝室を出ると、母親が
「今日はスカートじゃないの?」
と言ってきました。母親としては『気にせずに履けば良いのに』という意味で聞いていますが、翔太君は母親の言葉を『わざわざ買ったのだから履く練習をしなさいね』という強迫に感じます。なので、昨日と同じように着替えてみせて、そのままズボンに戻る理由を見つけきれずにスカートで過ごしてしまいました。上もブラウスに着替え、もう1本だけあった長い靴下を履くと、母親は、
『やっぱり下だけでなく上も可愛い服が良いのね』
と勝手に誤解し、靴下に至っては別の可愛いデザインを買い足してしまいました。
 外出時こそズボンに履き替えましたが、家に帰ったあとに
「あら、着替えないの?」
と言われてしまうと、またも強迫を感じて完全女装に戻ってしまいます。こうして、誤解は雪だるまが転がるように拡大していきました。
 結局、2日目以降はルーチンみたいになってしまって、
『もうコスプレの練習は十分だよ』
と言い出せないまま、翔太君は春休みの残りをスカート姿で過ごすようになってしまいました。ズボンなのは外出時だけです。そして、毎日完全女装の翔太君を見て、母親は、息子が女の子として生きて行く為の練習をすべきと考え、髪の毛のアレンジとか身だしなみとか、言葉遣いとか、足を揃えての座り方とか、要するに女の子教育も行ないます。
 のんびり屋の翔太君も、さすがにコスプレの練習にしては行き過ぎだとは感じていますが、疑問を言い出すきっかけが見つかりません。どのみち下着女装はしているのです。だから家の中での女装にそこまで抵抗はないのです。本当に恥ずかしいのは、他の人に女装を知られる事でしょう。そういう気持も翔太君を女装にたいして弱気にさせています。
 もっとも、スカート着用は、新学期に入って暫くお休みになりました。夕方の慌ただしさのうちに、寝間着代わりのジャージに戻る癖が戻った為です。嫌なことが終わる時というのは、得てしてこういうあっさりした理由です。もっとも、女装に慣れてしまった今では、恥ずかしい気持があるだけで、けっして嫌という訳ではありません。

 春休みが終わって、新学期が始まりました。それはクラス替えを意味しています。そして、どのクラスにも春休みのコスプレでワンピース姿になった事を知っている人が複数います。だから新しいクラスでコスプレの話が男子同士の会話でありました。そんな時の定番の質問は
「ねえ、下着は何を着ているの?」
ですが、翔太君以外の参加者が、俺は情報屋とばかり
「主催者の提供で、下着まではないよ」
と知ったかぶりに即座に答えるので翔太君にとばっちりはきません。そして、そういう会話があれば、たとい胸の膨らみのある輪郭に気付いても、何か詰め物でもしたのだろうと想像して終わりです。
 下着の件は追求されなくとも、コスプレで女装した事実には変わりないので、翔太君を見る目も、そういうフィルターがかかります。見れば、確かに髪型が女の子風で、コスプレ女装に向いています。しかし、同時に、平凡な男子でもあるので、どうしてもコスプレ女装をさせたいという食指はそこまで沸きません。中学男子は腐女子よりもはるかに常識的なのです。
 春休みの話題なんて始業式までで終わるものですから、結局、男子の話題が女子に伝わる事もなければ、この話題が掘り下げれることもありませんでした。ただ、クラスメートの一部の潜在意識に、翔太君のコスプレでの担当がインプットされただけのことです。
 こうして翔太君は第一の関門を何とか突破しましたが、コスプレとは無関係に翔太君に疑惑の目を向ける女子はじりじりと増えています。3学期から少しずつ増えている疑惑は、髪型、保健室、服などがきっかけで、クラス替えで翔太君の肥満事情を知らない女子が加わって、その数はクラスの女子の3分の1を越えるようになっています。肥満という説明を聞いても、今の翔太君の体型からピンと来る筈がありません。なんといっても、身体測定では

身長156.1cm, 体重48.5kg, 胸囲77cm (RI=129.3), 脇下74cm, アンダー65cm, 肋骨下端61cm
【男子平均 159.8cm, 49.5kg, 75.6cm, RI=121
 女子平均 155.1cm, 47.7kg, 77.0cm, RI=128】

と体重が一キロ半も減ったお陰で、もはや肥満とは言えない体型なのですから。それどころか標準体型の女子と殆ど同じ体型なのです。
 肥満の言い訳がなくなったのは翔太君も同じです。もはや強烈なダイエットは要らない筈だし、補正下着を着る必要も抗男性ホルモンを服用する理由もありません。でも、習慣化されたダイエットは簡単に終わらないものです。数字の上では肥満でないといっても、男子の平均よりはぽっちゃりしているし、肋骨とか細い分、実際には脂肪がかなり多いことになるので、翔太君は、まだダイエットを続けなければならないと思い込んでいます。いや、思い込もうとしていると言った方が良いかもしれません。ただただ、養護の先生からダイエット延長の許可は欲しいだけです。なので、測定した養護の先生から
「随分、体型が(女子に近づく意味で)よくなってきたわね」
と言われたとき、
「えっと、この服を続けて良いのでしょうか」
と恐る恐る尋ねたのは当然です。
 養護の先生にしてみれば、翔太君の下着女装を止める理由はありませんから
「もちろんよ。着替えはここで出来るし、夏休みにはここに個室トイレもできるから」
と下着だけでなく、体育の着替えで保健室を使えることを約束します。そこにダイエットの為と言う概念は完全に消えています。
 ともあれ、学校生活的には、クラスメートからの疑問符の増えた状態となりましたが、それでも、翔太君の下着女装や体型は、ぎりぎりバレず、ぞれを良い事に翔太君も同じ生活パターンを繰り返します。まあ、それが普通の中学生です。

 さて、翔太君はカウンセラーには毎月第2土曜日に通っています。最近は抗男性ホルモンの注射の際に5分ほど、進展と満足度を聞く程度です。
「薬の効果がよく見えないのですけど」
といった質問に
「そんなに劇的な変化はないよ、だって、これは変化させない為のホルモンだから」
と答えるような感じです。
 進展のチェックでは、抗男性ホルモンを処方している手前、女装での社会生活に何処まで対応できるようになったかを知る必要があります。前回までに、学校ですら毎日下着女装をするぐらいに対応が進んでいますから、処方に間違いない確信が強まりこそすれ揺らぐ事はありません。そうなると、翔太君の潜在願望を出来るだけ叶えたくなるのがカウンセラーというものです。
 初診から半年経ち、下着女装が日常となった今、次の段階は
「スカートは履いた事あるかい」
これでしょう。
 この質問に翔太君は首を傾げました。スカートとダイエットの関係が分からなかったからです。でも、前日スカートを履いた感触では、股間の蒸れが一気に少なくなった感じがして、その分、ガードルの上のダイエット帯をよりきつく締める事が出来ました。そういう意味では、これから夏にかけて、スカートはダイエットの目的に合っているかも知れません。でも、そんな事が理由とは思えません。理由はともあれ、春休みに履いたばかりですから答えはイエスです。ただ、ダイエットと関係ない話なので、言い出すのが恥ずかしく、声を出せずに顔だけが恥ずかしさで段々赤くなってきました。
 この種の恥ずかしさに関してカウンセラーはプロです。イエスだろうと推測しながら、
「恥ずかしい事じゃないんだよ」
と促します。ここまでくるとダイエットに関係あるかどうか、という事は頭から消えて、スカートを履いた事をカウンセラーにカミングアウトする恥ずかしさだけが頭を占めます。
「うん、春休みに」
「それは良かったね、それで何日ぐらい」
と返されて、翔太君は訳が分かりません。でも質問の答えは簡単ですから
「毎日」
と小声で答えました。
「よく頑張った。でも恥ずかしい事じゃないから。自然に履けるようになると良いね」
スタンダードなコメントは、ダイエットとの関係と言う意味では頭を捻るものですが、春休みの女装を思い出して恥ずかしくなってしまった翔太君には、まさに癒しの言葉です。
『自然に女装ができるようになる』
それはある意味、下着女装がバレても困らない対処法です。そのことに帰り道に気付いた翔太君は、カウンセラーって良く考えているなあ、と感心したのでした。


その17 (中学2年黄金週間:コスプレとブラジャー)

 そうこうするうちにゴールデンウィークになりました。その期間中に開かれるコスプレ会にクラスメートで見に行く事になり、当然ながら前回のコスプレ者である翔太君も誘われることになりました。今回も前回みたいにヒロインの格好をさせられるだろうと簡単に予想できます。そこで、予めカップ無しのシェーパーを着て行く事を考えていたら、クラスメートから
「お前、どうせヒロイン役やるだろ、それなら、もっとリアルに胸のも詰め物が出来ないかい?」
という声がかかりました。それを受けて隣の奴らは口々に
「ブラジャーして下に詰め物すればいいんだって」
「んなのできるものか、お前するか、ブラジャー」
「そこまでしたら偉いぜ、そうだなラーメン奢ってやるよ」
「あ、俺も。じゃあ、ラーメンなんかじゃなくて、皆で兼ね出し合ってゲーム買うか?」
と、話を暴走させます。
 この手の話に対し、普通の連中なら
「どうやってブラジャー手に入れるんだよ、女のコーナーに行って直接買って来る勇気がお前にあるか?」
みたいな反攻で逃げるでしょう。しかし、自分用のブラジャーを持っている翔太君に、そんな頓知は咄嗟に出てきません。
「え、また僕がするの?」
ととぼけるのが精一杯です。そして、そんなとぼけは事態を悪くするものです。
「当たり前だろうが」
「んなこと言ってたらスカートめくるぞ」
「そうだ、可愛いパンツもはいてこいよ。くまさんとかいちごとか」
ショーツは常時はいているものの、そういう柄ではありませんから
「何いってんた。そこまで言って来るならコスプレせんからな」
と思わず反論すると、
「じゃあ、ブラジャーな」
と見事に押し付けられます。

 普通ならこんなのは無視して終わりです。クラスメートだって無茶だと分かっていて、10%程度の確率に賭けているだけです。でも、この流れはブラジャーを使い始めている翔太君にとっては渡りに舟です。というのも、前回、着替えで女性下着着用がバレないようにするので苦労したからで、これならあからさまな女性下着をうっかり着たまま会場に行っても言い訳が立ちます。
 今の翔太君はカップ付きのシェーパーか、あるいはブラジャーとカップ無しシェーパーの組み合わせという格好が普通です。前者だと、安物のブラジャーより入手が大変なので(その事は2月に知ったばかりだけど)言い訳に困るかも知れません。カップ無しシェーパーは2学期の体育の着替えで見られた事があるので問題ありません。となれば、ブラジャーの入手に成功したという説明で後者の組み合わせで行けば、着替えを見られても恥ずかしくありません。あと、時折、着用しているボディースーツのついては、前夜から注意して着ないようにすれば問題ありません。
 この方針は、夜になって風呂に入った時に強まりました。着替えで裸になりたくない、と感じたからです。理由のひとつは、前ホックのブラジャーを妹へのスキンシップの為に買って貰って以来、自分の胸を人に見られることが心理的に難しくなっているからです。その心理は体型変化
12月後半 75−76−66−62 (教室での最後の着替え)
 2月前半 76−78−66−62 (ブラジャー初着用)
 4月末  74−77−64−60
(チェスト=脇の下、バスト、アンダーバスト、肋骨下端の順)
の結果さらに強まっています。胸のメリハリが大きくなって、カップ付きシェーパーの常用で、胸のカップの位置に脂肪が集まり始めています。そして抗男性ホルモンの副作用(それは股間のタックで加速している)で、思春期男子に時々起こる女性化乳房が始まって、客観的にはともかく、少なくとも翔太君はからみたら
『女の子っぽいかもしれないなあ』
とエロ思考で見てしまうほどに、胸の脂肪の形が整いはじめています。いや、脂肪だけではありません。実査に女性化乳房では乳腺も少し発達し、それが普通の思春期型女性化乳房よりも進んでいますが、そこまでは翔太君も知りません。
 こんな胸ですから、今までの肥満胸の恥ずかしさや、人とちょっと違うという恥ずかしさと違い、まさに女の子と同じ感覚で、胸を男の子に見られる事が少しずつ恥ずかしくなっています。保健室で着替えるようになって、肌着越しで胸のラインを見られる事が無くなったというのも、羞恥心を高めています。
 皆の前で裸になれないもうひとつの理由は、ブラジャーのひもやバンドの跡が見られてしまう可能性があることです。風呂に入ろうとブラジャーを脱いだ時に、そのあとがふんわりと圧迫されている事に気付いたのです。日焼けが非常に少なくても圧迫で目立ちそうな気がします。実際には子供のレベル、しかも翔太君程度の着用では、5分もすれば跡が消えて見つかりっこないですが、翔太君は気にしました。
 皆の前で裸になれない以上、着替えでブラジャーを付ける訳には行きません。もしもクラスメートはブラジャーを入手してしまったら、その着用を迫られるに決まっていますから、これを避けるには、家からブラジャーを付けていくしかないのです。
 こうして、コスプレへはブラジャーとカップ無しシェーパーの組み合わせで行く事に決めた翔太君でしたが、別の懸念事項が生まれました。それは、ノリでブラジャーを見せろと言われかねない事です。今使っている前ホック式は洗濯で随分くたびれ始めていて、それを見られたら常用している事がばれかねません。新品の必要を感じました。

 理由さえあれば、母親は買ってくれるでしょう。なんせ、既に3ヶ月前に前ホックのブラジャーを買ってくれているのです。問題は、コスプレの為という口実が、ブラジャーを買って貰う理由としておかしい事です。でも他によい理由が見当たりません。結局、本音でお願いする事にしました。翔太君にとっては大決心のカミングアウトです。恥ずかしさに何度も言いそびれたすえ、ついに、手で胸を隠すジェスチャーをしながら
「こんどまたコスプレでプラ・・・しろと言われちゃって、でも着古したのだと(普段しているのがバレて)恥ずかしいし・・・」
と、とぎれとぎれながらも言い切りました。顔はもちろん真っ赤です。
 これを聞いた母親は、ジェスチャーからブラジャーのことだと察しながらも、後半の部分は、着古したのを見せるのが格好悪いという女の子の見栄の気持ちと同じものとしてとりました。そういえば、あの時買った2本とその後買い足した65Aの計3本しかありませんから、そろそろ買い足しでもよい頃です。なかなか買い足さなかったのは、授乳前提のフロントホックでしかもAカップというのが、そもそも種類が少なくて良いデザインがなかったからです。だから、要求された時、もうすこし構ってやれば良かったかもと少し後悔しました。と同時に
『(コスプレという名目とは言え)とうとう、ブラジャーの見栄まで考えるようになったのね』
というふうに、女の子の心の発露として誤解を深めました。
 こうなると新品をすぐにでも買わなければならないので、確認を兼ねて
「新しいブラジャーが欲しいのね」
とあからさまに聞き返します。
「うん」
翔太君としては恥ずかしくて言いきれなかった事を母親が察して素直に受けいれてくれたからほっとしました。

 翌日、母親は今までよりも可愛いデザインのブラジャーを買って着ました。コスプレで他の連中にも見られかねないという事ですから、赤ん坊とのスキンシップ用の前開きは話になりません。そして、後ろホックとなると種類が急に増えます。というのもまさに女子中高生向けのサイズだからです。こうなると、スリップを買ってくるのも人情です。スカートにしろワンピースにしろ、スカート部が肌にまとわりつかないようにスリップ着るのが母親の標準だからです。キャミソールはパンツ系の為の下着であって、スカート系ならお腹を出さないデザインである限りスリップが下着としては正しいのです。
 母親にスリップを勧められた翔太君は、ブラジャーを注文した手前、これを断る事が出来ません。スリップなのでシェーパーもダイエット帯もしていません。そして、この組み合わせの上にスカートとブラウス/セーターを着て、コスプレ大会まで毎日を過ごす事になりました。平日ですら、学校から帰ったあとに
「着替えないの?」
と声を掛けられると、強迫された気がして、寝るまで完全女装になってしまいます。母親の親切は翔太君にとっては強制なのです。更に休日には可愛い刺繍ソックスも履くようになりました。コスプレの練習という名目でスカートを履いている以上、以前母親が買った刺繍ソックスを履かざるをえないのは当然でしょう。
 もっとも、完全女装は春休みもやっているので、その時に比べると抵抗は大きくないし、今回はコスプレ大会の前、という口実があるから、強制されているという意識もかなり薄れていて、コスプレ大会のあった国民の日までには、母親に何も言われなくても完全女装するようになってしまいました。ズボン、と言っても実は女物ですが、それを履くのは外出時だけです。
 一方、春休みと決定的に違う事もあります。それは、ダイエットと無関係な女性下着になっている事です。ショーツにブラジャー、スリップ、刺繍ソックスは完全な「普通の女子中学2年生の下着」セットでしょう。一応、ガードルもはいてはいますが、他の補正下着はつけていません。つまり、本来の女装の口実である『ダイエットの為』とは全く言えないものに様変わりしているのです。もちろん、夜寝る時に、カップ付きの強めのシェーパーを着てダイエット帯をして骨格の細さを維持していますが、それとこれとは関係ありません。これがブラジャーを母親にお願いしたツケです。そもそも『クラスメートに言われた』『胸をみられたくない』という動機がダイエットから逸脱しているので、仕方ないのです。
 スカート着用という女装を意識せざるをえない状況が続いた上に、下着までもダイエットとほぼ無関係になってしまった故に、ショーツはもとより、ガードルすらも実は女性用だと強く認識し直してしまいました。それどころか、ガードルに付随するシェーパーまでも、もともとのダイエット用というより、下着女装だという認識に変化していきました。これらの補正下着は、春休みまでの翔太君なら、『女物』というカテゴリーではなく、ダイエット用とか普通でないとか、すくなくともオブラートに包んだカテゴリーでした。しかし、春休みのスカート着用と今回の完全に普通の女装を経て、ゴールデンウィークを明ける頃には、これら補正下着までも、自然と『女性下着』と思うようになってしまいました。
 だから、いまや翔太君は下着を着替える度に
『僕は女物の下着を着けているんだ』
という倒錯した感覚に陥るようになっています。もっともこの種の背徳感を感じても、だからと言って慣性で着ていた補正下着をいきなり止めるまでには踏み切れません。着替える前もあとも同じタイプの下着だからです。そして、こういう恥ずかしさは一時的なもので、慣れれば、当たり前に着る下着となってしまうものです。

 肝心のコスプレ大会は、ブラジャーとスリップ、刺繍ソックスの3点セット(正確にはショーツまで含めた4点セット)で行ったものの、仲間内ではブラジャー着用と刺繍ソックスに拍手されただけで、それ以上の詮索はありません。というのも、今回はシェーパーやダイエット帯で肋骨などを絞っていないので、スリム度が前回よりも足りずに、前回ほどの印象が出なかったからです。だからクラスメート的にはブラジャーじゃなくで詰め物が重要なのだろう、という理解で終わってしまいました。
 それでもブラジャーの紐が透けて見えたのとニーソックスが好評で、総合評価は前回以上、主催者には再度
『今後も呼びたいコスプレーヤー』
という印象を与えています。ちなみにブラジャーの入手先についての形式的な質問は、
「親戚のコスプレ好きか貸してくれた」
というありきたりの答えにそれ以上つっこまれる事はなく、翔太君をほっとさせました。
 尤も、思わず汗をかく場面も着替えや撮影以外にありました。それは帰り道に
「おまえ、まだブラジャーはめてんのか」
と尋ねらた時です。一応、尋ねられる覚悟があったものの、それでも
「いや、お母さんに外してもらわないと僕じゃ無理だから」
という答えは途切れ途切れになってしまいました。それに対してクラスメートがどんな反応をするか不安だからです。でも、
「へえ、母親までサポートしてくれてんだ」
という予想外の反応でした。なんとコメントしてよいか分からずにいると、別のクラスメートが
「考えてもみろよ、母親がサポートしなかったらどうやってブラジャー手に入れるんだ?」
とフォローを入れ、結局
「偉い!」
という褒め言葉で、その場は無事に切り抜けました。
 当然ながら、写真もクラスに出回って、翔太君がブラジャーまでしてコスプレに臨んだ話も多くのクラスメートは知る事となりました。それは、もしかすると普通の日もブラジャーをしているのではないか、という疑問を起こすのに十分なものですが、体育服をみる限り、ブラジャーらしきものが透けていないので、疑問は直ぐに消滅してしまいました。ただ、それでもクラスメートには
『翔太=女装要員』
という図式が完全に出来上がってしまいました。


その18 (中学2年5月:学校での疑惑の目)

 黄金週間から2週間もすると、夏服への更衣がはじまり、月末までには全員が夏服となります。それは、翔太君の下着がカッターシャツ越しに透けて見える事を意味します。だから、更衣があまり目立たない更衣週間第1週の金曜日に夏服で行く事にしました。
 ブラジャーのラインが透けて見える事は、女子の夏服で知っています。そして、前回のコスプレの前の『自宅練習』では、シェーパーを着ても紐が浮き出る事を実感しています。シェーパーとカッターの両方の組み合わせではブラジャーのラインが見えないかも知れませんが、危険な事は確かです。その一方で、カップ付きのシェーパーがどの程度夏服に透けてみえるのも分かりません。今まではベストを上に着ていたので、透ける筈もなく、考えた事もありませんでした。そこで姿見で確認しました。確認の為にダイエット帯は外しています。
 姿見で確認する限りは、気にすれば気になるレベルですが、ぱっと目では分からない感じです。そんな様子を母親が見咎めて
「なに、気にしているの?」
と尋ねてきました。
「下着」
下着が夏服で透けるのは当然ですから
「透けること? そんの気にしてたらキリがないわよ」
と母親はアドバイスします。まあ、それもそうだ、と思いかけて、本当の心配を思い出し、
「女物の下着だとバレるのは嫌だから」
と正直に答えます。もはや補正下着という認識よりも女性下着という認識が上回っています。だからついつい自分の口から「女物」と言ってしまいましたが、実は自分の着ている下着を『女性用』とはっきり口にしたのはこの時が初めてです。言ったあとに気がついて、急に恥ずかしくなりました。
 一方、下着がバレてしまう恥ずかしさは母親にも想像できるので、
「ちょっとこっちを向いて・・・」
と、翔太君の下着がどこまで透けているかチェックします。目敏い人ならカップ付きであることも分かるでしょうが、中学生に分かるレベルではありません。ボタンが外れるようなアクシデントがあれば話は別ですが、女の子の身だしなみとしてそんな事はあってはなりません。だから翔太君を安心させる為に笑顔で
「・・・全然大丈夫よ」
と答えました。
 これを聞いて、もともとのんびり屋の翔太君は、そのままの格好で登校する事にしました。あまりにもあっさりしているので、母親がかえって心配して
「ボタンが外れないように気をつけてね」
とだけ声をかけます。女の子なら、もっとボタンとかに注意して欲しいからです。

 学校では下着よりも体型が注目されました。トップ(バスト)の数字こそ1年前とほぼ同じですが、トップのアンダーの差が1年前の5センチ以上拡大して、数字だけならカップ2つ分、目立つ様になっているからです。しかも肩口(男子の胸囲に当たる)とトップ(バスト)が昨年と3センチも逆転して、トップの方が大きくなっていますから、肥満胸という感じでもなくなっています。普段はこれにダイエット帯をして、肋骨下部を更に絞っていますから、斜め横から見る人が見ると、アンダーに比べて胸がはっきり出ているのが分かります。
 こういう細かい所に気がつくのは女子です。男子は気付きません。だから、一部の女子の間で
「ねえ、あの胸、なんだと思う?」
「まさかホルモンやってるとか」
「キモい」
「そう言えば体育の着替えも保健室だってね」
「髪だって刈り上げてないものね」
「って事は、やっぱり、そっち系?」
「そういや、コスプレだって女装だったって話じゃん」
「うあー、きもちわるい」
といった会話が行なわれるようになるのは自然な流れです。一体、女装男子なんて、女子からみたら
『下着泥棒』

『女子更衣室や女子風呂に浸入する為に変装する性犯罪者』
と区別がつかないのです。
 一旦、女装疑惑が生まれれば、そういう目で服装も再チェックされます。母親が大丈夫と言ったのは、一見の印象であって、複数の女子が厳しい目でみる場合は想定していません。そういう目で見ると、タンクトップにしては背中が開きすぎだし、胸の所もカップ感があります。補正下着のカップは締め付けの悪影響が出ないように硬めなのです。
「ねえねえ、あの下着のライン、絶対女物よ」
「うん、タンクトップじゃないわよね」
「キモい!!」
こうして、女子の間では翔太君が下着女装をしているだろうと推測されるようになり、次第に多くの女子が翔太君を避けるようになりました。
 この種の噂は、もしも翔太君が私立でなく公立中学に進んでいたら、そこまで酷くならなかったでしょう。というのも、小学校の頃の肥満と、それに続く努力を知っている連中がクラスメートの大半だったら、体型を見ても努力の成果と判断して、ホルモン疑惑とか起こらない筈からです。服だってダイエットシャツの着用を知っていますから、下着のラインで騒がれる可能性が小さくなります。
 もっとも全員が敵なわけではなく、
「でもブラジャーはしてないのね」
「きっとそのうちするわよ」
「いやだあー」
「でも、ブラジャーしてないんなら、女装じゃないのかもしれないわよ」
と、ごく一部に弁護があったのも事実です。
 女子の好奇心はとどまる所を知りませんから、翔太君が夏服になって3日目に女子代表から突撃質問が来ました。
「もしかして、おたくの着ている下着って・・・?」
それに対し、翔太君は小学校の頃からのと同じ答え
「ダイエットシャツ」
を繰り返します。女子にとっては取りつく島がなく、そのまま引き下がらざるを得ません。
 こういう会話で、疑惑が晴れる筈もなく、結局、女子の大多数は翔太君を敬遠するという形で噂が収束しました。
 一方で、キモいかどうかという上辺だけでクラスメートを避ける事を良くないと思う真面目な優等生も女子にはいます。だから、女子一般に避けられるようになったからといって、女子との会話自体は大きく減っていません。会話が減らない限り、会話の内容に遠慮や気遣いなどか増えたとかいった些細な事に気付くような翔太君ではありません。

 この手の話というのは女子限定で、男子がその手の噂をキャッチするまでタイムラグがあるのが普通です。特に女性下着という話題は、男女間の会話が成立し難い内容なので、噂がピークの時は女子だけの秘密のように伝わって、噂としての価値がなくなる頃まで伝わりにくいのです。
 よしんば女子から男子に話が降られたとしても、男子の興味はスポーツやゲームや冒険であって、下着ではありませんから、
「ねえ、彼の下着っておかしいとおもわない?」
「あれ、あいつは確かダイエット用の特別なシャツを使っているって聞いたぜ」
「でも着替えも保健室だし」
「そりゃ先生から話があっただろ、だいたい、病気持ちの人間を変な目でみるのは失礼だぜ」
みたいな感じで男子仲間を女子から弁護するの普通です。なかには相槌をうつ男子もいますが、内心はどうでもよい事だと思うものです。
 こんな具合で女子の噂は簡単には男子に浸透しませんが、それは短い間で、2週間もすれば男子にも噂は広がるものです。そうして、最後は確認の為に、最善でも肩を叩いたりじゃれあったりするフリをして「偶然」という形で胸を触り、最悪の場合はボタンを数個はずしたり、シャツの下に手を入れて触ったりという、異性相手だったら破廉恥と言われることをするでしょう。でも今回に関しては別の形で噂がブレイクしました。

 夏服でもカップ付きシェーパーが取りあえずバレなかった為、正確にはバレなかったと思い込んだ為、夏の体操服もそれでいけるのではと翔太君は期待しました。そもそも、体操服のカバンは何の弾みで開けられるとも限りません。そこにシェーパーを入れたら、それが見られてしまう恐れがあります。翔太君はカップ無しをユニセックスと言っているものの、胸に遊びの部分があるので、他人に見つかったら女物と思われる気がします。実際、母親が買ったのは女物のシェーパーですから、この不安は当然です。だから、ジャージから夏用のTシャツになって、カップ無しのシェーパーに着替えるようになって以来、ここ1ヶ月半ほど不安を感じています。一方、ブラジャーの味を覚えた翔太君に、登校でカップ無しシェーパーだけに戻る解は存在しません。女装者の心理と同じになって閉まっているのです。だから、問題さえなければカップ付きシェーパーのまま体育に出たいと思っています。

 必要を感じないと人間忘れやすくなるものです。更衣した週の最後の体育のある日に、早くも着替えのカップ無しシェーパーを持って来るのを忘れてしまいました。保健室にいってカバンを取り出して体操服しかないのを見て、これは良い機会とばかりに、カップ付きシェーパーを下に着たたま、体育に出ました。幸い、その日は気付かれません。こうなると、替えシェーパーを持って行く必要がまったくありません。こうして、翌週の体育では、始めからカップ付きシェーパーを下に着るようになりました。
 体育には体力消費の激しいメニューとそうでないメニューがあります。気候は5月から6月の、陽射し次第で暑さが変わる気候です。だから、日によっては思い切り汗をかくメニューもあります。カップ付きシェーパーを着るようになって3度目の体育がそうでした。カップの部分は通気性が悪いですから余計蒸れます。同時にカップの部分だけ水通しが他の部分と違いますから、汗を思い切りかけば、カップ部だけシャツの濡れ具合が違って、くっきり浮かぶ事になります。当然、クラスメートに気付かれました。授業中こそ、翔太君の『性同一性障害』を聞き及んで知る先生の強いコントロールで、その種の会話が抑えられていましたが、授業が終わるや、翔太君は質問攻めに会いました。
「おまえ、胸になに詰めてんだ」
「もしかしてブラジャー? ああ、ちがうなあ。一体何だ?」
男子の質問はストレートです。回りには答えを知りたいクラスメートが集まっています。
「えっとー、これはダイエット用のシャツの一種で・・・」
というしどろもどろの答えに
「ダイエットでも何でもいいけど、それってもしかして女物か?」
「シャツ脱いで見せろよ」
と次々に質問が来ます。直接胸を触らないのは、女物の下着だった場合が怖いからです。中学2年生にとっての女性下着というのは衆目の前で触る事すら憚れる存在で、私立の上品な生徒には手が出せなかったのです。
「いや、それは、えっと」
と口を濁すうちに、
「隠すこと、ないじゃないか」
「そうだぜ」
という声に合わせて、とうとうシャツのたもとに次々に手が伸びて、体操服を下から持ち上げようとしました。
 この危機を救ったのが、体育の先生の
「ばか、はやく着替えろ、授業に遅れるぞ」
という一喝で、カップ部が露見するのは防がれました。見られてしまった腹部の生地は以前のダイエットシャツを補強した程度で、ギリギリ直接証拠を握られずに済みました。でも、これで終わる筈がありません。


その19 (中学2年6月:露見)

 保健室へ全力で逃げ帰った翔太君は、着替えを前にため息をつきました。このあと教室で質問攻めばかりか、下着を見られてしまうに違いないからです。たとい、次の授業に遅刻ぎりぎりで行って、休み時間での質問から逃げても、そのあとの目処がたちません。もちろん、下着を付けずに、肌から直接カッターシャツを着れば女性下着着用は見られずに済みますが、代わりに胸を見られるだろうし、脱いだシェーパーも捜されるに違いないので、結局は下着と胸の両方を見られてしまいます。もちろんシェーパーを保健室に置いてもらう方法もありますが、体育の様子から、いずれは下着女装がバレてしまうでしょう。それなら、胸を見られるよりも下着女装がバレた方がマシです。
 そんな風に頭を整理するのに時間がかかって、いつまでも着替えが完了しません。そんな様子は養護の先生を訝しがらせました。なんせ保健室にあわてて駆け込んだのです。
「どうしたの? 体育でなにかあったの?」
「・・・見られた」
「・・・下着?」
「うん」
性同一性障害の理解者を自認している養護の先生としては、こういう時こそ正しいアドバイスをしなければなりません。
「大変だったわねえ」
と間を稼ぐ発言をしながら、次の授業を休ませるのが良いか、それとも普通に出席させるべきが迷っています。下手をすると保健室登校になりかねないからです。体育の先生にも事情を聞いて、至急職員会議で議論して貰わなければなりません。
 一方の翔太君は、ようやくカッターシャツを着ながら、下着バレの結果、クラスメートがどう思うか気になりました。
「僕って、やっぱり変ですか?」
この質問は答えが簡単です。
「そんなことないわよ。確かに大多数の人と違っているかも知れないけど、あなたみたいな人は多いの。だから学校でも全面的にバックアップするつもり」
「でも男の癖にこんな下着を着ているし」
「恥ずかしいことは何もないの。(心が女の子なのだから)堂々と着れば良いのよ。なんなら女子の制服で来ても良いって私は思っているから」
 翔太君にとって、ここで女子の制服が出て来るのは唐突で、もしかしたら春休みやゴールデンウィークでの自宅でのスカート姿が、(『母親からの圧力で着ざるを得なかった』ではなく『好きで着ていた』という風に)誤解されて伝わったのではないかという危惧を抱いたもの、話の流れから、女性下着が恥ずかしくない例えだと理解して聞き流します。本当はこの種の誤解はきちんと解かなければならないのですが、今は下着バレが問題でそれどころではありません。
「でも、クラスの皆が・・・」
「私からは、他の人が何と思おうと気にしないようになさいとしか言えないわ。今直ぐは無理だけど、すぐに慣れるわよ」
こういうアドバイスには
「う?ん、分かった」
と答えるしかありませんが、そういう会話をするお陰で少しずつ気が紛れてきました。
 そんな変化を見て、養護の先生は
「次の授業、大丈夫?」
と出られるかどうか尋ねます。真面目な翔太君にとって、それは
『授業に遅刻してしまわないの?』
という質問に聞こえますから、
「いや、皆に質問されないように、ギリギリに行こうと思っているんだ」
と正直に答えました。ここに至って、翔太君がぐずぐずしていた理由に思い至った養護の先生は
「それがいいわね。じゃあ、(授業の)先生に何か言われたら、養護の先生に引き止められてました、って言えばいいわ。そうだ、ついでに『まだ用事が終わってないの』とか言って、次の休み時間もここで過ごしなさいよ」
とようやく適切なアドバイスを出します。そして、翔太君が教室に戻っていったあと、体育の先生や他の先生に内線をかけて、今週中、翔太君に気をかけるように要請しました。

 翔太君は授業が終わるなり保健室に行き、その間の先生方の下工作によって、放課後まで、クラスメートに追求される事なく過ごしました。そんな翔太君を尻目に、クラスメートは男子と女子が初めて大々的に情報を交換しています。もともと女子の間で噂になっていたことですから、あっという間に翔太君について結論が出てしまいました。まず問題になった上の下着ですが、肩が紐になっていないタイプの、カップ付きのシェーパーかキャミソールであろうと予想されました。同時に女子から胸の膨らみが肥満にしては不自然との指摘があり、もしかしたらホルモンを摂取しているのではないかとか、性同一性障害の問題ではないかとクラスメートにおおっぴらに疑問をもたれてしまいました。あとは確認です。性同一性障害なのかどうか、ホルモンを摂取しているのか、より卑近には下は何を履いているのか。
 性同一性障害なら、本人に聞くのは憚れますから、放課後、女子生徒が数人で先生の所に行ってと尋ねました。まだ確定ではないので、先生は
「いや、まだ、そう決まった訳じゃない。疑いの段階だ」
と出せる個人判断で出せるギリギリの答えをします。しかし、そんな風にお茶を濁した所で、生徒にとっては確定も同じ事で、彼女たちから
「翔太君は性同一性障害」
という噂が学年中に流れました。
 一方で、下がブリーフなのかショーツなのかもクラスの話題の的です。この状況でトランクスはありえないので初めから除外です。男子はストレートに質問しますから、翔太君がつかまれば、即座に特攻質問されるでしょうが、保健室に避難しているので、つかまらず、翔太君は危うく難を逃れました。だからと言って、皆の詮索がそこで止まる筈がありません。目敏い女子によって、ズボンに陰を作る下着ラインから推定が始まります。ラインはスパッツか猿股らしい位置で、それはガードルにも共通します。それを女子の一人が口に出したら、一気にそれは有力仮説になりました。なんせ上は女物で確定で、しかも補正下着っぽいのです。下がガードルなのが自然です。となると、なんとなく、その下にはショーツを履いている気がします。
 こうして、翔太君の女装下着は1日でさらけ出されてしまい、その週の終わりまでには、クラスメートの全員が翔太君の事を、性同一性障害で下着女装をし、トイレや着替えも特別な場所を使っていると認識してしまいました。

 一方、落ち込んだ翔太君が家に帰ると、養護の先生から連絡を受けていた母親がフォローしました。
「ただ・・・いま」
「今日は大変だったわな」
翔太君にしては、学校で起こった事を母親が知っていることが驚きで、固まります。
「養護の先生から電話はあったから」
なるほどと理解しつつも、
「・・・あ・・・うん・・・」
と弱々しい返事しか出来ません。
「あのね、いつかはバレるの。だから気にしないの」
それは頭では分かっています。いつかこう云う日が来るとは何となく思っていましたから。覚悟が足りなかったのです。そもそも、汗で透ける事がなくても、数日以内には噂になって、制服の上から触られたに違いなく、それに比べればマシなのですが、のんびり屋の翔太君にそこまでの緊張と覚悟を要求するのは無理でしょう。
「・・・うん・・・」
生返事のままです。母親もこれ以上は追い打ちを掛けません。
 翌日、翔太君は着るべき下着に悩みました。というのも学校で無理やり確認させられる可能性があるからです。昨秋まで皆の前で着替えていた時と同じようにブリーフとカップ無しシェーパーの組み合わせを考えましたが、同時に覚悟を決めてカップ付きを着て行ってダイエット用と言い張る事も考えます。夜、冷静になって考えたら、カップ付きシェーパーを着始めたそもそもの理由が体を細くする為だったからです。
 そうして悩んだ末に、ブリーフとカップ無しシェーパーで行きました。結果は空振りです。というのも、既に翔太君に対して性同一性障害疑惑が広がっていて、無遠慮な質問をすることが憚れる雰囲気だったからです。複数の先生から級長や各種委員を通じて
「刺激しないように」
という秘密指令が出ていた事も、翔太君を放っておく原因となりました。受験で集まった、ある意味「良い子」が多いので、先生の指令には比較的素直なのです。
 この時点ではまだクラスメート、特に女子の多くが生理的嫌悪による半信半疑でしたが、だからといって即座に質問する程ではないし、まして触ったり服を脱がせたりすることはありません。下着ラインを見て
「昨日の今日で恥ずかしいから無理やり男物にした」
と納得するだけの事です。しかし、腫れ物を触るような態度は、翔太君が言い訳をする機会をも失なわせてしまいました。

 この時点で翔太君に対するクラスメートの態度はまちまちです。
 生理的嫌悪(完全拒否):女子5割、男子2割
 生理的嫌悪(最低限のつきあいはしかたない):女子2割、男子3割
 本人を尊重(級友なら尽くすべし):女子2割、男子2割
 好奇心の野次馬(腐女子):女子1割
 好奇心の野次馬(裸が合法的に見られる):男子3割
女子の半数があからさまに避けるようになり、男子ですら、半数が生理的嫌悪を抱いています。表面上、どうでもよいという者もいますが、本心は付き合いを避けたいと思っています。
 もしも翔太君が私立でなく公立に行っていたら、保健室で着替えるという特別扱いがない筈で、カップ付きシェーパーを着る事がなかったでしょう。その前に『熱心な』養護の先生がいなかった筈ですから、下着女装すらしていなかった可能性があります。でも、翔太君は『ダイエット仲間も一緒に行くから心強い』という理由でここに入学しました。そんな『心強さ』なぞ何の役にも立ちません。
 そんな中、ごく僅かの「真面目」との評判のクラスメートだけが、翔太君を積極的に支えようと思いました。高校と違って、女子の場合、そういう真面目な子は美人が多くなります。というのも、八方美人が求められる存在だからです。結果的に翔太君の友達付き合いは、女子に関しては奇麗で優しいタイプに限られるようになっていきました。こうなると、そういう女子に翔太君が恋をするのは時間の問題です。女子の方は八方美人の延長で正義感から翔太君と仲良くしているので、一方的な片思いになるだけの事です。そして、この片思いと、彼女の親切が、翔太君をめぐる誤解を更にややこしくしますが、それは2学期の話です。

 発覚の翌日こそカップ無しのシェーパーとブリーフでしたが、学校で何もされず、しかも夜にいつもの体を補正下着に着替えると、少し気持も落ち着いて、下着女装を始めた元々の理由を思い出しました。ダイエットの為です。その意味では、カップ付きシェーパーが女物であることを指摘されたぐらいで、ガードルまで止めてしまったら、それこそ「下着女装としてのガードル」と認めたことになって建前上おかしいのです。
 もちろん、今の翔太君は、ガードルを以前よりも強く「女性下着」と認識するようになってしまっていますが、こういう混乱時の「冷静」思考というのは建前に流される事もあるのです。しかも、問題は夏の体操服とブラジャー風カップの組み合わせであって、下の問題ではありません。正確にはとうの昔に女子に発覚しているし、今回の発覚で男子にも知れてしまったのですが、そんな事情は今の翔太君には分かりません。
 こうして少し落ち着いた翔太君は、前夜の睡眠不足の反作用もあってぐっすりと寝込み、朝はギリギリに起きてしまいました。こうなると、わざわざブリーフに着替えるのは、手間がかかる上に無意味です。時間に追われるままに、上だけカップ無しのシェーパーに着替えて学校に行きました。結局2枚「も」あるブリーフのうちに1枚しか使わなかった事になります。それは母親に対して
「これだけの事があったにもかかわらず、女の子になりたい気持の方が勝っていた」
というメッセージになってしまったのですが、そんな所まで気付く翔太君ではありません。
 同じメッセージはクラスメートに対しても出されてしまいました。今までと違って、翔太君が下に何を履いているのかはクラスメートの注目の的だからです。ただ、誰も云わないだけです。いや、男子なら言う者が出るかも知れませんが、前日のラインがブリーフだったらしいというクラスメートの結論から、
「女装したいのに、それが出来なかった昨日は可哀相だった。だから今後はそっとしておくべきだ」
という私学(=お上品)特有の配慮が出てしまったのです。これが公立なら、この日はおろか前日のブリーフの日にも誰かが直接
「女子が噂してるけど違うよな」
とでも尋ねて、翔太君に
「やっぱり恥ずかしいことだから止めるべきだ」
という気分を起こさせて、男に引き戻すでしょうか、過保護な学校では配慮が強すぎて仇になってしまう事もあるのです。
 こうなると、日が経つにつれて、下着女装がバレてしまっているという諦めが支配するようになっていきます。それは、シャーパー類の下着が透けるという覚悟も出来てきます。それが恥ずかしいのは女の子も同じであって、今さら隠すまでもないし、それより乳首が透ける方が余程はずかしい、という気持が勝って来ました。週末にブラジャーを着用したためかも知れません。そしてブラジャーを着けたり外したりすることで、カップ無しのシェーパーだけだと胸を圧縮することに気付きました。翔太君のトップとアンダーの差は1年前の8センチから5センチも拡大して今や13センチあるのです。いくらバストサイズが同じシェーパーであってもアンダーが締まった分、胸に圧迫感を感じるのは当然です。そしてブラジャーなどのカップが胸を守ってくれる味を覚えてしまったのです。
 結局、翌週にはカップ付きのシェーパーに戻りました。ただ、ブラジャー再着用に踏み切れないだけです。あと、体育の時はカップ無しのシェーパーに着替えるようにしています。ちなみに母親はとうにスポーツブラを買って、本人も体育の時はスポーツブラにした方がよいだろうと気付いていますが、発覚の時のトラウマがあるので、そこには至っていません。


肥満防止法 その20(中学2年6月:プール)

 女装バレは6月第2土曜日のカウンセリングでも話題の中心となりました。体育での発覚から10日近いこの頃になると翔太君もかなり落ち着いて、半分以上の確率でクラスメートにバレてしまっていると感じていますから、事後説明を兼ねて
「夏服で下着が皆にバレるのが、ちょっと」
みたいな感じで素直に不安を語れます。もはや、翔太君にとってもカウンセラー訪問の目的が、ダイエットのアドバイスでなく、女装バレの恥ずかしさへのアドバイスと変質していました。それはカウンセラーの本来の仕事そのものです。だから最終的に
「でも、これで(性同一性障害であることを)隠す必要はなくなったんだよ。むしろ、胸を堂々と隠せるようになったと思えば気が楽にならないかい?」
と、水泳の授業まで見据えたアドバイスが出て来るのは当然です。
 そんなアドバイスに対して、本体の、
『肥満胸は恥ずかしいもの』
という気持ちを思い出して、アドバイスの意味を
『普通の肥満胸より恥ずかしい胸だから・恥じらうべきだから人の目に触れさせてはいけない』
と取り違えても不思議はありません。翔太君の性格と理解力ではそうなってしまうのです。だから、確認の為に
「やっぱり胸は恥ずかしいですよね」
と恥ずかしそうに応答し、それをカウンセラーが、文字通り、女の子の心で恥ずかしいと思っていると解釈して
「それが普通だよ」
と後押しするのは自然な流れです。
 この一連の会話は、さらに翔太君がここ一年来感じていた
『自分の胸は単なる肥満胸より女っぽい』
というエロい気分を盛り上げました。そして、その意味では翔太君の気持はカウンセラーの考えているものにすり寄ってしまった事になります。こうして、胸やブラジャー類を廻って翔太君とカウンセラーとの話のずれが露見する可能性が減ってました。つまり、翔太君がノーマル男子である事が判明する可能性が更に低くなってしまったのです。

 一方、この頃までには、翔太君の下着女装はクラスメートはおろか学年の常識となりました。いまや、翔太君がブラジャーをして来るのが何時になるか一部で賭けの予想になっているほどで、翔太君の夏服やズボンに透る下着ラインは毎日の注目の的になっています。だから何を着てきても簡単に当てられてクラスメートの共通認識になってしまいます。ただただ、翔太君の耳に入らないだけです。
 こうなると、カップ付きのシェーパではあっても、ブラジャーでないことや、体育でカップ無しどころか、スポーツブラでもないことに対して、真面目な女子生徒の中に、
「回りに囃されるのが怖くて、性同一性障害にもかかわらず、翔太君はブラジャーを着けて来れない」
と気遣う者も出てきました。もちろん、母親も養護の先生も同様に考えています。だから彼女達が
「ブラジャー着て学校に行っても(来ても)かまわないのよ」
と翔太君にアドバイスするのは時間の問題です。あるいは男子のだれかが
「おまえ、いつブラジャーで来るんだ」
と話を振るのも、これまた時間の問題です。もっとも、そういうアドバイスがなされる前に、ブラジャー再着用の別のきっかけがありました。水着です。

 6月中旬、つまりカウンセリングの翌週にはプール授業が始まります。
 水泳は私学ということでセパレートタイプが主流です。ワンピースタイプと違って、シャツを上だけを羽織るもので、下の方は、スパッツタイプだと男女兼用です。しかも翔太君の場合、カップ付きシェーパーを着慣れたているので、同じデザインの水着による女装の恥ずかしさは遥かに軽減されます。母親だって養護の先生から
「水泳が始まる」
という連絡を受けてとっくにセパレートの上を買っています。
 もちろん、女装には違いないのでそれを着るかどうか悩んだ時は恥ずかしさと背徳感で何度もためらいました。でも、カウンセラーから胸を見られるべきでないと言われているし、実際、女の子のような胸が恥ずかしいし、胸を見せる事が肥満と関係なく猥褻な気がして、何かで隠さなければならないと感じています。
 これが公立だったら、翔太君の学区の場合だと未だにワンピースタイプを使っていて、さすがに着用を見合わせたでしょう。でもセパレートはそこまで抵抗がありません。なんたって下は昨年使っていた男物なのです。正確にはユニセックスですが、そこまで翔太君にはわかりません。だから、クラスメートに対する恥ずかしさにしても、上だけの問題であって、デザインがあまりブラジャーを感じさせないシャツタイプだと我慢出来る恥ずかしさです。なんたって、既に下着女装がバレてしまったという観念があるので、今更という気もするのです。そんなこんなで、女物の水着(上)を着てしまったら、元戻り出来ないような予感があったにもかかわらず
『いや、ちゃんとダイエットを続ければ胸も小さくなって裸で問題なくなる筈だ』
と無理やり自分自身に言い聞かせて、とうとう胸を隠す水着を着ることにしまいました。
 一方、下の方は母親が買ってくれたサポーターを履いています。中学になれば男子の一部はサポーターを履くようになり、昨年から、そういうのがある事は知っています。だから母親が買った理由を不思議には思いません。しかし、サポーターとスパッツタイプの組み合わせは、翔太君にとってはショーツとガードルの組み合わせと同じであって、その癖で大きさ確認の試着の時に、股間をタックで隠して平たくしてしまいました。
 このことで、翔太君の水着姿は、事実上、完全女装なってしまいました。股間がタックされていなければ、女装ではなく、単に胸を隠す行為で済んでいたでしょう。それだってある意味女装ですが、股間が男を主張する限り、完全女装ではありません。しかし、翔太君にそこまでの認識はありません。あくまで下は男ものを履いているという気分です。だから翔太君は女子用の水着を着る決心がついたのです。

 ちなみに、母親がサポーターを買った理由は、養護の先生のアドバイスによる
「男を象徴する股間を自分で見るのは嫌だろう」
「上が女物で下がもっこりしているのはきついだろう」
というものでした。でも、それを母親が指摘する前に、翔太君は癖で実行してしまったのです。それは母親に対し、もはや
「女の子になりたいのね」
という誤解の駄目押し以上に
「完全の女装させて学校に行かせても大丈夫みたいね」
という安心すら与えました。
 一方、電話で連絡を受けた養護の先生も、独自に翔太君の水着姿を水泳の初授業の直前にチェックしましたが、やはり股間は女の子のように平たくなっています。確かに完全な女装です。今までに無かったことです。それは授業を担当した先生にしても同じことです。こうなると、次の段階、すなわち女子制服の着用が具体的な課題になってきます。

 クラスメートの反応はどうでしょう。まず女子用の上を着ているのが一番初めに目に付きます。それだけで、
「ここまでするのか」
と、少し驚きました。前もっての公式な予告が無かったからです。もちろん噂で、女物の水着だろうとか、見学だろうとか言われてはいましたが、あくまで噂であって、実際にみると矢張り衝撃です。
 当然ながらクラスメートの視線は翔太君の胸と股間に集まります。そして、胸の膨らみは確かに単なる肥満胸以上である事に驚き、更に、股間を女の子のように平たくして、完全な女装であることに二重に驚きます。と同時にセパレートの上を着用していることに完全に納得します。
 この女子水着着用は、クラスメートの間のある種の疑問に一つの答えを出しました、それは、翔太君どの程度の性同一性障害なのかということです。女物を身にまとい、胸を少し膨らませ、股間までタックして消している翔太君はクラスメートからみたら、もはやニューハーフです。いままで半信半疑な部分の性同一障害疑惑は、100%認定に格上げされままったのです。それは、もはやクラスメートから男として看做されなくなった事を意味します。気付いていないのは、今回の格好が、初めての公式な女装デビューだったという事実に気付いていない翔太君のみです。
 ちなみに水泳の着替えは、プール下にある体育用具入れを使います。翔太君しか使わないので、着替えのあとは鍵を体育の先生に預けるという段取りです。当初は身障者トイレをそこと保健室に作る構想もあったのですが、管理の問題と清掃の関係から、男女兼用の意身障者トイレは教室棟と職員室等の入った建物の間の渡り廊下の教室寄りに作る事になったのです。そして翔太君のクラスを決める際に、そのトイレに近い教室になるようにクラス分けをしたのでした。清掃担当は主に使用する翔太君です。もちろん学校のトイレだし唯一の洋式トイレという事もあるので誰が使っても構わない建前ですが、恐らく外来者以外は使わないでしょう。だから身障者トイレの清掃担当は自然と翔太君になり、だからこそ校内に1つしか作れないのです。

 さて、プールで女子用の上を着た事は、ある意味、翔太君を吹っ切らせて、ブラジャー再着用への後押しとなりました。しかし、夏服前にブラジャーを時々つけていたのと気分的に違います。今回は惰性ではなく、クラスメートに知られてしまう覚悟の上での着用であり、その分、強く女物だと意識しているからです。そして、それ以上に胸を見せたくない、胸を守りたい、見られたら恥ずかしいと感じたからです。そこには以前のようなダイエット云々という気持はほとんどありません。まさに女の子の発想になっていました。
 一方、クラスメートの反応は穏やかなものでした。というのも、プールでの女装が股間を含めて完璧で、ブラジャーごときへのインパクトが無くなってしまったからです。かくて賭けはうやむやになり、6月末までには翔太君の下着女装はすっかり当たり前の風景として受け止められてしまいました。
 ここまできたら、社会的に男に戻るのは困難です。というのも、今度翔太君が男の格好に戻ったとしたら、翔太君に「趣味で女の性を感じようとしたエロ変態」の称号がついてしまうからです。
 それでもまだ今なら引き返せます。というのも、翔太君に対するネガティブな認識が変わっていないからです。クラスメート、特に女子の大半は、翔太君を
「女装を利用して、女子の裸や下着姿を見ようとする性犯罪予備軍かもしれない」
とあくまで警戒しています。この警戒がある限りは、女子の裸や下着姿を事故で見ることも、女子トイレを使える雰囲気になる可能性もないでしょう。その意味では、翔太君には男に戻るチャンスもあるのです。
 でもそれがいつまで続けられるのか? 翔太君が後戻りできなくなる限界まで殆ど余裕はありません。


その21(中学2年6月:夏用ブラウス)

 6月は普段着でも変化がありました。
 5〜6月は学校だけでなく、普段着も衣替えです。春休みに冬物を仕舞って春用の服を取り出すのは小学生のいる母親の常套ですが、中学生の普段着となると冬物も春物も違いがありません。だから制服の衣替えまで、普段着の衣替えも待つことになります。そのうち普段着として大きな比重を占めるのが脱着の楽なジャージやセーターです。それは女子でも似たようなものでしょう。
 ただ、翔太君の場合は少し違います。冬の間、ダイエット目的に買った細身の女物(右ボタン)長袖シャツ・ブラウスが普段着としてジャージの代わりになっていて、しかもセーターを着るより頻繁でした。それは妹とのスキンシップの為です。2月に前開きのブラジャーを買って貰って以来、上に羽織るものも前開きである必要が出てきたからです。開襟でかつ細身という条件からブラウス一択なのです。だから、おそらく室内では平均的な中学女子よりも長袖ブラウスを着ていたでしょう。
 実は一度だけ、開閉の便を考えてブラジャーとジャージの組み合わせにしたのですが、母親から
「みっともないから、シャツにしなさい」
と言われて、それ以来ブラウスにしています。母親にしてみれば、息子が女性として生きていくためには、普通の女の子よりもはるかに女の子らしくならないと世の中に受け入れて貰えないだろうと危惧しています。これは性同一性障害者共通の問題かもしれません。だから室内でもジャージは良くないと感じています。
 ちなみに母親がシャツもブラウスもひっくるめてシャツと呼んでいるのは、翔太君の性同一性障害を認め切らなかった事の名残です。ブラウスを昨秋に買ったころは、
「ブラジャーを言い出したら最後かな」
と思っていたので、女物を意識させないように言葉を選んでいたのでした。だからショーツやガードルのこともパンツとか下着とか言い換えています。そして、そういう言い換えも、翔太君が母親の誤解に気付かなかった一因となったのでした。
 母親に注意された時、翔太君は母親の意図とはまったく別に、ブラジャーとジャージだと女装の為の女装となってしまうから不味いなと気付きました。ブラウスならダイエットという意味がありますが、ジャージだとそういう名目がたちません。母親の指摘はもっともです。親心とは正反対の解釈ですが、これはいつものことで、不思議ではありません。こうして、翔太君は、前開きのブラジャーを着用するときには必ず細身のブラウスを着るようになりました。もっとも寒い日は、その上にセーターを着ていましたが。これには昨夏買ったサマーセーターに加えて、母親が2月に冬物処分で買った奴があり、実際に使っている3枚のうちの2枚が女物です。
 ちなみに私的な外出は、ブラウスの上にセーターなり、制服の上着を引っ掛けるなりするだけです。カウンセラーに会いに行くので、女物の服自体には慣れています。ただ、他の人に女物だとバレるのが嫌なだけえす。少なくとも、当人は誤摩化せていると思っています。
 もっとも、制服や男物セーターはともかく、女物セーターを引っ掛けた日は、下着もズボンもブラウスもセーターも女物です。靴下こそ前から使っていた男物を履く事がありますが、この年頃の靴下は刺繍がなければ男女兼用に近く、しかも昨秋以降は母親は女物がしか買っていません。つまりスカートやレース・リボン付きのアウターでこそないけれど、完全女装での外出もあるわけで、これに股間をタックしていることや、耳が隠れるほどの髪の毛、もはや肥満と言えない体型を合わせれば、知らない人が見たら半数が女の子と認識し、半数が男か女か判断を保留するでしょう。ただ、それを本人が認識していないだけです。

 そんな格好が5月まで続きましたが、制服の衣替えとともに、普段着もすこし変わりました。まず冬用のセーターお蔵入りして、昨夏買ったサマーセーターの他は春物処分で母親が買ってきた女物セーターと女子用のベストと、女物だけになっています。ブラウスもそれまで使っていた長袖の2枚に半袖が2枚加わりました。これも母親が買ったものです。男物はポロシャツを除いて冬物と一緒に仕舞われてしまいました。使わないものを格納するのが衣替えですが、それ以上に母親としては男物を払拭した気分が強くなっています。というのも、妹が物心ついた時に、翔太君が男と女の格好を行ったり来たりしていると、妹の教育に良くないからです。だから、息子の性同一性障害を認めた今は、むしろ積極的に翔太君の女性化を進めようという気分に変わりつつありました。出来るだけ早めに女の子になってしまう。それが結局は息子の幸せにも繋がる筈です。
 さて、それまで翔太君の持っていた女物の長袖シャツ・ブラウスはいずれもピチピチサイズです。もちろんブラウスを推薦したカウンセラーも実際に買ってきた母親も女装の為の一歩という捉え方で、母親はピチピチ再サイズを買ったのは、翔太君がシェーパーなどで細めの服を好んでいる事を知っていたからです。それを翔太君はもちろんダイエットの為とブラウスと誤解しています。
 そんな感じで始まったブラウス着用ですから、母親としては夏ブラウスは夏らしく薄地で、しかも下着が密着しないようにゆったりしています。
 それを見た翔太君は、違和感を感じました。ダイエットの為の筈の女物シャツがゆったり系では意味がないからです。でも、半年以上も着慣れてしまった為に、この本来の目的がなかなか思い出せません。その前に、制服よりも薄地でかつ色が薄い事から、制服の時と同様にブラジャーの紐が透けてしまうかもしれない事の方が気になりました。普段着とはいえ、いきなり訪問者が来るかも知れないし、近所ぐらいはそのままの格好で出掛けてしまうかもしれません。
 現にゴールデンウイークの翌週末にブラウスだけで買い物に出掛けてようと玄関を出て100mほど歩いた所で右ボタンに気付いて、あわてて家に戻ったほどです。この日はゴールデンウイークのコスプレ用に買って貰った後ろホックのブラジャーの上にシェーパーを着て暑く感じたのでブラウスだけになってしまったのですが、それ以前に右ボタンに慣れ過ぎて女物だという意識が薄くなっていたのが原因です。右ボタンに気付いたのは、ブラジャーの人工的な膨らみに違和感を感じて前を何度も見直したお陰です。冬物のブラウスは制服や体操服と違ってダイエットを兼ねて細身なので、ブラジャーの輪郭が浮くのです。ただ、Aカップでかつ元来が肥満胸なので、違和感を感じる程度です。だからこそ制服や体操服で気になる事がなく、実際、6月頭に汗で浮くまでクラスメート男子にも露見しなかったのです。
 ともかく、この日の失敗を考えると、これから夏にかけて、ブラジャーの紐を隠すシェーパーを着ない日だってあるかもしれません。妹のスキンシップの際は確かのそうなのです。そうなると、右ボタンだけでなくブラジャーの紐まで見えるので、明らかに変態的な中途女装です。そんな恥ずかしい思いはしたくありません。
 だから、まず姿見でブラジャーの紐を確認しました。するとどうでしょう、制服より涼しそうな生地なのに、制服ほど肩紐が目立ちません。最近の女物はそういう風に作られています。それだけでなく、ゆったりしているのも良いようです。ゆったりしているお陰で、ブラジャーの膨らみも目立ちませんが、こちらは翔太君は実感していません。理由はともかく、肩紐が制服ほど目立たないことにほっとして、やっとブラウスの本来の目的に思い至りました。
 こうして、細身でなければ女物をわざわざ着る必要がないことに気付いた翔太君ですが、その前に、ブラジャーの紐がそこまで目立ちそうにないことのほうに気を取られて、
「これならいいかも」
と母親に試着結果を答えています。だから、翔太君が、ブラウスそのものが女装で不味いと気付いた時には、既に昨年着ていた開襟シャツが処分されており、あとの祭りです。もっとも、昨年まで着ていた夏の普段着は、一昨年に買ったもので、古くなったうえに、翔太君がより長くより細くなってサイズが合わなくなっていましたから、どのみち処分される運命にあったのですが。
 こうして、普段着に関しては女物が主流となっていましました。Tシャツすら、前の大きく開いた女物です。短パン類についても、女性用のホットパンツで、股間に余裕がまったくありません。唯一残った男物は靴下の一部と、前からある男女兼用のTシャツと、昨年買ったポロシャツ系の服のみです。ただ、スボン系なのと、刺繍の類いが無い事から、辛うじて
「これは女装じゃないんだ」
と思い込むことはできます。少なくとも翔太君はそう思い込む事で自分を騙しました。そうでも思わないと、自分が変態という気がしたからです。
 もっとも、着心地は悪くありません。きちきちだった今までと比較すれはよほど楽です。しかも、そういう格好であるからこそ、たといブラジャーの紐が薄く透けてみえても、女の子が普通に女の子の格好をしていると見られて目立たなくなるのです。もしもブラジャーの紐が男物のシャツの下に透けていたら、そちらの方が余程恥ずかしいことです。でもそのことに気付くのは7月にずれ込みました。そう、制服でのブラジャーを再開したあとです。

 こうして6月には、夏用ブラウス等より女性を強調する服を自宅で着るようになっていましたが、それをためらうような事件が無かった訳でもありません。それは性同一性障害の噂です。
 クラスメートにある種の箝口令が敷かれていたとしても、2〜3週間もすれば翔太君の耳には
「彼は性同一性障害らしい」
という噂が入ってきます。普通の人間で、普通の知識がある人なら、そういう噂だけでショックでしょう。でも、翔太君にはそこまでのダメージはありませんでした。それは一番始めの誤解を引きずっていたからです。
 一般的な中学2年は、性同一性障害という名前を「心と体の不一致」という定義でしか知りません。中身までは正確に分かっていないものです。単なる女装趣味と思う者も多く、なかには女性化乳房のことと指していると思う者すらいます。完全に理解していないのは翔太君も同じです。自分の胸に女っぽさがあることや、下着が女物であることを苦にする症状、みたいな感じで理解しています。それが翔太君の実感だからです。
 そして、思い込んだが最後、自分が当事者であることに関しては、世界で一番自分が知っている、と思い込んでしまうのもまた中学生の特徴です。まさに中二病。だから、「性同一性障害」の意味を、改めて調べたりしません。
 結果的に、いつまでも翔太君は、自分のもつ恥ずかしさを性同一性障害だと誤解したままでした。たとい、たまたま正しい意味を知っているクラスメートから正確な内容を教えられても、
「これは僕の身に起こっていることなんだから、僕が一番良く知っている、お前のいうことなんか知ったかぶりだ」
と思って相手にしません。それどころか、自分の正しさを主張すべく、自分の感じている恥ずかしさ、つまり男なのに女の子風の肥満胸がすこしあって、女物の服を着ざるを得ないという恥ずかしさを
「僕は性同一性障害だから」
と説明するようになりました。特に女物のブラウスで外出をし始めてからは、
「ブラウスを着ざるを得ない」
理由として説明するようになりました。性同一性障害のように女物を着たくても制服等で男の格好をしなければならない悩みと、翔太君のように、本当は着たくないのの着ざるを得ないというのは、全く正反対の意味ですが、そういう誤解に気付く者は一人もいません。一番近いのは、女性でありながら男性の心をもった性同一性障害の感覚でしょうか。
 ちなみに、翔太君が180度の誤解に基づいて「自分は性同一性障害だから」と言い出した相手は、まずクラスメイトに対してで7月に入ってからのことです。その後、7月のカウンセリングの際に説明し、さらに母親に対しても言う様になりました。こうして、1年前から始まった誤解は、どうにもならないところまで進んでしまいました。


その22(中学2年7月:ブラジャーの紐)

 さて、6月末にブラジャー着用を再開した翔太君ですが、その際にブラジャーの紐や背中バンドが透ける可能性についてはもちろん考えました。1ヶ月前、冬服から夏服に代わった時に、ブラジャーを一旦封印して、紐バンドでないランニング袖タイプのカップ付きシェーパーにしたのは、まさにそれが不安だったからです。
 水泳でセパレートの上を使ってしまった今でこそ、どうせ下着バレしているのだろうというある種の吹っ切れから、クラス内でブラジャーの紐や背中バンドが透けてしまう覚悟が出来ていますが、それでも近くで見ければ分からない程度のカモフラージュは必要だと感じていて、その為にブラジャーの上からカップなしのシェーパーをしています。男子制服の下にブラジャーが透けるのは目立ち過ぎるからで、それは登下校でも気になる事だからです。だから、余り目立つようなら再びブラジャーを控えることを考えていたほどです。普段着のブラウスだけで外に出ない理由のひとつだってそうです。
 だからこそ、学校で何も言われなかった事が不思議でした。体育でバレた時にあれだけ騒がれたし、水泳でも、騒ぎにはならなくとも
「うん、その胸なら隠さなきゃね」
みたいな軽い感じで男女双方から声をかけられ、それ以上に視線を感じた経験からすれば、ブラジャーだって同じくらいに騒がれる筈です。
 ちなみに水泳では股間にも視線が集まっていましたが、幸か不幸かそれに気付かず、タックで股間まで女の子風にしていることへの恥ずかしさはまだ余りありません。翔太君が気付いたのはセパレート水着の胸部への反応であって、だからこそ、ブラジャーへの無反応の理由が
「気付かれていない」
としか思えなかったのです。
 真相は、先生や学級委員からの要請でクラスメートが騒がないようにしていた事と、女子水着でのデビューが衝撃的すぎて、ブラジャーの騒ぐ意味がなくなったのと、そもそも女子に
「ブラジャーを着けているね」
と声を掛けられる男子なんていないのに、ましてや相手が性同一性障害だったらますます言えなくなるという単純なものですが、翔太君にそんなことは分かりません。結果的に翔太君は、ブラジャーの紐や背中バンドがシェーパーのお陰で隠せると勘違いしてしまいました。

 そうなると、登下校が気にならなくなります。そもそも、冷房の効いたバスで通学する限り、下着が汗で透けることもありませんし、比較的涼しい日に自転車でも、朝の涼しいうちは空冷効果もあってこれまた下着が汗で透けることもありません。帰りだって、汗が噴き出すのは自宅に辿り着いた直後で、これまた問題ありません。そういう日々が1週間も続けば、のんびり屋の翔太君でなくとも、注意が散漫になるもので、ブラジャーの紐が透ける心配をすることすら忘れてしまいました。
 7月第二土曜日のカウンセリングになって、ようやく、クラスメートが気付かないのでなく、ブラジャーを当然と受け入れているのかもと思い至ったのですが、その頃には、もはやブラジャー使用が当たり前になって、今更、登下校中にバレるリスクまで考えません。時は7月です。いつしか、夏の暑さに、登下校の途中で汗だくになって、ブラジャーの紐や背中バンドが完全に浮き上って、5m先からも明らかに分かる様になったのですが、シェーパーで隠れていると思い込んでしまった翔太君は、なかなか気付きませんでした。
 そういう登下校を繰り返せば近所の人々も気付きます。もっとも、以前から翔太君が次第に雰囲気も服も女の子っぽくなっている事に近所の人間は気付いていて、ブラジャーを見て、それが確信に変わっただけのことです。しかも、近所付き合いのコツとして、性同一背障害のような個人の悩みに関することを騒ぎ立てる大人はいません。なんといっても専業主婦がいるような団地なのです。もちろん当人は翔太君の家族の知らないところでは、世間話の話題の一つとして、翔太君の事も出て来るし、その噂を受けて、翔太君はブラジャーをしているかどうか遠目で確認する人は続出しますが、すくなくとも翔太君に気付きません。さすがに母親ともなれば息子の噂話にアンテナを立てていますから、噂が耳に入ることもありますが、それは母親にとっては
「ご近所は息子の性同一性障害を受け入れてくれた」
という意味にしかならず、それは母親自身が以前から受け入れている事です、これまた問題になりません。

 如何にのんびり屋の翔太君とはいえ、いつかは自分のブラジャーの紐が汗で透ける事に気付くものです。なんたって7月の気候なのです。汗だくになって帰り着いたある日、ふとガラス戸を見たら、ブラジャーの紐と背中バンドの両方が張り付いている背中にびっくりしました。鏡と違ってはっきり見えない筈なのに、それでもブラジャーだとわかるのです。慌てて家に戻って夏服とシャーパーの両方を着替えましたが、たしかに汗だくで、シェーパーに至っては背中バンドの一部だけが汗を吸っていません。この時に至って、初めて下着女装を登下校の途中に知られてしまったのだ、と非常に恥ずかしくなりました。あまりの恥ずかしさに夜もほとんど眠れなかったほどです。
 そういう衝撃の翌日はさすがにブラジャーで行く気にはなりません。しかし、丸1日経つと、
「もともと覚悟していた」
と思い直して、ブラジャーに戻ります。というのも、紐でなくランニング袖タイプのシェーパーでは、カップ付きといっても肋骨下部の締め付けと胸の膨らみを両立させるのは難しいからです。
 ただし、翔太君がこの時思った
「元々の覚悟」というのは翔太君の勘違いです。ブラジャー再着用で覚悟していたのは至近距離からバレることで、少し離れた所からバレるところまでは想定していません。そこまで目立つなら、おそらく夏休みまでブラジャーを控えていたでしょう。ただただそんな裏設定を、ブラジャー着用を続けた間に本人が忘れてしまっただけのことです。これは翔太君がのんびり屋だからというより、そもそも人の記憶がそういうものなのです。

 かくして、翔太君はブラジャーの紐が登下校の途中にバレて当然と思うようになりました。しかし、だからと言って恥ずかしくない訳ではありません。それどころか、今まで以上に、下着がバレないように気をつけるようになりました。なんと言っても男子の制服とブラジャーはあまりにミスマッチで目立つのです。ブラジャーを着けていることを知られるのが恥ずかしいというより、男の格好でブラジャーをしていることが恥ずかしいのです。
 折から、翔太君は自宅では女物のブラウスや、前の大きく開いた女物Tシャツを着はじめています。ゆったりした普段着は半年ぶりなので、その快適さにハマって、本来のダイエットの目的を忘れてブラウスや女物Tシャツを好む様になっています。普通のTシャツはもっていますが、ブラジャーで胸が蒸せる翔太君には女物Tシャツのほうがはるかに楽なのです。しかも、比較的ブラジャーの紐が透け難い生地で、しかもゆったり気味の分、紐が透け難いという利点まであります。だから、前ホックでなく後ろホックのブラジャーを使う事が多くなった7月も、この手を女物トップスを着ています。
  そういう格好をしていると、ブラジャーが透けるのは当たり前という感覚が染み付いてきます。というのも、7月の暑さは室内でも暫くすると肌が湿って生地がまとわりつき、ちょっと外を歩いただけで汗を少し吸って、透けやすくなるからです。その結果、家ではブラジャーが透ける自分の姿に慣れるようになりました。
 そんな姿に慣れると、インナーだけでなくアウターも女物だからこそ、格好が不自然でないことに、いつかは気付くというものです。そんな状態と
「バレるとも覚悟の上のブラジャーだ」
という勘違いが合わされば、
「恥ずかしいのは男の格好とのミスマッチだ」
と気付くのも時間の問題で、7月中旬には、次第に外出でも女物のシャツやブラウスを使うようになりました。
 半年前までの翔太君だったら、こんな本末転倒の結論を出す筈はなかったでしょう。ミスマッチが恥ずかしいと思った段階で、ブラジャーをやめてしまった筈です。今の翔太君は、そのくらい胸をさらけ出す事が恥ずかしくなってしまったのです。元々の肥満胸の恥ずかしさがあったからこそ、女装趣味でもないのにブラジャーが止められなくなってしまった訳で、もしも肥満胸という意識が始めからなかったら、ここまで極端な反応をする事はなかったでしょう。
 こうして、いつしか翔太君の格好は、ダイエットと無関係な女装となってしまいました。ただただスカートを履いていないという理由だけで、ぎりぎり翔太君は
「これはユニセックスだ」
と思い込むようにしています。ノーマルな翔太君に、女装を意識するのはまだちょっときついのです。もちろん、女装なのかなあ、という諦めは少しずつするようになっていますが、まだ
「自分が女装を選択した」
と認めるほどには吹っ切れていません。
 しかし、他の人の見る目は違います。翔太君のアウターを見れば、翔太君を知らない人は女の子と思うし、知っている人でも、翔太君を性同一性障害だと理解して、ユニセックスとは感じないでしょう。しかも、翔太君の体格は、肋骨は小さくなった為に、男の子とも女の子とも言えないものになっています。だから女装に違和感がありません。違和感が無ければ視線もありません。それはある意味、翔太君に女装外出への勇気を与えました。

 こうなってくると、男子の制服の下のブラジャーというのが気になります。平日の女装外出より、そっちのほうがはるかに恥ずかしくなります。だから、朝はともかく、午後が体操服に着替えて帰る事も考える様になりました。でも、それを実行するには母親から担任に一言言って貰う必要があります。もちろん、そこまで言う事事態が恥ずかしいという気持もあります。結局、数日ほど悩んだ挙げ句、終業式の数日前に、母親に
「ブラジャーの紐が汗で制服から透けるんだけど、どうにかならないかなあ」
と打ち明けました。
「どうにかって?」
と尋ね返す母親に、恥ずかしい思いで顔を赤くしながら
「男物の服にブラジャーって、ほら……」
と言いよどみます。
 母親はこれを、男子制服が嫌だという意味にとりました、だから翔太君がやっとの思いで
「体操服のジャージ」
と続ける前に
「やっぱり、そうよね。それは養護の先生と話をしているから、もうちょっと我慢してね」
と答えました。そう、水泳を機に、翔太君の女子制服着用の話が養護の先生から再び出されていて、2学期の何処かの段階で認めてはどうか、という話になっているのです。もちろん、翔太君はそんなことなど思いもつきません。

 肩紐が透けて見えても仕方ないと諦められるようになったということは、シェーパーの類いですら、タンクトップみたいなノースリーブ・タイプを捜さなくても良い事を意味します。そして、シェーパーにせよ、ボディスーツにせよ、コルセットにせよ、きちんと締め付けるのは紐タイプばかりです。これは脱着のしやすさが紐タイプとノースリーブ・タイプで全然違うからです。その意味で翔太君の着る補正下着の幅がぐっと広がりました。
 実は、紐タイプのシェーパー類は、2月の初ブラジャーのあと、母親が2枚ほど買っています。ただ、翔太君にしてみれば、肩口の肥満胸のダイエットの役に立たないので却下だったです。しかし、肩紐騒ぎを経たあとに箪笥の中の紐タイプのシェーパーを改めて見ると、それを今まで着なかった理由が肩紐の恥ずかしさにあるような錯覚を起こしてしまいました。その錯覚に引きずられるまま試しに着てみると、アンダーバストからウエストにかけての締め付けが、タンクトップのようなノースリーブよりきつい事がわかりました。それはそれで良い訳です。肩口はベルトかバンドで別に締め付けるべきなのでしょう。
 こうして、翔太君は、ブラジャーの上にシェーパーという、肩紐が2本あるような組み合わせすら始めてしまいました。もちろん、だからと言って外出が平気なわけではなく、出来るだけ肩に何かを羽織る様にしています。それはアウターとして、より女の子っぽい格好な訳ですが、そこまで知恵は回りません。理由はともかく、7月中旬以降、つまり夏休みでの翔太君の外出で、翔太君が男の子と「間違われる」ことはまったくなくなりました。


その23(中学2年7月下旬:髪型)

 いかに翔太君に女装趣味がないとはいえ、ブラジャーの紐が透けることが気になればなるほど、制服等の男物が不安になる、というのは自然な心理です。そんな時に夏休みに入りました。夏休みは、ブラジャーの紐に似合わない男子制服を着る必要がありません。しかも、翔太君が持っている服の殆どは女物で、夏休みに入る前から家では女物の服しか着なくなっています。だから、外出でもこれら女物を着るようになってしまいました。要するに、フルタイムで完全女装になってしまったのです。
 もっとも、翔太君が女装の事実を受け入れたわけではありません。女物の方が安心する、と薄々は分かっていても、更に自分の格好が夏休みに入ってからずっと女装であったとしても、ノーマルな翔太君にとって、女装の方が自分に合っていると簡単に認められる筈がないのです。むしろ、『これはあくまでユニセックスなんだ』「自分の格好はダイエットの為だ』と思い込むようにしています。スカート系や刺繍やレースの類いがないからこそ、そのように自分を誤摩化せるわけですが、それ故に、ダイエットを今まで以上にきつくしないと女装の言い訳が立たない、という気分になってしまいました。
 幸か不幸か、肩紐の件で開き直って以来、学校以外では、より強力な補正下着を着るようになっています。肩口だってベルトの類いできっちり締め付け、呼吸が辛うじてできる程度にしています。こうして一旦は限界に達していた肋骨の締め付けが更に進みました。そこには抗男性ホルモンの効果もあったかもしれません。抗男性ホルモンの筋肉を失わせる効果で、それを支える骨格も不要になるからです。
 今までの2年間、背が伸びたのに肋骨が小さくなって、一番肋骨下部が少しづつ上にあがり、その真下の『腰のくびれ』が最近では女の子と同じ位置にまで上がっていたのですが、それが更に内蔵を圧迫するぐらいに締め付けられたのです。夏休みが終わるまでには、尻とのコントラストが更に大きくなり、トレーニングウエアなど、ユニセックスの服を着ても5割以上の確率で女の子と間違われる体格になってしまいました。ほんの2割が男かも知れないと見抜き、残りは分からない、という案配で、もちろん女装していたら誰もが女の子と疑わない、そんな『男の娘』の体格です。顔だって、丸っこい子供の可愛い顔つきに、抗男性ホルモンの効果で、男っぽさゼロのまま大人に近づいたもので、どちらかと言えば可愛い女の子の顔つきとなっています。
 この容姿は、漫画なんかに出て来るように、自然にそう生まれたという想像上だけの非現実ではなく、過去3年に徐々に体型を変えていった努力の成果です。もちろん、体格だけでなく、仕草などの他の要員も『男の娘』の必須ですが、一番難しい体格をクリアしまった事は、ある意味、男に戻れる可能性をますます小さくしていまいました。

 ともあれ、こうしてユニセックスという名の完全女装を始めた翔太君ですが、それを見た母親は、髪型が気になりました。今までは母親が頻繁にカットして耳に半分ぐらいかかる髪型を維持していましたが、男子制服を着ていたので、それ以上、女の子風へと踏む込む事ができませんでした。だからこそ、夏休みぐらいは「翔太君がなりたがっている筈」の女の子の髪型にしてあげたいと思ったのです。それが親心です。これは将来の妹対策でもあります。妹が物心つくまでには、完全な女の子になっているのが妹の情操教育の為に無難だからです。
 夏休みに女の子の髪型にするという母親の考えは、水泳着で事実上の完全女装を始めた時に気がついたことで、その後、肩紐が透けてもブラジャーをするようになって急務だと感じました。というのも、女の子の髪型なら、男物の服にブラジャーという組み合わせでも
「ボーイッシュな女の子の服」
ということで見逃してもらえるからです。もっとも、男物の服なんて今では制服ぐらいしかありませんが。
 夏休みに入って2日後、母親はさっそく翔太君を美容院に連れていきました。プール開始以来、いや、その少し前以来1ヶ月以上も散髪していないので、髪は完全に耳を覆い、そし後ろは完全にうなじを隠すぐらいあります。ポニーテールにはちょっと無理ですが、ボブカットなら奇麗に出来る長さがあります。それを美容院ですれば、毛先が奇麗に整えられるでしょう。あとは毎日の手入れを教えるだけです。
 美容院に連れて行く理由は他にもあります。それは美容院みたいに女の子の為の場所に慣れて貰って、女の子として振る舞うことを恥ずかしがらないようにさせることです。なんせ、母親は翔太君のことを『女の子になりたいのに、回りの目が気になって女装すらおどおどとして出来ない』と思っているからです。
 そんな理解ですから
「髪を切りにいくわよ」
「え、おかあさんが切るんじゃないの」
「美容院に決まっているじゃないの」
「え? うん? どうして?」
「夏休みぐらい、きちんとした格好したいでしょ?」
「そういうこと???」
という具合に翔太君が現状認識についていけなくても、恥ずかしいのだろうと思って不審に感じません。一方の翔太君は『ブラジャーが透けた服で床屋には行き難いよなあ』とか『やっぱり女の子の格好に合う髪型にするのかな、確かにそのほうが自然だけど、でも恥ずかしい』とか思って混乱します。こうして翔太君の気持の整理のつかないうちに、あれよあれよと言う間に翔太君は美容院に連れて行かれました。
 さて、美容院といっても、翔太君のプライバシーを考えて、完全予約の1対1の所を母親は選びました。美容師のほうは、中学生でそこまですることに不審を抱きつつも、翔太君を丁寧に見て理解しました。なんせ、対人の仕事のプロで、しかもここは彼女の仕事場です。街で見かけた程度なら、見た目の女装とスタイルに騙されて女の子と思ったかもしれませんが、この時ばかりは、仕草や骨格などから、翔太君が実は男であることを見抜きました。それなのに、スカートではないにせよ女装してブラジャーまでしています。これで状況が理解できないようでは完全予約制で成功する美容師にはなれません。
 髪をみると、この日が初めての女の子デビューでしょう。実際
「清楚な感じがよろしいでしょうか、それとも可愛い感じに致しましょうか?」
と尋ねても、翔太君から返事は無く、母親から
「そうね、まだ短いし、取りあえずは元気で可愛い感じかな」
という返事があったからです。こういう客は、きちんと対応すれば固定客になりますから、不安を抱かせないよう、不愉快な思いをさせないよう丁寧に対応します。尋ねられたら女の子の仕草とかの指導もするのにやぶさかない気構えです。
 一方の翔太君は、清楚とか可愛いとかが自分を指しているとは思いたくありません。もしかしたら自分のことかもしれないという不安を抱きながらも、きっと母親と世間話でもしているのだろうと、目を背けて解釈しました。実際、答えは母親が言っています。だから、しばらくして母親から確認のように
「いいわね」
と言われて時すら、これから散髪を始めるんだ、というぐらいの認識です。それどころか、完全予約のお陰で、自分の変態的な格好が目につかないことに安心したほどです。散髪が終わって軽いパーマを掛ける段で、妙だという気がしただけです。
 こうして、翔太君はストップと言う余裕もないうちに、男装の似合わない髪型になってしまいました。全てあとの祭りです。でも、きっと母親は翔太君の服が違和感をも持たないように配慮してくれたに違いなく、自分では目を背けていたけど、女の子風の髪型にされる予感は美容院に行くと言われてから感じていたことです。
 それに何よりも、女の子の髪型にされて、そこまでショックを受けていない自分がいます。というのも、ブラウスとかブラジャーとかの格好だど、そのほうが目立たないという気がしたからで、その意味では、母親がこういう行動を取ってくれたことにホッとしている面すらあります。なんせ自分から言い出したら女装趣味ですが、母親に言われたのなら、女装趣味でないことになりますから。
 このように、戸惑いと不安と安心の交ざったような複雑な気分で、母親に言える文句は
「ちょっと心の準備ぐらいさせてよ」
というのが精一杯でした。そして、そういう文句こそ、翔太君が女の子風の髪型にしたかったと、母親に確信させてしまいました。だから元々は夏休みだけの積もりだったにもかかわらず、2学期もこのまま取りあえず学校に行かせて、問題が出てから対処したほうが翔太君の為に良いと方針を変更することになりました。

 さて、髪型が女の子になってしまったと言うことは、ブラジャーの紐の件を合わせると、これから外で女の子として振る舞わなければならないことを意味します。髪も服も女の子なのに、実は男だとバレることは犯罪並みに危ないからです。実際にはそこまで危険ではないぼですが、現実の女の子でない翔太君は頭の中でそう感じています。そうなると、今までと違って、仕草とか体の動きとか、言葉使いを女の子風にしなければなりません。
 この事は、髪を切ったあとに美容師に
「もうちょっと女の子らしい仕草にしないとバレるかも知れないわよ」
と小声で耳打ちされて初めて認識し、心の準備がなかった故に、事態の深刻さに愕然として、それは数日ほど一歩も家から出ることができなかったほどです。
 しかし、そんな引き籠りがいつまでも続けられる筈がありません。母親は
「折角髪を切ったのに、外に出ないのは勿体ない」
と責めます。翔太君だってけっして引き籠りではありません。その証拠に春にはコスプレにも出ています。それに、ブラジャーの紐の件以来、心の奥底で『女装の方が目立たなくて落ち着くかもしれないなあ』と感じてはいたのです。
 これがノーマルな男の子なら、変な髪型になろうとも自力で髪を切ったでしょうが、翔太君には髪の毛を弄ろうという発想すら生まれませんでした。ただただ、次の散髪、つまり夏休みの終わりまで、女の子の髪型でどう過ごすか、ということで頭がいっぱいでした。だから『女の子の仕草に気をつけながら外出する』という結論に至ったのも何の不思議もありません。

 こうして、取りあえず女の子を振る舞う事を7月中には決めた翔太君ですが、女の子の仕草なぞ翔太君には分かりません。その振る舞いから女の子らしくないと美容師にバレたのは確かですが、美容師が親切で言ってくれた忠告はそこまでで、アドバイスまではしてくれませんでした。あの美容師ならそういうアドバイスは出来るでしょうが、その為にわざわざ訪問するわけにはいきません。となると、そこから先は自分で調べなければならないのです。
 こうして、ネットを駆使して女の子しい仕草をしらべました。さすがにネットには、内股や歩き方は勿論のこと、椅子への座り方や、腕の動かす時の肘の動き、腕を上げる時に胸を守りような動き、指の動かし方などの基本動作の他に、順番などを黙って自然に他人に譲る手際良さなどの細かい所まで、理想の女の子の仕草が書かれています。それを翔太君は一つ一つ練習してモノにしていきました。
 こういう場合に問題になるのが、男の子体型に付属する不可抗力的なものです。例えば呼吸であり、くしゃみであり、声の高さです。しかし体型の問題をクリアーしてしまった翔太君には問題ありません。というのも、長期間のコルセット類で呼吸はとうの昔に腹式から胸式になっていて、しかも肩口を押さえているので、肩を上下させるか弱い女の子の呼吸です。肋骨が小さくなっているから、くしゃみですらクシュンであって、ハックションではありません。肋骨の大きさに加え、変声を迎えないうちに抗男性ホルモンを使用し始めたお陰で女の子と少女の中間ぐらいの黄いろい声しか出せません。もちろん他の第二次性徴も完全に抑えられています。つまり、仕草さえ完璧なら確かに翔太君は女の子になれきれるのです。
 さて、ネットのこの種の知識とは、大抵は理想の脳内大和撫子の仕草です。つまり実際の女の子よりも遥かに女の子らしい動きです。こうして、翔太君の娘化は、単なる女性化を超えて「理想の娘」に近づくという新しい段階に入りました。
 ここで問題が一つ浮かびました。それは股間です。いかにガードルで抑えていても、毎回、完全に女の子と同じには形には出来ません。他人は気付かないでしょうが、翔太君は気にします。結局、タックをこれまで以上に完璧にすべく、膝をくっつけるようにして、より内股で歩くようになりました。もともと内股気味に歩くようにしていましたから、今の翔太君には出来ない事ではありません。ちょっと余分目に気をつけるだけの事です。
 それだけでは安心出来ません。だから、タックを完璧にするべく、とうとう生体用のテープ、例えば質の良いバンドエイドの類いで股間を処理するようになりました。ネットには高等技術として生体用接着剤を使う例も出ていますが、母親に言わずに手に入るのはテープが限界です。なんせ、接着剤まで母親に言ったら、自分が女の子になりたいと言う風に母親が誤解するかもしれないからで、そんな恥ずかしい事なぞ言い出せません。テープなら母親に知れずに完全なタックは可能です。
 ここまで来たら、股間の形が長時間崩れないか試したくなるのが人間の心理でしょう。かくして翔太君は夜も女の子風の股間のまま寝るようになりました。しかも形が安定している事を確認するために、ガードルで抑えずに寝てみるというところまで進みました。つまり下はショーツと寝間着代わりのスウェットのみ。そこに、ダイエット目的のガードルはありません。もはや女装の為の女装です。そして、試みは興奮した時すら成功しました。それは抗男性ホルモンの効果です。さすがに性犯罪者への科学的去勢に使われているホルモンだけのことはあり、普通の男の子よりに比べて生理的な性欲が圧倒的に落ちてしまっているのです。ただ女性ホルモンと違って、投与を止めたら概ね元にもどるので、翔太君みたいなケースでも使われるのです。

 そうこうするうちにカウンセラーに会う日となりました。8月なのでカウンセラーは夏休みを取る第2土曜日の代わりに第1週の平日に会いに行きます。
 カウンセラーは、翔太君が髪型を女の子にしてブラジャーの紐があからさまに透ける格好で来たことに目を見張り、さらに急に女の子を意識した仕草になっていることに感心しました。まだ十分に女の子の仕草が板についた仕草ではありませんが、以前と比べて断絶的に女の子を感じさせます。それはカウンセラー的には、翔太君が女の子の心を持っている事をカミングアウトしたことを意味しています。ここまでするのは一大決心の筈ですから、それを励ますのがカウンセラーの役割というものです。
 そういう目で見ると、内股がなんとなく極端でぎこちない事にも気付きました。あまりに極端な内股は自信の無さを示しています。同時に安全に問題があります。ひとしきり、女装の事を褒めたあと、内股の件に触れました。
「ちょっと内股が極端になっているけど、歩き難くない?」
「バレるのが怖いので」
翔太君はカウンセラーの前だとかなり自然に本音が言えますが、その意味が正しく伝わるとは限りません。もともとカウンセラーは、翔太君がそろそろ女装の本丸であるスカートに踏み込むべきだと感じています。となれば、これは良い機会です。
「スカートで隠すといいんじゃないの、気になるなら下にスパッツを履けばよいし」
 いきなりスカートと言われて翔太君は真っ赤になりました。というのも、そんなのノーマルな男の子が履くものじゃないからです。でもカウンセラーの言葉として聞くと、たしかに股間が気にならなくなります。しかも春休みに10日ほどスカートで過ごした経験もあります。気がついてみたら、母親への言い訳を考える自分がいました。
 そう、いつのまにか、母親に言われてスカートを履くのでなく、スカートを履きたいけどそれを母親にどう説得するか、という心理に変化していたのです。もはや翔太君は女装趣味の男の子と言われて弁護出来ない心理を持つようになっていました。

その24(中学2年夏休み:24時間スカート女装)

 スカートを履く言い訳は簡単に思いつきました。カウンセラーの薦めだけでなく、夏のコスプレ大会の準備もあるからです。だから、カウンセラーから帰った翔太君は、さっそく母親に言い訳をしました。しかし、人間、2つも言い訳があると、それぞれの言い訳が疎かになって、かえってしどろもどろになります。結果的に『明確な理由はないけどスカートを履きたい』というメーセージだけが母親に残りました。それを笑顔で
「よかったわあ、履いてくれて」
と後押ししましたのはこの母親なら自然な反応でしょう。
 こうなると、後には引けません。結局、その日から室内をスカートで過ごす事になってしまいました。ただし、下にはレギンスを履いた姿です。いかに春休みにスカートで過ごしていたとはいえ、流されて過ごしたあの時と違って、今は自分の意志で履いているという意識がありますから、いきなりスカートだけという女装は抵抗があったのです。いや、スカートを履くことだって、なにか大事なものを失っているような気がして抵抗はあります。だから、『股間がバレて余計なトラブルを起こさないため』『室内で股間を自然に隠す練習をする』という理屈を頭のなかで強調させてやっとスカートに手をかけた程です。
 でも、母親にとっての翔太君のスカート姿は、性同一性障害の発露という意味で別の感慨があります。それは、春休みと違ってとうとう自らスカートを履きたいと言って来たのです。何度か母親から後押ししようとして、それを自制しただけの事はあります。なんたって性同一性障害では、本人が自力で女の子を振る舞うのが長い目では一番なのですから。
 母親の役目はその手伝いです。そういう意味で母親に出来る事は買い物の手伝いです。というのも、ついにスカートを履きたいと、女装の意思をカミングアウトしたところで、いきなり女物のコーナーに行って女物の服を買う勇気はないに違いないからです。そこで、2日後に翔太君を買い物に連れ出しました。もちろんスカートデビューを兼ねます。
 翔太君にしても「スカートを履く」と言った直後の勢いがありますから、母親の
「服を買いに行くわよ」
「一人で行ける? 一緒について方が良いでしょ?」
という誘いを断る事はできません。しかも女性服コーナーに行く訳ですから、股間は特に気になります。母親の
「スカート履いていくんでしょ?」
という後押しもあって、とうとうスカートで街に出掛けました。翔太君の意識としては初めての『言い訳の出来ない女装』デビューです。
 ちなみに、はじめはレギンスを下に履いて行こうとしたのですが、この暑さにそれは目立ち過ぎるという結論に達して、下はショーツだけとなりました。スパッツをまだ持っていないし体操服はハーフパンツでこれまた目立ちそうな気がしたからです。実際、母親は
「そんな格好だと目立つわよ」
とたしなめました。ガードルも考えましたが、何の考えなしに履いたコスプレの時と違って、階段の多い街中だと、スカートの下から確実に見えてしまいそうで、これも恥ずかしくて使えません。そもそも股間をテープで処理しているのでショーツだけでも股間は十分に抑えられていて、膨らむ心配すらありまん。もちろん、抗男性ホルモンで性欲を抑えていなければ、女装自体が刺激する性欲をテープやガードルごときで抑えることは出来なかったでしょう。でも、抗男性ホルモンを摂取するようになって数ヶ月を過ぎたあたりから、老人並みに勃起力が完全にガードル類に負けるようになってしまっているので、今は全く問題ありません。

 初めてスカート姿で街に出た翔太君は、恥ずかしさだけでなく、奇妙な初々しさをも感じました。なんといってもミスマッチが気にならないのです。気になるのは女の子として不自然でないかということだけです。頭で覚え室内で練習した女の子の仕草を、初心にもどって気をつけます。
 こうして何度目かの女の子デビューを果たした翔太君は、母親に引かれて夏らしいワンピースとスパッツ、それに別のスカートを早速買って貰いました。しかし、それで買い物が済む筈はありません。当然、寝間着や下着も買うことになって、とうとう女性下着コーナーに足を踏み入れる事になりました。もっとも、自分の格好では男性下着コーナーの方が恥ずかしいというものです。下着ばかりか、下手に男性コーナーに入ると自分が男だとバレてしまいそうな不安があります。こうして、女性下着コーナーに足を踏み入れることで、この問題を認識することになった翔太君は、この日を境に男性下着コーナーに恥ずかしくて、立ち入るどころか近寄ることが出来なくなってしまいました。一線を越えるとはそういうことです。そして、その分、女性下着コーナーに安心感を覚えるようになりました。もちろん恥ずかしさや『自分は女でないのに何故?』という抵抗はあるものの、女性下着コーナーなら入れないことはないからです。そういう意味では翔太君は社会的にますます女の子になってしまったのです。
 ちなみにこのとき買った下着ですが、初めてという事で、自分で手に取って吟味する勇気はありません。だから母親の言いなりに承諾を与えるだけとなりました。まだ中学生ですから、ランジェリーとも言うべき派手なデザインではありませんが、それでも今までのシンプルな白のショーツでなく柄物やフリルの可愛いものを数枚買います。ブラジャーも新たに2枚追加ですが、これはベージュの大人しい柄です。他には靴下も買う羽目になりました。どれも中学生らしい下着です。
 こうして、室内すらスカートやワンピースが主体となり、外出時にはスカートの下に時々スパッツを履き、夜は女物の寝間着を使う24時間完全女装生活が始まりました。せっかくのホットパンツも股間が気になると言う理由でほとんど履きません。しかも常時女の子の仕草に気をつけます。そんな状態で、まだ5週間近く残っている夏休みを過ごしたのす。いつしか翔太君はごく自然に女の子として振る舞うようになりました。

 夏休みといえば、コスプレ大会が沢山あります。翔太君も、そのうちの幾つかに出掛けました。ただし、春休みやゴールデンウイークと違ってクラスメートと一緒でありません。というのも、6月頭の下着女装露見以来、同級生は翔太君を気味悪がって、楽しいイベントにわざわざ連れて行こうという気になれなかったからです。これは決してイジメではありません。だれもが、楽しい時間を気の置けない友達と過ごしたいのであって、気兼ねの必要な人をわざわざ連れ歩くボランティア精神に溢れた者なぞ滅多にいません。
 それでも、翔太君はコスプレに出掛けました。前回の主催者が翔太君を覚えていて、そちらから案内があったのと、前回のコスプレで女装が気兼ねなく出来た開放感があったからです。今は確かに24時間女装ですが、どちらかというと、目立たないため、自分の肥満胸プラスの秘密と醜さががバレない為の対策という意味があって、女装がバレてはならないという息苦しさがあります。そんな「楽しくない」女装からもう一度開放されようと、2匹目のドジョウを狙ったのでした。
 しかし、着替えで困りました。というのも、前回とは違って完全女装で会場に向かったからです。男とばれないように振る舞っている以上、男子更衣室も男子トイレも使えまぜん。かといって女子更衣室や女子トイレを男の翔太君が使うのは犯罪行為です。結局この日はコスプレを諦めざるをえませんでした。おそらくTシャツで出掛けるべきだったのでしょう。そして、その上から羽織る事で更衣室を省略すべきだったのでしょう。
 そこで、2回目のチャンスは、スカートとTシャツで出掛けました。コスプレ服の下に着るつもりなので、ぴっちりしたサイズを着ます。そんな服は胸の部分が不自然だと目立ちますから、ちゃんと女の子っぽくなって見えるか姿見で確認しました。Tシャツ時に自分の胸を、女の子と女装という視点から見るのは初めてのことなので、新しい発見があります。それは自分の胸が普通の中学生の女の子として通用するということです。
 それも当然です。肥満胸の名残りや、ブラジャーや補正下着の胸寄せ効果が現れていることに加え、思春期特有の女性化乳房が抗男性ホルモンの副作用ととの相乗作用で胸の形を整えてしまっているからです。もはや、脇下がでかい肥満胸でなく、バストの所だけが膨らみかけた感じの胸です。それを更にブラジャーで形を整えているのです。今時のブラジャーは昔のような単なる布でなく、硬めのカップで形を整えるようになっているものが増えています。もちろん、そんなブラジャーなど中学生には不要ですが、母親が翔太君の女装を思って、わざわざそういうブラジャーを買ってくれています。だから、Tシャツ越しだと、見事にぽっちゃりした女の子の胸が演出出来ています。
 この胸を見た翔太君は不思議な気分に襲われました。以前のようなエロい気分でなく、『ボクは普通の男の子ではない』『ボクはもしかしたら本当は女の子なのかもしれない』という遠い感覚です。そこには潜在的に『ボクは男の子でなくなってしまうのだろうか』という不安が交ざっているので、単純にエロい気分になれる筈がないのです。こうして、自分が自然に女の子に見えることを自覚した翔太君は、性のアイデンティティーに自信を失い始めました。
 翔太君の心理変化はともかく、コスプレの方は、2度目の挑戦で存分に楽しむ事が出来ました。この楽しい感覚には『もしも本当に女の子だったなら、これが当たり前なんだ』という吹っ切れた気持が加わっていたかも知れません。普段は学校社会的にかつ戸籍的に(学生証的に)男ですから、いかに24時間女装でも、女の子であることを楽しむなんて出来ないのです。そういう意味では前2回のコスプレよりも今回の方が楽しめたと言えるでしょう。

 こうして、メイド闘士の格好でアクション込みで歌ったり写真を撮って貰ったりしたのですが、その後に罠がありました。開放感から普段にもまして明るく可愛い女の子のなり切っているし、容姿だってもはや普通の可愛い女の子に全然負けていません。だから人気が出た勢いで、次に魔法少女の格好をするように回りの人々から薦められたのですが、いざ物陰で着替えようとした際に
「あなた、こんな外で着替えたら台無しよ」
とむりやり女子更衣室にひっぱり込まれたのです。幸い、同じ学校の生徒はいなかったし、下着姿の女の子もその場にいませんでしたが、知り合いにでも見つかったら騒がれていた可能性があります。ともかくも、こうして翔太君は女子更衣室デビューまで夏休みに果たしてしまいました。もっとも、これに懲りた翔太君はコスプレを暫く止めたので、暫くは女子の下着を間違って見てしまう危険から逃れることにはなりましたが。
 この日の危機はそれだけではありません。腹だしルックの魔法少女の格好に合わせる為、Tシャツを脱がざるをえなくなったのです。更衣室でなく物陰だったら、Tシャツの上に羽織って、最後にTシャツをブラジャーの下に丸め込むなりして誤摩化したところですが、女子更衣室となるとそういうわけには行きません。こうしてとうとう他の女の子の前で下着姿を披露することになってしまいました。
 幸い、この日はシャーパーをせずにブラジャーだけだったので(コスプレなのでそのくらいの警戒はしていましたが)、『意外と小さなおっぱいなのね』と思われただけで不審に思われずに済みましたが、下手をすると今後も不意に他人の前で下着姿にならざるを得なくなるかも知れません。この日こそ無事に魔法少女のコスプレを終え、最後の着替えは人のいない時を見計らって、他人の下着姿を見ずにコスプレを終える事ができましたが、いつもそうとは限りません。それは、外出時は下着ですら普通の女の子と同じでないと不味いということです。つまり、補正下着を着たままの外出は不味いという教訓を翔太君に与えてしまいました。そもそも夏に補正下着を使うのが女の子的に間違っているのです。

 コスプレのあと、外出で補正下着をつけないようになった翔太君ですが、それは、翔太君の女装がますます本来の目的であるダイエットから離れてしまった事を意味します。もっとも、ダイエットは別の意味で進んでいます。それは肩紐タイプの強力なコルセット類を自宅で使うようになった事以外に、食事も肉系を減らして野菜系を増やし、間食も控えるようになったからです。
 かくて、2学期になる頃には、翔太君は体型も仕草も女の子にしか見えないものとなってしまいました。例えば体型ですが、ウエストとヒップの比も、脇下とヒップの比も1年前はクラスの女子並みだったのが、今では同級生平均を数パーセント下回って、成熟した女性の比率に近くなってしまいました。しかも1年前のように、数字で出ないバランスに男っぽいところがあるわけでなく、もはや、制服等で「男装」しても、帽子とかで髪の毛を隠しても、仕草や体格から、半分以上が「男装の可愛い女の子」と判断するレベルです。この変化は、9月1日の登校日にクラスメートに衝撃を与えました。

脇下-胸囲(トップ)-アンダー-肋骨下部(女のウエスト)-臍回り(男のウエスト)-ヒップ
5年4月上旬 75-73-73-70-68-77 (ジム開始)
5年10月上旬 78-75-74-72-70-79 (ダイエット帯開始)
6年4月上旬 80-77-74-70-70-81
6年10月上旬 81-78-74-67-69-82 (ダイエットシャツ開始)
6年12月中旬 81-78-72-66-68-83
6年1月下旬 79-77-70-65-67-83
6年3月上旬 78-77-69-65-67-83 (自分の胸にムラムラ)
1年5月中旬 77-76-68-64-67-83 (初ガードル)
1年7月下旬 76-76-67-63-66-82 (初ボディースーツ)
1年9月上旬 75-75-66-62-66-82 (女性下着コーナー)
1年11月中旬 75-76-66-62-65-82 (抗男性ホルモン処方)
1年1月上旬 77-78-67-63-66-83 (着替えの特別扱い)
1年2月上旬 76-78-66-62-65-83 (初めてのブラジャー)
1年3月中旬 75-77-65-61-64-83 (胸を隠す)
2年5月中旬 75-77-66-61-64-83 (コスプレでスカート)
2年7月中旬 74-78-65-60-64-83 (女子水泳着)
2年8月下旬 73-77-64-59-63-83 (スカート常着)


その25(中学2年9月冒頭:男子制服への違和感)

 もちろん、数字だけを見れば、1ヶ月余りで衝撃的な体型変化が出る筈はありません。しかし、それは夏休み前までの変化に回りが気付かなかっただけです。髪型が変わるだけで、人は体型の比較対象を男と女に分けます。その意味で、1学期までの翔太君は男の子体型と比較され続け、女の子体型と比較されたのは今回が初めてなのです。もちろん水泳の時にも同様に曝された筈ですが、その時は誰もが胸と股間だけに注目していました。しかも余裕のある男子制服だと胸も股間も目立ちません。だから1学期の間は女の子体型と比較されにくかったのです。結果的に、翔太君が女の子と遜色がない体型・容姿であることが2学期になるまで認識されなかったのです。
 そんな翔太君が、明らかに女の子の髪型になり、ブラジャーの紐も以前より目立っているのです。それどころか、シェーパーを紐タイプに替えた為に、肩紐がカモフラージュされずに、肩紐が2本、まさに他の女の子と同じように透けています。容姿だけでなく、格好も女の子を主張しています。体型の変化と合わさって、これらの変化は、あたかも翔太君が急に男の子から女の子に性転換してしまった印象をクラスメートに与えました。
 ちなみに翔太君のブラジャーの紐ですが、コスプレ以降、外出でのシェーパーを見合わせたものの、学校は時間が長いし既にブラジャーがバレているので、多少の恥ずかしさと戸惑いはあったものの、紐式の強力なコルセットを着て行く事ししたので、紐が2本になったのでした。
 一方、髪の毛を元に戻さなかったのは、母親が切ってくれなかったからです。母親の言い分は、
「取りあえずその髪型で学校に行って問題があれば切れば良いじゃいの」
との事で、翔太君はそれに従わざるを得ませんでした。母親としては、そのうち女子制服が認められるかもしれない、水着着用の際に思っているし、その種の情報も養護の先生から聞いているので、ここで髪の毛を切ったら、あとで翔太君が後悔するだろうと思ったのです。
 翔太君にしても、元々ブラジャーの紐で奇異な目で見られているので、女の子の髪型で学校に行く恥ずかしさは、我慢できない範囲ではありません。問題は通学ですが、バスの客は学校の生徒ばかりだし、自転車の時は他人に下着を観賞させる時間がないだろうと思っています。いや、気付くような人ならとっくに気付いていると思っています。そして女の子風の髪は帽子を上手く被れば、通学時間ぐらいは、ブラジャー程度には誤摩化せます。だから翔太君は新学期に当たって、1学期とすっかり変わってしまった自分に恥ずかしい思いつつも、女の子の髪型と下着で学校に来たのです。
 ちなみに靴下も、男物はとうに使い古されて捨てられて今や女物ですが、中学では男物も女物も大差ないので、翔太君にすれば髪の毛やブラジャーの紐ほどには抵抗はありません。もっとも、それでも刺繍の具合とかが少し違いますから、クラスメートから見ると、制服を除けば完全に女装になってしまった印象を与えました。

 それ以外にも、これは主に女子生徒が気付いたことですが、仕草の変化があります。というのも習い性で、翔太君が女の子の仕草をしてしまうからです。そのくらい、翔太君の仕草は女の子になっていました。これは翔太君が既に女の子よりの子供骨格をしていたことと関係あります。というのも、仕草の多くは骨格、とくに関節の付き具合が効いているからです。そして、翔太君は子供体型のうちに補正下着等で矯正し、更に過去10ヶ月の抗男性ホルモンで筋肉と脂肪が女の子のものになってしまった関係で、骨格や関節の付き具合が女の子に近くなっていたからです。つまり
 男性>少年>小学男児>小学女児>少女>女性
という具合に少しずつ異なる骨格のうち、小学女児を少し少女側に超えたぐらいになっていて(サイズだけなら大人の女に近い)、骨格から自然に出て来る振る舞いも女の子風にならざるを得なくなってしまったのです。そんな状態で女の子の仕草を意識して訓練し続けたのですから、急に男に戻れる筈がありません。そして体型、容姿、仕草が夏休みでここまで変化すれば、何が夏休みに起こったのか、と勘ぐる同級生が数多くでるのも自然でしょう。だからクラスメートは翔太君に1学期と同じように接してはいけないと肌で感じました。
 夏休みでの急変化は翔太君も感じました。それは男子制服への違和感です。クラスメートの見る目が少し違うことにも気付きましたが、一番の違和感は登下校での恥ずかしさでしょう。1学期の恥ずかしさはブラジャーの紐が透けること、つまり変な下着を着ている事(それがバレる事)でした。でも登校2日を経て、その違和感が男子制服にあることに気付いたのです。そう、髪や下着が制服と合わないだけでなく、自分の体型とか仕草にも合わない気がして来たのです。というのも、気がつけば自然に女の子風の動作をしている自分がいるからです。
 下着や髪型だけでなく、振る舞いまでが男子制服に合わないのですから、恥ずかしさの質が違います。さすがに『女子制服だったら』とまではあからさまに望みませんが、男子制服でなければマシなのに、とは感じるようになりました。そして、この経験を通じて、制服以外で男物を着る事が非常に恥ずかしい事だと感じるようになりました。そう、もはや私服で男物を着る勇気がまったく無くなったのです。普通の女の子なら男物ものもファッションとして着れますが、翔太君はその意味では普通の女の子以上に潔癖な女の子『男の娘』になってしまいました。

 さて、翔太君の格好はすぐに午後の職員会議で取り上げられました。しかし、体育の先生や養護の先生などから、翔太君からブラジャーを取り上げるのは非倫理的だという意見があり、それに反論出来る先生はいません。髪型にしても、翔太君を女の子としてみれば模範生レベルのカットです。そして性同一性障害の疑いの強い翔太君が、本来の性である女の子風にしている事に表立って非難できる先生なぞいません。もちろん教師の中にはそう言う風潮を苦々しく思っている者もいますが、今の世に性同一性障害を否定する発言をしたら将来の出世にかかわります。
 自然と、翔太君を公式に女の子と扱うべきかどうかという話になりました。幸い、夏休み中に身障者トイレが完成していて、保健室も合わせれば、翔太君が専用に使える施設は整っています。結局、教育委員会と相談の上、専門家の診断書(推薦状)と本人の意思確認を条件に、翔太君を女子生徒として扱う事で合意しました。かなりすんなりと話が決まったのは私学の強みでしょう。もっとも、それは翔太君には嬉しくないことです。これが効率なら翔太君の女子生徒あつかいも猶予されていた筈ですから。

 方針は一番コンタクトの多い養護の先生から伝えられる事になりました。1回目の接触は、登校日の翌日放課後で、職員会議での仮決定が伝えられます。
「**さん、喜んで!」
養護の先生が翔太君を『さん』づけで呼ぶようになったのは随分昔ですが、この日はとりわけ女の子への「さん」という気分は強いようです。
「なんでしょうか? 身障者トイレの件なら登校日に聞きましたけど」
翔太君の言葉がこころもち丁寧になったのは、夏に翔太君が外出先でボロを出さないようにと訓練した成果です。身障者トイレを翔太君専用にするという話は担任から聞いています。もともと話のあった事なので驚きはありません。
「スカートで着て良くなりそうよ」
養護の先生は、無条件に翔太君がスカートを履きたいと思っています。だからこんな喜ばしい言い方ですが、翔太君には意味が分かりません。
「?」
翔太君は確かに夏休みにスカートを履いていました。それを事後承諾したという意味でしょうか? 確かに外出での女装は学校としては嬉しくないかもしれません。でも、勘違いされている気がします。翔太君はスカートを積極的に履きたい訳ではありません。外出での女装は股間を目立たせない為のものに過ぎないのです。いや、それ以前に、そもそも先生の言い方は今後の話のようにも思えます。
「ほら、翔太君って、本当は女の子でしょ。やっと頑張って女の子の髪型にしたのだから、学校側でも合う服が良いってことになったのよ」
これを聞いて翔太君は更に混乱しました。まず『女の子』の下りです。
 養護の先生は、翔太君が「女の子の心」を今まで隠して色々我慢して来たと誤解しています。夏休みをスカートで過ごした事も母親から聞き知っています。だから、髪の毛の件は、女の子である事を頑張ってカミングアウトした行為として捉えています。だから、ごく自然に「本当は女の子」という励ましの言葉が出ました。
 でも、翔太君にとっては『本当は女の子』という言葉は新鮮です。今まで誰も云わなかったからです。実は今までは性同一性障害の『疑い』というレベルだったので、『本当は女の子』という言葉を回りが本人に吹き込む事を自粛していただけです。でも翔太君にそんなことは分かりません。ただ、コスプレの時に疑問に思い始めた事を言い当てられたので、驚きでした。そのため『自分は女の子かも知れない』という不安が急に大きくなりました。
 そこに畳み掛けるように『頑張って女の子の髪型』と言われています。確かに女の子の髪型に慣れるのは精神的につらいものでした。それに加えて、髪型に合うように行動も衣装も女の子を頑張って演じたほどです。その意味では頑張りました。でも、どうして学校側は、それを頑張ったと評価してくれたのでしょう?
 返事も告げずに疑問と驚きの交ざった様子の翔太君に、養護の先生は言葉が足りないと気付きました。
「翔太君、普段はスカートでしょ?」
バレているのだろうと思っていても、面と向かって言われると恥ずかしいものです
「あ、はい」
と赤くなって答えます。
「それで、学校でも女子の制服で来て良くなりそうなの」
 ここまで言われれば誤解のしようがありません。つまり、自分は男のつもりでも、本当は(なにが「本当」を意味するのか分からないけど)女の子だから、女の子の髪型をするのは当然で、それを学校側は「頑張った」と評価して、ついでに、それに合わせて女子制服を着ることを要求している、という意味になります。許可と言う言い方ですが、大人の「許可」は往々にして「それをしてね」という強制的な願望を込めています。そのくらいは中2的に理解できます。でも会話のテンポが速すぎて、翔太君は1つ目の疑問の口に出すのがやっとでした。
「あのう、(自分は)女の子(だという理解)で良いんでしょうか?」
「もちろんよ。だからスカートを履いて全然当たり前なの」
 この言葉は翔太君にも励ましと分かります。なんたって夏休みは完全女装だったのですから。その意味では『よかった』と内心で呟きながらも、同時に疑問ももたげます。
「それで、学校でも女子の制服を着るってこと?」
前半の安堵の様子は養護の先生にも分かりますから
「よかったでしょ?・・・」
という答えです。
 いきなり、女装をしろと云われ、しかも「よかったでしょ」と言われたら頭が混乱して即座の反応は出来ないでしょう。その間に養護の先生は話を続けます。
「・・・あ、でも、まだ教育委員会から許可を貰わないといけないから、正式に着れるには1?2週間かかると思うわ」
教育委員会の名前まで出て来て翔太君は完全にフリーズ状態です。
「え、そんな大層な・・・」
「そりゃそうよ、手続きは大切なんだから」
 手続きとは、将来問題になった時に責任を回避する為の言い訳作りです。翔太君がらみで女子生徒が不快な思いをしても、手続きさえしっかりしていれば、親は文句を言えません。
「はあ」
「あ、そういえば、カウンセラーからの診断書も要るって、持って来てくれる?」
 カウンセラーから診断書を貰ったら何だか大変なことになってしまいそうな漠然として不安はあったものの、それを説明出来る翔太君ではありませんから、仕方なく
「月曜になりますけど」
と正直に答えます。夏休みを挟んだので、カウンセラーは第2土曜でなく、今月も第1土曜に会う事になっていました。話が急展開ですが、どうにもなりません。
「それなら診断書も教育委員会に送れるから、スピードアップしそうだわ。ほら、お役所仕事って遅いじゃない」
 もはや、女子制服を着るのは避けられない流れです。そこには翔太君の意思すらありません。本人の意思確認と言った所で、最後に思い出したように
「そういえば、夏休みのスカート、良かった?」
と感想を確認する程度です。
 ここで今後の事を考えて即座にノーと言えるなら、始めから女装の深みになぞ嵌っていません。翔太君の反応はもっと単純です。良かったかどうかと言われても感想はないけど、恥ずかしかったのは事実なので
「ちょっと恥ずかしかったです」
と答えてしまうのが翔太君なのです。そして、こんな答えの持つメッセージを深読みすれば『スカートが良い』という意味になってしまうのです。少なくとも養護の先生にしてみればそうです。だから、
「そんなものよ、慣れれば気にならなくなるわ。なんたってあなたは女の子なんだから心配しなくてよいの」
と養護の先生は翔太君を励まし、その励ましが更に翔太君の「自分は本当は女の子なの?」という不安をさらに煽る結果に終わりました。
 翔太君にしてみれば、本当に自分が女の子なら、いくら違和感や恥ずかしさがあっても女子制服も当たり前かも知れません。そもそも昨日今日で男子制服への違和感が高まっています。でも、自分が女の子かのかどうか、簡単に分かることではありません。翔太君の持っている誤った性同一性障害の知識では、男性器を持っているからといって男とは限らないし、半陰陽なら胸が膨らんで当然だというものです。だから、自分が女の子なのだと言われても、単純に否定できないのです。
 ともあれ、急に女子制服と言われても困ります。スカート女装は履く前の恥ずかしさのほうが履いた後の恥ずかしさと同等に大きいものです。そんな恥ずかしさがありますから、翔太君としてはもう少し時間が欲しい所でしょう。でも事態は傍観を許してくれません。早めに腹をくくるしかありません。こんな時に役立つのは確かにカウンセラーです。そこで、今までより突っ込んで相談しようと決心しました。
 もちろん翔太君はあくまで心も体も男の子です。でも人間は「考える」という悪い習性があります。下手な考え休むに似たり。女の子にならなければならない、という思い込みは、翔太君の本心と、翔太君の意思をますます乖離させてしまうのでした。


その26(中学2年9月:女子制服)

 養護の先生に言われたのをきっかけに、自分の性のアイデンティティに疑問を抱いた翔太君ですが、彼(彼女?)は身も心も男であり、人に言われたぐらいで、そこまで深刻に考えるのは不自然です。しかし、翔太君には肥満胸とは言い難くなってきた胸があり、抗男性ホルモンの副作用があり、さらに妹のスキンシップで母性の刺激を受けているという特殊性があります。それらが思春期特有の女性化乳房や乳首を並みの女性化乳房以上に発達させ、女の子までは無いにしても、大きさも感度も男の子のものとは言えないものにしてしまいました。だからこそ、翔太君は『人に見せられない』と感じたのです。人に見せられる限界は6月ぐらいだったでしょう。もちろん、これは翔太君の過剰な感覚であって、一般人が見たら「なんだ子供の胸か」ぐらいにしか思えないレベルですが、思春期というのは裸に敏感なのです。
 更に話をややこしくしたのが、性同一性障害の定義への誤解です。土曜日にカウンセラーに会うに前に、ネット解説を読み直したのですが、何度読んでも「心の性」という曖昧な言葉の意味が分かりません。大人ですら字面を把握し難い言葉なのだから、ましては中学生の、しかも、もともと定義を中二的に勘違いしている翔太君に理解出来る筈がないのです。この種の説明は、当事者や訳知りの大人が書くので、誤解を修正するような書き方にはなっていないのです。
 結局のところ
「生まれた外見と異なる性」
という意味まででしかわかりませんでした。そして「異なる」とは、身も心も男の子の翔太君にとっては「女の子」とか「胸の違和感」とかを意味しています。となれば、確かに、養護の先生の言っている「女の子」や、自分がもしかしたらと感じた曖昧な感覚が「心の性」に違いません。そして、それに従うのが正しいと、どのサイトの情報にも書かれています。それは翔太君に「君は男の子じゃないのだから、ちゃんと女の子になるように女装をしたりホルモン治療をしたりすべきだ」と強要しているのと同じです。ただ、元来が男の子ですから、「君の心の性である女の子になるべきだ」と言われたところで、すんなりうんとは言えません。特に性転換手術など、字面を読んだだけでぞっとします。

 そんな心理で土曜日を迎えました。そこで翔太君は間違いを犯しました。カウンセリングに出掛ける時に服にスカートを選んだのです。股間の恥ずかしさだけでなく、スカートを薦めたのがまさにカウンセラーだったから、スカートを選んだ翔太君を責められません。でも、その結果、決定的に間違った印象をカウンセラーに与えました。なんせ2学期になっても切っていない髪の毛はますますふっくらと女らしさを醸し出し、夏休みに身につけた女の子の仕草は完璧とは言えなくとも非常に可愛らしくなっています。しかも体型まで更に女っぽくなったところでもって、とうとうスカートで来るようになったのです。追い打ちは、翔太君が意を決して尋ねた際、
「あのう、わたしは女の子なのでしょうか」
と「ぼく」ではなく「わたし」と言ったことです。これで性同一性障害を疑うカウンセラーはいません。それどころか『とうとう女の子になる事を我慢出来なかったんだ』『頑張ってカミングアウトしたんだ』という風に解釈するのが常識でしょう。
 ちなみに翔太君が「わたし」と言ったのは、夏休みに男バレしないように外向けの言葉遣いを気をつけた名残りです。さすがに家にいる時に「わたし」を使うのははずかしいので、一人称を使わない会話で自宅を過ごし、学校では皆から敬遠され気味なので、これまた一人称を使わずに済んでします。なので、この1ヶ月以上「ぼく」という一人称を使っていないのです。そしてカウンセラーに向かって口を開く時に「わたし」と言いかけ、少しだけ『あれ、わたし、と言ってしまってよいの?』と自問したものの、目の前のカウンセラーこそがスカートを薦めた本人ですから、「わたし」を使う事を期待されている気がして、結局「わたし」と言い切ってしまったのです。
 そんな内情を知る者は一人もいません。客観的な事実は、口を開く前から充分に女の子だったのに、その容姿に合うように「わたし」とまで言ったということです。それは、夏休み前の予想を超えて、急速に『女性化』が進んでいる事をカウンセラー的にはします。
 そんな状態で『女の子で良いのか』と不安そうに尋ねて来たのです。ここは不安の根本まで遡って励ますのがカウンセラーの仕事でしょう。養護の先生のように単純に「もちろんだよ」では済ませられません。
「きみのような不完全な女の子は世の中に沢山いて、みんな同じような不安をかかえているんだ」
「心配しなくても、今は手術で完全な女の子になれるんだ」
「おちんちんなんか気にしなくていいんだよ」
と、いかに翔太君の生まれが性と関係ないかを丁寧に説明し
「今は誰が見も立派な女の子だよ、本当によく頑張ったね」
と励まし
「クラスメートには時間を掛けて理解してもらうしかないんだ」
「ダメだったら先生から学校に言うから。それでもダメだったら転校しても良いのだよ」
とトラブル対策までアドバイスします。
 どのアドバイスも『翔太君が女の子になりたいと熱望している』という前提です。それは翔太君に
『要するに、わたしは女の子なんだ』
という強いメッセージを与えました。ここまで来ると一種の洗脳です。それを誰もが無意識にそれを行なっているのです。翔太君にしても、意味の曖昧な「心の性」に従うのが正しいという程度の理解ですから、実質的な洗脳ともいえる誤解を解く事はできません。知識は時に残酷で、危険な誤解を決定的に拡大させるのです。

 こうして翔太君が『私は女の子なのだろうな』という決定的な誤解をしたあとは、もう一つの用事である女子制服の相談になります。話を聞いたカウンセラーは、当然ながら
「よかったね」
と祝福します。
 多少は心配するとか思っていた翔太君ですから、よかったとは拍子抜けです。でも、今の会話の後だと当たり前に感ぜられます。いや、自分が女の子かどうかという問題を抜きにしても、女の子になりすませてしまえばダイエットと自分の恥ずかしい胸をめぐる全ての問題が解決します。もちろん、女の子だと思い込もうとしたところで、身も心も男の子の翔太君には、友達みんなの前での女装は恥ずかしいのですが、出来ないことではありません。既にブラジャーはクラスで受け入れられてしまっているし、女の子の髪型すら披露しています。友人以外の前でなら、夏休みにスカートで外出しているし、友人の前でコスプレ女装だって以前しています。その意味では大した変化ではない筈なのです。あとで問題になる、女子制服着用の問題なんて、中学2年の、いささか混乱気味の翔太君に予見出来るはずがありません。
 むしろ、気になるのは、女の子にキモいと思われないか、であり、男友達が全くいなくなってしまうのではないか、です。実際、男子は6月以来気軽に話しかけてきませんし、女子もクラスの美人どころだけとしか会話していません。幸い、美人どころとの会話が増えたので、その意味では不便は無いし、寧ろ楽しいのですが、自然な会話の出来るクラスメートが圧倒的に減ってしまった今、残った彼女達に嫌われてしまうと独りぼっちになってしまいます。
 クラスで浮くのではないかという不安をカウンセラーに言ったところ
「そういうのは前もって尋ねるのが良いよ、いきなりでなく、ちゃんと相談した、って事が友達には大切だから」
というマトモなアドバイスがかえってきました。確かに男子の友達には何も言いませんでした。きっとそれが悪かったのでしょう。
 こうしてカウンセラーとの面談は、翔太君の義務感「女の子になりきらなければならない」を強くして、その結果、学校への書類、つまり女子制服着用の推薦状を当たり前の書類と受け入れてしまいました。とはいえ、漠然とした不安はあります。いや、それは今まで以上に大きいでしょう。ただ、その不安の原因が何かは分かりません。女子制服を着用してしまったら、そのあとどうなるか、という点にまで考えが至らないかったからです。今の翔太君の頭を占める問題は「わたしは女の子らしい」「だから女の子らしくしなければならない」という、本来の心の性と矛盾した葛藤です。その努力の集大成ともいえる女子制服着用は、それだけ重く、それ以上を考えられなかったからです。
 もっとも、既に1ヶ月以上も完全女装をしてきた翔太君にとって「ほんとうは女の子」というお墨付きは福音でもあります。今までの女装が肯定されたのですから、その意味では女装の苦しみは軽減されるようになりました。これも「わたしは女の子」という考え方にはまり込んでしまった理由の一つでしょう。
 この感覚は、翔太君の即座に普段着に影響を与えました。翔太君のような中途半端な女の子は、女の子の気持に近づく為に努力しないと受け入れて貰えません。制服すら女物を着るなら、普段はもっと女の子女の子した可愛い格好をする義務があるのです。もしかしたら義務でないかも知れませんが、翔太君は「可愛い服を好きになれないとダメなんだ」という強迫観念を持ってしまいました。感覚的には男の子っぽい格好良い服が好きなのですが、その気持を押し殺し、翔太君は努めて可愛い服を楽しもうと努力しました。
 この種の嗜好は、本来の性の影響より、文化という後天的な影響を強く受けます。ある時代に男物だった服が別の時代には女専用の服になってしまう事があるのはそのためです。だから、翔太君の服や容姿への嗜好が次第に可愛い系になっていったのは不思議でも何ともありません。こうして先天的な心は男のまま、後天的に決められる嗜好は次第と女の子っぽくなっていきました。

 女子制服着用に対する漠然とした不安。それを持ちつつもカウンセラーの診断書(推薦状)を教師に渡した翔太君が次にすべき事務的手続きは、カウンセラーのアドバイスによれば、クラスの女子への打診です。女子に向かって、特に嫌いでないタイプの女子に向かって
「女装したい」
などというなんて恥ずかしすぎます。でも、これは避けられないのです。決死の思いで、顔を真っ赤にして、クラス委員の模範女子生徒に口を開きます。
「えっと、先生やお医者さんから、女子制服を着なさいって言われているんだけど、それってキモいよね」
 翔太君の心配は杞憂でした。既に性同一性障害についてきちんと勉強していた彼女は
「そんなことないわよ、あなたは女の子でいいのだから」
とこれまたカウンセラーや養護の先生と同じことを言います。これをきっかけに、翔太君が恋心を抱いている子を含め、少なくとも翔太君は普段話している「真面目系」女子と相談しました。彼女達は口をそろえて承諾を与え、同時にカウンセラーや養護の先生と同じプレッシャー『ちゃんと女の子になりなさいね』を翔太君にかけました。こうして、とうとう翔太君は女子制服を着る決心がついたのです。
 あとは教育委員会の承認待ちでしたが、これも1学期のうちに養護の先生が根回ししていた為に、医者の推薦状が届くや、翌週月曜には
「生徒を最大限尊重すること。ただし、他の生徒に混乱を与えない事」
という条件で学校判断に任せるという返事が届きました。かくて9月第3週に女子制服着用の許可がおり、その週のうちについに女子生徒としてデビューしました。翔太君が美容院に行ったのは、デビュー前夜で、美容師も、その期待に応えて、制服に合う可愛い髪型に整えました。ちなみにこの時もほとんど切っていません。というのも、翔太君の髪の毛は、その引っ込み思案(女の子としての自信がないのだから当然ですが)に相応しい清楚な長さに至っていないからです。
 翔太君、いや、もはや女子制服なのだから翔ちゃんと呼ぶべきでしょう、彼(彼女?)の女子制服姿はクラスメートに自然に受け入れられました。というのも、それまでに噂が広がっていて、前もって学級委員を通して教師から対応法について少しずつアドバイスが出されていたからです。ここは「良い子」の私学なのです。トイレとか更衣室とかの問題も、身障者用トイレの完成というイベントが全てを説明していて、さらに教師から「男子トイレも女子トイレも使わない、女子更衣室も使わない」と明言されているので、2?3日もすると不安すら解消されました。しかも翔ちゃんの容姿は女子制服に完全にマッチして、男子制服のときのような違和感は全くありません。自然に受け入れられたという雰囲気は翔ちゃんも肌で感じたし、世話好きの美人どころからもそういう「良い」ニュースばかり入って来ました。

 こうして、女子制服を着て1週間、ようやく女の子になることに慣れた翔ちゃんは、ようやく自分の女装姿をやや冷静に見直す余裕が出て来ました。そして、今まで持っていた、漠然とした不安が何であるか、ゆっくり考える余裕が生まれました。そうして漸く重大な事に気付いたのです。それは、いったん女子制服を着たらら、転校しない限り二度と男子制服に戻れなくなるという事です。翔ちゃんは愕然としました。
 例えば、学校中から「例外的に男から女に変わった」と認識され、それ故に、他の女子の下着姿を何度も見てしまうようになってしまった者が、
「自分は男の子だ」
と言ったらどうなるでしょう。性同一性障害を装った性犯罪者・変態レッテルが貼られるのは目に見えています。
 もちろん、女子更衣室や女子トイレの代わりに専用のトイレ等が用意されて、完全女子でなく「男でも女でもない」子扱いなので、表向きは男に戻るチャンスを与えられていますが、人間の世の中はそんなに簡単ではありません。多くの人が気遣って女子制服着用をアレンジしてくれたのです。いまさら男の服を着たいといったら社会的に抹殺されます。
 つまり、翔ちゃんは卒業まで女の子を演じなければならないのです。それどころか女の子よりも女の子らしくならなければ許して貰えない立場にすらなってしまったのです。女の子女の子した毎日。普通の女の子ならジーンズとかを履くような状況でも、スカートやワンピースを履かなければなりません。

 単に女の子を演じるだけなら、コスプレの女装とおなじです。でも翔ちゃんは男に戻れない女装です。言うなれば、少しずつ「男」という人権を社会的に剥奪されていうのです。
 考えてみれば、いつの間にか保健室やカウンセラーの前で男性下着を着ている姿を見せてはいけなくなり、胸を隠さなければならなくなり、立って小用を足す事が社会的に出来なくなり、男子更衣室に入れなくなり、男っぽい動きが出来なくなり、男っぽい言い回しが出来なくなり、男友達がいなくなり、髪の毛を男っぽく切る事が出来なくなり、がさつな振る舞いが出来なくなり、男性下着売り場に入れなくなり、男子トイレが使えなくなり、とうとう男子制服を始めとした男物の服を一切着れなくなってしまいました。最近は女物ですらパンツ系を履く事に抵抗があります。箪笥の中身は普通の女子よりも女の子っぽい服しかありません。秋分を過ぎて夕方が暗くなり始めたせいか、ここ数日は、痴漢の出そうな場所に入れなくなっている自分がいます。
 強制ではないのに、事実上男を無理やり喪失させられている気がするのです。しかもここは私学で高校全入です。まだ4年半もあるのです。卒表する頃には、最後に残った僅かな「男の気配」も奪われてしまうかもしれません。生物学的にはまだ男ですが、それだって何時、どういう形で失わされるかわかりません。

 こういった不安は一気に具体化したわけではなりません。毎日少しずつ考え繋いで、男を完全に失うかもしれない、という考えに至ったのは9月末でした。そこに考えは至った翔太君は、愕然を超えて恐ろしさに戦慄しました。いくら「自分は女の子」と意識していても、喪失の本能的な恐ろしさは消えないのです。
 しかし、人間が考える過ぎる動物です。健気に「わたしは女の子なんだから構わない筈」と思っている自分がいるのです。それに、既に24時間女装まで行き着いてしまったのです。これ以上のことが起こる筈はありません。翔ちゃんはそう思い込むことで、不安を無理やり払いのけたのでした。


その27(中学2年10月前半:個室トイレ)

 既に24時間女装なのだから、これ以上は失う物はない筈。それはある意味正しいでしょう。既に充分に女の子になっているのです。それでいて、体育は男子の部であり、体育祭でも男子として競争に参加することが決まっていて、完全な女子扱いではないのです。もっとも、男子同士の激しい接触に準じる行為となると、そっかすを扱うように他の男子が避けるようになりました。体育祭では個人競技こその男子の部門で参加しましたが、身体接触を必要とする競技では年配の女の先生と組む事になりました。学校側だって女子生徒の感情を考えれば、翔ちゃんを女子と同一視は出来ないのです。男でも女でもないけど、外見は女。そんな特別扱いが限界です。そして、こういう中途半端な扱いこそ、男を失う危機感を抱き始めた翔ちゃんからすると、『女子扱いでない』という一種の安堵感を与える効果がありました。
 しかし、女子制服着用イベントは、そこで終わりません。格好に見合うように諸々のことをすりあわせて行く、という細かな女性化が残っています。6月の下着露見から制服着用に至るまでの急激な変化に比べれば小さなものですが、それでも確実に男を喪失させていくものです。翔ちゃんはそれを軽視し過ぎていました。慢性病のようにゆっくりと進行する性質のものは、往々にして元に戻すのが難しくなるほど重症になるまで見過ごされやすいのです。その意味では、この段階はまだまだ初期であって「間違いだった」と引き返す事が十分に可能でした。
 でも男とばれてしまう至近の怖さの方や、自分は『本当は女の子』だから女の子にならなければいけないという洗脳に近い誤った義務感の方が、遠い将来に男を喪失してしまうかも知れない不安よりも重大なものでした。それが普通の人間の対応でしょう。翔ちゃんだけがのんびりし過ぎたわけではありません。かくて、次第に社会的に女の子になり切ることに慣れていきました。

 まずトイレがあります。今まで主に保健室近くのひっそりした男子トイレの個室で、時間のない時でも男子トイレで用を足していて、たまにアサガオを使う事もあったのですが、専用のトイレ兼更衣室ともいえる身障者トイレを使うようになって以来、男子制服ですら男子トイレに入り辛くなってしまいました。しかも、身障者トイレが洋式であることから、自宅と同じく座って用を足すのが当たり前の感覚です。でも、それだけでは終わりません。女子制服を着用するようになって以来、今度は立って用を足すこと自体が、皆の配慮を冒涜するような気がして、完全なタブーとなってしまったのです。タブーという感覚は学校以外のトイレにも及びました。
 もちろん、夏休み以来のテープによるタックで、立って小便することは物理的に無理な状態でしたが、それは『いつでも止められる・だから小便もいつでも立って出来る』という感覚でした。でも、今では、物理的に可能でも「女の子なのだからダメ」という感覚です。その忌避感は、便器をみるところまで進んでいきました。アサガオをみる事すら、なんだか背徳的な気がするようになったのです。普通の女の子ならそこまで忌避しないでしょう。結果として男子トイレに入れなくなりました。それは学校に限りません。どこであっても男子トイレは入ってはいけない気がするのです。そればかりか、男子トイレを外から窺う事すら、女子トイレを外から窺うのと同じく後ろめたくなって躊躇われるようになりました。
 ちなみにタックは「このままでは男を失う」という恐怖から一度夜間を止めてみたのですが、朝時間がなくてテープで処理しないままショーツに押し込んむ羽目となり、一日中股間が気になって勉強に全く身が入らない結果に終わりました。その日は、あまりにも動きが少ない事から、クラスの真面目女子から体調を心配されたほどです。これに懲りて、再び24時間タックに戻ってしまいました。その結果、もうタックを止められないと思い込むようになっています。今までは、いつでもタックを止められると思っていたので、これも精神的な女性化です。それでも土曜の夜だけは、ささいな抵抗として、タックをせずに過ごすようになりました。もっとも、それは日曜の朝に改めてタックする際に『自分は男のものをぶら下げているのに女装するんだ』という恥ずかしさ思い出させ、同時に『こうして女の子になっていくのかなあ』と諦めににた慣れを促進する結果におわりましたが。
 次に、私という一人称や女言葉があります。既に夏休みに身に付いてはいますが、ほんの半月余りの男子制服の間に、少し和らいで中性的な物言いになっていました。それが再び完全な女言葉に戻ったのです。それどころか、『女の子でなければならない』『男とばれてはいけない』と意識するあまり、まさに大和撫子風の言い方や喋るゆったりしたテンポに少しずつ近づいていきました。物腰や動作もそうです。もちろん、こんなものは時間を掛けて板に付くもんですが、それでも翔ちゃんなら半年もすれば大和撫子の域に達するでしょう。ただ、大和撫子の域に達しても、進化が終わる訳ではありません。女らしさというのはいくらでも発展する余地があるのです。そして、そういう努力を続けられる女性が「よい女」と呼ばれるのです。そういう意味では、今はまだ始まりに過ぎないのです。
 問題は、この手の女性化がイベント的でないので『また一つ、男を喪失してしまった』という危機感を引き起こさないことです。だからこそ、翔ちゃんはいつまでも女の子の物腰や仕草を追求し続けてしまったのです。その意味では、翔ちゃんが今のまま流される限り、クラスや学年で最も「理想に近い女の子」になるのも時間の問題です。普通の性同一性障害であれば、女の子になる事に満足するから、翔ちゃんほどに理想を求めることはないでしょう。
 同じ流れで、女子制服着用は服や下着の趣味にも影響を与えました。なんせ、自分のような半端者は、普通の女子以上の女の子を演じなければ、回りの目が厳しいと感じているのです。それを表すため、努めて可愛い下着や『男には決して出来ない』可愛い仕草をするようになりました。普段着だって可愛い系が主体となり、カバン等につけるマスコット等もクラスメート並みにはきちんと準備します。もちろん、そういうのを買った時とか、初めて装着した時とかは、「女装は恥ずかしいよ」という気持になりましたが、それによって逆目立ちしないですむ安心感の方が大きく、他のイベントに比べたら些細なものです。そして、そういう努力は、回りの人間に、翔ちゃんが性同一性障害の中でも特に女の子になるべくして生まれた子という認識を与えてしまいました。
 可愛い系を好む努力をすれば、習い性として、可愛い容姿を自然に目指し、可愛い仕草や清楚な仕草を自然の選ぶようになるもので、さらにそれが次第に心地よくなるものです。いつしか、女性服とか小物・グッズとかがウインドーに飾られるのを「自分に合うだろうか」という意識で見るようになっています。女性下着コーナーだって次第に実用目的で入りたい場所となって行きました。そうして2学期が終わる頃には、可愛い系を好む女の子と同じ行動様式をとるようになってしまいました。夏休み前とは全く正反対の意識です。本人こそこの種の変化には気付きませんが、回りはしっかり認識しています。それは、翔ちゃん=重度の性同一性障害という認識とともに、翔ちゃんを女の子として受け入れる素地を次第に形成して行きました。確かに努力は実るのです。努力の方向が本人の意思とは正反対であっても。
 もっとも、始めのうちは女子制服姿に対し、女子生徒には警戒を強めた者が大多数でした。オフィシャルな意味では自然に翔ちゃんの女装が受け入れられたとはいえ、それは中身まで受け入れられた訳ではありません。元々男だった翔ちゃんで、いまでも生物学的に男の翔ちゃんが女子生徒を装うことは、女子生徒からすれば、自分の下着姿や男に聞かせたくない醜い内容のガールズトークを偶然聞かれてしまう危険が増えたことは意味します。大多数の女子にとって翔ちゃんはスケベ男のスパイなのです。警戒するのも当然でしょう。
 でも、逆に言えば、そういう危険が確かに増えた事を意味します。女子はガールズトークに夢中になるあまり、女子制服を10m先に見かけても、男子制服を見かけた場合ほどに気にしないのが普通です。だ結局の所、翔ちゃんが偶然ガールズトークの悪い面や、男子に聞かれてはならない生理・下着関係の話を聞いてしまう事故が増えてしまいました。始めのうちはそれに過剰反応していた女子も多かったのですが、人間は慣れる生物です。彼女達も次第に気にしなくなりました。翔ちゃんの存在を気にしては折角の楽しいガールズトークが十分に楽しめなくなるからです。
 この変化は翔ちゃんへの呼称にも反映しました。6月頭以来、クラスメートが会話をほとんどしなくなった理由は、腫れ物を触る感覚と、男子は同性愛の餌食になるのではないかという不安が、女子は下着覗き等の「生物学的男』のスケベ更衣の餌食になるのではないかという不安がメインですが、他に「くん」付けで呼ぶか「さん」付けで呼ぶか呼び名に困った面があります。一応、呼称に関しては本人がカミングアウトするまでは取りあえず「くん」付けですませる事で、下着バレとその翌日に(翔ちゃんを除いた)クラスメートの合意はしたのですが、その後の女子水着着用やブラジャー着用などで、簡単に「くん」と呼び難い状況が続いたのです。そもそも「くん」は親しい者に使う言葉だからです。9月に至ってはあたかも男装女子という感じで、とても「くん」とは呼べません。とはいえ、女子の大半は翔ちゃんを女仲間と認めたくありませんから「さん」付けもできません。男子にしても敬称的な「さん」も親しい感じの「くん」も呼びにくいものです。呼び捨てが限界です。結局、実際に声をかけたのは優等生系の美人どころと、体育とかで呼びかける機会の多い男子の一部(呼び捨てとくん付けの両方)だけとなりました。結局のところ、女子制服着用と共に先生方が一斉に「さん」付けへ変更したのを契機に、ようやく女子と男子の一部からの呼称が「さん」付けになるまで、呼び名の敬称がつけようがない状態でした。
 呼称の変化が女子制服着用と同時に起こったので、翔ちゃん的には女子制服着の大イベントの一部として処理されました。しかも「さん」付け=女子扱いはクラスのごく一部です。クラスメートの過半数は名前を呼ばず、一部の男子が呼び捨てを続ました(この呼び捨ても、翔ちゃんから危機感を奪った理由の一つです)。しかし、まず、優等生系女子の取り巻きが、次第に翔ちゃんを完全拒絶しなくなって、その結果、用事などで呼びかける際に「さん」付けで呼ぶようになりました。完全拒絶が終われば、呼びかけることもあり、その際に「女の子」に「さん」づけするのが「正しいこと」だからです。だから、次第に、普通の女子に、そして、女子につられて男子にも「さん」づけが広まって行きました。「さん」づけとは、言う方も聞く方も、それまでの非男子扱いが女子扱いに近くなる「洗脳効果」をもっています。いわゆる言霊です。だから、翔ちゃんは次第に女子として自然に看做されるようになっていきました。
 こうして、女子扱いや男子からの除外、女の子らしい行動に翔ちゃんは次第に慣れて行った訳ですが、それは同時に男を失う事への絶望感を、じわじわ茹でられるカエルの如く次第に弱める事を意味します。でも本人は気付きません。

 そんな中、女子扱いに関してイベント的な事もありました。
 女子制服を着るようになって以来、スカートの下はショーツ一枚です。制服の下にスパッツを履かなかったのは、それが女子制服への冒涜だと感じたからです。なんせ学校側が特別に「認めてくれた」女子制服です。下着も女の子らしくしなければなりません。「許可」とは多くの「強制」が付随するのです。制服の下にスパッツを履く訳にはいかないのです。そして、中学生らしくするという意味で、ガードルも履けません。
 しかし、翔ちゃんはズボン時代はガードルまで履いていたし、夏だってスカートの下にスパッツを履く事が結構ありました。そんな翔ちゃんにショーツ一枚は寒いのです。残暑の厳しい9月前半がズボンで、登下校時が涼しくなる9月後半からスカートの下にショーツ一枚。その段差はあまりに大きく、慣れる暇がありません。当然、トイレが近くなります。
 学校は教室が身障者トイレに近いので問題ありませんが、困るのは下校時であり、外出時です。10月頭のある日、学校から帰ってそのままの格好で直ぐに街まで急ぎの買い物に出た際、とうとう尿意が我慢出来なくなってしまいました。幸い、身障者トイレを見つけたのでどうにかなりましたが、その日以来、外出が怖くなってしまいました。身障者トイレのない所はもちろん、身障者トイレがあったとしても、健康な自分が使うことに後ろめたさと他人の視線を感じるからです。
 当然、この問題はカウンセラーに相談すべき事です。養護の先生でないのは、身障者トイレが出来て以来、着替えで保健室に行く必要がなくなったからです。もっとも養護の先生でもカウンセラーに相談しろと言う筈ですから同じことでしょう。
 こんな時のカウンセラーの仕事は簡単です。初めて披露した女子制服姿を祝福してくれたカウンセラーが、
「困ったことはなかったかい」
と心配してくれたので、それに乗って
「えっと、実は外でトイレに困って・・・」
と言いかけます。女子トイレを使うしかないと感じてはいるものの、そうあからさまに言うのは恥ずかしいので語尾が濁っているのですが、そのくらいの葛藤はカウンセラーにはお見通しです。
「あ、この間の診断書のコピーがあれば、女子トイレを使って良いのだよ。というか、これからは女子トイレを使いなさいね」
と言って、新たに女子トイレ使用を推薦する但し書きを入れた性同一性障害の診断書を作って、
「生徒手帳と共に常時持ち歩きなさい、それで安心して女子トイレは使えるから」
と言い含めます。翔ちゃんにしても、女子トイレを使うしかないと感じていますから、診断書を貰ってホッとしました。
 折りから、体育の日を含む3連休ということで、1日は街に出掛け「女の子の訓練」の延長でウインドーショッピングを楽しんだのですが、その際に早速女子トイレに入ることになりました。入るまでは、生物学的男の自分が入って良いだろうか、誰かに咎められないだろうか、という不安ばかりだったので気付かなかったのですが、何の問題も無く自然に小用を終えた時に、やっと今後の事まで考える余裕が出て少し後悔しました。一度でも女子トイレを公式に使ってしまったら、男に戻る事が更に困難になることに気付いてしまったからです。
 女子トイレ体験の影響はそれだけではありません。本人こそはっきりとは意識していませんが、女性の専用空間という『男とバレると困る絶対空間』を体験して、ますます女の子らしい仕草と容姿に気を付けなければならないと実感したのです。かくて、翔ちゃんは女装の深みにさらにはまり込むことになりました。

 この日のカウンセラーではもう一件相談する事がありました。それは尻の形です。


その28(中学2年10月:後ろ姿の女装)

 トイレ事件の少し前の10月頭、今までの習性で自主的に保健室に行って身体測定をして貰いました。養護の先生としては、それが肥満度のチェックであるなんて思いもよりません。というのも翔ちゃんの体が、
身長158.0cm, 体重46.6kg, 胸囲77cm (BMI=18.7), 脇下73cm, アンダー64cm, 肋骨下端=くびれ59cm, 臍回り63cm, 尻回り84cm
と平均女子以上の身長に平均女子以下の体重で、BMIが平均女子どころか平均男子をも大きく下回っていたからです。尻だけが肥満の名残で平均女子より若干大きいですが、脇下は今では平均を若干下回り、腰のくびれに至っては腰回りが平均女子をかなり下回って、数字だけならバスト以外はモデル体型に近くなっているのです。それでも身体測定に来たことから、養護の先生は、翔ちゃんに女の子としての体型の自信がないから、そのアドバイスを貰いにきたと解釈しました。
 だからスリーサイズはおろか、その他の部分のサイズも測って、更に下着姿の翔ちゃんを横からと後ろから吟味しました。翔ちゃんにしても、既に下着姿を養護の先生に見せるのは慣れていますから、見定められても気にしません。むしろ、ダイエットのアドバイスが貰えると期待しています。いや、心の奥底では、体型が男とバレないかどうか、そして、本当に自分は女の子なのか、という意味での体型に関するアドバイスも期待していたのですが、さすがに意識の上ではダイエット=名目が優先です。でも、もはや翔ちゃんの目的にすら、女の子としてバレないのか、というのがあるのは隠しようもありません。女装するようになって、体型から男とばれるのでは無いか、という視点で回りの女性や男性を眺めるようになり、そういう観察を経て、同じズボンであっても後ろ姿で男か女かわかる場合があることに気付いてしまった翔ちゃんには、本人に姿が確認出来ない後ろからや横からのシルエットが不安なのです。
 ちなみに、中学2年は普通の男子は成長期ですが、翔ちゃんは成長期が終わりかけています。これは肥満児共通の性質として成長が早めに終わってしまうことに加え、抗男性ホルモンが成長を更に抑えてそうなってしまいました。背が伸びないのは当然です。その一方で、男女では足の長さが違い、子宮を必要としない男の方が一般に足が長くなります。結果的に女子体型でありながら足が長いというモデルスタイルとなっていました。更に抗男性ホルモンで、筋肉が大幅に減って、もともと子供の滑らかな輪郭だったのが、さらに女性よりになっています。しかも肋骨が小さくそれに合わせて肩も背中上部も子供のまま細さと小ささを保っているので、ブラジャーが自然に奇麗な形を作っています。男のブラジャーや元肥満老人の醜い残胸とは違うのです。彼らが醜いのは肋骨の大きさと厚さにまったくそぐわないからです。
 結局の所、翔ちゃんに足りないのは骨盤の形と、そこへの脂肪の付き方ぐらいでしょう。丸みの若干の不足や、膝が骨盤と比較してちょっと男っぽい大きさな難点と言えるでしょう。シルエット全体は女性体型でも、細かくつめれば難点は出て来るのです。例えば膝ですが、いかに内股気味を2年近く続けて、抗男性ホルモンで男の膝になるのを防いでいるとはいえ、やっぱりちょっと大きくて完全な内股向けではないのです。だから、たとえば水着になったら、尻から腰にかけての形や膝と尻の大きさの比率から、女と看做すには違和感を感じる者も出るかも知れません。実際、夏休み前までのプールで、翔ちゃんの体型がどちらかというと女子に近いことが目立たなかった理由のひとつに尻の形と尻から膝にかけてのラインがあります。しかし、大騒ぎするレベルではありません。疑いの目で見れば分かるかもしれない、という程度です。でも、これらの問題は骨盤が広がって尻に脂肪がふっくらつけば解決します。
 養護の先生のコメントは
「うーん、ウエストは完璧だけど、もうちょっとヒップがふっくらしたほうが安心よねえ。それにしても意外とバストがあるのね、ホルモンでも飲んでいるの? きっとあなたはもっと欲しいのでしょうけど、ちゃんとお医者さんに相談しなさいよ?」
というものでした。最後のバストへのコメントは、中学生としては平均的な範囲であっても、性同一性障害者が女の象徴である大きなバストを望む傾向にあることを踏まえてのものです。
 このコメントに対し、翔ちゃんは奇妙な感覚を覚えました。今まで痩せなさいよ言われて来たのに、初めて『ふっくらした方が良い』と言われたからです。それは、確かに肥満対策というより女の子として自然に振る舞う為のコメントでしょう。そして確かに最優先事項です。
 一方のバストに関しては、まさに「意外とある」が故に「私は女の子では?」と思っていますから、そこの部分は気になりませんが、ホルモンの下りは気になります。
「抗男性ホルモンは処方されていますが、他は知りません」
と答えると、
「そうなの、良かったわね、女の子になる素質があって」
という祝福の言葉が出て来ました。その言葉に『やっぱり女の子で間違いない』と養護の先生が判断したような印象を翔ちゃんは受けました。
 それだけに、この日以来、翔ちゃんはダイエット、つまり腰の細さよりも尻の形のほうが気になるようになりました。いや、腰だって気にはなっていますが、尻の形は自分では絶対に分かりません。だからこそ、中途半端な女の子である翔ちゃんは気になるのです。そして、そういう目で改めて他人の後ろ姿を見ると、なるほど、尻の形が男と女とで違います。そういう認識で自分の尻を触ると、多少脂肪があるとはいえ、充分にふっくらしていません。だから、下手をすると尻が原因で男とバレるのではないかという不安を抱くようになりました。
 だからこそ、カウンセラーとの面談では、女子トイレ着用についで、尻の形の相談をしたのです。当然、カウンセラーは
「そこまで女の子の体が欲しいのか」
という気持で翔ちゃんの体を吟味します。

 吟味自体は養護の先生と同じですが、カウンセラーの方が知識があります。まず、抗男性ホルモンだけでかなり良い大きさになっている事に正直に驚きました。これは翔ちゃんが肥満体型だった名残りで、その贅肉が脂肪に変わったお陰ですが、そこまでカウンセラーは知りません。理由はともかく、翔ちゃんの懸念が男とバレるかどうかという不安なら問題ありません。翔ちゃんの尻サイズは、腰や脇下と比べて充分に大きいので、多少形が悪くても十分に女の子です。
 もっとも、翔ちゃんが完璧を期したいとか、外国人の豊満な尻を憧れている可能性もあります。それ以前に、裸になる機会があったら不信の思われるかもしれません。そこで
「十分に女の子の大きさにはなっているから、バレるとは思わないけど、気になるなら尻パッドの入ったショーツが補正下着として売っている筈だから、それを使えば良いよ」
と言って取りあえず翔ちゃんを安心させます。それを聞いた翔ちゃんは、逆にバレる可能性がゼロでないと判断しました。
「あのう、やっぱり何処が足りないのですよね」
それはもちろん骨盤の形であり、そこへの脂肪の付き方です。でも、こういう質問は対策まで要求しているのが普通です。
「そりゃあ、まあ、骨盤が男のままだからなあ、確かに君の場合はそれが重大な問題かもしれないなあ」
と考え込みました。
 女性の高くて広くて深い骨盤は、人間の骨格でも特に男性と違っていて、その差は肋骨や手足の関節どころではありません。だから、尻の形を女らしくする方法は、骨盤手術か女性ホルモンか、その併用かしかないのです。しかし、中学生に手術までするのは有り得ませんから、ここは女性ホルモンの一択ですが、話は簡単ではありません。というのも性同一性障害の『治療』にはガイドラインがあって、医者はその倫理にある程度縛られるからです。翔ちゃんはまだ13歳。そして来月14歳です。
 性同一性障害治療のガイドラインでは、既に2012年の段階で、ホルモン治療の年齢下限が下がって、抗男性ホルモン(可逆治療)が12歳、女性ホルモン(不可逆治療)が15歳となっています。もっとも18歳未満での女性ホルモン投与の条件として2年間以上のカウンセリングと1年以上の女装経験が必要とされています。その意味では、11月生まれの翔ちゃんは、カウンセリングを初めて受けたのが中学1年10月、抗男性ホルモンの処方を受けたのが11月、丁度13歳になる頃なので、15歳になると共に女性ホルモンを処方される資格があるのです。
 もちろん、このお話の頃には、条件が緩和されています。そもそも年齢制限があるのは、本当に男性機能を失わせて良いかどうかの判断を、判断力の足りない子供に任せられないからです。まさに翔ちゃんがその例でしょう。一方で、そういうごく僅かの例外の為に、女性化のタイミングを失うデメリットがあります。特に中学での女子制服の着用が性同一性障害者で盛んになり、彼女(?)らが最終的に尽く女性になってしまった実積を考えると、女子制服の着用をもって引き返せさないと一般的には判断出来るでしょう。しかも、女子制服を着用してしまったら、確かに翔ちゃんのように社会的に男には戻れなくなるのです。
 となれば、カウンセリングの期間が1年であっても、年齢が15歳に達していなくても、女子制服の着用に踏み切った子に女性ホルモンを投与して問題が起こる筈がないのです。問題があるとしても、それは1%に満たないでしょう。13歳では時期尚早かも知れませんが、14歳なら許容範囲の筈です。だから、この時代にはそういう対応が普通に行なわれていました。しかも、投与量を減らして、男性機能を完全には殺さない程度にすれば、2012年のガイドラインにすら觝触しません。
 それでも女性ホルモンの投与は、一線を超えることなのでカウンセラーも慎重です。そこで、ガイドラインにあるように、2人目の専門家の合意を得る事にしました。ガイドラインで要求されているのは、セカンドオピニオンではなく、2人の専門家の合意です。セカンドオピニオンだと推薦ではなく全く別のルートで患者が捜すことになりますが、そんな事をしていたら話が進まず、思春期では手遅れになる可能性が高いからです。
「うーん、実は君の骨盤を、もっと良い形にするのは全然難しくないんだ。でも、手続きってのがあってね、別の先生を紹介するから、その人とも相談しなさい」
 ここでカウンセラーもミスを犯しました。それは女性ホルモンという言葉を使わなかった事です。というのも、性同一性障害者の間ではあまりに当たり前の知識であり、更に抗男性ホルモンの投与が続いて、女性ホルモンについて既に話したつもりになっていたからです。それにここで言い忘れても、もう一人の先生がフォローする筈だという安心感もあったからです。カウンセラーのミスを責めるのは酷と言うものです。
 ちなみに1年前の抗男性ホルモン処方は、まだ可逆処方だったのと急ぐ必要を感じたのとで、一応心理学関連の資格を持っている養護の先生を相談者と看做して済ませています。それに対し、今回は女性ホルモンを少なめに投与するという、かなり専門的な話になります。そこで産婦人科の先生を推薦しました。 カウンセラーの内情はともかく、結局、翔ちゃんが理解したメッセージは、尻の形をふっくらさせるのは簡単で、ただ手続きの為の別の先生に会わなければならないというものでした。もちろん、翔ちゃんとて女性ホルモンの事は知っています。でも、それは胸を膨らまし、男の機能を失わせる薬という意味で、尻の形限定の薬とは思ってもいません。だからこそ、新たな誤解を抱えたこの日かかえることになったのでした。

 推薦先が産婦人科ときいてビビらない男の子はいません。産婦人科は男の子にとっては女性下着コーナー以上に近づけない世界でカウンセラーとは違うのです。特にこの病院では、心療科みたいな敷居の高い名前でなく、相談室という名前の科にして、気楽に何でも相談出来る雰囲気を出していたから、落差はなおさらです。そんな産婦人科ですから、いかに24時間完全女装で、しかも『極めて有力な女の子候補』として『本当に女の子』なのかはっきりさせる為に行かなければならないと自覚している翔ちゃんですら、気楽に行けるところではないし、積極的に行きたいとも思いません。行くどころか、予約すら、翔太と言う男の名前を言わなければならないのではないか、という怖さがあります。
 幸か不幸か、1つ目の難関である予約はカウンセラーの先生がしてくれたています。自分で予約しなくて良い代わりに、予約をキャンセルすることは出来ません。実はカウンセラーの時間の直後、無理を言ってでもキャンセルして立ち止まるべきではないかと少しだけ考えました。なんせ、男を失う本能的恐怖を感じ始めているのです。もちろん、立ち止まった所で、もはや学校公認になった女装を止める訳には行きませんが、産婦人科に行く事を、なにか理由をつけて避けることはできるかもしれません。
 でも、そういう考え方は週末のうちにしぼんでしまいました。それは外出で女子トイレを使ってしまい、尻の形からトイレで鉢合わせした女性に男バレする可能性に気付いたからです。女子トイレを使ってしまった以上、今後は男子トイレも身障者トイレも使ってはいけない気がします。だからトイレが我慢出来なくなったら、今後も女子トイレを使わざるを得ないと感じています。本当はそんな事はないのですが、翔ちゃんは社会的立場の人間として強制されている気がしているのです。となると、トイレみたいに狭い空間で、相手の体型がバレやすい状況での尻の形は重要です。もしもカウンセラーの言うように簡単な方法があるなら、産婦人科の先生に会うだけは構わない気がします。こうして、産婦人科という重大なハードルを超える事になってしまいました。
 もっともカウンセラーに云われ、自分でも決心したといえ、産婦人科に行くことは恥ずかしいでしょう。『尻の形を女の子のようにふっくわさせる薬』を冷静に女性ホルモンに結びつける精神的余裕がなかった一因も、恥ずかしさがあまりにも大きかった事に帰結できるかもしれません。もしかしたら女子トイレを使う事で元に戻り難くなる危険に考えが及ばなかった一因かも知れません。
 予約は月末の平日午後15時となりました。この病院は平日午前が一般診療、平日午後と土曜の午前が予約診療で、元々人手不足気味の産婦人科となると、土曜は働く女性が優先となるからです。半月以上待たされる代わり、担当は、このカウンセラーと性同一性障害関係の仕事を一緒している先生です。ちなみに今回も母親はついて来ますが、実際に医者と会うのは翔ちゃんのみで、母親はそのあとに相談する事になっています。未成年なので、治療には親の同意が必要だからです。これは抗男性ホルモンを投与し始めた時も同様で、その時は翔ちゃんは一人でいったものの、その直後に母親に電話が会って、母親が翌週に出掛けて同意したのでした。ともかくも、母親の同伴で、一番の難関である受付(そこでは健康保険証で翔太という男の名前を見られてしまう)を無事にクリアーしたのでしたが、それは月末の話です。


その29(中学2年秋:女の子の入口)

 女子トイレの使用と産婦人科の予約とで、またも女の子に向けての一線を越えた翔ちゃんですが、イベントはまだ続きました。それは10月後半の冬服更衣です。女子制服着用から1ヶ月経っているので、翔ちゃんのサイズに合わせた制服も仕上がっています。冬服はスカートだけでなく上着も男子制服と大きく変わってきますが、既に夏服に慣れてしまっている翔ちゃんには、あまり恥ずかしさはありません。それどころか、下着ラインが見えなくなってホッとしている自分がいます。そう、一旦は『ブラジャーの紐が透けるのにマッチした女装』をする事で安心した翔ちゃんですが、男子が他の女子の下着ラインを、いや自分すら他の女子の下着ラインをこっそり凝視しているのに気付くと、 逆に、自分が他の男共にそういう目で下着ラインが見られる筈だと思い至ったのです。自分の正体を知っているクラスメートはともかく、学校外の場所で、知らない男共にそういう目で見られるのは嫌悪でしかありません。
 この種の視線は、翔ちゃんを次第に男性恐怖症の『か弱い女の子風』に仕立てて行きました。翔ちゃんが女の子の心を持っていれば、男の目は嫌悪だけでなく、恥ずかしさや快感も含むでしょう。でも翔ちゃんは身も心も男の子です。男から性的対象としてみられるのは嫌悪以外ありません。だからこそ、下着ラインの見えない冬服に安心を覚えたのでした。
 とはいえ、
「冬服も女子用になっちゃったけど・・・当然よね」
という、ある種の喪失感はあります。それは、冬服更衣の際に、普段着も冬服に変わった際に特に強く感じました。もはや使わない男物が、最後に残った下着もアウターも奇麗に処分されてしまったからです。男物のズボンの代わりにはスカートとパンスト・レギンスの組み合わせが、シャツのかわりには長袖ブラウスとワンピースが箪笥のおさまり、セーターは全て女物の柄となり、Tシャツすら、男女兼用は2枚だけとなって、残りは前の開いた女物です。そればかりか女物であっても、ズボン系は股間が怖くて、箪笥にあるものの履けなくなっているし、夏休み以来迂遠になっていたガードルに至っては、『尻をふっくらさせるのに障害となる』という新しい理由で、箪笥の脇に追いやられて、外出時はもとより、夜ですら全く使われなくなりました。そして、ガードルで股間を押さえつけられなくなったツケとして、ますますパンツ系も履けなくなってしまったのです。
 ガードルやズボンの代わりに登場したのがパンストです。それは翔ちゃんにとって新しい世界でした。下半身を温める機能があるので、トイレが近くなってしまった経験のある翔ちゃんには確かに有り難い筈のものだし、中学2年生ともなれば、お洒落をするときに大人っぽさを演出する必需品ですが、それでも『普通の女の子よりも遥かに女を演出する』パンストは、翔ちゃんにはきついのです。女の子になりたくて女装しているのではなく、仕方なく、あるいは回りの薦めに流されて女装しているからで、『どうして大人っぽい女装までしなくちゃならないの』と思ってしまうのです。
 心に折り合いをつけて初めてパンストを履いたとき、その暖かさと股間を抑える効果に『これは必要』と感じたのは確かですが、その勢いで外出した挙げ句『更なる男の喪失』を感じてしまったのでした。それでもパンストを止める事はできませんでした。既にずっと女装しているし、なんといっても暖かいのです。ただ『これってあまり中学生らしくないから目立って危ないよねえ』という不安から、出来るだけ履かないようにしているだけで、もはやパンスト=更なる女装という意味ではありません。そして、ここでの不安には、今までの『らしくない格好は目立つから男バレの危険がある』という面よりも『こんな格好は男の目を集めて貞操が危ない』という、痴漢を恐れる面が強くなっています。
 こんな風に男物が処分された中、学生服だけは『昔、男の子だった記念』という意味で壁に吊るされています。実は処分の為に押し入れから引き出されたのですが、さすがにこの時期に貰ってくれる人もなく、かといって捨てるには勿体なく、さらに翔ちゃんとしても『もしかすると男の子に戻る日があるかも知れない』と心の奥底で希望していることから、行きどころをなくして壁に吊るされる事になったのです。それを見る度に、翔ちゃんは男の子だった頃への郷愁を覚えると共に、『でも男の子だった頃とそんなに違わない気もするなあ』とか『今の方がクラスの美人どころと沢山話ができているし』『女装のスリリングなところはスパイみたいで嫌でないかも』と改めて自分を『騙して』なぐさめるのでした。
 冬服更衣の影響はこれだけではありません。冬服で登校したその日、翔ちゃんは事務に呼び出されました。生徒手帳用の再交付の為です。写真は普通は本人提出ですが、たった一人という事で事務の方で写真を撮り、翌日には出来上がっていました。再交付と聞いて翔ちゃんは少し安心すると共に、男を示すものがまた一つなくなってしまった事に寂しさと、不安を感じました。安心したのは、4月に作った『男子』生徒手帳では、今の翔ちゃんを全く証明していないからで。女子トイレの使用もこれで更に安心出来るというものでしょう。不安はもちろん男だった痕跡をまたひとつ失ってしまったからです。
 本来なら9月中に再交付すべき性質のものですが、1ヶ月待ったのには訳があります。それは、翔ちゃんの女子制服が問題ないのか、本人もそれで困る事はないのか、学校側でも自信がなかったからです。だから夏服の間は女子制服の試用期間と言う位置づけでした。そういう意味では、冬服への更衣という、男に戻る大きなチャンスを逃してしまった事になります。でも、既に「戻れない」と感じていた翔ちゃんにそんな考えは及びません。写真を撮った翌日に性別欄のない生徒手帳を受け取った際、その旨のことを大まかに告げられて、初めて『しまった』と思った次第です。とはいえ、表向きは『ああ、良かったわあ、とっても嬉しいです』と女の子らしさを振りまいて喜ばなければなりません。そして、そういう演技を通じて、自分は女の子と認められたかったのだ、と自分自身を女の子という立場に慣らさなければなりません。そういう行為を続ければ、自己暗示効果が少しは出る訳で『本当は自分は女の子になりたかったのかなあ』という奇妙な感覚すら覚えるようになりました。もっとも、そんな自己暗示ぐらいで『男の更なる喪失』という本能的な侘しさ・怖さがなくなる筈がありません。いや、意識で押さえ込んだ不安だからこそ、無意識には増大しています。

 女子制服を着る事で気付き、女子トイレ使用で再認識し、生徒手帳交付の際に回りからすら指摘された
「このままでは男に戻れなくなる」
という不安は
「それどころか、将来は男そのものを失ってしまうのでは」
という恐ろしい予感に拡大していきました。産婦人科訪問の日を迎えたのはそんなときです。当然、医者に言うべき事でしょう。
 でも、どうやって口に出せるでしょうか。たといカウンセラーと違う新しい医師であるにせよ、産婦人科医に会うということ自体が『もっと女の子に近づきたい』という意思の現れと世の中は解釈するのです。それと矛盾する「男に戻れるのでしょうか」
という質問は、過去の自分が過ちだったと懺悔するようなものです。そして、中学二年生といえば、過去の自分を否定するような質問なぞ見栄でできません。過去を否定して立ち戻る勇気があるのなら、始めから女装に囚われることなぞ無かったでしょう。今までいくらでも引き返すポイントがあったのにそれを見逃したのは翔ちゃんなのです。
 翔ちゃんへのプレッシャーはそれだけではありません。わざわざ早退しての病院なので、男に戻る為の相談のようなカウンセラー相手に出来る話をすべきでなく、ここは確かに女の子のふっくらした尻を簡単に手に入れることに集中すべきだという思いがあります。だから、医者から挨拶代わりの質問
「君がここに来た理由は?」
を投げかけられたとき
「私は性同一性障害なんです。それでお尻が気になるのでカウンセラーの先生と相談したら、ここを薦められました」
と見栄いっぱいの返事をしました。とても「男に戻る」云々は言えません。これが普通の中学生です。 
 一方の産婦人科医は、翔ちゃんの容姿に加えて、その仕草に女の子を訓練したことがはっきりと見とれますから、翔ちゃんの「性同一性障害」は一瞬で95%確定しました。しかも直後の挨拶への返事で初っぱなから性同一性障害を宣言しています。これは疑いようもありません。
 改めてカウンセラーからの手紙を読むと、なるほど女性ホルモンの処方をすべきかどうか、その際の量をどうするか、という相談だとわかりました。でも翔ちゃんの気にしているのが、胸や男性器という普通の性同一性障害と違い、本人が認識しにくく自己満足度の低い骨盤なのが気になるものです。その疑問だけを抱きつつ
「骨盤を大きくしたいんだね。じゃあちょっと診察するから」
と翔ちゃんの服を脱がせます。
 まず気付いたのは、コルセットです。体系を女性的にする努力をここまでしているという事は、それだけ女の子になりたい意思が強い事を意味します。しかも胸は少しふっくらしています。産婦人科医の目でみれば、それが単なる思春期特有の女性化乳房に終わらず、肩口を無理やり押さえ込んでいる効果や抗男性ホルモンの副作用が交ざっていることもわかります。なるほど、これなら胸以外の身体的特徴が気になるのも当然でしょう。確かに骨盤を少しでも女性型に近づけたいと考えているに違いありません。
 そう判断した産婦人科医は、これは女性ホルモンを投与するかしないかの問題ではなく、その量の問題だと判断しました。ほとんどの患者は、早めの、しかも上限ギリギリの女性ホルモン投与を望みます。でも、それは副作用等いろいろ問題を起こします。それは目の前の患者にだって当てはまる筈です。それどころか、翔ちゃんは女性の体に改造するのにコルセット等で非常に努力しているのです。下手に女性ホルモンを処方すると暴走する可能性すらあります。だから、まずその点に釘を刺します。
「えっと、まず言っておきたいのだけど、処方しても、絶対に勝手に多く摂取しちゃいけないからね。もちろん君を信頼しているけど、くれぐれも処方(の上限)を守りなさいね。そもそも15歳までは後戻りできない治療は避けなければならないんだ。だから、量は少なくしなければならないんだよ。(だから処方以上に摂ってはだめだよ)、でも効果は出るんだから、気長に成果を待ちなさいね」
 これを聞いて、翔太君は一安心しました。なんせ来年の11月までは、どんな治療をされても後戻りできそうだからです。それに手術系でなく薬系で確かに簡単そうだからです。処方量をきちんと守ろうと決意して、事実上、医師の奨める上限量を摂取する事になりました。そんな翔ちゃんの
「いや、少なめは却って嬉しいです。まだ13歳ですから」
という答えに、今度は産婦人科医が、まず驚き、そして喜びました。翔ちゃんに暴走の心配がなさそうで、しかも医学データがとれそうだからです。
 少量処方は、それを望む患者が少ないので、量と効果と男に戻れる期間の関係すらよく分かっていません。たとい医師が少量を処方しても、それに満足しない患者がネット輸入などで勝手に女性ホルモンを手に入れる例が多く、きちんとしたデータが取れないのです。その意味で翔ちゃんは格好の被検体です。将来の同様の性同一性患者、特に中学生以下の為の格好の試金石で、なによりも専門医として、こういう事例を手掛けて成功させたら功績になります。しかも、投与量が多すぎて戻れなくなっても、喜ばれはすれ、困る事はないでしょう。
 もちろん、データ的に一番嬉しいのは、男性機能を維持しつつも、ゆっくり女性化を進めることで、十分な女性体型になる、という量です。幸い、翔ちゃんはコルセット等でかなり女性体型に近づいているのです。こんな体型まで女性化しておきながら女性ホルモンを少量しかの望まないというのは、医者からみたら、不正をした訳でもないのに成果が奇麗に出て来る美味しい患者です。この時点で、非常に量を減らした女性ホルモンの処方という人体実験が確定しました。あとは、正式手続きのみです。
「あ、でももう一人のカウンセラーの先生と相談して決めて、更に色々手続きがあるから、始めるのは3週間後ぐらいになるよ。その頃には、君は14歳だね」
「それって、どのような治療ですか?」
「あ、もちろんエストロゲンだよ」
「エストロ?」
「エストロゲン。女性ホルモンの一種だよ。ほら、君が使っているホルモンとは別の種類のやつ」
 女性ホルモンと聞いて、翔ちゃんはぞっとしました。
「えっと、それって、たしか」
男に戻れないといおうとして、それが禁句のような気がして、言いよどむと
「うん、あまり使い過ぎると、体に良くないんだ。なに、さっき言ったように、少なめの処方を守れば、大丈夫だよ」
と答えてきます。医者としては少なめを強調したいからです。
 ここに及んで翔ちゃんも『男に戻れますか』と2重に聞くのが格好悪い気がして、この話は終わってしまいました。あとは、副作用の説明とか、今後の日程とか、女の子として生活する注意とか、そんな話です。その間も医者は何度も『男性機能を壊さない程度の少量』を強調し、こうして診察は終わりました。
 ちなみに翔ちゃんの着ている補正下着やタックですが、2010年以前なら「血行を損ねる」「内蔵を圧迫する」「睾丸機能を損ねる」という理由で止めさせる医者やカウンセラーがほとんどでした。でも、それを言えばホルモン剤は機能を損ねると言う意味で全て体に悪いし、手術は機能きのものの排除ですからもっと悪いのです。結局、この手の指導は性同一性障害への理解が足りなかった時代の産物で、この時代には黙認されていたし、もしも患者から相談されれば、一番機能を損ねにくい形のタックの仕方や、補正下着の選び方、そして、当然ながら、それらが引き起こす代表的な症状を上げて、異変や痛み、かゆみなどを感じたら即座に医者に会うように指導する形に変わっています。ですから、8月の段階で翔ちゃんは一番皮膚に易しいタイプのテープに変わり、産婦人科医には生体ボンドすら貰っています。長時間固定した方がかえって精管や睾丸を傷つけにくいからです。

 こうして産婦人科訪問を終えた翔ちゃんは「女性ホルモン」という言葉がいつまでも耳から離れませんでした。今は精神的に「男装に戻れない」気持ですが、女性ホルモンを処方されたら、いつかは肉体的にも男に戻れなくなります。一方、医者は15歳までは男に戻れるような少量を強調しています。それに、産婦人科医すら、翔ちゃんを「本当は女の子」と診断したのは明らかです。となれば、いずれ男を喪失しても仕方がないと頭の中では理解しています。ただ、本能がそれを恐れているだけです。結局、翔ちゃんが中学2年生特有の見栄を維持しつつ、これ以上の『喪失感の恐怖』から逃れるには『少量の処方』をカウンセラーに強調するぐらいしかありません。そして、それが、結果的にカウンセラーに『処方をする』という方針へ決定的に傾けされたのはいつもの通りです。それまでは、始めにホルモンを示唆したカウンセラーといえども、そこまで自信はなかったのです。かくて11月後半から女性ホルモンの少量投与が始まってしまいました。もっとも、少量なので影響が出始めたのは新年になってからで、年内は投与前と変わりません。

 一方、冬服になってからクラスメートの関係が徐々に改善されて行きました。更衣では誰もが雰囲気を変えるので、翔ちゃんの異装の奇異感が目立たなくなったのです。今までは『女装の翔ちゃん』と一目で認識されていたのが、冬服になってからは、先ず『クラスメートの女子らしい』と認識されたあとに、あれは『3割女の翔ちゃん』だった、と再認識されるようになったのです。いわば、翔ちゃんの存在が空気化していったといえるでしょう。
 その結果、今まで拒絶や嫌悪のような激しい感情を翔ちゃんに持っていたクラスメートも、なんとなく近づけないといった程度の弱い感情に収まってきました。中には翔ちゃんの特殊な内面に興味を持って、いろいろ聞いて来る強者すらいます。女子の好奇心、特に漫画でボーイズラブとかになじみつつある連中にとって、翔ちゃんは格好の観察対象なのです。また、優等生系の美人どころも、接している時間が長くなった分、普通の女友達感覚を持つ者も増えていて、友達数人で『女の子限定』のガールズトークを始める際に、そこに翔ちゃんが同席しようはしまいが気にしない者すら出て来ました。要するに、ガールズトーク仲間という意味では翔ちゃんは半分以上女の子として認識されるようになってしまったのです。さすがにトイレや更衣室に翔ちゃんを積極的に誘おうとまでは思いませんが、それでも、翔ちゃんがトイレや更衣室に来ても仕方ないというぐらいにまで、受け入れられるのは時間の問題でしょう。
 この種の受け入れは、翔ちゃんにとっては嬉しいものです。というのも、我慢して女の子らしく振る舞ったからこそ、その成果として、次第に会話に加われるという形で女子に受け入れてもらえるようになったからです。しかも、この変化を肌で感じたのは、まだ女性ホルモンの効果がぜんぜん見えず、投与を学校側や同級生に知られていない頃で、純粋に女装とダイエットの努力の成果です。ちなみに、この頃になると、ガールズトークの影響で、ダイエットは美容の一部という認識に変わっています。そればかりか、会話の増えた女子から『いつから女の子になる努力を始めたのか』という質問をなんどもされるにつれ、出来るだけ長い期間に見せようとする見栄から、自分の過去までが美容の為の努力だったように解釈して答えるようになり、そういう応答を通じて、昔から(女の子の意味の)美容の苦労をして来たと錯覚すらするようになってきました。
 女子同級生に受け入れられる心地よさは他にもあります。ガールズトークに加われるということは、見方を変えれば女子に取り囲まれるハーレム状態を意味するからです。それは翔ちゃんにある種の心地よさすら与えました。なんせ翔ちゃんの心は男の子です。頭の中では「本当は女の子」の筈だと思っても、本能的にハーレムが嫌な筈がありません。特に同性愛を恐れる男子が翔ちゃんを避ける現在、これが唯一の楽しみです。だからこそ、我慢して女の子らしく振る舞った成果に満足しました。おそらく、女装で得た唯一の「本能的喜び」でしょう。
 このような「努力が次第に報われて行く過程」では、得てして目標達成時に起こりうる問題点から人間の目を背けさせる効果があります。これは翔ちゃんに限りません。自然と、翔ちゃんは女の子に溶込む事で、自分の男としての社会的存在を更に奪われていっている事から目を背けてしまいました。
 だから、髪が伸びて髪留め用のヘアピンが必要になっても、それをつけることにそこまで躊躇いはありません。もちろん、又も一線を超えたという感覚はありますが、それだけの事です。そして、ヘアピンでは済まなくなって、バンドで留める必要が出て来た時には、簡素な輪ゴムで留めるかわりに、美容院で薦められたままリボン系のバンドで留めるようになりました。校則で派手なデザインは禁止されていて、それでヘアピンは簡素なものしかダメですが、バンドはリボン系ぐらいまで許されています。垂らすだけならどんなに整えても男で通じるし、髪をまとめるだけだって、単にゴムかなにかでくくるのであれば寧ろ男っぽいかもしれませんが、翔ちゃんの使っているのは女の子しか使わない色とデザインです。
 その頃にはガールズトークにも自然に加わっていて、リボン系の髪留めは女子に好感をもって迎えられました。というのも、翔ちゃんが恥ずかしそうにしながらも次第に可愛い女の子になっていく様子は
「本当に女の子の心を持っていて、将来は確実に性転換手術を受けるだろう」
「だから、スケベ目的という心配は要らないし、性的にも危険でない」
と女子同級生に思わせるのに十分だからです。翔ちゃんにしても、恥ずかしさよりも、それで回りの女子=本能的にはハーレムに溶込める安心感の方が上回っています。それどころか、同じ不安でも『わたし、今までより可愛くなったなったかしら、他の女の子に、可愛いと言ってもらえるかしら』という女の子心理の不安の方が大きくなっていたかもしれません。


その30(中学2年冬:女の子と認められて)

 翔ちゃんの女子制服や体操服から浮かび上がる女っぽいシルエットには女子生徒の多くが興味を持ちました。しかも抗男性ホルモン摂取の件は9月の女子制服着用の際に、女子を宥める意味で非公式にリークされていて、しかも、耳聡い女子から、それが可逆的ながらも化学的去勢に使うホルモンだという所まで、女子の共通認識になっています。となれば、どうせそのうち性転換手術を受けるに違く(と彼女達は思っている)、早かれ遅かれ翔ちゃんが女子更衣室を使うことは十分に予想されます。それならば、見られる前に、翔ちゃんの身体的な女子度を探りたいと思うのも自然な感情でしょう。ただただ、それを要求する手段が無いだけです。
 しかし、数多くいるクラスメートの中には、自分の下着姿を翔ちゃんに見られる引き換えに、翔ちゃんの下着姿、出来れば上半身裸を(『男なら問題ないよね』という感覚で)見ようとする者だって出て来ます。彼女達は虎視眈々ときっかけを狙っていました。1対1だと不安がありますが、女子3〜4人で一緒に翔ちゃんを着替えれば、十分に安全だし、人数の力で翔ちゃんの着替えに時間をかけさせてゆっくり吟味できるというものです。そこで、体育祭や文化祭など、女子更衣室が溢れるイベントで、翔ちゃん専用の身障者トイレで着替える形で翔ちゃんとの鉢合わせを狙いました。使用者のいないトイレ内が翔ちゃんの掃除で清潔なことは確認済みです。しかも、女子更衣室は体育館隣接でグランドから遠いから、教室から出るには身障者トイレのほうが便利で名目も立ちます。しかし、これは時間差で翔ちゃんにかわされました。となれば普通の体育での着替えしかありません。つまり
「時間が無いのでここで着替えさせて」
という名目で、翔ちゃんが着替えている最中に身障者トイレに入り込むことを狙いました。
 もっとも、そんな事をしなくても機会は向うからやってきました。故意か偶然か、翔ちゃんを含む数人が水遣りのホースの水を浴びてずぶぬれになったのです。しかも12月の初木枯らしの吹く日で、急いで体操服のジャージに着替えないと風邪を引きます。水を浴びた女子は翔ちゃん以外には、積極型の2人と八方美人系の真面目女子です。翔ちゃんが恋心を抱いている子ではありませんが、美人系には違いません。この日は、たまたま週に1度、身障者トイレの床面を思い切り水洗いする日だったので、身障者トイレで着替えるのは困難です。これらの事から、ホース事件は故意だったのではないかと、後日になって翔ちゃんは疑いましたが、証拠はありません。
 ともあれ、翔ちゃんは保健室でジャージに着替える事になりましたが、そこに3人の女子がついて来るではありませんか。彼女らの言い分では、他のクラスの体育の授業で女子更衣室がごった返しているのと、保健室の方が近いからという理由です。真面目系の女子は残り2人に言いくるめられたのでしょう。こうして、女子3人と一緒に着替える事になってしまいました。人数が4人なので養護の先生は外で待ってくれます。
 翔ちゃんは心は男だから、女子の下着姿を見るべきでないと思っています。だから、この期に及んでも女子の着替えを見ないように俯いて着替え始めました。しかし、翔ちゃんがスカートを履いたままジャージを履こうと手にすると、その前に既にわざとスカートを先に脱いでいた積極型の女子が、
「そんなことしたら、スカートにしわがよるわよ」
「濡れた服を脱ぐのが先でしょ」
と口々に翔ちゃんの着替え順を非難しました。この不意打ちには翔ちゃんも、思わず手を止めて彼女達を見ると、上着の裾からショーツをちらちら見えています。しかも彼女達は上着のボタンにすら手を掛けています。
 これが普通の男の子なら、股間が硬くなって女子に嫌がられるところですが、翔ちゃんは生体ボンドでタックしているうえに、抗男性ホルモンで生理的な性欲を抑えています。彼女達はスカート越しに翔ちゃんの股間を見ながら
「あ、男だから恥ずかしいんだ」
とか、わざとらしく
「キャ」
とか言いはやします。真面目系の女子のほうは
「あなたたち、からかうのはそのくらいにしなさいよ」
と他の女子2人をたしなめつつ、スカートを後回しにして、先に、より濡れた上着のボタンから外していた、翔ちゃんの目が向かった時には、ほとんど外していました。
 ここで翔ちゃんは考えました。スカートを先に脱いで、股間が女の子風のままである事を見せた方がよいか、それとも普通にジャージを先に履くのが良いか。いや、考えるまでもありません。そもそも服は上下とも濡れています。彼女達の言い分が正しいのです。そこで、まずは上着から先に脱ぎ、そこでジャージの上を着る代わりにスカートも脱ぎ、最後にコルセットも濡れていたので外し、そこでタオルで体を拭ってからジャージを履き始めます。
 その間にもコルセットの質問やら
「ねえ、好きな男の子って、もしかし○○君?」
というとんでもない質問が来ますので、その度に翔ちゃんは目を上げる事になって、とうとう女子3人全員の下着の色と柄を覚えてしいました。性欲が抑えられていても、翔ちゃんはやっぱり男の子なのです。
 そして、そうやって手間取っているうちに、女子の方は翔ちゃんの体、胸、股間をじっくり見て、腰のくびれがコルセットを外しても同級平均よりくっきりし、ブラジャー越しに見える胸の膨らみは本物で何も詰めていないこと、そして、自分たちの下着姿を見てすら股間に何の変化も無い事を見て取りました。抗男性ホルモンによる化学的去勢というのは間違いではありません。
 翔ちゃんの胸が本物で、翔ちゃんが女の子の下着姿に全く反応しない事は、あっという間に女子に、そして男子に広がりました。それは「翔ちゃんの本質はスケベな男だから、自分の下着を見せてはいけない」と最後まで思っていた女子の態度を完全に軟化させ、学年の全員から「完全な女ではないが、少なくとも男ではない」と認識されるようになりました。たとえば、ガールズトークで、ちょっとだけブラジャーを見せてブランド談義をしたりするような完全女子限定の話の際にも、誰も翔ちゃんの存在を気にしなくなりました。それどころか、他の男子がいないうちに、急いで教室で着替えるという早業の時ですら、翔ちゃんの存在はおかまい無しになりました。
 更に、翔ちゃんがいかにして女っぽくなったか、という疑問に対し、抗男性ホルモンという答えに満足しない女子生徒から女性ホルモンの使用について何度も尋ねられ、とうとう女性ホルモンの摂取すら知られるようになりました。それが効果を上げているかどうかは別の話ですが、女子にとっては、自分たちより女っぽい翔ちゃんの容姿に納得できる理由が見つかって満足しました。そして「女性ホルモン=男に戻れない」と単純に信じている大多数の女子生徒は、翔ちゃんに対する警戒を更に和らげました。かくて、冬休みまでには自然に女子の輪に入るようになり、更には、それをきっかけに翔ちゃん以外の女の子と仲の良い男子とすら少しずつ会話が始まりました。
 もっとも、見かけの平穏とは裏腹に翔ちゃんの心境は恐怖の塊です。というのも、女子の着替えを見る環境は翔ちゃんを更に男にもどりにくくしたからです。今までは「折角皆がお膳立てしてくれたのに」という道義的な意味で男に戻れない状態でした、でも、今や、女になることを止めたら、それまでの行為は女子更衣室に忍び込む痴漢行為と大差ないことになります。このままでは、転校しない限り、翔ちゃんは身体的にも確実に女の子にさせられてしまうでしょう。それは去勢と性転換手術を意味します。まだ、女性ホルモンの効果すら現れていないのに、そのような事態になってしまった事に気付いた翔ちゃんは、ますます自分の将来に恐怖を覚えたのでした。

 男を失う未来に悶々としているうちに1月も末となりました。それは女の子のイベントであるバレンタインまで半月しかないことを意味します。バレンタインセールが既に1月半ばから始まっており、2月はそれが狂騒曲のレベルにまで目立つようになります。
 翔ちゃんは男の心を持っていますから、本来は貰うことを期待する側ですが、今の翔ちゃんは、学校では「女の子になろうと努力している性同一性障害」という立場です。その立場で女子と普通に付き合う為には、女子の行動にあわせる必要があります。だから、ガールズトークで「誰にあげるの?」とか「きっと**君よね」とか言われ続けてた翔ちゃんに、チョコレートを誰にも上げないという選択はありません。
 実は、この頃になると、性同一性障害の正しい意味も少しずつ分かり始めています。にもかかわらず、他の女子の下着を見る機会すら増えてしまった翔ちゃんに、今さら「自分は女の子の心を持っていない」とは言えません。それが不本意であっても、男の心を持った翔ちゃんには破廉恥行為だという自覚があるからです。そして、男の心を持っているのに、自分が性同一性障害だと皆に言いふらし、それが認定されてしまった矛盾を自覚するからこそ、意識的に他の女子の要求する「女の子として当然の行為」をきちんと守らなければならないと余計に感じるのです。たとい、そういう「女の子行為」の結果、もっと深刻な事態になるだろうと容易く予想されてでもです。あたかも、蛇に睨まれたカエルのように、或いはギリシャ神話のカッサンドラやオデプス王のように、更なる女性化と男の喪失を止められないのです。それほどに学校での立場は修正が効きまっせん。
 誰かに偽の告白をしなければならないとしたら、誰が一番無難か。ここで大切なのは、まかり間違っても、告白相手の男子が翔ちゃんを好きになってはならないと言う事です。翔ちゃんは普通に女の子を好きな普通の男の子の性嗜好です。男と付き合うなんてまっぴらなのです。もちろん、クラスメートのどの男子もが女の子を好む事は、未だ翔ちゃんが男の子だった頃の会話から知っていますが、ガールズトーク、特にボーイズラブの空想物語を何度も聞かされている身としては不安が残るのです。そういう意味で一番良いのは、告白を冗談と受け止めてくれるような男子ですが、誰も思い当たりません。
 そこで思いついたのが、女子に人気のある男子です。競争率の高い男子なら、自分みたいな半男半女で妥協する筈がありません。そんな男子の中から、一番堅実と思われる奴にチョコレートを渡す事にしました。ちなみに、チョコレートは、ガールズトークの仲間からも奨められたままに、自作することになりました。ガールズトークの仲間には、ショタ系の女の子が翔ちゃんを観察する目当てに参加しているので、極端な意見が出るのは当然で、それを聞いた翔ちゃんが、女の子らしい女の子を演ずるために、その意見を聞いてしまうのも仕方ないのです。
 こうしてバレンタインになりました。チョコレートを作ったり、できたチョコレートに女の子らしいリボンを掛けたりするだけでも
「また女の子に近づいてしまった」
という喪失感があるますが、それ以上に、
「女の子として男の子にチョコレートを贈る」
という行為は、心が男の子の翔ちゃんにはきついものがあります。流されるように、どの女子にも負けないぐらいに女の子らしいチョコレートを、母親の積極的な協力のもとに準備したものの、いざ当日になると、チョコレートを渡すと言う行為がいかに「男の最後のかけら」を粉砕するかを自覚してしまいます。
 出来れば下駄箱で済ませたい所ですが、他の女子からは「手渡しなさい」とダメ押しされている以上、手渡しは避けられません。体調不全という名目での早退も今後の立場を考えたら出来ません。結局、最後まで渡す勇気がないまま、最終的には他の女子のお膳立てで、放課後に件のモテ男にチョコレートを渡す事になりました。その恥ずかしさは、普通の女子が男子にチョコレートを贈る恥ずかしさの比ではありません。顔は真っ赤にゆであがり、心臓すら400m全力疾走後の如く脈打ってしまいました。
 それはまさの社会的な意味での「男の完全喪失」の瞬間ともなりました。実際、チョコレートを贈るという行為は「私の心は女の子で、好きなのは男の子」と宣言するのも同然なのですから、恥ずかしいのも当然です。いかに当の翔ちゃんは普通に女の子が好きでも、この学校で男に戻る事は不可能です。

 こうして社会的に完全な女の子になってしまった翔ちゃんが、己の立場を思いつつ自分の身体を気にするようになったのは自然な流れです。女性ホルモン処方から既に3ヶ月を経て、何らかの影響が出始めているだろうという意識もあります。いかに1年後までは元に戻れるぐらいの少量投与とはいえ、他に今でも処方され続けている抗男性ホルモンの効果があります。それは性器以外から出される男性ホルモンすらブロックし、結果的に、一般男性にも元々分泌されている僅かの女性ホルモンだけの残すことで、既に女性化する準備が十分に整っていたのです。そこへ女性ホルモンが外から加わる訳ですから、普通の男性がいきなり女性ホルモンを摂取した場合と同じく、3ヶ月もすれば、少しずつ影響が出始めるのも当然でしょう。
 実際、2月下旬の産婦人科訪問の際に身体的な女性化が指摘されることとなりました。それは胸や骨盤ではなく、皮膚です。
「ああ、すこし女の子らしい肌になったね」
と産婦人科医に云われ、確かに皮膚に女の子のような弾力が出てきたことを自分でも確認しました。骨盤や胸の膨らみに比べて効果が早かったのは、それまでの抗男性ホルモンで失った筋肉から抜け出した脂肪の再配置だけだったからです。そして、その効果がもっとも大きいのは尻の部分です。
 その後も女性ホルモンの効果が着実に出始めました。2月下旬に産婦人科医に指摘された肌の弾力は、3月には翔ちゃんも普通に実感するようになり、更に3月下旬には、女性化の象徴ともいえる胸の変化すら、産婦人科医に指摘されるまでになりました。胸の膨らみこそ、肥満の名残と女性化乳房の影響と抗男性ホルモンの副作用で得た状態から余り変わりませんが、乳首は違います。それは些細な変化ながらも、指摘された翔ちゃんにも
「あ、確かに」
と納得出来るものです。
 この変化に翔ちゃんはちょっぴりだけ嬉しかったものの、それ以上に後悔しました。というのも、先ず第一に、元に戻れるホルモンの量ということで安心したけど、それは男性機能を完全に破壊しない程度であって、女の子風になってしまった乳首が戻るとは信じられなかったからであり、第2に、今まで自分を性同一性障害と思っていた理由である「女の子風の胸」が、もしかしたら勘違いだったのでは、と思ったからです。その両方の理由から、女性ホルモンが早まった決断だったかも知れないと頭の片隅で思うようになりました。
 とはいえ、それ以上に至近の問題があります。経緯はどうあれ、今は確かに本物の女の子の胸になってしまったという事実です。それがどんなに慎ましくても、他の男達の性欲をかき立てる存在で、決して男の前で曝すことの出来ないものです。特に少しだけ男性恐怖症気味になってしまっている翔ちゃんにとっては、普通の女の子以上に、他人の目に見られたくない、感づかれたくないと思うようになりました。こうなると、乳首がうっすら盛り上がるようなソフトタイプのブラジャーでは安心出来ません。本物の女の子であれば、そこまで気にしないでしょうが、翔ちゃんは本物でない分、そして男のスケベ心を持っている分、余計に気になるのです。こうして、翔ちゃんは硬めのブラジャーで隠さないと安心出来なくなってしまいました。それも今だけではありません。たといホルモンを全て止めたとしても、将来にわたって硬めのブラジャーを常時装着しなければならないのです。現実にどうなるかは分かりませんが、少なくとも翔ちゃんは
「もう、一生女装、ブラジャーを止めることができない」
と感じてしまいました。それはブラジャーの紐に合うアウターを着続けること、つまり将来に渡って女装しなければならないことをも意味します。
 身体への効果は女性ホルモンだけではありません。既に1年3〜4ヶ月処方させている抗男性ホルモンの効果と副作用も大きくなっています。抗男性ホルモンは、処方1〜3ヶ月で、大人の男性にすら勃起が減るという効果を及ぼすほどです。それに加えて股間をタックしてきた翔ちゃんに至っては、勃起はおろか、朝立ちとも無縁となって、そればかりか男性器の縮退すらみられます。小用を座ってしつづけているので本人は気付いていませんが、今、即座に男に戻っても、アサガオを使うのに相当の苦労が必要となるでしょう。逆にいえば、タックのしやすい股間となっていて、ガードルどころか、ペラペラのセクシーなショーツでも股間を隠すことが出来るほどになっています。そして、そんなショーツが物理的に無理無く履けるとなると、
「わたしは女の子にならなくちゃ」
という義務感や
「これでも股間を誤摩化せるかしら」
という好奇心から履いてみたくなるのが人情です。履いた結果、「あ、また男としての一線を越えてしまった」という喪失感とともに、新しい倒錯した恥ずかしさを感じるにしてもです。
 こうして、身体の女性化と、それに伴う、よりセクシー、より女性的な下着やアウターの着用というループを繰り返すようになってしまいました。それはブラジャーも同じで、だんだん隠す為のブラジャーから、より見栄えを良くする為のブラジャーと、それに相応しいアウターへと変わっていったのです。しかし、それでも翔ちゃんは女装趣味者ではありません。本心としては男装がしたいのです。ただただ、男装は出来ないと思っているのです。あたかも、男の心を持った女性のように。そして、どうせ男装出来ないなら、ガールズトークなどで皆が目を輝かせるように、出来るだけお洒落を楽しむべきだと洗脳されつつあったのです。お洒落は消費社会の生み出す集団洗脳で、そこに男の心も女の心もありません。


その31(女の子の現実と夢)

 男としての社会的痕跡をすっかり失い、更には肉体的にすら男の子としての存在を失いつつあった翔太君には、新たな試練が待ち受けていました。きっかけはバレンタインに遡ります。当日こそ、ノリの良い女子生徒の強制とサポートでモテ男にチョコレートを渡す事が出来ましたが、それが普通の女子の嫉妬を引き起こしたのです。女子の中には、モテ男に既に付き合っている女子がいると聞いてチョコレートを渡すのを我慢した者すらいて、彼女達からみたら容姿にモノを言わせる卑怯者にみえるのです。
 今の翔ちゃんは、外見だけなら、そのおっとりした性格が表に出る可愛い顔つきをしています。しかもスタイルは平均女子よりもウエストの括れがあるのに、胸は平均近くあるし、足がやや長くて、貧乳モデル並みです。仕草だって半年以上の努力のせいで、クラスメートでも3本指に入る大和撫子です。要するに容姿や振る舞いだけをみれば、大抵の女子よりも女らしいのです。
 幸いにして「生物学的に男」ということで、今までは恋のライバルとは見られませんでした。しかしチョコレートを渡すとなると話は別です。それをそそのかした腐女子系の数人と真面目方八方美人を除けば、翔ちゃんは格好の嫉妬対象なのです。もっとも、のんびり屋は翔ちゃんは、この嫉妬に気付かず、折角増えた筈の女子との会話が減っていても余り気にしませんでした。一時期の和解モードが終わって普通の関係になったのだと思っただけです。
 嫉妬が決定的になったのはホワイトデーです。モテ男の常として、お返しに差別をしません。しかも真面目系の男だったので、いかに翔ちゃんのチョコレートに対して嫌悪を抱いていても「そういう差別をしてはいけない」という優等生意識のもとに、お返しだけは翔ちゃんにも等しく渡したのです。それは、モテ男を狙う他の女子の我慢の限界を超えさせました。そして、翔ちゃんは「男の癖に、モテ男の心を射止めるかもしれない」という危険な存在と看做されるようになりました。それどころか「性別を自覚せず、容姿を鼻に掛けて他人の男に粉をかける身の程知らず」にすら見えます。ライバルなんて生易しい言葉では済まないのです。
 女子のネットワークは馬鹿になりません。「身の程知らずの傲慢な女装男」という新しいレッテルが翔ちゃんに張られ、年度末から春休みにかけて、ガールズトークの仲間からすら嫌がらせに似たことが始まりました。例えば、和服等の難しい着付や、長時間の正座、複雑な刺繍など、女子でも達成困難な女子力を要求されました。もっとも、翔ちゃんは、それらを真剣にアドバイスと捉えたし、実際、それらを通じて更に大和撫子度を高めたので、一概にイジメとはいえません。悪評は女子だけではありません。バレンタイン以来、ノーマルな男子から再び完全に距離を置かれていまったのです。
 そんな中、新学期のクラス替えがありました。新しいクラスには翔ちゃんの人と柄を知らない者が多くいます。そういう女子に先に入って来る情報は、バレンタインとホワイトデーにまつわる「身の程知らず」という悪名です。その結果、翔ちゃんが、どんなにお淑やかになっても「表裏のあるビッチ候補」という風に冷たい目で見られるようになりました。不幸な事に、クラス替えで、真面目系女子もほとんど別のクラスとなり、同じクラスで翔ちゃんを守りそうなのは真面目系1人と腐女子1名だけです。男子に至っては、同性愛疑惑で誰も近寄りすらしません。

 嫉妬を決定的にしたのは春の身体測定です。翔ちゃんが
身長159.2cm, 体重46.1kg, 胸囲78cm (BMI=18.2), 脇下73cm, アンダー64cm, 肋骨下端消失58cm, 臍回り62cm, 尻回り85cm
【女子平均 156.6cm, 50.4kg, 79.4cm, BMI=20.6、男子平均 165.4cm, 54.9kg, 79.9cm, BMI=20.1】

と大抵の女子以上に理想的な女性体型を叩きだしたことをきっかけに、「身の程知らず」という名目の逆恨みはピークとなり、その中の過激な女子が普通なら困るようなことを翔ちゃんに
「女の子ならそのくらいしなくちゃ」
という名目で要求するようになりました。例えば、週末に遊びに繰り出す際の格好として、女子でもちょっと恥ずかしいような大胆な露出の服を着るように言われたり、どうせ身障者トイレの掃除をしているのだからと汚物掃除を慇懃丁寧に頼まれたり、ガールズトークで翔ちゃんが無理やり加わった時だけエロトークにしたりとか、そういったことです。4月末には、のんびり屋の翔ちゃんもさすがに自分が嫌われているのではないかと不安になりました。
 もっとも、その原因について翔ちゃんは勘違いしました。春休み前の「女子力向上」の要求を思い出して、その延長で、女の子としての努力が足りないのだと思ってしまったのです。翔ちゃんにしてみれば、確かに最近は女装に慣れてしまって、以前ほどに立ち居振る舞いや動作や自分を可愛く見せる技術などにそこまで気を使っていません。実際には、既に翔ちゃんの立ち居振る舞いは、自然に女の子のそれになっているのですが、本人がそれを客観的に見れる筈がありません。しかも、ガールズトークや他の女子の着替えを通して、より大和撫子に近い振る舞いのヒントをいろいろ掴んでいて、半年前以上に女の子の振る舞いというものが分かっています。そういう視点で最近の自分を振り返ると、確かに努力が足りないと感じてしまいのです。例えば和服。例えば料理。例えば刺繍。例えばアクセサリー。例えば髪型。例えば外出着。下着も例外ではありません。せっかく、股間を(ガードルのように)抑えないタイプのぴらぴら系ショーツが履けるようになったのに、プリントのある可愛い系や刺繍などのあるセクシー系の下着を頻繁に履いているとは言えません。少なくとも知っている(翔ちゃんと一緒に着替えをしたがっていた)女子より遥かに地味な下着です。そういう努力に最近欠けていると翔ちゃんが感じたのも自然でしょう。
 加えて、11月から1月の、女装への努力が自然と女友達を増えて行った体験が忘れられません。だから、翔ちゃんは必死で女の子を極めようとしました。しかし、翔ちゃんが立ち入る振る舞いを更に気をつけ、料理や裁縫、部屋の飾り等の女子力を高めれば高めるほど、嫉妬というのは深くなります。しかも翔ちゃんは男の心を持っていますから、女の子の好む可愛さでなく、男が女の子に求める可愛さを知っています。そういう方面まで努力は及べば、ごく僅かの親しかった味方すら、
「うわー、ほんとうにビッチ候補だ」
と思って翔ちゃんに距離を取りたくなるのは当然でしょう。
 こうして、中学三年の1学期は負の連鎖が進み、夏休みに入る頃には、もしも性別という先入観さえなければ、男子に一番好まれる「娘」になって、同時に味方もほとんどいなくなってしまいました。女子はもちろん、男子にしても、ここまで男を誘惑する容姿や振る舞いの翔ちゃんは警戒の対象としかならず、バレンタインのチョコレート事件で完全に開けられてしまった距離が更に広がるばかりでした。ただただ、先生方の注意が翔ちゃんに向けられていたので、あからさまなイジメが無かったのが救いといえば救いでしょう。そんな具合ですから、修学旅行でも女性の先生の部屋に泊めてもらう形になって、風呂も室内風呂になってしまったのは仕方ありません。

 学校での疎外感を肌で感じていた翔ちゃんですが、1学期中、より理想の乙女を目指して頑張れたのには、翔ちゃんがのんびり屋だったということ以外に理由があります。それは近所の人々の好意です。近所にとっては翔ちゃんは、その女装が完璧になるほど
「これは将来テレビに出るんじゃないの」
みたいな期待を持てる希望の星となります。なんせ、同じ年頃のどの女の子よりも魅力的な「娘」なのです。そして、大抵の人は、自分に利害関係が無い限り、知り合いが有名人になることを誇りに思うものなのです。おじさんおばさんの中には
「アイドル候補に応募したら」
とそそのかす者も少なくありません。そういうサポートがあるからこそ、翔ちゃんは女の子になるべく頑張れたのでしょう。
 もちろん、アイドル候補云々は、近所の人のお話程度であって、この種のお世辞を本気にしたら大変なことになります。しかし、別の形でこの話が持込まれました。それはカウンセラーです。
 6月上旬のカウンセラーを訪れた翔ちゃんは、促されるままに
「女の子の努力をしているのに友達が減っている気がする」
「だからちゃんと女の子になれているのか不安」
とカウンセラーに言ったことを7月の段階でもカウンセラーが覚えていて、この問題を蒸し返した挙げ句、自信を持たせる方法として、モデルの類いの採用公募に応募するように奨めて来たのです。
 カウンセラーとしては、翔ちゃんの友達が減っている理由が、翔ちゃんの努力以外にあると睨んでいます。翔ちゃんは容姿も立ち振る舞いは同年代の女子のトップクラスで、懸案の尻の丸みも、8ヶ月間の女性ホルモンと、マッサージやコルセット等の本人の努力とで、下着姿ですら上半身下半身とも同年代の女の子に近いシルエットになっています。さすがに翔ちゃんへの風当たりの強さが嫉妬によるものとまでは気付きませんでしたが、理由がどうであれ、既に普通の女の子以上に容姿も仕草も大和撫子の翔ちゃんに必要なのが、女の子としての自信であることぐらいは見分けがついています。そこで、この1ヶ月の間に、翔ちゃんに相応しいその種の情報も集めていました。伊達にカウンセラーを職業としているわけではありません。もちろん、中学生に商業デビューを薦めるのは気が引けますが、本人の幸せの為にはそれが必要悪だとブロの経験かが認識しています。
 ちなみに今回は性同一性障害として応募させるのでなく、女子生徒として応募させるべきだとカウンセラーは考えています。というのも、翔ちゃんが面接で男とばれなければ、それだけで自信がつく筈だと考えているからです。始めから性同一性障害などと申告したら、それこそ、女の子らしさよりも、「イロもの」として採用されてしまう可能性が大きくなります。それでは自信に繋がりません。
 ちなみに、万が一採用された場合の対策も考えています。それは、正直に性別を明かした上で、カウンセラーが性別欄の「女」に印を入れるように言ったと告げさせるというものです。面接で性別が見分けられない上に、性同一性障害で女性と認定されて女性ホルモンの治療すら受けている者に
「嘘つき」「契約違反」
と公募側が文句を言える筈がないし、そんなことをしたらカウンセラーの立場として逆ネジを喰らわせるだけの覚悟もあります。さすが、プロのカウンセラーといった所でしょう。
 一方、学校での疎外については、自信云々とは別の解決が必要です。風当たりが強いという翔ちゃんの印象が客観的な事実でもあることは、過去1ヶ月に学校の先生への質問で分かっています。その細かい理由は分からなくとも、その大元に「元男と分かっているから」というのがあるのは間違いないでしょう。こんな時、一番手っ取り早い解決策は転校です。幸い、翔ちゃんは中学3年であって、高校を別の所に移るのは不思議ではありません。その頃には既に15歳ですから、非可逆治療である玉抜きだって可能となり、もしもそれを実行すれば、入学当初からの女子生徒扱いだって可能です。そのほうが翔ちゃんに幸せかもしれません。
 もっとも、転校は最終手段です。もしも翔ちゃんがオーディションで自信をつければ、友達が戻ってくる可能性もあるので、結果がわかるまではこの話は封印すべきでしょう。今、転校という言葉を出すと後ろ向きになるかも知れないからです。そういう訳で、7月上旬のカウンセラリングでは、専ら、各種オーディションの説明と、もしも応募する場合の心構えに終始しました。

 モデルへのオーディション応募の話を聞いた翔ちゃんは、若干の不安を持ちながらも、同時に胸を膨らませました。中学生にとって、モデルになったりテレビに出たりするというのは極めて魅力的な夢物語です。それが「女の子として」可能だと言っているのです。それだけ翔ちゃんの女の子ぶりをカウンセラーが買っているとも言えるでしょう。もっとも不安もあります。万が一、採用されてしまったら、本当に男には戻れない気が漠然とします。実際、ドラマなんかに採用されたら男とキスをしなければならないかも知れません。さすがに今の翔ちゃんにそこまでの想像力はありませんが、漠然とした本能的不安があるのは確かです。
 ともあれ、こういう話が来たと言うこと自体は自慢したい気もします。そういう、相談と自慢の両方をしたくなる相手となれば、恋心を抱いている真面目系の女子が一番でしょう。彼女は今でも翔ちゃんを気遣ってくれていて、貴重な友人でもあるのです。
 相談された女子は、翔ちゃんのモデルデビューという話に驚いたあと、
「でもそうすると、ますますクラスから浮いてしまうわよ」
と反射的に反応して、それをきっかけに、何故翔ちゃんが皆から避けられるようになったかの真相を教えてくれました。彼女のまとめるところによれば、「男の癖にモテ男に粉をかけた」ことと「女子力が高過ぎて女子の嫉妬を買った」ことが原因とのことで、特に、バレンタインが原因だったとまさか思わなかった翔ちゃんには衝撃でした。
 もちろん、この種の忠告は、今までも、もっとオブラートに包んだ形で翔ちゃんに伝えられてはいましたが、
「女の子らしくするからいけない?」
なんて、11〜1月の自分の経験にも合わないことなので、今まで気付かなかったのです。でも今回は真面目な相談に対する忠告として、片思いの相手から真面目に言わています。受け入れざるを得ません。

 こうして夏休み始めのオーディションを前に、翔ちゃんには幾つか未来が広がりました。

(1)取りあえず我慢して、女の子モデルのオーディションやそれに類するコンテスト(コスプレやキャンペーンガール)で自信をつけ、そういう成果を元に次第に味方を増やす。これは、そのまま、そのままずるずると高校に行き、流されるまま、生物学的にも男に戻れなくなる事を意味するでしょう。
(2)有名どころのオーディションにでも受かれば、自信をつけることで、最後のギリギリで女性ホルモンを止めて、男の娘のまま女装の一生を過ごすかもしれません。あるいは公募側が、女の子としてより、男の娘としての価値のほうが高いと判断して、女性ホルモンを止めさせるかも知れません。
(3)女社会特有の嫉妬の嫌気をさして、ギリギリで男装に戻るかも知れません。でもブラジャーに類するものは止められず、結果的に男の娘になってしまうでしょう。
(4)最終手段の転校をして、そこで女の子として再出発するというのは、おそらく一番ありふれた流れでしょう。
(5)逆に、転校を機に「学校の配慮に気を使う必要がなくなった」とばかり、男装に戻るかもしれません。
(6)答えを先延ばしにすべく、制服のない私服の高校に転校し、中性的な格好ですごすということも有り得ます。

男に戻るという選択は、おそらく件の産婦人科医が喜ぶでしょう。なんといっても、女性ホルモンを受けて、なおも最終的に男に戻るという結果がでれば、この医者を一躍有名にしてくれすのです。その意味では翔ちゃんを早めに完全な女の子にした方がよいと親切で思っているカウンセラーと美味くバランスが取れているとも言えるでしょう。


ここでこのお話はおわりです。というのも、この先はほんの小さなきっかけで余りにも多くの未来があるからです。
 転校を視野に入れた翔ちゃんは、本当に決意をカウンセラーに言う事が出来たのか?
 それで運良く女性ホルモンを一旦止める事が出来たとして、その後どうなるのか。今止めた所で、骨格は戻りません。乳首だって戻るのに時間がかかります。
 同級生への影響だっていろいろあります。翔ちゃんが男に戻った場合は、その男の娘ぶりに、回りに腐女子が増えて、クラスメートや下級生を脳内女装させるようになるでしょう。実力行使に及ぶ者も出ておかしくありません。例えば、男の娘版の光源氏計画を妄想・実行する腐女子・腐男子というのは実際に生まれそうです。そしてそこに新たな女装物語が生まれるでしょう。翔ちゃんは一人ではないのかも知れません。

【完】

初出: web site 「秘密の小屋」(管理人:速沢知彦氏)、2010年8月〜2014年6月


あとがき

 当初の予定(第26話の内容が最終目標だった)の10倍近くの長さになり、更に大震災以来なかなか執筆の時間が取れなくなって、結局4年もかかっての完結となりました。その為、前半と後半の繋がりに無理が出ているところがありそうで、本来ならきちんと改訂すべきでしょうが、ただでさえ執筆時間がとれないのに、そんな「編集者仕事」をやっていては新作が書けなくなってしまいます。そういうわけで、もしも、この駄作を改訂して読みやすいエンタメにしてくださる方がおられるのであれば、著作権などという野暮な事を主張する気はありません。昨今、ネット小説界ではパクリを批判する人も増えていますが、少なくとも私の作品に限って言えば、パクリ、コピペ大歓迎です。ここまで書いた所で、それをやって下さる方がいるとも思えませんが。
 最後に、速沢知彦氏には、創作掲示板を提供して頂きどうも有難うございました。この掲示板がなければこの作品が生まれる事はありませんでした。


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