Home/Index

おっぱいバレー

by 夢喰

設定編

 彼ら5人(阿部、伊豆、宇津木、江田、小戸)が親の目から離れて泊まりがけでゲームや高校生活その他を語らう為に合宿所に出掛けた時、たまたま女子バレー部の合宿と重なっていたのを知って喜んだのは男の子としては当然だろう。たとい女子バレー部に特上の美人はおらず、それどころかあまりモテそうにない女の子ばかりであったにせよ、同宿と云うだけで十分だ。中に十人並みの子だっている。そもそも彼らが合宿所を選んだのは、安いという事もあったが、外泊に関して親を説得しやすかったからで、そこに同じ学校の一年女子(10人の部員のうち6人が1年で4人が2年)がいるなんて期待していなかった。だから、女子の同宿はどういうレベルであっても嬉しい誤算だ。
 合宿と云うのは試合の為の練習ばかりする訳ではない。気晴らしに普段と違う練習も取り入れる。例えばビーチバレーだ。女子バレー部だけで12人は揃わないから、試合形式の練習では人数が足りない。となればオリンピック競技にもなっているビーチバレーを練習してもおかしくはない。格好だってセパレートを試してみたくなるのは女心。なんといっても学校と違って男子の目を気にする必要のない合宿所だ。もっとも、それでも始めのうちは恥ずかしいから普通のバレーボールの格好だったが。
 件の男子グループが着いたのはその時だった。彼らは、次の瞬間には、彼女らがTシャツとスパッツの下にビキニらしきものを着けている事を見届けた。だが、男子の存在ゆえに彼女達もTシャツとスパッツを脱ぐ勇気が出なかった。男達は期待を込めて直ぐに合宿所の中に入ったが、それでも目が窓の外を向いている事を知っている彼女らはTシャツを脱ぐに至らず、もう少し遅く到着すれば良かったと男子達は舌打ちした。

 事態が動いたのは夕食時だ。男子…その中でも阿部と伊豆の2人は、冗談のような言い方ながらも、女子がビーチバレーの練習でセパレートにならなかった事を指摘して不真面目だと言った。試合の格好で練習すべきと云うのがその理由だ。このくらいのこじつけは普通の会話の範囲だろう。だが、女子の中に潔癖性のメンバーが2人いた(潔美部長と真子副部長)ので話はこじれた。不真面目とは何事か、それ以前に嫌らしい目つきでバレーボールを汚さないで欲しいと激しく反論したのだ。男目の無い所で練習したかったこそ、敢えて男子バレー部と合宿場所を変えたという経緯が彼女らにはあったから(これはコートの確保と云う面もあったのだが)、彼らの存在事態が許せなかった。一日だけなら許せる。でも3日間の全日程で重なるとなると、これはもう許せない。こういう彼女らだからいつまでたっても彼氏が出来ないのだが、部活一筋の高校生にこのくらい純粋な女子がいてもおかしくはない。残りの女子には、男子の前で堂々とセパレートになってみたい好奇心はあるのだが、それを言い出せる雰囲気ではなかった。
 からかった男子だって女に反論されてそのまま引き下がる連中ではなかった。むしろ渡りに船と挑発した…真面目にやっているとは思えないから、あの程度なら部活をやっていない彼らでも勝てると。この挑発に件の女子2人が激怒するのは当然だ。結局、売り言葉に買い言葉で、男女でビーチバレーの試合をして、男子が勝ったら女子がセパレートになるという方向に進んだ。だが、これだと男子は負けても何のペナルティーも無くて不公平である。帰れと云って追い返すのは、この種の賭け事として相応しくない。そこで負けた時のペナルティーとして、男子が女子の練習場所に近づかない事を約束させようという事になった。なんせ名目は合宿…ミーティング…の為に男子は来ているのだ。賭けの対象として悪くはない。ただし、だからといって男子がそれを守るとは思えなかった。だから、約束だけでなく、むしろ外を出歩けなくなるような状況を作る事を考えた。そうして決まったルールは、女子が負けた場合は男子の前で堂々とセパレートで練習する事であり(それは2人を除く女子に取っては罰とよりも好奇心を満たす口実だろう)、男子が負けた場合は、昼間、ズボンを全て取り上げる事だった。非常識と思われるその提案を男子は何故か素直に受け取った。

 いくら女子でも相手はバレー部であり、その意味では男子に不利な条件と思われがちだが、下着だけでミーティング合宿をするという倫理的な不健全さを合宿所が認める筈も無く、その際に叱られるのは女子の筈で、しかも男子には女子に会う時に堂々とズボンを脱ぐ口実まで出来る。この事に後で気付いた件の「真面目」女子は、夕方のうちに年上の幼なじみに電話で相談した。幼なじみの出した解決案は簡単だった。彼女の母親の古着が沢山あって処分しなければならないのだけど、それを着させたらどうかというもの。これなら確かに男子は外に出られまい、と真面目2人組…真面目とは時に現実知らずを意味する…は考えた。しかも最低限の倫理は確保しているし、ズボンを「奪う」のと違って曲がりなりにも自らの意志で「着る」のだから、問題になった時に叱られるのも男子だ。
 当然ながら、この提案は男子から不利過ぎるとの異論が出て、結果として女子が負けた場合のペナルティが増える事になった。喧嘩しているものどおしがルール作るとその内容は簡単にエスカレートする。その典型的なパターンだ。男子の提案は、女子が7点取られる毎に服を一枚ずつ脱いで行くというものだった。これなら、男子が負けても14点以上取ればビキニに近いセパレートが見られる。それどころか、もしも勝ったら21点と云う事で……それについては何も言ってはいけない。しかし、そうなると収まらないのが女子だ。それなら男子が7点取られる毎に同じくペナルティーが必要だという話になった。話の流れから、試合後のスカートだけでは済まない。だが、その具体的内容は翌日の試合前に決めるという事で、その夜は取りあえず話が終わった。そして、件の「真面目」女子は再び幼なじみに電話を掛けた。彼女が母親の古着を持って来るのは翌日だからまだ時間がある。


 ここで幼なじみはどんなアドバイスをするか? 

可能性1

「そんなにウザイ相手なの? じゃあ、交渉を有利に進める為に、相手を分裂させたら? 例えば一人だけを選んで徹底的に女装させる条件にするとか? そしたら相手も試合で手抜きするかも」

可能性2

「バレーボールがしにくくなる格好に変えて行く罰は? たとえばパッドを胸とか尻に大量に着けるとかタイトスカートを履かせるとか。そしたらどんなにこっちが負けていても7点取れば有利になるよ」

可能性3

「勝てる相手でしょ? じゃあ、思い知らせたら? それこそ3点毎に一ヶ所づつ女装を進めて、最後は毛も抜いちゃうのよ。なあに、負けたらおっぱい見せるって言ったら食いつくでしょ」

可能性4

「処分出来る服を母に聞いたら色々あってね、折角だからコスプレで…」

可能性5

 翌朝、女子バレー部10人のメンバーは1時間半の基礎訓練を終えて朝食に向かった。合宿所だから朝食の時間は例の男子5人とどうししても重なる。そして
「今日はちゃんと正しいユニフォームで練習をするんだよな」
とか言った冗談口を聞かされる羽目になる。女子から見たら生意気で冴えない1年男子なので、あまり関わりたくはないが、それでも異性には違いないからビキニに近いセパレートを見せてみたいという好奇心もある。そういう複雑な乙女心を持つのが普通の女の子だ。だが、バレー部では、件の「真面目」女子2人の声が大きい。そして彼女らの反応は昨日と同じだ。自然な流れとして、ユニフォームをからかいの材料にした男子との間で、売り言葉と買い言葉の応酬が再び続いて、試合をする事の再確認に至り、ついでに昨日埋まらなかった細かいルールも決まった。それは全員が参加するというものと、2人でなく4人ずつがプレーして男子はサーブ権を得る毎に1人が入れ替わり、女子はラリー2回ごとに勝ち負け関係なく1人が入れ替わるというものだった。肝心の7点ごとのペナルティーに関しては、2人ずつ服を着替えさせるという提案があった。男子からは、それがどんな服であるかの質問があったが、友人の母親のお古という言葉から、そこまで酷い格好ではないだろうと判断した男子も承諾した。


試合編<主人公視点>

 高校と中学の違いと云えば、夏休みの自由度が高くなる事だ。外泊もその一つ。友達とつるんで泊まりがけで出掛ける楽しみは修学旅行とは違う。だから、いつもの帰宅部メンバー(阿部、伊豆、宇津木、江田)と計画を立てたが、旅行となると親が心配して煩いし、計画書云々と学校が煩く(とんでもない学校だと思う)、そうこうするうちに試験や補習でバタバタしたまま夏休みに入ってしまった。初めての夏休みはペースが掴めない。こうなると、泊まりなら何処でも良いと云う事で、キャンプする程の骨のない僕たちは自然に囲まれた合宿所に2泊3日で出掛ける事にした。そして今日は2日目の朝10時半、朝の「合宿ミーティング」が終わった所だ。ミーティングといっても雑談だけれど、文化祭で何か面白い事はできないか、とかいう話もやったから、親にだって堂々と報告出来る。
 このあと女子バレー部とビーチバレーボールの試合をする事になっている。女子バレー部とはたまたま同宿しただけだが、阿部と伊豆の2人…2人ともノリが良過ぎる…が彼女らの練習にちょっかいを出したところ、こんな事になってしまった。本当なら2人制だが、僕たちが5人いる事と、バレー部がもっと多い事から4人制だ。女の子と遊べるのは嬉しいけど、万事が心配性の僕には、それに伴う罰の方が気になる。負けたら女装で今日の残りを過ごさなければならないらしい。しかも7失点ごとに2人が女装させられるって話だ。僕なんか、そこまでして、あんな平凡な女子のセパレート姿を見たいとは思わない。でも宇津木と江田にそう言ったら、
「そんな君子ぶったこと言っちゃって、ほんとは見たいくせに」
とか逆ネジを食わされた。阿部と伊豆はともかく、この2人までそう言うとは……。
 試合開始直前、またもルールの変更があった。女子がTシャツとスパッツの更に上にトレーナーの上下を着てたからだ。レーナーの上下とTシャツとスパッツの4枚も余分に着ているのだから、7失点毎でなく5失点毎で脱いでもらわないとゲームに終了までにビーチバレー用の露出した姿を拝む事は不可能だ。しかも、そのまま負けてしまったらそれまで。せめて勝負の付く直前にでも露出した姿を拝めなければ、男子の罰女装とは釣り合わない。
 変更は男子の女装ペナルティにもあって、7失点毎に2人というのが5失点ごとに1人になった。なんでも女装の服の中にとてもバレーボールが不可能な奴があったらしく、阿部と伊豆の2人はそれでも良いんじゃないかと言ったが、真子先輩が「服がけがれる」と言って嫌がったのが真相らしい。真子先輩の言葉に宇津木と江田も頷いていたから、彼らもどういう服なのか知っているみたいだ。でも、いつの間に服を見たのだろう? そう、江田に尋ねたら、
「おまえ、声をかけてもネット見ててそれどころじゃ無かったじゃないか」
と呆れられた。
 ルールが決まってコートに入る。他の4人、特に阿部と伊豆の2人がノリの延長で真面目にやらない気がしたので、負けたくない僕はちょっと気になる。実際、阿部なんか、敵偵察には岡目八目だからといって、先発から逃げたぐらいだ。もっとも、女子の方も真子先輩と潔美先輩を除くと、あまり真剣な雰囲気ではない。ということは彼女らも遊び感覚なのかも知れないけど、僕はこういう空気の読むのは昔から苦手で、真子先輩と潔美先輩の熱心さについ反応してしまう。それを逆探知されているのかどうか分からないけど、真子先輩は僕の方をじっと見ている。目がちょっと怖い。この真子先輩と1年生3人が現在コートにいる。1年生向けの練習にいちゃもんをつけた経緯から、1年生6人のうちの2人以上が常時コートに入る事になっている。

 いよいよ試合開始。じゃんけんで勝った僕のサーブから始めると、相手は思いっきり大技をトライして外して来た。女子自爆でこちらの得点。更にもう一点追加したところで、1年女子が抜けて、2人目の2年生が入って来た。次のサーブは2年生を外そうと狙い過ぎて失敗。でも加わった2年生のサーブも外れてまたもサーブ権が移り、同時に伊豆が抜けで阿部が入り女子も真子先輩が抜けて1年生が入った。遊びムードの阿部は簡単なサーブしか打たず、簡単に相手の2年生がスパイクを打ったけど、威力が足りずに阿部がかっこ良くレシーブして、そのまま宇津木がトスの代わりにフェイントで入れてまたも得点。阿部は大きな口を叩いただけあって、女子の前で良い所を見せている。ノリのいい奴に所詮僕が敵う訳ないんだよな。
 そんな具合に試合が進んで、4−1から直ぐに5点目を入れて、約束通り、女子が長袖のトレーナーを脱いだ。だが女子の様子をみると、やっと長袖から開放されてほっとしている様子だ。あの潔美先輩ですらそんな表情だ。なんで夏なのにトレーナーを上下持って来ているのか尋ねたら、それは夕方に筋肉を冷やさない為のものだそうだ。パジャマ代わりでもあるらしい。パジャマを汚す訳にはいかないから、砂に飛び込む筈もなく、次の5点も簡単に入った。僕たちの失点はまだ2点。でもこれからが本番だ。女子がやっと普通の練習着になったのだから。
 更に1点加えて11−2となった時にサーブ権が移った。サーブは潔美先輩だ。さすがに部長だけあって、サービスエース2本続けて11−4。ルールのお陰でサーブが次の1年生に移ってやっと息をつき、僕たちがサーブ権を奪い返したが、一旦代わった流れは変わらず、12−5で一人目の女装犠牲者を出す事になった。僕はもちろん嫌だ。宇津木と江田の2人もちょっと困った顔をしている。でも、直ぐに伊豆が、失点の最大の原因は自分だがら道化になってやると言って手を挙げた。その間僅か5秒。ノリが良すぎるのは時々辟易するが、こういう時までノリを保ってくれるところが気持よい。彼は真子先輩の所に行って段ボールの中から、ジャンパースカートと、水色のブラウスを選んで着た。女装しても全てを冗談で済ませる彼だと全然じめじめした感じがない。ノリついで半ズボンを脱ごうとして、
「めくれた時に恥ずかしい」
と女子に止められた程だ。
 スカートの伊豆がコートにいる状態で試合再開。ただし、スカートを汚しても構わないと思っているのか、伊豆の動きに制限は無い。元々の運動神経が悪いのでスカートぐらいで変わらないという面もあるが、それでも、スカートを楽しむかのようにブロックで思い切りジャンプするなど、ノリでかえって動きが良くなるのはどうかと思う。スカートの翻る伊豆には女子が面食らって、その隙に僕たちはポイントを稼ぎ14−7から15点目を得点した。いよいよお楽しみタイムだ。スパッツを脱いでビキニパンツになるか、シャツを脱いでお腹を出すか。ネット向うで脱ぎ始めている女子を僕以外の4人は嬉しそうに見て、伊豆なんかは手も振っている。どうせ脱いだ後の姿をしっかり拝めるのだから、わざわざ脱ぐ所を見るなんてちょっと失礼な気がするが、そう江田にこぼすと、
「これは正式なゲームの一部だぜ」
と馬鹿にされた。

 女の脚は眩しい。恐らく女子がブルマーを履いていた頃は、日常過ぎてこんなに眩しく感じなかっただろうが、それが学校から消えて久しい今は刺激的だ。着替えまで見ていた宇津木と江田には度が過ぎたらしく、当然のようにちょんぼをする。でも、阿部と伊豆には抵抗というか慣れがあるらしく、かえって元気に動きまわって、試合は均衡だ。本来なら勝てる筈はないが、女子にはローテーションが目まぐるしく変わる不利と、例の2人の先輩以外が手抜き気味らしい事とで、サーブ権がやたら移動する。それでも、17−9から阿部がスパイクを失敗して2人目の女装犠牲者を出す事になった。責任を感じたのか、今回は阿部がすぐに手を挙げた。そりゃ言い出しっぺだから、阿部と伊豆が真っ先に女装するのは当然だ。だが、伊豆に続いてどんな奇妙なものが見られるかと期待したら、なんと阿倍の選んだ服はキュロットと刺繍入りのシャツだった。確かに女装だが、あまり女装らしくない。これを見て僕は、罰の女装に心配し過ぎた事を馬鹿らしく思った。
 刺激的でない格好と云う事は、女子の調子を狂わせる効果もないという事だ。調子付いた女子に押され気味となり、折角の19点目…ビキニに近いセパレートを拝むまであと一歩…まで取ったものの、先に15点目を取られた。僕にお鉢が回ったら嫌だなあ、と思っていたら、何故か宇津木と江田が両方とも手を上げた。ちょっと意外だ。しかも、じゃんけんで勝った方が女装するいう。2人とも、いつの間にノリの性格になったのだろうか。でも、よく考えれば僕たち5人のうちで過半数が女装なのだから、多い方に属しようという気持が働いたのかも知れない。それでも僕は女装は嫌だけど。
 宇津木の女装も大人しいものだ。女性用の浅黄のズボン…横にチャックがあるやつ…と白いブラウスだから。ただし動きは少し制限されるから、試合にはやや不利だ。それでも20点目の楽しみを前に男子の士気は高いから、サーブ権を奪い返し、更に阿部がスパイクを決めてやっと待望のマッチポイントに辿りついだ。そう、ついに女子が眩しい姿になるのだ。さすがに僕でもちょっと嬉しい。しかもルールとしての脱衣だから、僕たちは思い切り鑑賞出来る。こうやって間近に女子10人の露出姿を鑑賞すると、今更ながらに僕は考えを改めた。阿部や伊豆が女装をものともせずに試合を提案したのも当然だ。グッジョブ。

 僕たちの興奮がさめやらないうちに試合再開となった。スコアーは20−15。勝ちは間違いない。だがなかなか決められない。士気が崩れた男子と、男子の嫌らしい目付きに改めて士気の上がった女子では、ボールに対する執念が違うのだ。何度もマッチチャンス…スパイクとかブロックとか…を逃すうちに、じわじわと追いつかれて、いつしか20−19となった。こうなると、次の女装犠牲が頭によぎる。それで僕がポカをして20点目を取られてしまった。試合はあと僅かなので、ここで女装しようがあまり大した差はないが、それでも姿を後からの話のネタにされて後日いやな思いをする可能性がある。そうは心配するものの、今回のミスは僕だから手を挙げざるを得ないな、と思って挙げかけたら、江田がそれを押さえて、僕の順番だといって替わってくれた。ほっとした。
 セーラー服の江田の格好はまさに救世主だった。というのも余りにもグロテスクだっかから。他の3人もお世辞にも似合いっているとは言えなかったが、それでも一応コメディとして認められる範囲だ。江田は余りに酷い。コメディも犯罪も凌駕して立派な武器になっている。こんな格好の江田と同じ部屋で「ミーティング」するなんてとんでもない。それは他の男子も同様に思っただろう。女子に至っては目も開けてられない風だった。だから、試合再開後に直ぐにサーブ権を奪い返して得点したのは自然な流れだった。だが、相手もさるもの、何度目かの「マッチポイント」ミスでサーブ権が移った時にローテーションで入って来た潔美先輩は、江田を無視して強いサーブを宇津木にぶつけて来た。やや動き難い格好の宇津木に手出し出来る筈も無く2度目のジュースから今度は21−22と逆転して、ついに王手をかけてきた。僕にとっては女装の危機だ。
 だが僕たちは再びルールに救われた。そう、2ラリー毎にメンバーが替わるのだ。だから、ここで次の1年女子にサーブが移り、彼女は江田の格好の為にサーブミスをしマッチポイントの危機を脱した。そればかりでない、江田効果で23−22と再逆転したのだ。男子8度目のマッチポイントだ。
 ここで阿部と伊豆がヒソヒソと相談を始め、にこやかな顔で残り3人を呼んだ。
「ここで勝ってしまって良いと思うか?」
そう阿部が僕たち見回した。勝てるというのは僕も感じていた。一時はいきり立った女子も、本当の意味で恥ずかしい江田の格好を見て、自分たちの露出姿を恥ずかしいと思わなくなったらしく、寧ろ僕たちのと試合を楽しみ始めている感すらある。それはあの真子ですらそうだ。表情が少し穏やかになっている。となれば、今の勢いで勝ってしまっても、もはやユニフォームを巡る軋轢はないだろう。それどころか、これ以上江田の格好を見ずに済むように負けてしまった方がマシだと思っているかも知れない。
 そう考えを巡らせていると伊豆が続けた
「いいか、5点毎のルールでは25点で女子はもう一枚脱がなければならない。でも、ここで勝ったら24点でゲームセットだ。それならここは相手に渡して次で勝ちを狙おうじゃないか。出来れば文句のでない24−24のジュースからの得点という事で」
この話は明らかに僕たちの士気を高めた。確かに、そのような「手抜き」のせいで試合に負ける可能性はあるが、負けて失うものと勝って得るものを比較すると結論は簡単だ。こうして試合は24−24となり、僕たちは本気モードに突入した。

 だが、僕たちの目論みは江田の馬鹿のせいで女子に知られてしまった。そう、サーブ権を奪い返したとき、江田は
「おっぱいポイント」
っと叫んでサーブを打ったのだ。もともと25点で何かはあると感じていた女子だ。江田の言葉で少なくとも2年の先輩方がピントと来た。サーブ権を奪い返した女子はさっきの江田の発言を再確認した。ここに至っては阿部や伊豆も黙っておれず、5点毎のルールはジュースの後でも有効だと思うと告げた。このルールには、かの真子先輩も頷かざるを得なかったが、同時に女子の闘争心に火をつけてしまった。もはや江田効果も無意味だ。江田の馬鹿。僕たちも頑張ったものの、直ぐに24−25と逆転されてしまった。かくて被害者は女子から一転して僕になった。まあ、仕方ない。そのくらいのリスクをかけるだけの作戦ではあったのだから。
 諦めの心境で真子先輩の所に行くと、さっきの件で怒り心頭の真子先輩は
「あなたにも、ちゃ・ん・と、女装してもらいますからね」
と言われて段ボールの所に連れて行かれた。中を見て驚いた。残っているのは、なんととっても奇麗なワンピースドレスだったのだから。しかも装飾の多い、5つの服の中でも最も恥ずかしいもの。しかたなくそのワンピースを取りあげると、
「ちょっとまって、こっちが先」
といって真子先輩が服の下に隠れてる、より小さな紙袋を差した。
「え?」
「ジュースの後のペナルティは過酷なのよ。私たちだって、もう少しで裸になる所だったんだから、貴方にもそのくらいの事はしてもらわなくちゃね!」
回りには他の先輩方も集まって来て、真子に口添えした。訳が分からずに紙袋を開けると、そこにはまだ新品のブラジャーとウエストニッパー、それに色あせたパッド各種があった。
 膠着を見て取ってか阿部と伊豆がやって来た。だが、彼らは先輩が正しいと言って僕には全く口添えしない。確かに不意打ち的に女子バレー部のおっぱいを要求しようとした僕たちのえげつなさに比べれば、このくらいは軽いものだ。理は彼女らにある。そして、一回当たり一人ずつというルールに従えば僕を差し出す事によって残りの男子には被害は及ばない。逃げ道を男子の仲間からも奪われた僕は真子先輩に従うしかなかった。
 諦めてシャツを脱いだ。もっと早い段階で江田や宇津木のように女装しておけば良かったと後悔しながら。あの時のじゃんけんも今になってみれば分かる。残り物は残り物なのだ。勝てると単純に思った僕が馬鹿だった。
 シャツを脱いだ後はもはや着せ替え人形状態だった。まずウエストニッパーを肋骨の上につけられて息も出来ない程に強引に締められた。それから、ブラジャーを付けられ、中にパッドを入れられ、ワンピースを着せられ、挙げ句に尻には短パンの下に別のパッドを入れられて、ようやく開放された。服だけでなく体型まで女装だ。
 穴に入りたい気分でコートに戻ると、男子も女子も怪訝そうな顔をしている。そんなに化け物なのか。鏡がないからどんな顔だか分からないが、他の連中の様子を見ると江田よりも酷いのだろう。そんな訳で、この後は試合にならなかった。ここで頑張れば僕の女装を理由に女子のおっぱいが望めただろうが、いや、あの真子先輩の剣幕の前には、そこまでのモチベーションも出なかった。しかも、男子全員が僕をぼけっと見ていて、サーブを受け損ねたのだから。再開後5秒でゲームッセット。ルールに従って、この格好で今日の残りを過ごさなければならない。憂鬱だ。


写真編<主人公視点>

 試合が終わると、女子が筋肉保温の為のトレーナーの下を履いて、ばらばらにやって来た。先頭の真子先輩は携帯を片手に持っている
「写真撮らせてくれる?」
ははーん、試合中にこっそり撮ろうとして失敗したな。携帯ではネットの向こう側は顔までははっきり映らない。しかも試合中は動きまである。となれば、ここは当然ノーである。
「そりゃだめですよ」
ただ、ノリのよい連中がどう出るか、と思っていると、伊豆が
「先輩、脅迫等の犯罪に使われる可能性があるんですよ、その時は先輩も幇助罪って事になりますけどね」
と説明してくれた。その言葉に、女子の何人か…おそらく不完全ながらも盗撮した連中…がちょっと表情を曇らせたが、真子先輩はそういう反応を見越してか、こう続けた。
「その服を貸してくれた人に見せなくっちゃならないでしょ。どうかしら、5人全員の写真って事では」
うーん、微妙な提案だ。赤信号も皆で渡れば怖くない。僕がそう迷って
「でもー……」
と言い及んでいると、阿部が
「それなら、先輩も写真に入るべきですね」
とあっさり逆提案した。先輩は僕をしきりに見て迷っている。その様子を見て江田がにやにやしながら
「小戸と一緒に写ると女のプライドのプライドにかかわるものなあ」
と茶々をいれた。確かに、あの貧乳では、僕のパッドよりも遥かに低い。それを気にしているんだろうと僕も気付いたが、そんな事を女性の前で言うなんて、江田も大胆な発言をするものだ。セーラー服という道化で人格まで変わったのだろうか。
 このNG発言に先輩は何故か怒らず、
「そうね、5人の美女の前には私なんか形無しだわ…」
と冗談で切り返した。僕たち、特に江田をさして「美女」とは、一年長く生きている人間は違う。
「…だから私はトレーナーを着て来る」
先輩がきびすを返そうとするのを、阿部が止めた。
「セパレートじゃなきゃ駄目でしょ。だって僕たちは負けはしたけど善戦したって証拠なんだから」
さすが阿部だ。ノリが良いだけでなく交渉も上手い。これには先輩も頷かざるを得ず、結局、お化けのような女装5人とビーチバレー用のセパレートの貧乳先輩の記念写真となった。
 それでも先輩は只ではこっちの言いなりにならない。いざ写真を撮る時になって、先輩は宇津木のズボンと江田のスカートにいちゃんもんを付けた。見ると確かにズボン横のファスナーは半開きだし、セーラー服のスカートはホック部が大きく開いている。サイズが小さ過ぎるんだから仕方ないが、写真の時ぐらいはどうにかしろというのが先輩の言い分だ。実際、先輩が服を着付けた時には確かに閉まっていたから、それは可能だ。宇津木と江田はぶつぶつ言いながら締めている。なんでも、圧迫が非常に苦しくて、ちょっと動くだけで破れそうになるのだそうだ。宇津木と江田に言わせてみれば、そういう苦労の無いジャンパースカートや、脇ゴム式キュロットスカートをさっさと選んだ伊豆と阿部に先にしてやられた、という事になるらしい。そんなに文句があるなら、僕の着ているワンピースを選べば良かったじゃないか、と江田にいうと、
「バレーボールが不可能な服があるって、さっき聞いていなかったのか? だから、そのワンピースは最後の人間専用だぞ」
と馬鹿にされた。確かに僕は馬鹿だ。この服を着させられたのも、判断を誤って最後まで女装を拒んだ報いなのだから。

 写真を撮り終え、服の持ち主たる友人にメールした先輩は、今度は僕と江田の所に近寄って、
「ねえ、江田君と小戸君のツーショットもいいかなあ」
と甘い声を出して来た。へー、先輩でもこんな声を出すんだと感心したが、これに騙されてはいけない。一番壊滅的な僕たち2人だけなんて、あとで笑いものにする魂胆が丸見えだ。だから僕は
「そんなの駄目に決まってますよ」
と即答した。でも江田は黙っている。そこに阿部がやって来て江田に耳打ちした。すると江田はにこやかな顔にかわって
「そのかわり、俺たちこの服を脱いでいいですか?」
なるほど! 江田のセリフは、服からの開放だけでなく、午後の練習も時々見物して良いか、という意味まで含まれている。交渉はこうでなければならないのか。恐らく、女子連は、もはやセパレートの服を僕らの前ですら恥ずかしいとは思っていないだろう。元々、僕たちの目を遠ざけたかった先輩の意地でこういう賭けになったのであって、その当初の目的は無くなっている。交渉の余地があるのだ。しかも、さっきの写真で罰と云う意味も多少果たした。それに加えて一番の笑い者である江田と僕の写真を撮るのなら、こういう提案をして当然だ。僕だって、この恥ずかしい格好を直ぐにでも脱げるのなら、江田とのツーショットぐらいは我慢出来る。一人だけ笑われるのは嫌だが、2人ならぎりぎり許せる気がするから。
 この提案に真子先輩は、
「ルールはルールなんだから守らなくちゃならないけど、そうねえ…」
と言って他の二年の所に相談に言った。相談している間に他の男子が小声で
「うん、先輩がツーショットを撮りたがるのも分かるよ」
「確かにお前達2人の破壊力は桁違いだからなあ」
「意味は正反対だけど」
と言って来る。どうせ僕も江田も道化さ。でも道化といったら、伊豆だってそうじゃないか。阿部だってそうじゃないか。…ん、最後の宇津木の言葉が少し気になる。正反対? どういう意味だ?
 先輩達の相談はすぐに終わって、2年女子が4人ともやって来た。口を開いたのは部長の潔美先輩だ。
「どうせ私たちを見物するんでしょ? それなら、練習試合に加わらない? 私たち10人だから2人足りないところだったのよ。阿部君と宇津木君なら一年女子のレベルと遜色ないし。もしも練習に参加してくれるなら、動き易い格好でいいわよ…」
これはいい話じゃないか。確かに今日のゲームで阿倍の活躍はなかなかだった。やっぱり男子は女子より運動能力が高い。後ろからは一年女子の
「いっしょに練習しましょー」
「いらっしゃいよー」
という歓声も聞こえる。願ったりかなったりだ。そう思う間もなく潔美先輩が続けた。
「…でも、ルールはルールだから、誰か代表一人だけはずっと女装のままよ。それで良い?」
ちょっとまて、一人だけというのは最悪だろう。こういう恥ずかしい格好は共連れが必要なのだ。そもそも、いつの間に罰としての女装になっているんだ? 元々の試合の目的と違うじゃないか。犠牲者の可能性が伊豆と江田と僕の3人に絞られただけに、今日はじめて「嫌な予感」というものを感じた。現時点で一番女っぽい服を着ている僕はかなり危険なのだ。だが、この提案にノーと言える強い理由が思い当たらない。この種の余興は時々刻々として変わるのが常で、それに逆らっては友達と楽しく遊べないし、ここは諦めざるを得ないのか?
 先輩の提案に阿部と宇津木君は乗り気だ。ノリの良い伊豆も
「いいんじゃない?」
と気楽な事を言っている。ここまでは或る程度予想出来る。頼みの綱は江田。その彼も、僕の顔をちらりとみて
「妥協点だね」
と投げ出した。僕に出来る唯一の抵抗は
「じゃあ、そもそもの言い出しっぺの伊豆に女装を続けてもらおうぜ」
と提案する事ぐらいだ。男らしく振る舞うなら、じゃんけんで決めようと言うべきだったかも知れないが、さっきのノリからみて伊豆なら女装を続ける事を承諾するかもと期待したのだ。
 だが、それは宇津木に遮られた。
「おいおい、お前だって賛成したじゃないか。それに伊豆は真っ先に女装の犠牲を買って出たんだぜ。ここはお前の番じゃないのか」
僕には反論が出来ない。頼みの伊豆も今回は女装を買ってでてくれない。見かねた江田が
「じゃあ、じゃんけんで…」
と言いかけるのを遮って、阿部が仲裁案を出した。
「先輩に決めて貰ったらどうだ? 練習を一緒にしない奴って事で」
さすが阿部だ。公平な落としどころを知っている。僕の方が伊豆よりは少しはマシな筈だからと、少し安心して阿倍の案に賛成したら、伊豆も江田も、じゃあ、それでいい、と言ってくれた。
 だが賽の目は今回も外れだった。真子先輩が
「ブラジャーもパッドもそれきりなんだから、既に着ている人が女装を続ければいいじゃないの」
と適当に結論を出してしまったのだ。そうだ、彼女から見たら、僕たち3人はドングリの背比べで誰でも良いのだ。そこまで思い至れば、阿倍の仲介案が僕に不利だと気付いただろうに、後悔先に立たず。やっぱり、さっきの潔美先輩の提案の段階での悪い予感は当たっていた。あーあ、たった一人だけの笑いもの。落胆していると、横から宇津木と阿部が口々に
「そりゃ、最後まで女装を渋っていた報いさ」
「始めからハイリスクハイリターンなんだろ、男らしく覚悟を決めろ」
と言う。味方は何処にもいない。最悪だ。

 他の4人が女装を解いている間に、真子、潔美の両先輩に呼ばれた。先輩の前に出ると
「まだ女装は終わっていないのよ」
という。不安に思いながら
「どういう意味ですか?」
と尋ねると、
「さっきは試合中だったから手抜きしたの。今度が本番。皆の代表なんだから5人分、念入りに女装させなくっちゃね」
ちょっと待った。
「どうして僕だけなんですか、不公平ですよ」
と反論する。
「それはアンタ達の事情でこっちの知った事じゃないよ」
とつっけんどんだ。着替えの終わった他の男子の方を見ると、僕たちの会話を聞いていたのか、江田が
「おまえ、往生際が悪いぞ」
と怒鳴って来た。四面楚歌だ。
 確かに往生際が悪くては女の子はもとよりダチからも嫌われる。諦めて話を進める。
「分かりました。それで、あと何をするんです?」
「パッドと髪を少し調整する。顔も奇麗にしなくちゃね。化粧用品は持って来てないけど、パウダーぐらいはあるから。あと、すね毛。これを剃らないと意味ないでしょ」
は? パッドは分かる。髪も仕方ない。パウダー程度もぎりぎり許せる。でもすね毛は今日だけの女装じゃないぞ?
「あの、女装は今日だけですよ。すね毛ってのは変じゃないですか」
「どうせ生えて来るものじゃないの。それに長ズボンなんでしょ?」
「でも、親が変に思いますよ」
「一週間ぐらい誤摩化せるでしょ? それとも毎日親に裸を見せているの」
最後はからかってくる。
「だいたい、ワンピースの下から出ている脚がすね毛だらけで女装って言える?」
だめだ、口で年上の女に敵う筈がない。とうとう負けてすね毛を剃らせる事を承諾した。


相談編<幼なじみ視点>

 あたしが夏休みで実家に帰ってくると、あたしの部屋は段ボール箱で散乱していた。マジックで大きく「スカート」「ブラウス」とか書いてある。全部、母の持ち物。大学に入った途端にこれだ。そりゃ自分の部屋を持たない母に同情しない訳じゃないけど、娘の帰省の時ぐらいは片付けてよ。
 それにしてもうちは物がどんどん増える。全部母のせい。服をどんどん買う癖に、着ない服を捨てないんだもの。一事が万事。あたしの小学校の頃の下着まで雑巾用とか言って取っているんだから、もったいない運動もいい加減にして欲しい。そんなのを捨てればスペースはいくらでも出来るっていうの。
 ここで母に片付けさせても、単に一時的に何処かの部屋に動かすだけで、冬休みに帰って来る時にはもっと酷い事になっているに決まっている。だから、ここはあたしが大学生…大人だよー…の貫禄を見せて、強引に捨ててやろうじゃないの。そう母に宣言しようとしたら、
「ちょうど良かったわ、あんたに着てもらおうと思って、選んで出しておいたの」
って言うじゃない。いやよ、オバサンの服なんて、若い娘が着るもんじゃない。
「着るわけ無いじゃあないの。第一サイズがあわないでしょ!」
だいたい母と違ってあたしはスリムなの…あ、でもダイエットしなくっちゃいけないかな。お腹の肉がちょっと……。
「おかあさんが若かった頃の服だから、サイズも大丈夫だと思うけど」
否定の前に検証しろって言われて、仕方なく段ボール箱を一つ開けると、やや色あせたスカート類の下の方にセーラー服がちらっと見えている。一体この人は何を考えているんだ。いやいや、ここで相手のペースに乗ってはいけない。
「着ない! って、もう捨ててよ」
あくまでも全否定だ
「もったいないわー。ね、ちょっと着てみるだけ。気に入らなかったらいいから」
そう言って母はスカートを取り出して私にあてて来た。あーもーうざったらしい。
「もういい。じゃあ、あとから見とくから。気に入らなかったら捨てるわね」
ここは追い返してあとからまとめて捨てよう、って資源ゴミの回収は来週までないのか。
「捨てるなんて勿体ないから、誰か着てくれる人があったらあげて頂戴、ね」
そんなに物を大切にするなら、やたら沢山買うなと言いたい。でも母相手に口論しても時間の無駄だ。
「わかった!」
こう言わないと話は終わらない。

 二つ年下の幼なじみの真子から電話があったのはその翌々日だ。真子は何かにつけて頼ってくる。頼られるのは嬉しいけど、少々面倒に感じる時もある、だってちょっと潔癖すぎるところがあるんだもの。そんなんじゃボーイフレンドが出来ないよ、と忠告してるけど、部活が命みたいだから、どうだか。今回の電話も、男子の遠くからの視線が気になって練習出来ない、なんていう、あたしからみたら馬鹿みたいな事だった。
「あんた、そんな事にいちいち反応してたんじゃ人生楽しくないよ」
一言目は忠告はしたけど、やっぱり馬の耳に念仏で、しきりにあたしのアイデアを聞いて来る。しょうがないわねえ。
 彼女のアイデアでは、ビーチパレーの試合をして負かせて、その罰として会議室に押し込めるんだって。そんなの誰かが監視でもしないと無意味じゃん。そう即答したら、それは真子も分かってたみたいで、会議室から出る気にならないように考えて、服を奪おうと思ったって言うから、その発想に笑っちゃった。で、真子の心配は、それって合宿所的にはヤバいんじゃないかって事。そんなん当たり前。それで代わりに良い方法が無いかって……。
 うーん、恥ずかしくて外に出られないようにするんなら……そう思いながら部屋をぼーっと見ていると、母から押し付けられた古着の段ボールが目についた。これだ! 電話が終わると、早速母の古着を調べてみた。現金なものだ。さっきまであんなに鬱陶しかった段ボール箱が宝の山に見えて来る。相手は5人。出来るだけ違う種類で揃えたくなるのは人情。例のセーラー服とワンピースはこの手の余興に外せない。でも、そもそもは真子の潔癖性の被害者だから、あまり恥ずかしいのばかりもかわいそうなので、ズボン系を2つ。後はウエストの緩い吊り式スカートかな。
 そうやって見繕っていくうちに、なんとブラジャーとパッドとウエストニッパーが出て来た。へー、母でもスタイルを気にしていた時代があったんだ、ってブラジャーもウエストニッパーも値札のついているから新品よね。ウエストニッパーは母の意志不足で使わなかったと見た。ブラジャーは……こうも趣味が少女っぽ過ぎたら、さすがの母でも使えなかったと見る。でも、それをあたしに? こんな古い少女趣味の下着を着る乙女が何処にいるっちゅうの。すっかり黄ばんだ値札を見ると100円って書いてある。ははあ、典型的な安物買いの銭失いね。頭が痛い。
 でも、これ、今回の女装余興に入れたら面白いかも。一つだけってところがいいわ。そうよ、5人のうちに一人ぐらい女装の似合う子がいるかもね。そしたら誰だって『奇麗』に仕上げてみたくなるだろうから、その為に入れておいても悪くはないかも。奇麗って言えばワンピース。こっちも良い奴を捜すと、あったあった、これならあたしが着ても悪くないぐらい。こんなゴミの山の中にも一つぐらいは当たりはあるものね。
 そうして物色しているうちに真子から再び電話が来て、得点毎のペナルティーについて聞いて来た。そんなの、コンパの余興のノリなら、一人ずつに決まってるでしょ。そうよ、これは一種の合コンよ。意外と、この5人の男の子の誰かが真子とくっつくかも。そうなったら、あたしはキューピット役ね。ちょっと興味あるわね。写真でもあれば……って、そうよ、こっちが服を提供するんだから、写真ぐらい貰わなくっちゃ。

 …翌日…
 やっと写メが届いた。真子は試合まで見てけって言ったけど、こっちはこっちで友達と男狩り……大学でのオトコはオトコ、田舎でも『お友達』が一人ぐらい欲しいじゃないの……に行くのよ。だから服を届けたら急いで帰って来たわけ。でも、さっき届けた服のどれを使ってどんな格好になっているか、もちろん気になる。だから期待して携帯を見たんだけど、ぜんぜん駄目。
 何が駄目って、ピンぼけの遠い写真で間にネットまで入っている。アングルもめちゃめちゃ。辛うじてシジャンパースカートって事は分かるけど顔は全然わからない。次のメールも同じ。あれは確かキュロットだろう。この分だと、残りも駄目だろうから、近くからの写真を撮るようにメールした。でも次のメールも遠い。ただ、動きが無い分、ピンぼけじゃないけど、なによ、これじゃ全然女装になってないじゃないの。そういや、ズボンなんて遠くから見たら男物か女物か分からないものね。しかもシルエットは明らかに男。そういや、誰かがちゃんとした女装は腰回りのパッドで決まるって言ってたなあ。ちゃんと真子に忠告しとかなくちゃ。お尻にも何かパッドみたいな物を入れないと女装に見えないって。
 んで、しばらくメールが無いと思ったら、いきなり皆が写っている写メがきた。これはなかなかいい記念写真ね。あ、この子可愛い。あとの4人は如何にも不細工な男が恥をさらしましたって感じだけど、この子は原石よ。しかも腰つきはちゃんとしているし、胸も真子よりでかいし、顔もスッピンなのに整っているし。少なくともワンピースは真子より似合っているわね。ってか真子よりも女の子なのってどうなのよ。ほんとに男の子? …あ、そうだ、この子の写真を母に見せれば、服は全部やったって言って、残りを全部捨てられるじゃないの。部屋が広くなる! 早速、彼の近影を送るように真子にメールしとこうっと。。
 で、来たのが、これまた破壊的なツーショットね。対照の妙っていうのかしら。でも、あたしは彼(彼女?)だけの写真が欲しいんだけど…えっと、なになに、
「一人だけの写真は犯罪防止がどうのこうのって言われて撮れなかった。ごめん」
へえ、ほんとに男の子なんだ。言われてみれば確かに髪とかウエストとか脚とかちょっと不自然なところがあるねえ。勿体ないから、気になる所を教えとこ。
 先ず脚ね。何となく色というか雰囲気と云うか男っぽい。見えていないけど、きっとすね毛ね。ちゃんとパンストを履かせないと……って渡したセットにパンストは無かったなあ。じゃあ、剃って貰うのがいいけど、真子、交渉できるかな。気の弱い子だったら助かるけど。あと腰回り。普通に短パンの下に巻き付けるように言ったけど、ずれ落ちて駄目ね。テープかなにかできちんと固定しないと。髪はちょっとハサミを入れたいなあ。あと、喉をスカーフで隠さなくっちゃ。ま、そんなところか。
 でも、ここまでアドバイスすると、どうせなら写真だけでなく、この目で確かめたいなあ。男狩りは不調だし、夕方、顔を出そうかな。折角だから、パンストとかも持って行って上げよう。ついでに例の段ボールからもいくつか。それなら堂々とした差し入れよね。それで男の子に恨まれるのはあたしじゃなくて真子だし。ま、真子の自業自得って事で。
 確かパンストはうちに新品が沢山あった。ショーツも母があたし用とか称して買った安物がある。あんな腰深のオバサンパンツなんて着る乙女はいないっちゅうの。でも腰回りのパッドを固定させるにはちょうどいいや。あの可愛い男の子にプ・レ・ゼ・ン・トしちゃおう。段ボールからは今度は女の子っぽい奴ね。そうそう、ワンピースなら下はスリップぐらいあった方がいいよねえ。でも段ボールには無かったなあ。母にしては変だ……そっか、そういえばあたしの引き出しのどっかにその手の奴が沢山あったよなあ。あとは固定用のテープに化粧品を少し。他にもカツラがあるといいんだけど…せっかくだからあたし用に買おうかな。それを貸して上げるって事で。うんうん、なかなかグッドアイデアね。


練習編<主人公視点>

 僕は今、小さな室内コートで女子バレー部の練習を見ている。正確には練習試合の審判をしている。元々の予定では小会議室でネットを使ってアニメや漫画の突っ込んだ話をする予定だったけど、阿部と宇津木が練習参加の約束で抜けるし、伊豆と江田も男女混合の練習の方が面白いと言って、皆でこっちに来た。僕だって狭い部屋で一人だけ女装である事をあれこれ考えるのは嫌だから、こういう騒々しいところに来てほっとしている。
 試合では阿部と宇津木が2年生4人とチームを組んで、1年生6人のチームと相手している。実力だけなら阿部と宇津木などいなくても構わないのだろうが、相手コートに6人いる状態にして、1年生に試合の感覚を覚えて貰うのだそうだ。後付けの理由に違いない。高校生たるもの、男女が一緒になる機会は無理矢理作るのは当たり前だ。ちなみに伊豆と江田も、阿部と宇津木が疲れたら替わって良いと言っている。やっぱり見るだけでなく参加してこそ楽しいものだろう。なのに僕は生け贄なので試合に出られない。ワンピースだから潔美・真子両先輩が出させてくれないのもあるけど、それ以前に参加が物理的に無理だ。本音は、少々無理でも参加したいところだ。そうやって相手の同情を引き、練習の為に動き易い格好に着替えるのを許して貰おうという魂胆だ。でも、今の女装は下着とかパッドとかが窮屈で余りにも動きづらいのだ。

 あの後、先輩方に小会議室に連れ込まれて女装をやり直したが、その際にウエストニッパーを更にきつく締め付けられて息も出来ないぐらいになった所に、トランクスのゴムのあたりに短パンで軽く固定してあったタオル状パッドを、テープでしっかりと固定し直されて窮屈になり(代わりに短パンは脱がされた)、すねは毛を剃った後でひりひりするし(膝丈のワンピースなので膝の上は勘弁してもらった)、脇も少しだけあった脇毛を剃られて痛いしで、とても動ける状態じゃないのだ。特にウエストニッパーが酷い。ウエストでなく肋骨下部をウエスト並みに締めるものだから……そこが女性の『くびれ』の位置だそうだ……殆ど呼吸が出来ないので、浅い呼吸を速く繰り返している。声も出し難く、かすれ気味だ。おまけに、くそ暑い中にスカーフまで巻いているので、まるで風邪ひき声だ。
 もっとも、こういう身体的苦痛のお陰で精神的ダメージは減っている。やり直しの前は、毛を剃られる事とか、一人だけ女装させられる事とかに対する精神的ダメージと不安が大きかったが、今は肉体的苦痛や窮屈さだけで頭が一杯で、他の苦痛…女装の恥ずかしさにまで頭が回らない。或いは、女装しているという事実から意識を逸らせる為に、敢えて肉体的苦痛を感じているのかも知れない。なんせ、人間とはダメージが大き過ぎると、現実逃避する動物だから。
 現実逃避だから、もちろん鏡を見ていない。自分の姿を見たら最後、折角(肉体的苦痛のお陰で)忘れかかっている恥ずかしさを否応なく意識するに違いないのだ。そういうダメージは出来るだけ避けたい。同様に気をつけなければならないのがガラスだ。夏で明るいとは言え、光の加減ではつい姿が写る事がある。幸い、合宿所でのガラス張りは正面玄関だけなので、そこを避ければ己の恥ずかしい姿を見ずに済む筈だ。幸い、小会議室へは裏口から行くのが近く、そこから食堂も廊下伝いに直ぐで、ロビーを迂回して行ける。この格好で玄関なんかに行きたくもない。
 そんな訳で自分がどんな化け物になっているのか未だに知らない。ただ、さっきの試合の時の皆の反応では、あの壊滅的な江田よりも更に僕の方が破壊的だそうだから、もはや宇宙人の域なのだろう。だからこそ、からかって美人美人と誰もが言うのだ。さっきだって阿部が
「どうせ突っ立ってるんなら審判はどうだい? 俺だって美人に審判してもらった方がやる気がでるからな」
と笑いつつ審判を押し付けた。断る事は可能だったが、その前の伊豆の
「練習に出ないんなら、そのあたりを歩き回って、その美しい格好を披露して来たらどうだい」
と言う提案よりは遥かにマシなので引き受ける事にした。それに、審判に集中すれば女装の事を忘れるのも可能かも知れないと思ったし。少なくとも気は紛れるだろう。呼吸し難い状態での審判は楽じゃないが、幸いバレーの審判はホイッスルと手での合図で済むし、点数は場外の2人が付けてくれる。

 試合は阿部の意外というか当然というか、そんな活躍で1年チームは散々だった。そこで第2セットは阿部と宇津木の代わりに伊豆と江田が入った。伊豆が先輩方の足を見事に引っ張って、ようやくゲームらしくなる。僕の方も伊豆の馬鹿なプレーのお陰で、恥ずかしさの仲間が増えた気がした。しかも、誰もがボールを追うのに集中して僕の格好なんぞ気していない。これは悪くはない。そんな、試合たけなわという時、ひょっこり顧問の先生が入って来た。
 高校部活の合宿とはいえ、女子だけの外泊となると、大人の引率が付かなければ学校は合宿を許可しない。でもこの合宿所は特別で、先生方の多くは名目だけの引率で実際には殆ど顔を出さない。寝室こそ確保するものの、実際には泊まらず(そのスペースを部員に提供する)練習の一部だけ見てさっさと帰る。部員との信頼関係があるから可能で、たとい事件が起こっても、宿泊記録の上では一緒に泊まっているので問題にはならないし、マスコミもそのあたりは分かっていて、つまらない事で書き立てたりはしない。そんな訳なので、昨日から顧問の先生がいない事に不思議は感じていなかったが、それでもそろそろ現れる頃だと不安半分に期待していたのだ。
 皆で女装しているなら、先生は遊びの感覚だろうと思って口を出さないだろう。寧ろ悪のりする可能性だってある。でも一人だけが女装となると、普通はイジメか罰ゲームと思うだろう。その時に僕が女装を止めたいと本音を言えば、この窮屈な格好から開放される可能性が高いのだ。もっとも、僕たちが同じ高校の生徒であると一目で分かるがどうかは分からない。バレー部の顧問は直接授業の無い先生なのだ。でも、先輩達と僕たちの会話を聞けば直ぐに分かるだろう。そうして、先生が気付いたタイミングで僕が名乗れば良い。それによって二学期に学校で先生にからかわれる可能性は無きにしもあらずだが、そのリスクは少ない。
 入って来た顧問の先生は、期待に違わず、直ぐに僕たちに気付いた。見物しているだけでなく、コートの中にもいるの事を。
「おい潔美、男子抜きで練習するんじゃなかったのか」
「あ、たまたま同宿の人たちがバレーが好きだって言うから、足りない人数を補ってもらっているんです」
と答える横から阿部が
「僕たちが無理を言ったんです。昨日ちょっと迷惑をおかけしたので罪滅ぼしという意味もあって」
と如才なく口を添える。ものは言いようだ。
「ああ、確かに1年生の練習にはいいな。よし、ちょっと見てやるから続けろ」
 想定とぜんぜん違う展開だ。しかも僕に声をかけて来ない。女装を内心笑っているのか、いぶかしがって触らぬ神と決め込んでいるのか、それとも単純に哀れんで声も掛けられないのか。こう言う時はあからさまにカラカラと笑われた方が余程ましだ。だが、そんが事を考える間もなく、先生に促された先輩がサーブをしようと真剣な顔で僕を見る。ホイッスルを吹かなければならない雰囲気だ。しかし、窮状を訴えるこのタイミングを逸してホイッスルを吹くと、このまま女装から開放されるチャンスを失いかねない。一瞬の躊躇いに、コート横の宇津木が
「審判!」
と促し、とうとうポイッスルを吹いてしまった。あたかも女装継続へのホイッスルのように。ホイッスルを僕が鳴らした時に先生がちらりと僕を見たが、何も言わずに直ぐにコートに目を戻した。

こんな時は切り替えが大切だ。審判である事に専念すれば、女装している事も、ついでに身体的な痛みや窮屈さも忘れる事が出来る。それが過去30分の経験だった。だから、ホイッスルと手振りだけで真面目に試合を進行させた。先生がいるので、さっきまでと雰囲気が違う。女子はもとより男子も真剣そうな目つきだ。実際に真剣であるかどうかは分からないが、緊張は感じ取られる。なんせ、男子の参加が真面目な練習目的であると認めて貰えないと、このあとが面倒な事になり兼ねないのだから。実際、サーブ3回分のラリーだけで緊張に音を上げた伊豆が阿部に替わった。交代は功を奏し、阿倍の動きを見た先生も少し首を肯かせていた。どうやら、僕たちの存在は認められたようだ。
 おっと忘れる所だった。僕にとっては、そんな事より女装からの開放の方が優先だ。でも、そういう話はこのセットが終わるまでは出来ないだろう。となれば、今は先生の心証を良くするべく審判をミスなくスムーズに努めなければならない。こうして緊張の時間が過ぎて、このセットも終わった。
 だが、セット終了時にもチャンスは全くなかった。1年生が最後のスパイクを外すや、先生が
「もう1セットやってみろ。休憩はそのあと。一年生は俺のアドバイスをしっかり聞くように」
と言い放ったからだ。コートチェンジの間に先生に何かを言おうと思ったが、きっかけの言葉が見つからない。先生も僕を完全無視だ。まあ、僕だって他人の化け物女装なんかに関わりたくないないから、先生の気持は分かるが、それでもシカトはちょっと辛い。
 あっという間に第3セット開始となり、再びホイッスルを鳴らす事になった。審判は僕のままだ。誰も替わろうと云ってくれない。突然の緊張で、誰もが僕の事を忘れてしまったのだろう。もっとも、この雰囲気は僕にとっては悪くない。審判がそこにいる、格好なんか二の次、そんな雰囲気だ。女装という事実も肉体的苦痛も締め付け感も頭から消えた。僕は審判。それだけ。
 休憩時間になった頃は誰もがへとへとで、僕の方を見る者もいない。男子はよろよろとコート脇に動き、女子は円陣に集まり、先生は先生で普通に
「審判ありがとう」
と一言だけ声をかけて円陣の中心に収まっている。完全に忘れ去られた感だ。そういう肝心の僕ですら女装している事を忘れて、自然と背伸びをしてしまった。

 円陣に座った女子は、簡単な反省会を催している。野郎共もやおら床に座り込んで、プレーの善し悪しを話している。僕だって疲れて頭が朦朧だ。だから、野郎の所に行くべきか、どうするか迷っている。というのも、今は選手と審判という壁があるし、意識してはいないけど、なんとなく座り込んだ野郎どもの所に近づけない気がしているのだ。これは当たり前の話で、実は、試合前に座っている連中に気軽に近づいて、江田に思い切りスカートめくりをされたばかりなのだ。午前の賭け試合の時と違い下はトランクスだけ。女子は
「スケベー」
と騒ぐし、その時の見えた太腿の毛をさして阿部が
「ばけもの!」
と言うしで大変だった。膝までのスカートだから太腿の毛は剃っていないのだ。剃っていない所が残っていると、剃った跡が醜く目立つ。それが僕の足だ。そんな足を何も知らない先生にいきなり見られるのは痛過ぎる。
 居場所を失った僕は、しばらく野郎も女子も見える位置で、ぼうっと先生の話に耳を澄ませていた。審判の緊張と興奮が抜けて行くにつれて、本来の目的…先生に言って女装を解いてもらう事…を次第に思い出し、先生に言い出す隙を捜し始めた。しかし、まだ僕に余裕が出来ないうちに、阿部と宇津木が女子の円陣の所にやってきて、女子と先生に
「僕たちはこのへんでおいとまします。今日はどうもありがとうございました」
と挨拶してしまった。隅では伊豆と江田も立って会釈している。唐突!
 確かに、先生が居る状態では男女お互いに窮屈だ。しかも、彼らが女装を猶予して貰った時の条件は十二分に満たしている。女子から文句を云われる心配は無い。となれば、ここは引き上げるのが吉。もっとも僕の場合はどうすべきか判断が難しい。というのも、このまま戻って勝手に女装を解いて良いのかどうか曖昧だからだ。約束は約束。それを反故にするには相手の了解が必要だ。だからこそ、さっきから先生のいる機会を利用して女子と交渉しようとしている。でも、今のこの状態でそれを話題に出すのは、ちょっと不味い気もしているのだ。理由は自分でも良く分からない。学校で先生にからかわれる可能性を残すリスクだけの理由ではない。
 この直感は実際に正しい。今、先生に女装の真相を伝えると、試合40分の真剣な汗の努力をないがしろにしかねない。それに加えて、先生に告げる事は女子に恥をかかせる事にもなる。つまり全員から恨まれる行為なのだ。もちろん、この短い時間にここまで考えを整理した訳ではないが、それでも、なんとなく先生に言いづらくなったとは感じていた。もっとも、言いづらいからといって、直ぐにチャンスを見切って帰ってしまう程の度胸はない。阿部あたりだったら、こういう時はさっさと戻って、先輩方の了解無しに女装を解いても、あとから文句を云わせない理由をいくらでも作れるだろうし、理由の前に如才なくあやふやにしてしまうだろうけど、僕はそこまで器用に立ち回る事が出来ない。だから、今帰ったところで、女装を勝手にやめられる自信がないのだ。そうなると、彼らと一緒に帰る理由は弱い。
 野郎共の挨拶に対して、部長の潔美先輩が
「こちらこそ有り難う」
と云うと、他の女子も口々に有り難うと言って来た。先生も
「今日は練習に付き合ってくれて、こっちこそ有り難う。君達もうちの生徒なんだね」
と丁寧に挨拶する。試合中のかけ声で○○先輩と呼んでいたので、それで予想が付いたのだろう。
「あ、はい」
如才ない筈の阿部ですら緊張気味に答えている。そして
「お疲れさま」
という先生の言葉で、ようやくきびすを返して帰り始めた。

 僕がどうするか、決断までの時間は短い。男の中で女装をからかわれるのがマシか、女子の中で目立たないようにひっそりと過ごすのがマシか。そんな迷いの瞬間に、阿部がこっちを見て目配せしてきた。一言も喋らずに、目だけの合図だ。それは、お前も帰れと言っている。と同時に、目だけの合図に、ある事に気付いた。そう、僕はまだ正体がばれていないのだ。阿部達は既に同じ学校の生徒だと割れているが、僕と彼らは練習中もその後も馴れ馴れしくしていないから、先生が彼らと僕を結びつける線は弱い。という事は、この機会に僕も引き上げれば、かすかにあった後日の心配…先生が女装の件に絡んで来る可能性…が払拭出来るのだ。もちろん、先生の存在を利用して現状を打破するチャンスも失われるから迷いは消えない。でも、こういうのは条件反射だ。ダチの合図、それだけで十分。一瞬にして僕の決心が固まり、硬直気味だった体がようやく動き始めた。
 早速、
「お疲れさまです」
と小声で挨拶した。声を出し難い上に、出遅れへの気後れが重なって、蚊の鳴くような……女の子のような声になってしまったが、挨拶しないよりはマシだ。ここで先輩方と先生の反応が気になるが、とりあえず女子連は僕の格好への興味が失ったのか、ごく普通に
「お疲れさまです」
という挨拶してくる。問題は先生。さっきまではあれほど声をかけて貰いたくて仕方なかったが、正体を隠したまま退場する事に決めた今は逆だ。だが、その希望も空しく、きびすを返そうとした瞬間に
「今日は有り難う。君、見かけない顔だけど、何処の学校の生徒?」
と尋ねて来た。その質問、40分前にして欲しかった!


友人編<阿部視点>

 小戸の奴があんなに化けるなんて予想出来っこないぜ。そういや昔チャップリンが女装するコメディを見た事があったけど、すっごい美人だった。小説とかでは男顔とか女顔とか書いてあるが、あんなのは嘘っぱちだ。男は化ける……女はもっと化けるけど。だから、小戸以外の人間でもあのワンピースだったら化けるかも知れん。……しかしだ、少なくとも奴が似合うという事実に変わりない。だって俺たちは逆の意味で化けたからな。江田なんで化け物そのものだった。あんな格好の奴と同じ会議室に押し込められたくないぜ。ま、江田のお陰で女子連中も俺たちに女装させる事の愚かさを知ったみたいだがな。江田に感謝感謝。
 とにかく小戸は化けた。それは俺だけじゃなく真子先輩たちも認めたようだ。でなきゃ、わざわざ小戸を指定して、しかも丁寧に女装のやり直しまでする筈が無い。一人だけを犠牲にする事が決まったとき、俺は皆で交代して女装すれば良いって程度に思っていたんだけど…言い出しっぺだし…ま、似合う事が確認された小戸という事で安心したぜ。下手に江田が小戸と同じ格好をして、さっきより破壊的になったら目も当てられん。ま、一人だけ選ばれた小戸には可愛そうだがな。

 それにしても、小戸はノリってのが分かってない。判断だって不味い。すね毛を剃るのに、膝の下だけ剃って膝の上はそのままにするなんて、そんな事をしたら、わざわざ僕はすね毛を剃っていますよって宣伝しているようなものじゃないか。高校一年のすね毛なんてオッさんと違って可愛いもんだぜ。剃ってしまっても誰も気付く筈が無い。特に小戸はそうだ。でも、剃り残しを作ったら、剃った部分が分かるじゃないか。短パンをどうやって履くんだよ。そっちのほうが余程恥ずかしいぜ。よし、こんなものは思い知らせるに限る。そう思って奴のスカートをめくろうとしたら、江田も同じ事を考えたと見えて、見事に小戸の恥ずかしい太腿を見せてくれた。グッジョブ。
 めくられるのが堪えたのか、小戸ったらそのあと俺たちに近づこうとしない。ちょっとやり過ぎだったかな。一人ぼっちの彼が少しかわいそうになったんで、練習に曲がりなりにも参加出来るように審判の話をしたら、これは良かったみたいだ。真面目な時の精悍な目つきでちゃんと審判してくれたものな。それは良かったけど、あそこで先公が来たのにはちょっとビビったぜ。あの先公、俺たちの学年担当じゃないけど、兄貴から話を聞いて知っている。厄介って話だ。実際、俺たちを見るなり不審な顔をしたもんな。…もしかして合宿を女子だけでって先公のアイデアかよ。堅物先生はこれだから困る。別に市内でもそんなに強くないバレー部なんだから、合宿に楽しみの一つや二つあって当然だろうが。
 ともかく、あの先公を怒らせないようにせにゃならん。ま、それでも練習参加という口実…ってほんとにそうじゃないか…は俺と宇津木が頑張ればどうにか誤摩化せる。問題は小戸だ。女装男がこんな所にいるなんて、あの堅物には論外だろうよ。まったく焦ったね。真子先輩や潔美先輩を見ると、そっちも緊張した面持ちだ。そりゃそうだろう、小戸に女装させたのはあんらたなんだからな。どこかで先公の雷が落ちる事を覚悟したぜ。
 でもだ、小戸はその上をいった! 先公ったら、何も言わないどころか、明らかに意識してやがる。ありゃ、小戸を女って思っているぜ。中身を知らなかったら、そりゃバレー部員の誰よりも奇麗だから、男は誰でも気になるだろう。お陰で俺たちはお咎めなしだし、最後には感謝されたものな。小戸グッジョブ!
 やっと練習から開放されたから、ここは小戸の正体がばれる前に奴を回収するに限る。だが、引き上げる時に先公は確実に奴に聞いて来るだろう。男ならどんなに緊張していても、美人を前に何の手がかりも得ずにむざむざ帰らせる事は有り得ない…たとい女子部員の手前にしてもだ。これが一番の難関だぜ。なんせ小戸には演技に徹して女声を作るって発想は無いからな。幸い、蚊のような声しか出せないから、さっきの挨拶は何とか誤摩化せたけど。

 「今日は有り難う。君、見かけない顔だけど、何処の学校の生徒?」
きたきた、って、おっと、うちの学校って事も分からなかったのか。これはちょっとラッキーだ。ここは学校が違うって言えば良いんだから。
 ところが小戸は何も言わねえ。おいおい、ちゃんと違うって言え! 言ってくれ。黙っていたら不審がられるだろうが。ここで下手に女装してるってバレてみろ、40分の汗の努力が水の泡なんだぞ。俺は他人の振りをしてるから助け舟が出せねえんだ。そう焦るが、小戸はもとより、潔美先輩まで黙っている。真面目女って、こんな時の度胸が足りんから困るぜ。女装がバレて一番困るのは先輩だろうが? 
 だが、天は俺たちを見捨てなかった。
「ああ、じゃあいい。お疲れさま」
さすが大人だ。何か事情がある事を察してくれたんだろう。ほっとして外に出ると、
「待ってえー」
と真子先輩がタオル片手に走って来やがった。先公からは見えない位置だ。
 先輩は俺の耳に近づいて小声で
「先生、小戸君をうちの生徒かも知れないって思っているらしいの。マネージャーにスカウトしたいって言ってたから。だから、先生が帰るまでは、気を抜かないでね」
「は?」
「おしゃべりの一年生がしゃべっちゃうかも知れないでしょ? 小戸君があんた達の仲間だって」
確かに女は秘密が守れないからな。さっきのような肝心な時に何も言えないで、必要でない所でべらべら喋りやがる。
「でも、どうしてマネージャーなんですか?」
「審判がきびきびしてたし、それに…美人でしょ?」
ああ、それは大いに納得出来る。でも、じゃあ、いったい俺にどうしろと言うんだ。そう尋ねると
「だーかーらー、男ってバレたら不味いでしょ? あの先生だから」
ははあ、先輩も分が悪い事を自覚していらっしゃる。なんたって後輩は先輩の言う事を聞くもんだし、服の出所も問題だものな。よっしゃ、ここは先輩をからかうチャンスだ。
 俺はにやにやして
「じゃあ、先輩が直接あいつに言えば良いじゃないですか。男の俺たちにはどうアドバイスすりゃいいか分かりませんから」
と提案すると
「もうっ、分かってよ。…さっき無理言っちゃったから、これ以上は何言っても信じてくれる筈がないのよ」
確かにさっきの再女装の時の真美先輩の言い分は強引だったもんなあ。あれじゃ誰だって引くぜ。ま、困っていると言わせたし、このあたりが潮時だろう。
「じゃあ、説得しますから、代わりに後から何かしてくださいね?」
女装だけでなくボロを出さないように振る舞わせるんだから、このくらいは要求出来る。
「あんたには参るわ。いいわよ、いやらしい事以外なら何でもしてあげるから」
「ラジャー」
「これ、あんたの忘れ物って事にしてここにきたの、じゃあ」
真子先輩はそう言ってタオルを手渡して走って帰って行った。ウゲッ、汗臭せー! 女臭せー!!
 屋外の蛇口の所では宇津木と江田が服を脱いで頭から水を被っている。くそ暑い中、あれだけ運動したんだから、服は汗びっしょりだ。その後ろで伊豆が待っていて、小戸は向うの木陰で所在なくしている。うーん、さっきは先輩に安請け合いしたけど、独りぼっちの様子を見るとちょっとかわいそうだよな。でも、ここは心を鬼にしなきゃ。まず下工作だ。伊豆に真子先輩からの伝言を話す。
 話し終わる前に、水を浴びていた江田が
「バレて困るのはバレー部だろ?」
と小戸を弁護した。確かに江田の言う通りだ。だが、おれは、先公をこの連中よりよく知っている。先輩の肩を持つ訳じゃないが、確かのあの先公なら、女装と分かった途端に、俺たちにかつがれたと思って、
「俺を笑い者にしたな」
と逆ギレするかも知れない。そう言って皆を脅すと、
「仕方ないな、でも阿部が言えよ」
と口々に賛成してきた。あとは本丸。嫌な役回りだぜ。


休憩編<主人公視点>

 虎口を脱出してようやく外に出ると、太陽はまだまだ高い。時計はまだ3時前。体を動かしていなくとも汗ばむ。いかにも涼しそうに見えるワンピースだけど、裏張りとかがあって結構暑い。確かに補正下着やパッドが簡単に見える服じゃ、百年の夢も覚めてしまうから、ブラジャーの紐みたいな目立つもの以外は一目で分からないようなデザインなんだろうな。そんな服の下に、更に窮屈なものを着けているんだから、尻から上は暑苦しい。さっさと冷房のある部屋に入りたいが、今後の予定が不明だし鍵を阿部が持っているので、取りあえず木陰で涼む事にする。弱いながらも午後の風が吹いて助かるが、気温の変化で急に汗が増えて、服が体にまとわりつき始めて気持が悪い。
 阿部たちが水を浴び終わって、手洗いしたシャツを手に持って近づいて来た。まず阿部と宇津木が連れ立って
「ちょっと厄介な事になった。部屋で」
そう通りすがりに言い残すと、そのまま裏口から寝室の方に向かった。厄介とは先生の事に決まっている。となれば、外にいる間はいつ先生が見ているか分からないから、行動の際は他人の振りだ。次に江田と伊豆が目の前を通る時に
「おまえ、トランクスのラインがみえるぞ」
と警告して来た。慌てて下をみると、汗でまつわりついたワンピースがトランクスに張り付いている。これは酷い。まとわりついた他の所も見るとウエストニッパーとかも浮き出ている。恥の上塗りだ。慌ててワンピースをぱたぱたさせて風を通す。一体、女の人って大変だなあ、と思うと同時に、なぜ女の子がスリップとかキャミソールとか(その違いがよくわからないのだけど、スリップは見せない下着でキャミソールは見せる下着?)を下に着るのか合点した。間に薄い何かを挟むだけで奥のものは見えにくくなる。
 まあ、汗でまとわりつき始めたのは木陰に来てからだし、近くから見なければ分からないだろうから、他の連中に見られた可能性は少ないだろう。そんな事をしているうちに、人気がなくなったので、やおら同じ裏口から寝室に向かった。合宿所とは言え、廊下のセクションは男女別に分かれていないので、こんな格好でも気兼ねなく寝室セクションに入って行ける。

 部屋に入ると、着替えの最中だ。
「すけべー」
と伊豆がおどけていう。あのなあ……まあ、いいか。女装について何も言われないより、こうして茶化された方が気楽というものだ。
「ばか」
とかすれた声でそれだけ言って、僕も畳に座り込んで足を伸ばした。
 ずっと立ちっぱなしだったから、えろう足が疲れている。やっぱり畳は最高だ。一旦リラックスすると窮屈な格好も外したくなる。今は女子の目もないから、この鬱陶しい服を脱いでも構わないだろう。そう思ってワンピースのファスナーに手を掛けようとすると、それに水を差すような事を阿部が言った。
「そうそう、小戸、あの先生がお前に目を付けているそうだ。気をつけろ」
びっくりして手が止まる。確かにさっきの視線は尋常じゃんかったものなあ。あーあ、他校生だと言っておけば良かった。
「同級生ってバレた?」
呼吸困難と闘いながら独り言のように言うと
「いやまだだ。でも、同じ学校って事は感付かれているみたいだ」
と更に悪い情報を教えて来る。
「やばー」
「でも、もしも女子が正体を明かさなかったら、まだチャンスはある」
「それって期待出来ないよなあ……」
「いや、連中も自業自得のような事はするまい」
それはそうかも知れない。
「だから、お前、もう少し女の振りを気をつけろ」
「えっ? なんで今更……」
 ちょっと脈絡が分からない。なんでそこで女の振りなんだ。他校生の振りの間違いだろう? その疑問に
「さっきは男ってバレなかったけど、綱渡りだったんだから」
と更に奇妙な返事を返して来た。そんな筈は無い。
「もうバレてるに決まってるだろ?」
すると、阿部は呆れた顔をして
「おまえ、本気でそう思っているのか?」
横で宇津木と江田がため息をついている。
「あのな、お前をマネージャーに欲しいって先生が言うのを聞いたんだぜ」
と阿部が続ける。
「そりゃ、審判を真面目に……」
阿部までが頭を振った。
 な、なんなんだ。一抹の疑問を感じていると、伊豆が横から
「まあ、お前の言う通りだったとしてもだ、ここで女装を止めてみろ、練習場を女装で穢したくせに、他の所で普通の格好でくつろいいるって事で怒り出すぞ」
と言い、続けて阿部が、先生が堅物で危険な事を説明して、こう締めくった。
「まあ、今日一日って約束なんだから、諦めろ」
まあ、仕方ないか。それに、ここで女装を止められないだろうとは薄々思っていたし。
「しょうがないなあ」
そう覚悟を決める合間に、皆が口々に
「まあ、後で俺たちで何か奢ってやるよ」
「今度新しく買うゲームは真っ先にやらせてあげるから」
と宥めてくれた。そのくらいはして貰わなくっちゃ。
「じゃあ、部屋を出る時は着るから。このままだと汗で下着が見えるし」
そう言って、止めかけた手を戻してワンピースを脱ぎ始めた。ファスナーを下げるのが、こんなに大変だとは知らなかった。女の人って大変だ。

 ワンピースを脱ぎ終わるや伊豆が言って来た。
「おい、どうせまた直ぐに汗をかくぞ」
確かにそうだ。当事者の僕が気にしない訳が無い。指摘されて、さっきボンヤリ考えたキャミソールを思い出し、それがあれば誤摩化せるのになあ、と一瞬思ってしまった。う、恥ずかしい。僕は何を変な事考えているんだ。そうじゃなくて、女性下着に繋がらないものを考えなくっちゃ。そういえば、タンクトップはどうか? 男女兼用だよな。そう僕が思ったのとほぼ同時に、宇津木が
「俺のタンクトップを貸してやるよ。アレを下に来たら汗をかいてもまとわりつく事はないだろう」
と言って来た。
「ああ、貸してくれ」
 問題が一つは解決だ。でも根本的な所が残っている。
「おまえ、ブリーフ持ってないのか?」
さっきトランクスが透けている事を指摘して来た伊豆が口を出す。
「…汗かいてなくても、下着ラインって、よく見れば分かるもんぞ。ましてや汗をかいたら一発だ」
これには僕もお手上げだ。
「持っていない」
この後、色々相談したが、結局、トランクスの脇の方をビキニのように持ち上げてテープで皮膚に直接留めてはどうかという事になった。トイレの時にいちいちテープを付け替えなければならないが、そんなにしょっちゅうトイレに行く訳ではないから、そのくらいはどうにかなる。
 小便を済ませてからトランクスの「補正」を始めると、僕の足を見て、思い出したように阿部が
「おまえ、その足、どうにかしろ」
と言って来た。太腿の毛も気になっていた事だ。さっき剃らなかったのは、先輩達が膝から下だけを剃って、
「残りはあなたがやりなさいよ」
と言って来たからだ。確かに女の子が男子の膝から上を触る事は有り得ない。でも、こっちとしても簡単にはハイとは言えないのだ。受動的にすね毛を剃られるのと、自分で手を動かして剃るのでは、同じ女装でも気分が全然違う。剃られるのは無理矢理感があるからこっちに責任は無いが、剃るとなると理由は何であれ自発行為だから、変態に近づくような気がする。当然のように断ったら
「後悔するのはアンタだから勝手にしなさい」
と投げられてしまった。そう言われても、おいそれと剃る奴はおるまい。その結果、太腿とすねがアンバランスになって、いかにもすね毛を剃りましたって感じになってしまっている。この恥ずかしさは、江田のスカートめくりで身にしみた。このままでは短パンが履けない。

 太腿を剃る覚悟は出来たものの、それでも出来るだけ先送りしたい。むしろ、気になっていた事の解決案が出そろったところで、ちょっとリラックスしたいところだ。ずっと緊張と窮屈の2時間だったのだから。そう思ってブラジャーを外そうとすると、阿部が爆弾発言をした。
「言っとくけど、いつ先生が来るか分からないぞ」
その可能性はある! 僕の居場所なんぞ、取りあえず女子部員に聞いて、それで分からないなら、こいつらを探し出して聞くだろう。部屋からは声がするから、男子の居場所は直ぐに分かる。部屋に入って中途半端な女装の男子がいたら……ヤバい。
 慌てて洗面に入り、カミソリを取り出した。いつ先生が来ても困らないように、タンクトップとワンピースも洗面に持込んでいる。服掛けに掛かっているワンピースを見ながら、自分の太腿を剃り始めると奇妙な気分になる。なんで僕はこんな事をしなくちゃならないんだ。まるで自分の意志で女装しているみたいじゃないか? そう思った瞬間、勃ちはじめた。え、さっきまで何ともなかったのに、なんで? 自分の意志って思ってしまったから? それとも興奮したから? 僕は女装に興奮するような変態じゃない筈だぞ! そう自分自身を鎮めるけど、いったん勃つとなかなか収まらない。こんなところを他人に見られたら弁解できないじゃないか、と焦る。いや、今だけではない。このあと勃ったらどうしよう。そう思うと、対策が必要なのを感じた。
 結局、トランクスを更にテープで補強して前を出来るだけ押さえる事にした。テープは洗面所内に持込んでいる。剃る時にトランクスを再調整する必要もあるかも知れないと思ったからだが、こんな理由で使う事になるとは思わなかった。もっとも、テープごときで勃起を押さえらるとは限らない。まあ、その時は運と思って諦めよう。今はとにかく頑丈に留める事だ。
 作業が全部終わって、いざ洗面の外に出ようと思ってためらった。新しく太腿を剃り、トランクスのテープを補強して女装の度が上がったので、他の男子に見られるのが恥ずかしくなったのだ。言われてやった事とはいえ、作業は全部僕自身でやっている。まるで変態じゃないか。そういうやましい思いがあるから、半ヌードを男子の目の前に曝すのが恥ずかしくなるのだ。結局、洗面から出る前に変化を隠す為に再びワンピースを着た。さっきは着せられたが、今回は「着る」だ。しかも男子に言われずに。そこにイヤなものを感じるが、仕方ない。まあ、服を着る時に勃たなかった事だけで良しとしよう。着る方は、脱ぐ時よりも遥かにファスナーが難しかったが、なんとかこなして、形を整えた。といっても間違っても鏡は見ない。女装している事を否応無く確認するのは絶対に嫌だ。たとい、阿部達の言うように女に見えたとしても。いや、そんな筈は無い。化け物に決まっている。
 皆の前に出ると、
「お、着飾ってのお出ましか」
「ちょっとおかしいぜ」
「パッドのバランスが悪いんだろうなあ」
と口々に言って首を傾げている。そんな事知るものか。
「どうでもいいだろうが」
と言うと
「いや、ちょっと調整すれば良い」
と阿部が言って、胸や腰のパッド類を触り始めた。ちょっと嫌な感触だ。服を触られたぐらいで気持悪いのだから、女の人が触られたがらないのも今なら良く分かる。僕は絶対に痴漢だけにはならないぞ! そう誓っていると
「まあ、こんな所かな」
と言って阿部が手を離した。とてもホッとする。


女装編<主人公視点>

 僕の準備が終わるや、皆でアイスを買いに食堂に降りた。僕はわざわざ人目につく所に行くのが嫌だったので買って部屋に持って来るように頼んだが
「女子だって休憩している筈だ。練習に付き合ってやったんだから、このチャンスを逃す手はないぜ。お前が行かないなら置いて行く」
との返事だ。女子がいるという事は先生もいるという事じゃないか。そう文句を言うと
「その時は教えてやる。最悪、先生に遭ってしまっても、今の格好なら大丈夫な筈だ」
と説明してくれる。なるほど、僕の女装にあれこれ言って来たのも、彼らは彼らなりで僕の事を考えていたらしい。でも、だからと言ってためらいは消えるものではない。そんな様子を見た江田と伊豆が
「こんなところでウジウジしてみろ、それこそ女みたいな奴だって思われるぞ」
「たった一人で女装で過ごすなんて変態そのものじゃあないか」
と迫ってきた。ここまで言われて決心出来ない僕ではない。そもそも今日は避けよう避けようとする女々しい言動が却って悪運を呼び込んでいる。いくら避けたいと云う本能には抗い難くても、もっと伊豆や江田のように吹っ切れなければならないのだ! 

 建物の南西を占める食堂兼購買へはメインの階段が近い。だが、階段の昇り口を挟んで反対側(建物の北西端)がロビーなので、あまり使いたくないルートだ。できれば、さっき上ってきた裏口の階段を降りて、廊下(東西に伸びる廊下の南側が一連の会議室で北側が大浴場)を伝って反対側から食堂に入りたい。昼はそうした。でも、僕が部屋を出た頃には宇津木と伊豆がずいぶん先に行ってしまっていて、いまさら呼び止められない。仕方なく僕もついて行く。人に出会わないかびくびくものだ。
 恥ずかしさが改めてこみ上げて来る。食堂には昼もこの格好で行っているが、あの時はそこまで恥ずかしく感じなかった。事態の進展の速さについて行けなくて恥ずかしく感じる余裕が無かった事もあるが、移動の際に女子に囲まれていたお陰でやや安心していた面もある。女子と一緒だと、どんなにキモくても余興みたいな感じで許して貰えそうな気がするのだ。その点、男子だけの間で一人だけ女装って、他の人からどんな目で見られるのか、保護者を失った子供のように不安になる。そういう意味では、事情を知っている女子が食堂にいてくれた方が有り難い。ただただ、先生だけが邪魔なのだ。
 メインの階段を降りかけると、食堂から女子らしき声が聞こえる。他の連中は足取り軽く階段を降りて行くが、僕は足が止まった。一番先に降りた伊豆が食堂の中を覗き込むと、直ぐにきびすを返してロビーに向かう。続く宇津木もそうだ。ロビーには客も受付すらもいないようだが、それでも伊豆はこっちを向いて腕で罰印をした。先生がいるという意味だろう。僕がフリーズしたままなのを見て、宇津木と江田が椅子を指差しながら僕を手招きしてきた。ここは度胸。先生が出て来る前にロビーに一旦降りるのが吉だ。そこから廊下伝いに会議室に行ける。幸い運動靴なので音を立てずにロビーに出る事が出来た。
 そう、僕は運動靴のままだ。どうせ女装とバレバレの筈と思っているからだ。それに靴はこれしか無い。もっとも、ちゃんとしたメーカーの靴だから、僕ぐらいの年ならワンピースで履いていてもギリギリおかしくはない筈だ。そんな同級生を何度か見ている。そりゃ、皆に何度も美人と言われて、ひょっとしたらという2割の可能性を感じないでもないが、その可能性の為にわざわざ靴を調達するのは女装マニアぐらいだろう。
 僕が椅子に座るや否や食堂から複数の足音がした。身構えると一年生がバラバラに出て来た。この分だと先生も続けて出て来るだろう。そう思って身構える僕をよそに、女子達はさっそく野郎共と響く声で話し始めた。野郎の方も宇津木と伊豆が積極的だ。おうおう、こうでなくちゃ面白くない。今までは僕だけがまな板の上だったが、これからは伊豆も宇津木もだ。一方、阿部は一年生で一番上手かった子と携帯番号を交換している。昨日は成り行きがけんか腰だったので、番号を交換する事が全く出来なかった。なんせ、真面目腐った真子先輩と潔美先輩の目が光っているのだ。さすがの阿部にもどうにもならなかった。そのせいで、先生が来てからというもの、どれだけ行動が難しかったことか。メールの一つでも貰えれば自由に行動出来るのにと何度も思ったものだ。阿部はその教訓をしっかり覚えているのだろう。僕も同感なので、阿部に合図すると、相手の子も意図を察したのか携帯片手に僕の所に来た。
 番号を交換しながら、彼女が耳元で
「着替えて来なかったのね!」
と言って来た。やっぱり女装を解いて良かったんだ。それなのに女装のままなんて、まるで変態か馬鹿じゃないか。慌てていたので、彼女の言葉をそういう避難に取ってしまって、僕は顔が火照るのを感じる。だが、彼女は非難している訳ではない。いや、もっと恥ずかしい事を考えていたのだ
「素敵よ」
ぎゃ! 穴があったら入りたい。そんな僕と彼女の様子を見てだろうか、他の女子もやってきて口々に
「似合っている」
「今日はずっとその格好でしょ?」
「明日もお願い」
と勝手な事を言ってきた。コミカルな姿を玩具にされていると分かっていても、もしかしたら本当に女装が似合っているのだろうかと云う疑問がさっきよりも更に膨れる。彼女らの会話は僕がそう思わせるように仕向けるような内容だ。気になるのはそれだけではない。女が3人よれば姦しいという通り、だんだん声が大きくなっていく。そうして、心配していた通り、別の足音が食堂の方から聞こえて来た。僕が口に人差し指をあてて、ようやく彼女達がからかい終わった時には、足音の主は食堂から出ていた。

 幸いにして先生でなく潔美先輩だった。僕を見るなり、近寄って小声で言った
「危ない所だった。先生がアンタをうちの女子生徒だと思って、マネージャーに勧誘しようとしているのよ」
まさか。僕を女子だと思っている? 阿部に聞いた時はネタ程度に思っていたが、潔美先輩の様子をみるとネタでは無いらしい。ここまで言われて女装が似合っている事を否定はできない。少なくとも他の野郎のようなチグハグなものではないらしい。つまりそこまで恥ずかしい格好ではない筈…? こう認めて初めて気付いたのだが、破壊的な女装よりも、似合っている女装の方が男として遥かに恥ずかしい! 今まで破壊的な筈だと信じていたのは、実はそう思い込もうとしていた裏返しなのかも知れない。いや、きっとそうだ。
 僕が呆然としていると、別の一年生がささやいて来た
「ちょっと来て」
彼女は潔美先輩と
「直さなくっちゃね」
「確かに」
と言いあっている。有無を言わさない様子に、廊下を彼女らについて行くと、行き先は化粧室だった。もちろん女子用! こういう小さな合宿所で、バレー部員以外の女性にはち合う心配は少ないが、それでもこれは当然ためらう。だが、それを見越してか、先輩は僕の腕を握り、一年生は僕の背中を押して強引に中に入れた。
「ここまでは先生来ないからね」
あ、なるほど、そういう事か。確かに安全地帯と云えば安全地帯かも知れない。従業員や他の客に見られない限りに於いてだが。そう不安半分に合点していると、2人は僕の服や髪を直し始めた。
「あのう、またですか?」
と不満を言うと
「今度は絶対にバレたらいけないから」
とにべもない。どうやら、野郎共の調整は失敗だったらしい。
 しばらく服の上からパッド類を弄くっていたが、らちがあかないと思ったのか、先輩が一年生を使いに出した。暫くして化粧室のドアが開き(他人が来たのかと身構えてしまった)、同じの一年生が
「外でも見張っていますから」
と言いながら入って来る。すると、先輩は有無を言わさずにワンピースのファスナーをおろし、
「脱いで」
と命令した。状況は昼と同じだが、今回はちょっと困る。というのも太腿の毛を剃って、しかもトランクスをテープ張りにしているからだ。ためらっていると、一年生がワンピースをまくり上げ、今、一番恥ずかしい部分が露になった。こうなっては脱いでも同じと思って自らワンピースを脱ぐ。
 先輩はちょっと微笑んで
「やっぱりね。真子の言ったとおりでしょ?」
と軽くコメントして、
「タンクトップもよ」
と続けた。タンクトップを脱いでいると、一年生が
「ワンピースにタンプトップは不味いでしょう?」
と横から口を挟む。ちょっと、この後に及んで面倒な変更は無しだろ?
「それは……」
とタンクトップの理由を僕が言いかけるまでもなく潔美先輩は
「分かってる。誰か貸してくれるかな」
の一言。何を貸すというのだ? 何が分かっているというのだ? でも、一年生は了解したらしく、再びトイレを出て行った。その間、まるで太腿なんかどうでも良いような態度だ。本心で先輩がどう思っているかは知らない。ましてや経緯を知らない一年生が何と思っているかは想像したくもない。そう悶々とする間にも潔美先輩はパッド類の調整を再開している。もはや僕は木偶の坊状態だ。
 やがて化粧室のドアが開いた。またも他人の可能性を心配して身構えたが、期待通りというか予想通りに、さっきの一年生が別の一年生と連れ立って戻って来た。彼女は
「ノッたんがキャミソールの合いそうな奴を持っているって」
と告げ、別の一年生は僕のあられもない姿、とくにトランクスに一瞬目を見張っていたが、直ぐに
「先生が出て来た」
と告げた。キャミソール? はあ。せっかくタンクトップという妥協点を見付けたのに、と思って口に出すと潔美先輩は
「そのワンピースにはスリップの方が絶対良いの!」
と断言する。スリップ? キャミソール? その手の用語に疎い僕には違うが分からない。後で調べたら同じものだと分かった。
 見張り役の方はそのまま出て行くかと思いきや、何故か、一年生どうしで目配せして一緒に個室に入った。トイレを済ませるらしい。というか、それがトイレの本来の目的だ。こういう状況を喜ぶ先輩がいるという話を聞いた事があるが、僕には何の事だか全然わからない。僕のダチだってそうだろう。ただ、それでも女子がトイレを使用している時に女子トイレにいるという肩身の狭さは非常に感じる。しかも半裸で化粧直しの最中だ。顔を真っ赤にして弄くられるままにされている。やがて一年生は2人ともトイレを済ませ、さっきまでいた子だけが出て行った。彼女がロビーに向かって更に新しい交代要員を呼ぶらしい。結局、何人かの類似のトイレ交代を経て、その間には潔美先輩も真子先輩と交代し、女子の過半の手を経る事になった。途中、ノッたんという一年生…一年で一番上手かった子だ…がスリップを持って来たが、なるほど布は薄っぺらで肩の所が紐になっており、如何にも下着という感じだ。こうして服だけでなく、顔の簡単な手入れや髪の調整が終わる頃には先生はとっくに体育館に向かっていた。いったい何の為の女装直しだったのか分からない。そう最後の一年生に尋ねると
「その格好なら何処を歩いても大丈夫よ。良かったでしょう?」
とからかわれた。口で女の子には敵わない。

 それにしても、準備が終わってトイレの鏡に無理矢理向かされた時の驚きは忘れられない。確かに見事な少女だったのだから。ある程度覚悟していたとはいえ、実際にこの目で見るとショックは大きい。なんだか、自分がナルシズムの変態のように思われてしまう。女子から褒められる事は悪くない筈だが、それが女の子として褒められるとなると恥ずかしい。でも、まあ、いいか。ともかく、先生が僕の事を女子だと思っていた話に頷けたし、阿部達がさっき化粧直しをさせたのも、純粋に行為からと理解出来て、モヤモヤ感が消えたのだから。少なくとも、僕の回りの人々は僕をおもちゃにはしていないのだ。この分だと、あとから脅されたり親や先生に言われたりして不幸な目に遭う事はないだろう。
 女子に付き添わられて食堂に行くと阿部と伊豆が窓際の席についている。女子が急いで出て行く傍ら、僕が外から見えない壁よりの席に座ろうとすると、伊豆が
「この席、いいぞ」
と外が一番見える席を譲って来た。冗談じゃない、そんな危険な席に座れるものか。
「ここでいいから」
そう答えると伊豆はニヤニヤしながら
「女の子に一番良い席を譲るのが紳士だからな」
と冗談口を叩いて来た。僕は拳骨で彼を殴る振りをして
「おまえ、その程度のネタしかないのかよ」
と罵る。まあ、でも、こうやってあっけらかんとからかってくれる所は有り難い。
 先生はバレー部の練習の再開に付き合って出て行ったから暫くは来ない。だから誰もがリラックスした様子でアイスを食べながら女子バレー部の皆で品定めをする。これが楽しくない奴は男じゃない。しかも一緒に練習した仲だ。顔が十人並み以下でも十分に品定めの価値がある。僕ですら結構好感を持てる子…もちろん本命は同じクラスにいるが…を自然と選んでいたぐらいだから、余裕のあった他の4人の話の盛り上りは凄い。結局20〜30分もだべっただろうか。僕もつい女装している事を忘れて話に聞き入る。まあ現実逃避の一種と云えない事はないが。
 話が一段落ついたところで、宇津木が
「ネットに戻ろうや」
と言って来た。確かにそうだ。ここは食堂、いつ見知らぬ人がどやどややって来てもおかしくない。たまたま先生は騙せたけど、他人に通用するとは限らないから、僕は人目の無い部屋に移った方が良いに決まっている。先生が会議室に来る事はなさそうだから、僕が他の4人と一緒にいても問題ないだろう。そう考えたが、一応念のために他の連中の意見を聞いておく
「先生に見られたら、知り合いってバレるんじゃない?」
「そんなの、ここで仲良くなった事にすればいいじゃないか」
あ、そっか。簡単な話だ。でも、阿部だけは頭をひねりながら考え込んでいる。
「名前をどうしようかなああ。下手に変えるとかえってボロが出るから小戸のままがいいけど、宿泊名簿を見られると不味いからなあ」
たしかに宿泊は5人でひとり足りない。そこで名前が僕と一致したら問題だ。偶然の同姓で通すには無理がある。そう思い悩んだところ、伊豆が
「宿泊名簿を調べるとは思えんなあ」
とのんびり言って来た。なるほど、それもそうだ。

 会議室ではみんなで女装をネット検索している。おい、ちょっと待て、今日は漫画やゲームの検索をしながら『自由研究』するんじゃなかったのか? それを文化祭の出し物を決める時の参考のするんじゃなかったのか? そうは言ったものの、誰も僕の言う事を聞いてくれない。まあ、無理もない。化け物女装ならいざ知らず、美少女……認めたくないが認めざるを得ない……となれば、それを完璧にしたくなるのは人間の性だろう。そういう僕だって、恥ずかしいという気分、変態なんて嫌だという気分とは別に、客観的にこの女装が何処まで極められるのか純粋な興味がある。性的な興奮とかそんなものじゃない意味で、言わば役者的な意味合いで。そういえば、人間には誰にも変身願望ってのがあるって誰かが言っていたな。男の子なら英雄、女の子なら才色兼備。その英雄がたまたま美少女になってしまっただけだけど、見事な変身には変わりない。嬉しくないけど。
 皆の検索の結果、つまらない知識ばかりが増える。やれ、仕草が大切だとか、声の出し方とか、下着まで女装でなければならないとか、世の中には女装グッズなるものがあるとか、果ては、男のシンボルをいかにして隠すかとかまで。冗談じゃない。そう言って取り合わなかったが。結局、先生に出会った時の為とか称して、声の出し方と仕草・歩きかただけは何度か練習させられた。江田はそれを見て
「ついにお前にも隠し芸が出来たな」
とか言っている。こん畜生、とは思ったが、でも、こういうポジティブな言い方が出来る奴は有り難い。確かに彼の言う通りかも知れない。
 ついでに文化祭の出し物としてシェークスピアをやらされそうになってしまった。普通なら女装イベントを思いつくだろうし、ネット創作もその手のネタばかりだが、うちの高校はそんな砕けた内容や飲食系は禁止されている。真面目路線の女装でなければならないのだ。それなら劇で女形をやるというのは普通の発想だが、伊豆に言わせると
「中身が男って分かっているから女装は見せ物になるんだぜ。お前じゃ中身が男って分からないじゃないか。むしろ、男の時は変哲もない顔なのに、女装すると大化けする面白さを売りにしなくっちゃ」
だそうだ。男としてこれほど酷い侮辱は無いが、先生の対応や僕自身が化粧室の鏡で見た姿から、認めざるを得ない。それに、話を聞くと劇の大部分を男装で過ごすらから、伊豆に言わせると
「これなら小戸も恥ずかしくないだろう」
との事だ。なんでも、ベニスの商人やお気に召すままなどで、女性が男装する内容になっているのは、当時の俳優が全部男性だった為で、男装と云う形で本来の性に戻る事で自然な演技を目指したのだそうだ。伊豆の提案に僕は反論する事が出来なかった。
 幸いにしてこの話は女子から電話で立ち消えになった。というのも、その電話が顧問の先生の登場の可能性を告げるものだったからだ。窓の外を気をつけると確かに先生が外回りに歩いて、なんと窓越しに僕たちを見つけてしまった。手振りからして、今から来るみたいだ。僕たちは慌ててブラウザをリセットさせて僕たちのメモを置いてあるサイトを開いた。一方、阿部は電話で色々と指示を受けている。どうやら、僕に関する事らしい。
「おまえ、あとから川中っていう知り合いが迎えに来るって設定だ。川中島の川中だ。大学一年だそうだ」
僕の携帯にもメッセージが届いている。先生が何時帰るか分からないので、ボロが出ないうちに脱出させようと言う事になったのだそうだ。あまりに唐突な話に納得も何もないが、詳しく理解する間もなく、ドアがノックされた。


顧問編<先生視点>

 合宿所の小体育館に入ると、なんだか人数が少し多い感じがする。明かりの差に目が慣れるにつれ違和感を感じ、そしてその違和感の理由に気付た。男子。しかも男子バレー部員ではない。彼らが学校で練習しているのを見てからこっちに来たのだから。これには驚いた。悪い意味ではない、あの潔癖性の2人がよくぞ男子を練習に入れたと思って感心したのだ。どこの誰だろうと思って改めて確認すると、分かる顔こそいないが、校内で見かけた気がする。まあ、おそらく一年坊主だろう。真子や潔美でも一年生なら許せるのかな。感心した意味合いを含めて、とりあえず声をかけると、何故か言い訳してきた。言い訳は男子からもあった。ビビらせたか。悪い悪い。早速練習を続けさせた。
 他に場違いな格好の女子がいる。しかも審判の笛をくわえている。どうせ潔美の友達の誰かだろう。まあ、環境の良い合宿所だから、日帰りで遊びに来ていても不思議はない。そう思って、来た時は気にしなかったが、確認の為にちらっと見ると知らない顔だ。新手の友達らしい。もう一度みると、顔は整っている。まあ、美少女の類いだろう。なにより無垢な感じが服が似合っている。只でさえこの手の新顔には一応声を掛ける事にしているから、美少女なら尚更で、そうしかけてためらった。強烈なオーラを出しているのだ。とりあえず後まわし。練習を見る方に集中した。

 肝心の練習は、始めに入っていた奴が下手なので、おいおい何の為の男子なんだ、と言う気がしたが(それでも真子や潔美に男子との練習に慣れさせる意味では大目に見るが)、その後の阿部と云う奴はなかなか上手くて、これなら練習に意味があると納得した。どうせ県大会で上まで上がれる部じゃないし、こういう交流というか楽しみが合宿にあるのは悪くはない。少なくとも一年生の目は普段の練習より輝いている。若者よ、青春を謳歌し給え。
 普段は試合形式の練習だってなかなか出来ないのに、今日は更にかわった練習と言う事で、いろいろと問題点が見えて来る。一年生と二年生の両方だ。欠点を多く見付けられる理由にもう一つ、審判を任せっきりに出来ると云う事もある。こっちの目の届かないタッチネットとかもきっちり見ていてくれるので大いに助かった。こうなると、審判の子が気になった。ましてや彼女は上の部類だ。これで気にならなかったら男ではない。何度も顔を見たくなるし、何者であるか知りたくなる。もちろん、ちょっと可愛い程度の高校生にいちいち気を削がれるようでは教師はやっていけない。でも、その子に審判が上手いと云うプラスアルファまであると話は別だ。

 いくら興味があっても、女の子をじろじろ見るのは教師としてあるまじき事だし、その前に男としてエチケット違反だから、ちらちらとしか見れない。そうすると妙な事に気付いた。服の下が何となくおかしいのだ。シルエットは確かに女の子っぽいが、違和感を感じないでもない。そして、決定的なのは動作だ。どんなに格好を繕っても、仕草で男と女は直ぐに分かる。審判のきびきびした様子とかは男のものだ。もしかして女装? そういう目で見ると、スカート部の前の方が膨らんでいるように見えない事もない。
 女の子であって欲しいと願う傍ら、この子が男子だとしたら、どうして女装しているのか気になった。そんな失礼な事を誰かに尋ねられる筈が無い。万が一、本物の女子だった場合に大問題だ。セクハラを通り越えて、教師として、いや、人間としてクズと判断されるだろう。だからといって彼女(彼?)への好奇心は消えない。女の子なら素性が気になるし、男の子だったら女装の経緯が気になる。気になってしまった今、彼女(彼?)への対応の方法が難しい。特に今は練習試合中で余分な事を考える余裕がない、結果的に、対応策が分からずに、ちょっと冷たく彼女(彼?)に当たってしまった。女の子だったら申し訳ない。

 女装の場合、本人の好きでしている可能性は少ない。仕草というか緊張感ありありのオーラからちょっと考え難いのだ。あり得るのは、何かの罰ゲームとしての女装か、それともイジメか。罰ゲームなら気持よく騙されてやるに限る。生徒はこういう事に騙される先生を喜ぶものだ。その延長で俺をからかう為にこんな手の込んだ芝居をするって可能性も無くはないが、それも青春と思って大目に見れば良い。
 問題はイジメとしての女装の場合だ。これは学校外であっても今は部活の最中だからどうにかしなければならない。といっても、今は何も出来まい。そもそも、イジメなのかは他のメンバーのいる時に本人に尋ねても分かる筈がないのだ。中学でイジメは発覚し難いのもそういう理由がある。今の状況でこっちに出来る事は、彼(彼女?)に気まずい思いをさせない事だ。かなり念入りな女装(もしも中身が男子の場合だが)でだから、それを尊重して何も気付かない振りをすれば良い。結局、本物の女子の場合と対応を変える必要は無いという事になる。ただし、こう腹が決まったのも練習終了のあと。あとの祭りだ。
 ともかく女装であるかどうかは気になるから、女子部員にカマをかける為に独り言を聞こえよがしに言った

「あの子、マネージャーに欲しいなあ」
 審判が上手いから、本当に女子だったら確かにマネージャーに欲しい。半分本音だ。独り言だから反応は無くてもおかしくないが、こういう時でも何らかの反応が返って来るのが高校生だろう。近くにいた真子と潔美は目を見合わせている。こりゃどう判断すりゃよいのだ? そう思ううちに、男子が帰るといい出し、彼女(彼?)も帰ると云って来た。ラストチャンスなので、慌てて思いつきで尋ねた。
「今日は有り難う。君、見かけない顔だけど、何処の学校の生徒?」
 うちの女子生徒なら即答があるだろう。他の高校でも普通はすんなり答えるだろう。だが彼(彼女?)は黙ったままだ。こういう時に口を出しそうな部員すら何も言わない。こりゃ女装と云う可能性が一番高いな。もちろん偏差値の低い他校生で知られたくない可能性とか、登校拒否みたいな特殊事情の可能性はあるが、まあ、9割方女装だろう。そうと分かれば十分なので直ぐに開放した。教師として、この手の子に決して不愉快な思いをさせてはいけないのだ。

 よそ者がいなくなった所で、こっちもそろそろ休憩時間だ。アイスぐらいは奢ってやらなければ顧問として面目がない。休憩に上がる前に軽くダッシュ等をやらせて、3時過ぎに皆でロビーに向かう。外に出ると男子の姿はない。
「男子はここで何をしていたんだ?」
 そう潔美に尋ねると、ためらいつつも「よく知らないけど、ミーティングとか言ってました」という答えがかえって来た。なるほど、親元を離れて青春を楽しんでいるって訳か。遠い昔に身に覚えがある。
「じゃあ、会議室だな」ぼそっと独り言みたいに言うと、潔美が「用事でもあるんですか」と聞いてくる。平静を装っているが、ややこわばった表情なのが分かる。伊達に教師をしている訳じゃ無い。
「彼女…」本人から打ち明けられない限りは女子として扱う事にしているのだ。「…の事を知っているかなと思って。あの子、審判が上手かっただろう? マネージャーになってくれると有り難いと思わないか?」
 今度ははっきりと言う。すると緊張の残る声がかえってきた。
「先生が勧誘したら、きっと緊張しちゃって逆効果ですよ」
 この答えから、こっちと直接に話をさせたくないって思っているらしいことが読み取れる。やっぱり女装だったんだ、と確信した。こうなると理由を詮索したくなるが、下手に最悪(オジメ)を勝手に想定して先走った事を言うのは良くないから後回し。何よりも先に部員が気持良く合宿出来るようにしてやるのが顧問の役目だ。
「じゃあ君にお願い出来るかな?」
 そう言うと、ようやく緊張が解けたらしい表情で答えた。
「聞いてはみますが、期待しないで下さいよ」

 女子生徒ってのはアイス一つを買うのでも時間が掛かる。それを持って食堂で食べているうちにロビーの方から階段を降りる音に続いて男子の声が聞こえて来た。彼らもアイスを買いに来たらしいが、女子連のざわめきを聞いてぞろぞろ食堂を覗き込み、こっちと目があうや、直ぐに顔を引っ込めた。教師が邪魔ってのは何時の時代も変わらないようだ。だが女子もさるもの、男子に気付くやそわそわしだし、男子が中に入って来ないと分かると、一年生はだべりを止めて三々五々にロビーに向かった。微笑ましい限りだ。実はこっちもあのワンピースが来ているか気になっているので、一緒に出て行こうと思ったが、その前に潔美も「あ、先生、私が聞いて来ます」と言って出て行ったので立ち上がるタイミングを失っている。こういう時は腰を据えるものだ。たといイジメのカモフラージュの為の相談であったとしても、ここは邪魔をしてはいけない。彼(彼女)に合うチャンスはまだあるだろう。

 一年生も潔美も戻って来ない。こういうのは待っていたら延々と続くものだと相場が決まっている。5分程待ってから「じゃあ、そろそろ練習を再開しようか」と言って席を立った。ロビーでは男女が仲良く世間話をしているが、潔美はいない。トイレらしい。
 その後もトイレだの携帯番号の交換だの(今までやっていなかった事に驚きを感じたのだが)で、結局4時前になって練習を再開した。さっきの練習試合で分かった問題を洗い出し、その練習を重点的にやって、次のメニューも概ねこなした頃には5時半近くになっていた。夕食が6時から8時だから、風呂が2組に分かれる事を考えると、もうクールダウンと柔軟運動の時間だ。顧問の役目は終わったので、先にロビーに向かう。例の女装(?)の子がやっぱり気にはなっているのだ。それに良い案も思いついている。もしも未だに女装しているのなら、そろそろ女子は帰る時間という事で、家に送ってやると提案する事だ。どんな反応をするやら。運良く2人だけになれれば実情が聞ける。

 さっそく部員を体育館に残して外からロビーに向かうと、案の定、ある部屋の部屋越しに男子連と彼女(彼?)がネットを見ているのが見えた。向うも気がついたので手を振り、さっそくロビー経由で建物に入って会議室をノックすると、4人+1人はまだパソコンを見ていた。
「君達、友達だったのかい」
 先ず直接に聞く。
「いや、今日知り合ったんです」
 この答えを受けて、今度はワンピースの子に言う。
「君は一人で泊まっているのかい」
 答えに時間が掛かると思いきや、阿部が「先生、駄目ですよ、そんな質問しちゃ」と言って来た。こいつはデキる。
「いや、ここは人通りが少ないから、泊まらないのなら、もう帰る時間だと思ってね」
 すると彼(彼女?)はか細い声で「あ、はい」とだけ答えた。十分だ。
「なんなら送ってあげようか」
 そう一歩すすむと、またも阿部がニヤニヤしながら遮る。「先生、あとから問題になっても知りませんよー」
 本当に女の子なら確かに職権乱用と言われても仕方ないが、状況証拠からしてほぼ女装に間違いない。
「ははは、まあ、これも教師の仕事だ」と強引にねじ伏せると、別の男子が「知り合いが迎えに来るそうですよ」と言って来た。彼女(彼?)はこくりと頷いている。

 これは完全に想定外だ。そんな筈がないと思うや、急に彼らの言葉が嘘ではないかという疑惑が沸いて来た。知り合いとやらが来る筈がない。でも教師たるもの疑うばかりではいけない。ひょっとしたら知り合い本当に来るのかも知れない。とにかくこのままでは分からないから、帰る予定は少し延期だ。 「それなら安心だ」
 そう言って会議室を後にした。
 時間が空いたので風呂に入る事を思いついた。ロビーの行ってタオルとかを借りると、そのまま風呂に向かった。風呂に入るとかいちいち女子生徒に言うと煙たがれる。風呂から上がるってロビーに来ると、二年生がたむろしている。どうやら、一年生の風呂が終わるのを待っているらしい。

 彼女達と話して15分ぐらいした頃に、駐車場に車が入って来て、女子大生らしき人が出て来た。近づくのを見ると、微かに見覚えがある。名前は知らないが春の卒業生の筈だ。ほぼ同時に廊下の奥の会議室から、ワンピースの子が男子と前後して出て来る。彼女(彼?)がロビーまで来ると、卒業生が「キッちゃん、こっち」と声をかけ、ワンピースの子が卒業生に向けて軽く手を挙げた。そうして女子や男子に向かって「失礼します」とか細い声で言って、こっちに会釈しながらロビーを出て行った。女子や男子は当然ながら
「またいつか一緒になろうよ」
「今日はたのしかった」
 と口々に言っている。意外とマトモな結末に驚きつつ、こっちも
「審判を有り難う」
と言って送り出した。
 彼女が帰ってしまった以上、ここに残っても意味ないが、さりとて直ぐに帰るのもおかしいので、一年生が風呂から上がるのを待って帰宅した。結局の所、あの女装(?)の真相は謎のままだ。もうひとつ不思議に思ったのが、歩き方や仕草が今回は女の子っぽかった事。もしかしたら、女装と思ったのは見間違いで本当に女の子だったのか。真相は分からない。こんなのは考えても仕方ない。今日は疲れたからさっさと帰ってビールを飲もう。


脱出編<主人公視点>

 今、川中さんの車の中にいる。
 先生が会議室に顔を出した結果、僕は『帰るふり』をしなければならなくなり、それを提案した先輩方に電話で詳しく尋ねた。なんでも、川中さんに車で連れ出してもらって先生が帰るまでどこかで時間を潰すらしい。ついでに、川中さんの到着するまで会議室に「篭城」する事も決まったいくら真子先輩の知り合いとは言え、この格好で知らない人にそこまでして貰うる事に気後れがあったが、阿部に言わせると、川中さんというのは今日の服を持って来た人だそうだから、女装に関して一応責任があって、彼女への迷惑とか心配しなくても良いそうだ。それなら確かに彼女に責任の一旦はある。この格好での外出というのは気が引けるが、車中って事もあり、しかも一年生の女の子から
「外出は気をつけてね」
 とエールのメッセージまで届いたので、これが決め手になって真子先輩の案に乗る事にした。この一年生は化粧室事件…僕にとっては拉致事件だ…で見張りをやっていた子だ。容姿は大したこと無いし。僕が目を付けた子でもないけど、女の子からこういう親切なメールなんて滅多に貰わないから、返事をどう書こうか迷う。その挙げ句、結局「ありがとう」としか書けなかった僕は馬鹿だ。次回…それがあったら…適当に思いついた事を書いてしまおう。

 外出が決まった所で、トイレに行かなければならない。いや、決まる前からも懸案だった。この格好で男子トイレに入ったらそれこそ女装をアピールしているようなもので恥ずかしいし、だからといって、女子トイレに入るのは犯罪の筈だ。誰も使っていない時刻なら情状酌量の余地があるから、さっき見たいに女子に『護送』して貰わえば良いんだろうけど、今は客がくる時刻だ。さっきの検索で女装外出時の最大の法的問題がトイレだって書いてあったが確かにそうだ。僕は犯罪者にはなりたくないから、僕たち部屋に行かなければならない。問題は先生に見とがめられない方法。幸い4人の『トイレに行くついで』偵察要員のお陰で、先生が食堂にもロビーにもいない事が分かっていて、それなら風呂だろうと予想して女子に連絡を取った所、潔美先輩が部長の立場から受付で尋ねたのが決め手になって先生の居場所は確認された。それで安心して僕たちの部屋に行こうとしたら、先輩方から先輩の部屋を使うように言われた。なんでもトイレの後のバッド類の再調整に時間が掛かるかも知れず、下手をすると風呂から上がった先生が男子の部屋に行くかも知れないそうだ。女子の部屋の場合はいつも扉の外で待っているので安全らしい。
 昼から3度目のトイレだが、今回は随分と勝手が違う。さっきはワンピースを脱いでいてしかもトランクスだったから、女装という感じではなかった。昼休みもトランクスは今みたいにテーブ張りでは無く、普通に立ったまま小便した。でも今は便器に座ってる。部屋までついて来た先輩方に、そうしろと念を押されたのだ。外出の途中にいつトイレ…女子トイレ…に行く羽目になるか分からないという言い分だ。個室と言っても、立っているか座っているかは雰囲気で分かるらしい。なるほどと思って安請け合いで承知したが、ちょっと後悔した。

 トイレにはタオルとTシャツとか(さすがに下着はない)が干してある。トイレというか部屋全体が女の子の臭いでむっとしている。そんなトイレで、女装してしかも座って大便ならぬ小便を出そうとしているのだ。座って小便を済ませる民族とか王族とかあるらしいけど…いや、いまでは日本にもいるらしいけど、急に座ってやれと言われても、今まで15年(赤ん坊の時は無理だから12年ぐらいか)の習慣を簡単に変えられる訳が無い。だからなかなか出て来ず、その間に変な事を考えてしまう。このままおしっこが真下から出て来たら立派な女の子じゃないか。僕は女性化願望者だったのだろうか? なんだか自分が性的倒錯者のような気がして来る。そんな危険な意識は勃起を催し、そのお陰で辛うじて意識を戻す。いけない、いけない、このままだと本当に洗脳されてしまいそうだ。そもそも僕はなんでこんな事をしているんだ? 

 答えは一つ、先生にバレたくない。でも、ここまで女の振りをしなきゃならないほどバレたくないのか? 頭では、これは罰ゲームでしたって言えば済む話だと分かっている。ちょっとは小言は言われるかも知れないが、今後の高校生活に大きく響く事はあるまい。もちろん先生にバレると僕よりも先輩が叱られるだろう。でも、その時こそは僕が半分庇えば、僕の男が上がると云うものじゃないか。なんでそれが出来ないのか。それは僕が先生に叱られる事じゃなく、バレたときの恥ずかしい思いを恐れているからだ。ただそれだけ。それで今日は判断を間違い続けている。もしかすると、恥ずかしい想いをするぐらいなら、性的倒錯者になったほうがマシだと心の奥底で思っているのかも知れない……認めたくはないけど。そういう僕自身の弱さが怖い…そう、怖いと今はじめて思った。江田たちが、僕に度胸やノリが足りないって言ってたけど確かにそうだ。女装がバレるのを恐れてはいけないのだろう。頭じゃ分かっている。でも難しい。
 小便は結局座ったままで半分、そのあと立ち上がって残りを済ませた。座ったままではおしっこの切れが悪いのだ。そのお陰で勃ったところは直ぐにおさまった。小便を済ませると、トランクスのテープの張り替えとか、腰の回りの再調整とかが残っている。トランクスの調整が終わって部屋に出ると、いきなりワンピースを脱がされた。パッド類の調整が半裸の方が手早いからだそうだ。何の為にワンピースを着たまま小便したのか分からない…あ、そうか女装がバレない為の練習だ。そして、残念ながらそれは僕の本音だ。本当はバレる事なんか恐れてはいけないだけど。

 女装の調整は結構手間取り、篭城先の会議室に戻った時には6時をとうに過ぎていた。それから20分しないうちに川中さんから電話があり、僕たちは打ち合わせどおりにロビーに出て行った。ロビーに先生がいる事は分かっているが、先生の目の前で『家に帰る女の子』を演じてこそ迎えの意味があるから、心の準備はできている。歩き方や仕草も、この短い時間だけならなんとか集中出来るだろう。そして大切なのは、バレても笑って済ませろという精神だ。バレる事は今でも怖いが、ここまで着たらまな板の鯉、気を強く持たなければならないのだ。そういう決意は短い時間だけならバレるのは恥ずかしいという本音を押さえる事ができる。これは役者的な高揚感とでもいうのだろうか? だから、さっきまで程には自分の女装を嫌悪していない。もっとも、これって見方を変えれば女装に呑み込まれつつある証拠かも知れず、そういう自分自身の変化に直後に気付いて恥ずかしく思ったのだが。
 ともかく、先生の目を誤摩化して、川中さんの車に乗り込んだ。
「何処に行くのですか」
 打ち合わせの時は先生の目を誤摩化す事ばかりが気になって、全然頭に浮かばなかった疑問だ。彼女は「ちょっと黙ってって」と言うなり、真顔で車のエンジンをかけた。いかにも初心者という感じで、発進に集中しているのが良く分かる。声も掛けられない。でも、それと僕の疑問は別だ。無言が続くと不安がもたげる。打ち合わせでは先生が帰るまで何処かで時間を潰すとの事だったけど、それって一体どこだろう。知り合いと出会いそうな所は絶対に嫌だぞ!

 本道に出たあたりで余裕が出て来たのか、川中さんが口を開いた。
「家は何処?」
 えっ、この格好では家には帰れない。
「あのう、合宿所に戻るんじゃないんですか?」
 そう不安げに言うと、
「冗談よ。喫茶店……」
 覚悟はしてたけど、人目にさらすのは怖いよなあ。それに、喫茶店の臨時出費って、高校生の僕には馬鹿にならない。この合宿で小遣いはおろか入学祝いまで切り崩しているのだ。最悪、夕食を逃すかも知れないと思うと頭が痛い。お金の事って初対面の人に言いたくないし。夕食代ぐらいは阿部達が出してくれるよな? でも、この種の不安は次の瞬間に吹っ飛んだ。
「……って思ったけど、あたしの家に行くから」
 一応、想定内の答えだけど、これって喫茶店よりマズいかも? 何が待っているか分からないからだ。たとえば川中さんの家族。いいんだろうか……いや僕だけでなく川中さんも。川中さんの家だって何処にあるのか分からない。街中だと知り合いに会う可能性がある。家が遠ければ、先生の行動と無関係に夕食に間に合わなくなるかも知れない。
「川中先輩…」
 と言いかけるのを遮って
「先輩はいらない。大人の世界じゃからなず名字にサン付け」
 と訂正がはいる。そのくらい僕だって知っている。でも卒業生に一度目は先輩って言っておくのが高校生だ。
「はい。じゃ、川中さん。お宅ってどのあたりですか」
「○○町…」
 微妙な場所だ。運が悪ければ誰かに出会う。いや、これからだって信号待ちで対向車に知り合いがいないとも限らない。
「えっと、知り合いに出会いそうな街中は避けたいんですが」
「だいじょうぶよ、ちょっと待っててね」
 と言って運転を続ける。よく分からないが、街中を避けるという解ではないらしい。

 知り合いにバレる危惧の件は棚上げにして、時間の問題を口に出す。食堂は8時までだから、7時半までには食べ出した方が良い。それまでに先生が帰っていなければ諦めるしかないけど、確認は必要だ。
「食堂が7時半の予定なので、先生が帰ったら夕食が食べられるうちに戻りたいのですが」
 帰って来た答えは意外なものだった。
「大丈夫よ、靴を取りに行くだけだから」
 ぜんぜん脈絡がつかめない
「靴ですか?」
「そう、サイズいくつ? キミの格好を見て靴が足りない事に気付いたの。うちにいくつかあるから」
 おっと、そういう意味か。言われてみれば、この人が服とかを提供したんだ。でも、今更女装をやり直すってわけ? それは反則だ。
「あのう、この格好はもう十分だと思うんですけど」そう礼儀正しく断ると、
「確か、5人分の女装で夜まで過ごすって聞いているわよ。その為に5人分提供したんだから」
 そういう風に伝わっているのか? ちゃんと経緯を説明しなくちゃ。
「いや、他の4人の代わりって事で、すでに女装をやり直しましたけど」
「それって1人分でしょ? まだ4人分残っているわよ」
 全然話が伝わらない。こうなったら取りあえず否定だ。
「そんな話じゃ無いんです。真子先輩だって言ってませんでしたよ」
「おかしいわねえ。じゃあ、あとから電話して聞いてみる」

 ようやくこっちの言い分を理解したようだ。運転中だから電話は無理ってのも頷ける。でも運転を続ける意味は無いのでは。そう思ったのと同時に、川中さんは再びきいてきた
「取り合えず靴のサイズ」
「は?」
「合わなかったら、行くのが無駄でしょ?」
 そりゃそうだ。僕は25cm。このサイズの女性は滅多にいない。これは話が早いと思って教えると、
「あ、1センチ程度なら歩かなければ大丈夫ね」
 と勝手に納得されてしまった。24cmの靴を履かせるつもりらしい。
「あ、ハイヒールじゃないから心配しないで」
 聞けば、僕に似合うのは中学生か高校生向けの靴だそうだ。まあ、そのくらいなら許せるか、ってそんな話じゃない! 女装はもう十分だっつうの。

 電話で確認を取る筈なのに、車は相変わらず町に向かっている。このままだど川中さんの家まで行ってしまうに決まっている。そして行ってしまったら、せっかく来たんだからと、理由がどうであれ靴を取って来るに決まっている。そして靴と共に合宿所にもどったら、やっぱり『せっかくだから』の論理でまたも拉致女装させられるに決まっている。一旦動き出したものは、動く理由が無くなっても、急停車の緊急事態が無い限り止まらないって、ダムだったか堤防だったかの反対運動の人が言ってたよな。そのときは、ふーん、世の中ってそんなものかって思ったけど、こんな形で我が身に降り掛かるとが思わなかった。
 まてまて、いま必要なのは理解じゃなく対策だ。そう焦り始めた頃に車が信号で止まった。すると川中さんは頭に手をやって、なんと髪を外して来た。奇麗な黒髪と思っていたらカツラだったのか!
「はい、これ貸してあげるから」といいつつ、強引に僕の頭に嵌める。こんなのをこのタイミングで借りたら、再女装を承認するようなものではないか。とはいえ、このままではもしも知り合いに会った時が悲惨だ。迷った挙げ句、取りあえずカツラを外し
「どこか脇道に入って電話しません?」
 と再び提案した。答えはさっきと変わらない。
「時間の無駄よ。早く往復して夕食に間に合いたいんでしょ?」

 かつらを膝にのせたまま暫く行くと携帯が鳴った。江田からだ。先生が帰ったら電話するって話になっている。
「帰った?」
 確認をとると、
「もう大丈夫だ。そっちは?」
 靴を取りにと言いかけて、それがやぶ蛇である事に気付いて、慌てて目的地だけに直す
「川中さんの家に向かっている」
「はっ? それ何処だ」
「○○町」
「そんな所まで行ってたら、夕食間に合わんぞ」
「そう言ったけど、川中さんが運転してるんで」
「ちょっと代われ」
「運転中は無理と思う、初心者だし」
 初心者でなくても法律違反だけどm、今の場合は同じ事だ。それだけ江田に言っておいて、川中さんに向かって、
「先生は帰ったそうです。友達も○○町まで行ってたら夕食に間に合わないって言ってるんで、戻って貰えません?」
「ムリ」
「だって横道に入れば」
「うるさいわね、運転中に気が散るじゃないの」
 あたりを見ると、確かに市街地に入りかけている。でも、横道に入れない事はない。
「でも、あの信号で入れば」
「右折は面倒なの!」
 恐い顔をしている。女の人って運転しはじめの時は危ないって聞いた事があるけど、その手の癇癪なのかなあ。さっきのメールの「外出に気をつけて」の文字が頭に浮かんで来るが、仕方ないので携帯に戻る。
「無理みたい」というと江田は、
「ああ、会話、聞いたよ、御愁傷様」
「夕食どうにか頼む」
「ギリギリまで待ってるから」

 信号待ちになった時に川中さんが言い訳気味に言って来た。
「あたし、まだ初心者なんだから車の多い道の右折も予定変更も無理なの、家に行かせてね」
 やっぱりそうか。こう正直に話されると断れない。
「はい、夕食の方は何とかなると思います」
「ありがとう。それと、ほんと、そのカツラ使ってよ。カツラだけで別人になるんだから」
 こういう物腰でこう言うタイミングで言われるとさすがに抗い難い。きっと僕の面が知り合いに割れる事をこの人も心配してくれているのだろう。そう納得すると、自然とカツラをかぶる事が出来た。考えてみれば、これも『自ら進んで』女装する行為だけど、数時間のすね毛の時と違って、変な興奮はない。むしろ芝居に出る最後の準備って感じだ。理由は分からない。もしかしたら移動中の車の中だからかもしれない。あるいは僕の体そのものを弄くる行為でないからかも知れない。
 少しすると例の女の子からまたもメールが来た
「そのあたりは狐が時々出るから注意してね」
 なんだか、ものすごく分かっているメールで思わず微笑んでしまった。元気百倍、こういう激励は最高だ。今度はすかさず返事を送った。
「もう遅い。狸は化けて対抗中」
 すると返事が直ぐにあって、
「香川県を応援します」
 この子、イイ。もしかすると、僕の想い人よりも良いかも。僕がまたも笑うと、横で川中さんがジロ目で見て来たので
「今は守備に専念」とだけ書いて送った。
「了解。皆で待ってます」
 という文字を確認して携帯をしまう。一年生は男女とも皆味方なんだ。そう思うと、急に川中さんが怖くなくなってきた。


帰路編<主人公視点>

 結局、川中さんの家の前に着き、彼女は真子先輩に電話をかけながら家の中に入って行った。僕は車で待機だ。家からは人の気配がするうえ、時間の無駄とかを考えると、とても車から出られる状態ではない。その間に僕は阿部に電話する。時刻は7時ちょっと過ぎ。来る時に対向車が多かったので、夕食はぎりぎりだろう。そういう報告とともに女子の様子を聞くと、やっぱり僕を心配してくれていると嬉しい事を言ってくれた。この手の話は誇張に決まっているが、それでも心が弾むのは止められない。ついでに2年の様子を聞くと、20分ぐらい前…江田が電話をかける直前…に風呂に向かったそうだ。あ、そうか、どうせ真子先輩に電話しても無理だったんだ。今も無理だろう。
 そこまでは良かったが、最後にとんでもない事を言って来た
「あ、ベニスの商人に決まったからな。女子が全面的に協力してくれるそうだ」
 僕を待っているって、真相ってそれだったのか! 即座にイヤだと否定したが、
「おまえ、女の子の好意を無視するのか」
 と云われたのに続いて、電話口に出て来た女の子(誰だろう?)から説得されて凹んでしまった。クラスが違ってどうやって全面協力できるんだ、と反論すると、
「やったー。やる気なのね」
 と曲解された。女の子は怖い。危ないのは川中さんだけではなかった。ま、劇ならいいかな。川中さんに拉致されての女装よりはシェークスピアのほうが遥かにマシに決まっているのだから。

 川中さんは手提げカバンを持って戻って来た。
「靴下も持って来たから」と言いつつ車に入って来る。
「真子先輩は風呂だそうですね」
「そうよ、だから電話しても無駄だって言ったでしょ」
 と勝ち誇ったように言う。さっきはそんな事言わなかった癖に、理由の後付けって奴だ。
 再運転を始めて、川中さんが5人分の女装の話を蒸し返した。電話が繋がらないって事が分かって強気になったみたいだ。証拠が無い時は、声の大きな者が勝つって音楽の先生が言ってた……だから発声練習が重要だって。酷い論理の先生だったが、大人の世界の醜さを正直に教えてくれるので結構人気があった。その先生の説明をここに応用すると、川中さんにこのまま喋らせたら、どんな既成事実が捏造されないとも限らない。
「あのですね、僕たちの約束はそんなんじゃないんです、って何度も言っているでしょ」と話を元に戻す。
「だって、電話できないんじゃ確認出来ないじゃない」

 冷静に考えると、川中さんは当事者でもないのに、勝手に横合いから入って来て、あんたは嘘つきかも知れないから監視する、って言いがかりをつけている訳だけど、リアルタイムでそういう厚かましさって指摘できないものだ。僕にいえるのはせいぜい
「5人分って、川中さんがそう希望しているだけでしょう?」と指摘する事ぐらい。
「あたしは真子からちゃんと聞いたんだから」
「彼女が何と言ったか知りませんが、当事者は僕たちですけど」
「なによ、それ、こうやって親切に助けてやっている人への言葉?」
 あーあ。論点とは全然ちがう筋違いな攻撃をしてきた。この手の「思いやり・筋違い攻撃」は政治家やマスコミが良く使う手だって、理科の先生が言っていたな。国語や社会の先生でなくて理科の先生ってところが如何にもって感じがして覚えている。でもクラスの女の子の殆どは、この論理の何処が悪いのか全然理解出来なかったみたいだけど。

 とりあえず返事をしないといけないが、この人に『筋違い』って説明しても駄目だろうなあ。特に今は運転中だし。そう諦めて、不本意ながら
「あのう、親切って、真子先輩の指示通りにしただけですけど」と答えた。
「なによ、そのカツラ貸してあげたのに」
 カツラの件はこういう時の恩着せに使われると分かっている。
「それは先輩は無理矢理街に行こうとしたからです」
「無理矢理とは何よ、キミ達が連れてってってお願いしてきたんじゃない」
 僕たちがお願い? 
「僕は何もお願いしてませんよ」
「だーかーら、真子があたしにお願いして来たって事は、キミ達みんなでお願いしてきたってことでしょ!」
 この人、僕が一番始めに街に行く事を断ったのを奇麗に忘れている。年下相手だからと見くびっているかも。しかし、他人相手にここまで横柄な態度が取れるのだろうか?
「戻って下さいって言いました」
「ふん、真子の後輩の癖に」
 やっぱりそうだ。川中さんが真子先輩を自分の子分ぐらいに思っていて、僕たちはその更に子分だって思っているのだ。
「真子先輩の後輩ってのと関係ないでしょ」

 そう言った時、車は交差点で少しぶれた。危ない。川中さんは血が上っている。自分の身勝手に気付かずに勝手にキレている。川中さんは自分の運転の危なさにも気付かずに
「もう、じれったいわね、じゃあ、5人分ってのは可哀相だから、特別バーゲンで、もう2回だけのお色直しで許してあげる」
 とイライラ気味に言って来た。またも非論理の堂々巡りだ。反論したい所だが、その前に運転が怖い。僕だって命が大切だ。
「あ、あの、もうちょっとゆっくり走って下さいません」
「キミの食事の為に急いでいるんだから」
 いや、車の運転で『ゆっくり』と忠告したら、それは安全運転の意味です。カーブではちゃんとスピードを落としましょう。それに川中さん、貴女は初心者でしょ?
「この分だったら間に合うと思いますから」
 初心者である事を指摘するのはさすがに失礼と思って婉曲に言うと、
「まったく、キミって自分勝手ね」と言われてしまった。唖然。
 自分勝手な人は、自分の思い通りにならないと、他人が悪いと決めつける。そして本人に善意が溢れている場合は始末に負えない。ここで阿部ぐらいになれば
『はいはい、貴女が女王様』とか揶揄出来るんだろうけど、僕にそこまでの度胸はない。かといって素直に
『川中さんよりはマシですよ』とか答えると運転が怖い。答えようがなくて黙っていると
「あ、小戸くんも自分勝手って思っているんだー」
 先輩の口調は、まるでディベートに勝った時のようだ。

 僕が例の音楽の先生から聞いた話じゃ、ディベートってのは即興で相手を負かす事だけの勝負で、物事には沈思しなければならない事柄があるって事情を無視した単なるゲームに過ぎないそうだ。なもんで、ディベートで勝った側が正しい確率って6割にも満たないんだって。僕たちが他の先生方に言い負かされるのは、このディベートの要領で議論するからで、それでは、一瞬では間違いを指摘出来ない奇妙な論理や屁理屈を沢山知っている先生方には敵わないだろうって言っていた。確かに、先生に言い負かされて夜にゆっくり考えると先生が酷い論理を使っていた事に気付いて後の祭りって事が余りにも多い。そう納得すると、先生は
 『だが、君達、安心し給え、君達には若い感性とか情熱とかがある。それが論理を打ち負かすのだ』と対策を教えてくれた。感性を鍛える為の音楽を大切にしろ、とちゃっかり我田引水するのも忘れてなかっためど。
 そんな事を思い出しながら返事を考える。運転も落ち着いて来たみたいなので、最低限「僕の何処が自分勝手なんです?」と反問すると、
「約束の女装を嫌がるところよ」
「それはもう済ませました」
「なら、もう一回やってもいいじゃない」

 今度は搦め手で来た。情に訴えるって奴だ。非論理の不毛な世界。まともに答えても、相手はそれを受け止めない。政治家そのもの。しかも、ちょっとでも自分が不利になると運転が乱暴になる。この手の会話をしていると、自分がだんだん醒めて来るのを感じる。この人は駄目だ。論理が存在しない。しかも大学生という箔だけはある。阿部の話では有名私立だった。クラスの女子を見ていて、勉強がそこそこ出来る女の子って、丸暗記や公式の単純な当てはめが得意なだけで、決して頭が良い訳じゃないって思う事があるけど、川中さんって、そういう子の成れの果てなのかも知れない。
 こんな状態で、論理の無い身勝手な他人でこっちを勝手に子分と思い込んでいる人と議論する事は不可能かも知れない。ならば、こんな大学生と低次元の言い合いをするより、諦めて女装した方がマシではないだろうかと気がし始めた。そう悟るや、先ほど先生の目を避けるあまりにこの人に連れ出されてしまった事を後悔した。そして、この手の後悔ばかりしている自分がうんざりしてきた。すべて目先の恥ずかしさを避けようとする余りの行動の報いではないか。考えてみれば、もしも先生が帰らなければ夕食を逃しても仕方ないとさっきまで思っていた。今から考えると狂気だ。
 女装を恐れるからこんな事になった。女装なんか怖くない、単なるパフォーマンスだ。そう自己暗示をかけてみる。そして、こんな人は無視するに限る。

 僕の無言を承諾ととったのか、川中さんの機嫌が段々良くなって来る。車の運転では重要な事だ。
「あ、分かってくれたみたいね、いい子、いい子」
 とまで言いだすと、思わず微笑ましくなってしまう。きっと悪い人ではないんだろう。ただ、ロジックとか他人への思いやりが無いだけ。なるほど真子先輩の知り合いだけはある。似た者どうしって訳か。理由はともかく、こうも機嫌が直ぐに回復する人をみると、喧嘩する気も失せてしまう。そう思った所で、またも爆弾発言があった。なんでも、川中さんは靴や化粧品(これはこの人の言動から予想済み)の他にも追加グッズを持って来ていてショーツとかストッキングまであるそうだ。
「どうせ使わない安物だし」
 さすがに引いた。女装なんか怖くないと自己暗示を掛け始めて途端の冷や水だ。
「ちょっと待って下さいよー。それは行き過ぎでしょう」
「聞いたわよ、パンツをテープ張りにしてるんでしょ、そっちのほうが恥ずかしくない?」
 うう、痛い所をついて来た。確かにそうだ。でも、女性下着だなんて。そこまで僕の『怖くない』暗示は強くない。こんなものを着たら、さっきのトイレじゃないけど、変な気分になってしまいそうな気がする。そして、そのまま引き返せない世界に染まってしまいそうな…。


女子編<一年女子視点>

 潔美先輩も真子先輩も困るよー。そりゃバレーも指導も上手いし相談事にも乗ってくれるけど、潔癖過ぎるもん。その潔癖性をこっちにまで押し付けて来るんだから、いい迷惑。男の子におへそを見せて何が悪いの。合宿の夜になんで男の子とおしゃべり出来ないの? せっかくの泊まりで男の子が来てるってのに。でも部長と副部長だから逆らえない。まるで新撰組みたい。男子が食いついて来てくれたお陰で、全く縁無しって事にはならなかったけど。
 阿部君って大きな口を叩く筈だわー。結構上手くて、潔癖コンビも態度を改めたもんね。お陰で昼食は一緒だったし、午後も一緒だったし、この分だと今夜こそ一緒に過ごせそう。昨日なんか、風呂の後って言うのに夜も練習だったものね。うちはそんなに強い部じゃないってのに。

 あの男の子たち意外と狙い目かも。如何にもオタク部って感じで不健康そうだったけど、よく考えたら不健康な連中がわざわざこんな処で合宿するはずないもん。運動音痴でもないし。あ、あの伊豆君は運動音痴かな。でも代わりに彼は社交的だからいいや。その伊豆君をリンリンは狙っているみたい。チーやんは宇津木君かなあ。他の3人だって、彼氏がいるっていうのに、阿部君や宇津木君に色目を使ってるし。きっと合宿の間だけの臨時恋人のつもりだろうけ…これ、もしかして不倫っていうのかしら…ここで誰か一人ぐらい乗り変えるかもね。メグなんかきっとそうよ。今の彼氏が入学してもう3人目だもんねえ。メグと同じクラスにならならなくて良かった。
 潔癖コンビが小戸君と会議室に入っている時にリンリンが聞き出した所では、阿部君と江田君には彼女がいるらしい。どうせ行きずりの恋だから、そんなもんどうでもいいんだけど、どうせ阿部君は競争率高そうだし。江田君って、ああいうタイプって意外と身持ちがいいし、第一、あの「おっぱいポイント」の発言がねえ。セクハラ発言ばっかりしそう。わたしはそんな趣味じゃない。だからどっちもパス。狙うなら残りの3人の誰か。って、なんでこう彼氏を作る事ばっかり考えてんだ。友達でいいじゃない、友達で。わたしにはちゃんと憧れの先輩がいるんだから…近寄り難いけど。ああ、彼氏ほしい! 

 でも惚れ込むような男はいないなあ。そりゃ知り合ってまだ一日だし、特別なイベントがあった訳でもないから、仕方ないけど、まだまだ胸に響かないのよねえ。そんなんじゃ、いくらこっちが行きずりの恋のつもりでも、相手が本気になったらいやだ。リンリンやチーやんは、言っちゃ悪いけどモテそうにない容姿だから、相手が本気になったらラッキーだと思うけど、わたしはきっと普通よ。残るは小戸君だけど問題外。愛想悪いし、妙に真面目腐っているし、女装の時も一人だけふてくされていたし。場を盛り上げようって気持が全然ないよー。まるで真子先輩を男にしたみたいな感じ。彼とじゃ一緒にいても楽しくないだろうなあ。セクハラ発言は無いだろうけど。

 代わりに小戸君はワンピース姿で許してあげる。あれには目を見張ったなあ。うちの部で、あれほど似合う子っていないんじゃないの。汚れを知らない無垢な少女って雰囲気。顔だって凄い美人…クラスのナンバ−1ほど…じゃないけど、人を惹き付けるものがあるのよねえ。そうそう、体だけ大人ぽっくなった小学6年生の、クラスのナンバ−2かナンバ−3って感じ。本物の女の子は高校一年にもなると色々と男女とか女同士とかの知識が増えて心が汚れてるもん。小戸君って、ある意味、理想的な美少女じゃないかしら。だから目が釘付けになるのも当然。もともと人気の一番低かった小戸君なだけに、まさにダークホースだったわー。小戸君には悪いけど、今日はその姿で皆を楽しませてね。たった一人で可哀想な気がしないでもないけど、どうせ仲良く話そうと思う女子もいないから、こうやって女子からの視線を浴びるだけでも儲け物と思って我慢しなさい。君は本当は女子には縁がなかった筈なんだよ。あ、あの審判だけは見直したけど。どんなに取り柄の無い男の子でも全部が駄目な訳じゃないって。

 先生が来てからの小戸君はちょっと可哀想だったなあ。バレるんじゃないかって心配してるのがよーく分かった。私の目から見ても女の子にしては不自然だったものなあ。そりゃ内輪のノリで女装させているときは美少女に見えたけど、しょせん男の子なのよね。ワンピースから微かに分かる下着の線とか仕草とか。歩き方なんて全然きごちないし。メグやリンリンも気付いてわたしたちは目を見合わせたけど、あれ、絶対に先生にバレてる。でも、がさつな男子には全然分かってないし、潔癖コンビも自分たちのやった『作品』に自己満足で気付かなかったみたい。ほんっとに先輩って自己中。
 でも、先生、結局何も言わなかった、なんでだろう。もしかしたら遠慮しているのかな。学校の外で男子が女装しているのを咎めるような教師なんて今時いないのかもね。そう思うと先輩が色々と彼の女装の事を心配しているのがおかしくなっちゃった。別に先生にバレていいじゃない。そりゃ小言を言われるだろうけど、ちゃんと審判やっていたんだから、こっぴどく叱られる訳ないでしょ。それなのに、あの阿部君に頼みにまで行って、…って、そういや潔癖コンビが男の子に頼み事をするのって初めて見ちゃった。いい傾向じゃん。だから今夜は出来れな親睦会を……。

 休憩の時に小戸君がまだワンピースのままなのは驚いちゃった。あれだけ嫌がってのに止めていないってのは、潔癖コンビの顔を立てたって訳ね。そりゃあ約束は今日中だったけど、誰だってあの激しい練習の後に、そんな罰ゲームは終わりって思った筈よ。だって先生の前で一番辛い思いをしたのは小戸君だもの。これ以上女装を強要したら不公平。見る方としちゃワンピースで一日過ごして欲しけど、それとこれとは話は別でしょ。だから、小戸君がなんだかんだ言いながらも、あんな我がまま先輩の顔を立てた事にちょっと感心しちゃった。
 彼を元気づけようと皆と一緒に声を掛けにいったら、その前のノッたんの言葉で真っ赤になっちゃって、なんだかいじらしいというか、彼って本当に純粋素朴なんだ。男の子の中には遅れている子がいるって本当みたいね。小戸君、その心意気とその純粋な心はこれからも大切にしようよ。でも、いくら純朴でも、その性格で彼女を作ろうなんて無理だから、誰かを紹介して貰うなんて期待しないでね。

 そう心の中で願ったり謝ったりしたけど、隣のメグは全く別の事を考えていたみたい。
「やっぱり、このままではいずればれるよ、どうにかしよー」
 って囁きかけて来るんだもの。そんなことどうでもいいじゃん。そう思って生返事だけしといたら、結局、直後にやってきた潔美先輩と一緒に小戸君を化粧室に連れて行っちゃった。小戸君にちょっぴり同情だよ。男を次々に乗り換える子って、相手の事なんか考えていないってようく分かった。でも、そんな子がモテるんだから、男って見る目がない。
 直ぐに見張りの役を仰せつかって、先生が来たので化粧室の中に入ると、小戸君が下着とパッドだけの姿で潔美先輩に棒立ちしていて、思わず引いちゃったよー。だって男の子のトランクスを見るだけでも乙女としては恥ずかしいのに、それがテープ張りで鋼鉄のパンツみたいだったんだもの。小戸君は顔を真っ赤にして、他に何も考える余裕が無い感じ。うん、小戸君の恥ずかしさに比べればわたしの恥ずかしさなんてちっぽけね。本当に潔美先輩って鬼畜!

 化粧室に向かう所を先生に見られたから、これから直ぐに練習に戻る事を考えれば、ここはトイレに行っとくべきね。小戸君っていう男の子はいるけど、女子トイレって個室なのよ。彼の存在は無視。彼なら変な想像をしないと断言出来るし、今はそれどころじゃないって分かっているし、メグも一緒にトイレに行くし。その後はメグの代わりに潔美先輩を手伝って小戸君の半裸を間近に見たけど、へえ、太腿も剃っちゃったんだ。さっきの練習開始の前に、剃り残している処を見ちゃったから意外だった。先生にバレないようにっていう潔癖コンビの理不尽な要求をここまで飲んでいるのね。それなのに潔美先輩も交代で入って来た真子先輩も小戸君に感謝している様子が全然ないものなあ。酷いよ先輩。健気だよ、っていうかお人好し過ぎるよ、小戸君。そんなんじゃ、いくら誠実でも彼女は出来ないよー。わたしだって引いちゃうよ。可哀相な小戸君を見て、彼にも彼女くらい斡旋してあげたいな、って気になってきた…無理だろうけど。なんだか保護者の気分。

 練習が終わって先生が本館の方に向かうと、さっそく先輩が携帯で男子と連絡を取っている。電話は如何にも小戸君を心配しているって風だったけど、こんなところが嫌なのよね。さっき化粧室であれだけ無理を言ったんだから、ここでドジを踏まれたく無いって気持が見え見え。一見相手の立場で行動しているような振りをして、実際には自分の事しか考えていないものなあ。先輩が困るから先輩のプライドだけが大切だから、いろいろと『親切』にアドバイスしてるんでしょ? そのくせ、本気で『自分は相手の事を考えている』って思い込んでいるから始末に負えないし。自己中よりも悪いんだよ、それ。
 話じゃ、真子先輩の幼なじみの川中さんが小戸君を迎えに来るって大げさになっているけど、ノリの気分で5人分の服を用意するような川中さんに任せちゃって大丈夫なの? 遊びの感覚とか罰ゲームの感覚なら分かるけど、今は違うんだよ。川中さんって午前と同じ感覚で、小戸君を虐めに来るんじゃないの? そういう不安を感じたけど、口にするのは止めた。だって潔癖コンビに聞く耳なんて無いもの。代わりに、クールダウンが終わってからメールしておいた…もやもやとした心配をメールに書くなんて私には出来ないから一言だけ。
「外出は気をつけてね」
 向うが気に掛けたら電話してくるでしょ。そんな事より、先ずは風呂よ。

 風呂が終わった時に携帯をみると、「ありがとう」とだけ書かれてた。あ、そっか。激励の意味にも取れるんだ。もう遅い。入れ違いに風呂場に入って来た2年生の話じゃ、もう連れ去られたみたい。大丈夫だといいけど。気にしてたのはわたしだけじゃないみたいで、ロビーに行って、先生にサヨナラ言って、いよいよ江田君が電話した時は、待ってましたって感じで、みんな興味津々だったもんね。聞いてみると、小戸君なんだか大変な事になっているみたい。街まで行くって? そんな、早く戻って来てよ。みんな小戸君…のワンピース…を楽しみにしているんだから。だって先輩達がまた化粧しなおしたんでしょ? 
 それにしても、あの川中さんって人も何よ、私たちのアイドルを勝手に遠くまで連れて行って。しかも小戸君が嫌がってるのを無理矢理っていうじゃないの。あんた、高校経験者なんでしょ? 先輩達が戻って来る前に一年生だけで楽しい時を過ごしたいってのが分かってないの? 高校生が大学生に楯突ける訳ないんだから、大学生は高校生に干渉しちゃいけないのよ! 川中さんって、やっぱり真子先輩の同類。

 私がチーやんにそう言うと、彼女もおんなじ意見みたいで共鳴しているうちに、一年生全員で「川中さん大嫌い」の大合唱になっちゃった。それはそれでちょっと行き過ぎって気もするけど……。そう思ったら、ノッたんが、
「ああ、でもあの人がワンピース持って来てくれたのよね」
 と言って漸く合唱が終わった。人の評価ってムツカシイ。
 そうだ、激励のメールを送っとこ。って、川中さんに見られる恐れがあるのよね。真子先輩とツーツーだから目は付けられたくないなあ、じゃあ、暗号風でいくか。……へえー、今度は即座にしかもマトモなのが戻って来たよー。結構落ち着いているじゃないの。また送るとまたも的確な暗号文が戻ってくた。なんだが楽しくなって来ちゃったな。意外と面白い奴なのかも。
 待ってる間に男子から聞いた話で一番受けたのは文化祭の案。だって、小戸君に女形させるって言うんだもの。それ、わたしも考えてた、っていうか他の子も考えてて、メグがボロッと云ったら、伊豆君がシェークスピアを計画しているって爆弾発言。
「小戸君がよくOKしたね」って聞いたら、
「もちろん了承なんかしてないよ、でもまあだいじょうぶだろう、なあ」だって。話を向けられた他の男子は、首を振る奴と首を傾げる奴と。ふむふむ。それなら、ここはわたしたち女子が説得して…って思う前にリンリンが、
「わたしたちも協力するからねー」
 そう言って皆を見回して、こっちは全員賛成。見よ、このチームワークの良さを。

 小学校じゃないんだから、それなりの劇でなくっちゃいけないんだけど、シェークスピアなら問題ないな。絶対にジュリエット役ね。だってヒロインを女子から選ぶのって、クラスのNo1を決めるって事でしょ? 絶対的美人がいれば話は別だけど、でないと、高校じゃあ不味いのよ。だから男子がやるのが一番いいんで、文句無しに小戸君がジュリエット役。女子の誰もがそう思ってたら、阿部君曰く、ロミジェリやるならジュリエットは江口君に決まっているって。それはテロよ! じゃなくて、突っ込みどころは、なんでロミジェリやらないのか。ベニスの商人? そんな地味なのじゃあ小戸君の女装を堪能出来ないじゃないの。そう女子が口々に文句言うと、伊豆君ったら結構考えてて、女性が男装する役の歴史と小戸君の女装の魅力を教えてくれた。何の変哲も無い男である事を観衆の認識させなきゃならないって。なるほどねえ。確かに男の時と女の時のギャップが小戸君の魅力だもの。それに歴史再現だと先生達の覚えもいいだろうし。伊豆君って頭いいんだ。リンリンがアタックしていみたいだけどナットク。わたしったら出遅れちゃった。今からでも遅くないけど、うーん、スケベはわたしの趣味じゃ無いからやっぱりパス。

 皆で盛り上がっている時に阿部君に電話がかかって、川中さんの家に着いたって。やっと中間点かあ。先輩が風呂から戻って来ちゃうなあ。それどころか夕食もあんまり一緒にいれないじゃないの。もったいなーい。そんな事を思っていると、阿部君ったら、さっそく文化祭の話をしてる…あ、メグまで悪のりしちゃって。でも真面目に考えると、これって簡単じゃない。だって、やるとなると練習とか衣装とかで大変なんだから。よっぽどクラスの女子が乗り気にならないと、こういう企画って通らないんだよねえ。でも男の時の小戸君ってさえないじゃん。あれじゃあ、彼を女装させる為に劇をするんなんて案は通らないだろうな。写真ぐらいじゃちょっとねえ。でも、やるとなると本当に面白そう。そんな事を思っていたら、いつの間にか話題は、もう一人の劇中男装役の話になってて、対照の妙なら江田君がいいんじゃないかって。ちょっと、それはテロだって。でも江田君、けっこう乗り気みたいで、それはノリすぎっていうの! そのノリ、半分、小戸君に分けてあげなさいよ。 

 そうこうするうちに先輩方が風呂から上がって、真面目なバレーの話をしながら(だって、一年生どおしの楽しい話を潔癖コンビと共有したくなんかないもんね)、ロビーで小戸君を待ってたんだ。20分ぐらいして、何度目かの車の音がしたから、今度こそ帰って来たかなって思ったら、違う人。でも、大人の雰囲気でとっても奇麗だし、わたしたちを見回しながらゆっくりと近づいて来る所も見ると、誰かに用事みたないので、奥を振り向いたり彼女に目を戻したりしてたら、今度は川中さんが入って来た。今朝会ったときの服と違うけど何となく分かる。でも、川中さんの後ろに小戸君はいない。変だなって思って、この奇麗をもう一度見ると、なんと小戸君じゃないの。
 ワンピースの上に薄いショールを羽織っているし、ローファーながらも革靴だし、上端と下端は黒いパンストと長い黒髪がセクシーだし、何よりもにこやかな雰囲気が優美で、大人の雰囲気だったので全然わからなかった。それに膚の色も違う…お化粧! しかし、何よりもびっくりしたのは、ここまで完璧な女装なのに、小戸君は心から楽しんでいるらしいって事。あんなに嫌がっていた筈なのに…でも、お茶のときだって女装を止めていなかったよなあ。…もしかすると、小戸君、そっちに目覚めちゃったの? そういう方面に免疫の無さそうな子だったから、マジで危ない! ああ、どうしよう。女装を嫌がる子をからかうのを楽しいけど、マジに女装趣味の人って気持悪いのよね。あんなのを女の人が楽しむなんて、漫画やコメディの世界だけで、普通の女の子は生理的に受け付けられないんだよー。これ、真子先輩の責任だからね。わたし、知ーらない。責任とってー。


泥沼編<主人公視点>

 川中さんからショーツやパンストまで用意してあると聞いて、僕は今日何度目かのフリーズをした。僕の様子を見て満足したのか或いは気を使って話題を変えようとしたのか、川中さんは妙な事を聞いて来た。
「ところで真子ってどう思う?」
「どう思うって、真子先輩をですか?」
「そう。彼女には言わないから」
 この人は信用置けない。発言をねじ曲げる。悪口を言うと確実に告げ口される。
「気難しいけど、真面目な人だなあって」と無難な線でまとめると、ミサイルが飛んで来た。
「じゃあ、真子と付き合わない?」
 僕があの真子先輩と付き合う? この人、何を考えているんだ。…さっきの破綻ロジックも、もしかしてここから来た妄想かもしれない。
「え、冗談でしょ?」
驚いてそう反応すると、
「付き合うんだったら、今日の残りの女装はちゃらにしてあげるから」

 もしかして、これが言いたくて女装女装と騒いでいたのか? それとも思いつき? この人がこの手の次元トリップをする体質なのは、この一時間で身を以て知ったので、後者のような気がする。とすると、ここで女装怖さにイエスなんて言ったら、とんでもない展開が待っているに違いない。川中さんはやっぱり危険だ。この人がこんなだと分かっていたら、先生に捕まる方が余程マシだった。でも、後悔先に立たず、ここは出来るだけ穏便に逃げるしかない。
「あのう、それって、とっても唐突なんですけど」
「あの子、潔癖性でしょ? だから男子が敬遠するし、その敬遠でますます男子に対して依怙地になってしまうで悪循環なのよ。しかも部長の潔美ってのがこれまた潔癖性でねえ。それで女子部全体で男子部員を避けてしまうしで、男子から悪評が立っているの。でもね、悪い子じゃないのよね。一人でも真面目な彼氏が出来れば性格が絶対に変わると思う。あ、真面目な男じゃないと駄目だから。その点、キミならいいんじゃないかって」
 それって全く僕の意志とか好みとかを無視した話じゃないでしょうか? そりゃ、真子先輩に対する善意で溢れているのは認めるけど、世界に出口の無い戦争をもたらすのは善意とか正義感に凝り固まっている人なんですよ。僕を男として評価してくれるのはとっても嬉しいけど、この話は困りますよ、この話は。

 それでもここは我慢、礼儀正しく答えよう。僕は悟った筈なのだ。
「僕には無理でしょう。寧ろ、阿部辺りの方が良いんじゃないかなあ」
「スケベな話を平気でする人は駄目なのよ。さっき潔美から聞いたけど、スケベな感じがしなかったのってキミと宇津木君だけだって」
 それが子供というのと同義語だってのは自覚している。要するに子供のように扱い易い便利な彼氏が欲しいって訳か。いかにも川中や真子先輩の趣味だと納得した。でも、それに乗っかったら今日みたいに酷い目に会う毎日になるだろうから、ここは宇津木に押し付けよう。彼は真面目な雰囲気を漂わせているが、一筋縄でいかない事を僕は知っている。
 宇津木を褒めたら、
「でもね、キミのほうが有望なのよ。真子は女装の件でちょっと無理させたって気にしているみたいだから」
 さっきの再女装の話と全然食い違っているじゃないか。ほんとうに無理させたって思ってるなら、再女装させようという話にはならないだろう。要するに川中さんの言っている事は嘘。でも例の音楽の先生が言っていたけど、嘘がバレなければ、嘘を沢山ついた方が議論で勝つんだって。そして嘘の決定的証拠が無い限り、相手を嘘つき呼ばわりした方が不利になるんだって。言い方は気を付けなくっちゃ。
「それで、また女装させ直そうって訳ですかあ?」
「それが複雑な女心ってやつよ…」
 なにが女心だ。嘘みえみえ。そう思ったが黙っておく。

 僕の無言を気にも留めずに川中さんは続けた。
「…だからキミがアプローチすれば落ちる可能性が高いのよ」
 何だって、僕からアプローチしなくちゃならないって? もういやだ、女の世界は女装の世界よりも遥かに怖い。
「イヤですよー。僕だって好きな人ぐらいいるんだから!」
 それを聞いて、川中さんは急ににやにやし始めた。嫌な予感がする。
「で、その子と付き合っているっていうの?」
 うわー、来た。
「いや、まだですけどね」
「もしかして、まだ告ってもいないんじゃないの?」
 鋭すぎて声にならない。
「…返事が無い所を見ると図星みたいね。じゃあ、いいじゃないの」
 この人には断固とした答えを出さなければならない事を悟った。
「いやです」
 一回でケリがつくとは思わない。
「真子ちゃんの何処が悪いの」
 真子先輩がどうのこうのでなく、川中さんが絡んで来るのが嫌なのだ。
「それとこれとでは話は別です」
 ロジカルに答える。でもこの人に論理はない。
「せっかく、女装を許してあげるって言ってるのに」
 予想通り次元の違う話を強引にねじ込んで来た。

 論理能力の無い人といつまで押し問答しても時間の無駄だ。ここはこっちが引くしかないだろう。
「女装の方がマシです!」
 そう断言した。今朝までの僕なら女装を恐れるあまりにイエスと言っていただろう。でも、分かったのだ。それは判断を誤る元だと。今の選択なら『完璧な女装』の方がよほどマシだ。女装なんか怖くない。女性下着なんか怖くない。
 少しの無言の後に、何を考えたのか川中さんがニヤニヤするなり口を開いた。
「そうか。小戸君は女装したいのか。楽しいなあ」
 相変わらずの曲解だ。いや、違う、真相はきっとこっちだ
「違います! か・わ・な・か・さん、からかっているでしょう」
「まあ、照れちゃって。お・ど・くんは、そんなに似合っているんだから女装が嫌いな筈がないよねー」
 とにやにやしている。こんな具合で、合宿所への帰り道は、僕の女装を如何に楽しみにしているかと、彼女が持って来た服の説明のオンパレードでうんざりした。

 今日は教訓が沢山ある。その1、女装を恐れてはいけない。男女の仲のドロドロよりは女装の恥ずかしさの方が遥かにカラリと明るい。なんだか、伊豆や江田の心境に一つ近づいた気がする。その2、この人には近づいてはいけない。どんな論理で何をされるのか分かったものではないからだ。しかも、その迷惑行為が悪意でなく善意とか冗談から来るから始末におえない。
 でも。それでも、この人のお陰で僕はとっても大切な事を悟ったような気がする。そして、何よりも、この人は僕の男の意識を仲人まがいという事で自覚させてくれた。もしも川中さんが単純に僕の美貌を褒めていたら、僕の姿の女らしさを丁寧に説明したら、僕はどんな世界に落とされていたか分からないのだ。だから、やっぱりこの人には感謝しなければならない…反面教師という意味で。

 僕の悟り(?)を知ってか知らないでが、彼女は車を合宿所から2キロ程手前の森の中に止めた。農道らしき砂利道が分かれているところで、当たりに人家は無いし車も殆ど走らない。訝しがったら、彼女は後ろの座席から袋を取り出し、
「折角だから皆を驚かしましょうよ」といいつつ、化粧用品を取り出した。
「は?」
 いやな予感がする。
「だから、いま、ここで化粧するの」
 やっぱりだ。こっちは心の準備が全く出来ていない。
「なんで化粧を…」
 川中さんは僕に全部を言わせない。
「ジタバタしない!」
 せめてもの抵抗として、
「時間が…」
 と夕食の事を言いかけるが「十分あるから大丈夫」と一蹴された。

 さっきの洗顔とコンパクトだけでなく、今度はまつげまで塗ったくられ、唇を塗られ、頬にも何かつけられ、あまつさえ香水まで振りかけられてしまった。その間、車の室内灯だけという条件下で約2分。現役の女子大生は慣れている。それが済むと、今度は袋の残りを取り出しながら、
「着替えて」
 は? こんな屋外で?
「ここは暗いし、そっち側は車の影だから大丈夫よ」
 それでもワンピースを着替えるのは無理だろうと思って訝しがると、次の瞬間に言い分が分かった。手渡されたのは軽い布類、つまり服ではなく下着。見ると白のショーツと黒のパンストだ。一瞬のためらいを見透かしたのか、
「急がないと食事に間に合わないよ」とせかしてくる。
 度胸を決めてというか、むしろ成り行きに流されるままに車を降りた。とりあえずショーツだけで勘弁して貰おう。そしたら少なくとも合宿所の連中には分からない筈だ。パンストまで履いたら、それこそショーツから着替えている事が簡単に予想されてしまう。そんなのを女子に知られるのはさすがに恥ずかしい。……折角の悟りも役に立っていない。否、僕はまだ悟りにほど遠い。悔しいので反撃を誓いつつトランクスを降ろすも、いざショーツを手に取るとそんな余裕はなくなった。

 今までは女装と云っても、少なくともトランクスを履いていて、単に見せかけだけの演技的な感覚だった。でもショーツは違う。見えないものだ。それ故に今の今まで気付かなかったが、いざ履く段階で、恐ろしさに気がついた。見えない故に内面的に女を意識させるという事を。それは、男のシンボルなんか僕には不要だと主張している。それがショーツの機能だ。おなじ下着でも、ブラジャーは下にパッドをしている事もあっていかにも作り物という感じがするし、男のシンボルとは何の関係もない。いわば、ショーツは女装の仕上げ。いや、仕上げどころか、男の否定すら始めている。そんな危険なもの。もちろん、ノリの良い人間とか悟った人間だと、こんなのは単なる布に過ぎないと達観できるのだろうが、僕には無理だ。このまま女装を越えて女性化してしまいそうな恐ろしい予感。

 そんな漠然とした不安を感じつつも、一旦始まった手続きは止まらない。先輩はさすがに見ていないが、車のライトが視界に入らないうちに着替えないと不味いから、ぐずぐずはしていられない。急ぎたくもあり急ぎたくもない。そんな気分で、のろのろと、でもスムーズに手はトランクスを離し、ショーツを手に取り、足を入れる所を確認し、右足を入れ、左足を入れ、そうしてとうとう腰にまで引き上げた。男のモノの収まりが悪いが、腰の深い流行遅れの『おばちゃんパンツ』タイプ……ジーンズを履く若い女性には、かがんでも後ろが見えない浅いタイプが主流なのだそうだ……のおかげで、なんとか収めきる。ああ、とうとう履いてしまった。女に近づいたような、男の何かを失ったような感覚は、恥ずかしいという言葉だけでは言い表し難い。そこに、実は新しい経験への興奮が含まれていたかも知れないが。
 このままするずると内面まで女になってしまいそうな嫌な予感は、あそこを勃たせる。テープで補強したトランクスと違い、ショーツの柔らかい布はそれを押さえない。あわてて手で押さえ込みながら助手席に座り込む。ここは早めにパンストを履いて勃起を押さえ込むのが良い。さっきの長々した説明では、このパンストにはガードルの機能もついているだ。検索で、ガードルが男のモノを押さえる必需品である事は知っている。だから、今はいち早く『履きたい』と思っている。

 ……女性下着を着たい? 無理矢理着させられるのでなく? なんて事だ。今までは嫌々ながらの行動だった筈なのに、今の僕は自らの希望として女装したいと思っている? しかも男のシンボルを消す為に? 一瞬、自分自身がキモいと思ってしまった。
 一旦そう思ってしまうと、パンストへの手が止まってしまう。やはりパンストも『強制的』に履かされた形で無いと、どうにも自分自身が不安だ。このとき、何故、女装のサイトと同じぐらい、強制女装のサイトが多く検索にかかるのか少し分かった気がした。もちろん中身を読んでいないので実情は分からないが、今の僕の気持を延長すると、女装願望の人にとって、一番理想的な女装は、強制的にあるいは不可抗力的に女装させられるという形ではないだろうか? 自分から女装したがる奴はキモい。でも、仕方なかったという言い訳があると、女装姿はキモくても本人の人格はキモくない。仕事と云う責任を逃避したがるのをニートと言うと社会の先生が言っていたが、それは女装にも当てはまるのかも知れない。強制である限り本人に責任はない。そういう僕だって、今は強制的にパンストを履かされるというアリバイを求めている。そして、そのカモフラージュの為に川中さんの言葉を待っているのだ。

 その川中さんは僕に何の動きも無い事を察すると、「パンストもよ」と期待通りに言って来た。これを『期待』してまう僕は変態なのかも知れない。そういう自己への不安を持ちつつも、『強制』というカモフラージュを完璧にする為に、「必要ですか?」と敢えて尋ねた。答えは予想もとい期待通り。
「当たり前じゃないの、ほら早く」
 呼応して再び立ち上がろうとしたら
「足を通すのは座ったままの方が楽よ」
 と言われた。確かにそうだ。足だけ車の外に出してパンストに足を入れる。ショーツより手間がかかるので、こんな所に車が通りかかったら目も当てられないと思い、出来るだけ手早く膝の上まで通す。いよいよ腰まで上げないといけないけど、非常にきつくて立つ上がるのも一苦労だ。
 履いて驚いたのは、胸のすぐ下までカバーしている事と、股の部分が極めてきつく補強されている事で、ただでさえパッドで締め付けられているお腹の回りが更にきつい。覚悟はしていたが相当なものだ。川中さんの話だと、締め付けがきつすぎて、それで家で誰も使わずに余ったとか。そんなのなら買わなければよいと思うが、安かったから川中さんのお母さんが買ってしまったらしい。余りにもあり得る話で、そのつけは僕が払わされている。いや、今の場合は恩恵を被っていると言うべきか。これならあそこが勃つのを押さえられるだろう。

 ……女性を主張するガードル兼用パンストを着てほっとした瞬間、締め付け型のパンストがショーツよりももっと怖いものだと気がついた。なんせこいつは『男のシンボルなんか消してしまえ』と押さえ込む。単に不要だと主張するだけのショーツよりも積極的な機能をもっているのだ。もしかすると、そんな女性下着を女装の仕上げとして進んで履いたのが今の僕だ。もしかして僕は本当は女装趣味者なのではないか? それどころか、僕はこっそり女性化を望んでいるのではないのか? そういう錯覚みたいなもの一瞬感じて不安は倍加した。
 そんな不安を抱えながらも、時間に追われるまま僕は助手席に座り、そうして靴を履く段階になった。頭はもはや不安を通り越して、パンストで運動靴はないよなあ、思ってしまっている。僕の中の女装への抵抗は悟りと云う形でなく正反対の形で弱まってしまったのだ。この心理に一応の言い訳はある…ここまで着たら女装で通すしか無いから、女物の靴の方が安全、という理由だ。でも、それが単なる言い訳なのか、実は心の内面で女物の靴を履きたいと思っているのかは他人には分からない。それが言い訳だ。とにかく僕は今は女物の革靴を履くべきだと思っている。そして、そう思っているからこそ、『嫌々』というカモフラージュの為に川中さんの次の言葉を待った。
「せっかく靴を脱いだんだから、そっちに履き替えてね」
 期待通り。靴は少しきついが座っている分には問題ない。

 こうして準備が終わると、川中さんは最後に薄い布を渡して
「このショールを羽織って」と言って来た。今までのに比べれば、この程度はぜんぜん葛藤が無い。かくて僕の準備は終わり、車のエンジンがかかると、僕はほっと一息つくと共に、とうとう行き着く所待ていってしまったなあ、というマイナスの達成感を感じた。もう失うものはない。そういう『男の終わり』を感じた瞬間、僕の心理は一気に変化した。


 ここで色々な選択肢があります。
(1)小戸君は女装に目覚めた
(2)小戸君は女の子になってしまっても構わないと思った
(3)小戸君は女の子になってみたらこんなに悩まずに済むのにと思った
(4)小戸君は着ている服に相応しい体が欲しくなった
 などなど。まあ、どれを選択するにせよ、自然な理由を考えなければなりませんが


乙女編<真子視点>

 今日は何だか奇妙な日だ。男子の視線が嫌で試合になったのに、何時の間にかそんな事はどうでも良くなって来て、それどころか男子を練習に誘っちゃって…そんなこと男子部員にも頼んだ事ないのに…気付いてみれば阿部君たちを頼るようになって連絡を取り合ってた。後輩だから気安く頼めたのかなあ。それだけじゃあ、男子部員よりも気楽に話せるようになった理由にならない気はするけど。あのコンビネーションかなあ。
 そりゃ昨日の言いようは腹立った。でも、阿部君って確かに大きな口を叩くだけの技量があって、伊豆君は頭良さそうで、静かな宇津木君はかっこ良く、江田君は剽軽で、小戸君は真面目。帰宅組のオタク組と思って馬鹿にしていたけど、これだけバラエティーのあるグループって、なかなかいるもんじゃない。それに意外と親切だし。とにかく小戸君が先生にバレないように皆で協力してくれたものね。でも、昨日口喧嘩した手前、後輩に向かって有り難うなんてちょっと言いづらいなあ。そりゃ、素直に言えるほうが良いって分かっちゃいるけど、あたしにだってプライドはあるしさあ。

 そんな事を思いながら風呂を終えてロビーに行くと、一年生が仲良く話してた。同学年っていいなあ。阿部君たちみたいなグループがうちの学年にもいたら良かったのに。そう羨ましがりつつ、食堂のロビーよりの席に座ったら、伊豆君と宇津木君がやってきてバレーの練習の話を振って来てくれた。この子たち、やっぱり良い心遣いよ。これであたしも話の輪の中に入れる。本当は食事の時間なんだけど、彼らと話すのは楽しいし…男の子と話すのがこんなに楽しいとは知らなかった…彼らが待っている小戸君をあたしも待たないとなんだか悪いしで、そのまま20分余り過ごしたのかな。
 小戸君が入って来たのはその時だった。あたしは全然気付かなくて、皆が入り口を見るのに連れられてそっちを見たら、合宿所の雰囲気にそぐわない奇麗な女の人が立っていて、その彼女が実は小戸君だったって気付いた時はびっくりしちゃった。こんなに奇麗になれるの? それが第一印象。と同時に、ちょっと怖くもなっちゃった。だって、小戸君ったら嬉しそうにしているんだもの。その様子が、どうみても女装趣味者って感じで、さっきまでの小戸君とはまるで別人。もしかしてそっちの素質があったの? 小戸君ってオカマ? 変態?? あたしにとって、それは差別用語云々の前に差別の対象なの…近づいてはいけない物体なの。あたしは普通の女の子。そして、普通の女の子は新宿2丁目には余程の決心がなきゃ近づかないのよ。だから、小戸君が赤の他人なら知らん振りしてこの場から逃げるに決まっている。でも、あたしには、もしかしてあたしがきっかけかもっていう罪意識があるのよね。だから怖いんだ。 

 なのに、事もあろうに、小戸君ったら、あたしを見付けて嬉しそうに近寄って来るじゃないの。変態なんて嫌よ、近づかないで! あたしは逃げるに逃げられないんだから。そう心の中で震えていると、小戸オカマ君はすぐ近くまで来ると、「せんぱいー」って裏声で、甘い感じで呼んで、とうとう、あたしの座っている前に膝まづいちゃった。目の前をブロックされて本当にあたしは逃げられない。ああ、どうしよう。
 そんなあたしの心なんか全然気付かないのか、小戸君ったら、可愛い=キモチワルイ顔であたしを見上げて、
「とうとう、こんなになっちゃったあー」
 と言いながら、あたしの手を素早く握って来ちゃった。これ、満員電車の中だと痴漢って呼ばれるのよ! 反射的に「やめて」と言って手を引っ込めようとしたけど、彼は強く握りかえし、
「見捨てないでー」と言って、頭を上腕にうずめる。なにコレ。あたしは百合じゃないのよ。ましてやオカマ相手なんて。相手はオトコ! だって、強い握りは明らかに男のものだもの。セクハラ! 女装痴漢!! 気持悪いー!!! 思わず「きゃあ」と叫んだけど大きな声にならない。それでも食堂の人がいぶかしげにこっちを見てくれて、微かな期待を抱いたけど、伊豆君が「なんでもありませんよ」と答えて、手振りでロビーにいる1年生を呼んだので、何も起こらない。2年の女子は黙ったままで、頼みの綱の潔美まで全然動かない。こ、こわい。

 小戸君はわたしの叫び声に一瞬手を緩めかけたけど、再び握りしめ、
「せんぱいのためなのに、なぜー、えーん」
 と顔を埋めたまま泣きはじめた。どう反応すればいいの? 小戸君があっちに目覚めてしまったのって、やっぱりあたしのせい? そしたら、ここは気持悪くても慰めるべきなの? 嫌よ、こんなオカマ。どんなに美人でもこいつはオトコ。そういう葛藤でフリーズしていると、阿部君がロビーから入って来るや
「先輩、自業自得ですよ」
 と冷淡に追い打ちをかけてきた。阿部君と一緒に食堂にやってきた一年女子は半分があたしを睨みつけ、半分がいい気味だという表情をしている。辛うじて、
「わ、わたしだけの責任じゃない!」と答えたけど、小戸君は相変わらず、
「そんなー、せんぱいに捨てられたら、どうやってわたしはー、えーん」
 何となく嘘泣きのような気がしないでもないけど、顔は相変わらず見えないし、嘘泣きじゃないかって言えるような雰囲気じゃ全然ないし、それ以前に、こっちは気が動転してどうにもならない。こんな膠着から逃れようと、苦し紛れに宥めてみる
「そんな事ない…と思う、みんなが守ってくれるから」
「そんな人なんていないよー」
相変わらず駄々をこねる。気持悪いままに、だんだん腹が立って来た。なんであたしだけがこんな目に会わなきゃならないのよ。そう思って再び見回すと、
「俺は嫌だぜ」と江田君が口火を切るや、
「こんなオカマはやーだ、なあ」
「先輩の問題でしょ?」
 と男子が一斉に小戸君を見放し、あたしに押し付けて来た。小戸君は激しく泣いている。猶予は出来ない。
「なによ、それで友達なの」
 そう文句をいうと、
「先輩がきっかけだろ、責任とったら」
 と阿部君が責め立て、間髪を入れずに小戸君が「ぜんぶ先輩だって、川中さんが言ってましたよー」とあたしを責める。川中さんが言って……ってそうよ、瞳ちゃんは何しているのよ。

 その瞳ちゃんは、ロビーの方に立ったまま、助けを出す気配が全くない。これにはびっくりした。一体どうして。どうして、あたしだけが悪者なの? どうして瞳ちゃんじゃないの? そう思うや、
「ちょっとまって、女装のアイデアは川中のおねえさんよ」
 と正直に話したけど、小戸君は「うっそー! そんな事ないよー……」と信じず、顔をわたしの手に伏せたまま、
「……この髪も、このお化粧も、この靴も、この下着も、ぜーんぶ先輩がって……えーん」
 この時になって、なぜあたしだけが悪者にされたのかおぼろげながらに掴めて来た。そう、小戸君は、今の格好…1時間前とは違う部分…も全部あたしの発想だと思っているらしい。そう思われるのも無理は無い。パッドやプラジャーを彼にだけ付けさせたのはあたしだし、すね毛を剃ったのもあたし、その後、先生にも分からないような完璧な女装を要求したのもあたしだ。でも、あたしは単に瞳ちゃんに言われたままにやっただけだよー。ましてやカツラや靴やパンスト…間違いなくショーツは履いている筈…は全く無関知なんだから。ここははっきりさせないと、あたしは変態から離れられない。
「小戸君、それは逆よ。わたしは川中のおねえさんに何も言っていないし、今朝の下着やすね毛だって川中のおねえさんが勧めたの」
 瞳ちゃん、あんた言い出しっぺでしょ。あんた年上でしょ。あとはお願いね。そう思いつつ、恐る恐る瞳ちゃんの方を向くと、仕方ないって顔をしていてホッとした。

 でも安堵は一瞬だった。直ぐに江田君が
「川中さん、嘘ついちゃいけませんねえ」
「ちょっと、なに言っているの」
 そう瞳ちゃんが答える暇もあらばこそ
「小戸を事実上拉致して、無理矢理女装させて、その責任を女子高校生に押し付けといて、その言い草はないでしょう」
 と畳み掛けた。江田君を直ぐに宇津木君が
「携帯で車の中の会話をちゃんと聞いているんですがねえ」とフォローして、瞳ちゃんに反論させる隙を与えない。
「そ、そんなの、だって真子に頼まれたから」
 ちょっと待ってよ、あたしは確かに相談したけど、でも、それとこれとは違うわよ。こっちに矛先を向けないで。
 その時、意外な助け舟が出た。伊豆君だ。
「今日の事は僕たち高校生だけのお遊びです、それを大学生がかき混ぜるからこんな事になるんです」
 これに一年女子がぶつぶつと、
「そうよ、そうよ」
「あんたなんか帰っちゃって」
 と相槌を打つのが聞こえる。最後に江田君が「さっさと帰ったらどうですか」と言うに及んで、瞳ちゃんは腹を立てたのか、
「そんなに言うなら帰るけど、小戸君の事は知らないからね」
 と捨て台詞を残して玄関の方に向かって行った。背中なのを良い事に一年女子の中には舌を出している者までいる。このときあたしは始めて根本的な失敗に気付いた。高校生どおしの親睦に大学生が絡む事を、どれだけ皆が嫌がっていたかを。でも、もう遅い。いや事態はさっきより悪い。なんせ、頼みの綱の瞳ちゃんや帰ってしまったのだから。もしかするとあたしの事まで恨んでいるかも知れない。そして、もはや誰もあたしを小戸君から助けてくれない。サイアク。

 小戸君というと、泣き止めて、
「せんぱいじゃなかったんですかあ? ごめんなさーい」
 と謝るから、これぞとばかりに
「そうよ、だから川中のおねえさんに相手してもらってよ」と言うと、
「そんな、やっぱりせんぱいですよー、……をこんなにしたのはー、えーん」
 と泣き始める。泣き声がやっぱり変だ。このチャンスに小戸君から逃げなきゃダメとばかり、
「それ、嘘泣きじゃないの」と疑問を言うと、小戸君は「せいぱい、ひどいー、えーん」と更に泣き出し、追い打ちをかけるように阿部君が、
「先輩、その言い草は酷過ぎません? 先生にバレなかったのは誰のお陰と思ってるんです」
 とあたしを責めてきた。反射的に「でも、これは小戸君の趣味じゃあ…」と言いかけた時、
「それ、酷い」
 と宇津木君と江田君が同時に反応し、一年の女子があたしは睨みつけてきた。ああ、マズッタ。どんなに嘘だと思っていても決定的証拠無しに指摘したら名誉毀損になるのよね。だから弱者は強者にいつまでたっても頭が上がらないって家庭科の先生が言っていた。それに、あたしが頼んだのを男子が皆でかばってくれたって事実は無視出来ない。やっぱりあたしが悪いのかなあ。

 すっかりしゅんとなってしまったあたしを、今度は伊豆君が「思い出して下さいましたか」とぼそっと言って、あたしはますます恥じ入ってしまった。そうよねえ、あたしも悪いのよねえ。でも、オカマって漫画とかではともかく、現実世界では生理的に受け付けないのよ。
 そうこうするうちに駐車場から車が出て行く音がして、あたしの微かな希望も消えてしまった。あたしは小戸君の責任をとらなきゃいけないの? あまりにも恐ろしい響きに、それが具体的にどういう意味を持つのか全然考えも出来ない。あたしに出来る事は、この場にフリーズして小戸君が泣き止むのを待つだけ。足は動かない。金縛り。
 でも、そんな刹那は長くなかった。最悪の時は江田君の「川中さんは帰ったぞ」という言葉をきっかけに始まった。


変貌編<主人公視点>

 車は3分で合宿所の駐車場に入った。3分と云うのは意外に長い。
 人間と云うのは、抵抗の余地のあるうちは抵抗しか考えないが、その余地が無くなると、始めて現状を分析しいかに快適なものに変えるかを考え始めるそうだ。行き着く所まで行ってしまった僕に失うものはない。もちろん川中さんというトラブルメーカーがいる以上、この先どんな展開が待っているかは分からないが、少なくとも今より倒錯した格好は無いだろう。つまり、これ以上の女装を恐れる必要はない。そこまで思いついて、そういえば、さっき『女装なんか怖くない』と念じたばかりだったのを思い出した。そうなんだ、妙な予感を恐れる事はないではないか? 

 一瞬前まで、自分の中に女を感じてしまいそうな、更にはこのままずるずると女になってしまっても構わない気がする…消極的女性化願望とでも言うのだろうか…ような、そんな妙な不安を僕は感じていた。今にして思えばなんと馬鹿だったんだろう。僕は確かに女装し、女装し続けている事を意識している。でも、継続的な意識の方は窮屈な体感から来ている。その窮屈さは、試合直後にウエストニッパーとかパッド類で締め付けられた時より今の方がマシだ。そして、窮屈な状態を延々7時間以上も体験したせいで、体は概ね慣れてしまって声すら普通に戻りかけている。体に訴えないものだから、もはや女装を意識する事よりも、川中さんの事や真美・潔美両先輩の事、さっきメールをくれた女の子の事、文化祭の準備で放課後が潰れてしまいそうな不安、そんな事を考えている時間の方が遥かに長い。ショーツやパンストだって、締め付け感はあっても、別に痛みを感じている訳ではないから、特殊なウエアーぐらいの感覚だ。そこに『僕は女だ』と感じさせる束縛感はほとんどない。もっともこの感想を持てるのも今だからこそで、その分岐は紙一重の差だったのかも知れないが……。理由はともあれ、行き着く所まで言ってしまったのに、女性化願望を取りあえず持っていない。安堵。

 こうして、僕は車の中で平静を取り戻した。そうなると、これだけ酷い目に会ったんだから、その張本人3人に復讐したいと考えるのは自然な人情だ。復讐とは楽しみでもある。人間とはどんなに苦境になっても、反撃という楽しみを見いだした瞬間は希望に燃えて頭がフル回転し行動力が倍加するらしい。今の僕がそれだ。反撃の内容を考えるに、最低限、3人を驚かし、なかんずく川中さんには、その嘘を暴いて合宿所から出て行ってもらう。これだけは外せない。
 だいたい、部外者の彼女がいるから話が変な方向に流れるのだ。彼女は決して悪人ではないし、真子先輩との関係を見ると善人とすら思える。でも、世の中のトラブルの大多数は、悪意の無い行動が起こすのだ。僕に対する仕打ちだって、真子先輩を喜ばせようという動機が根底にある。ただただ、その善意に自己満足して関係者全員への配慮を忘れてしまうから、僕みたいな被害者が出て来る。だから、善悪関係無しに川中さんは絶対に排除しなければならない。出来たら彼女のトラブルメーカーぶりを真子先輩に知らしめる形で。

 車が止まり、川中さんの「先に一人で行ってね」という言葉に促されてドアを開けた。ここは要注意。反撃に気を取られて足下をすくわれては話にならない。靴の事だ。川中さんに僕の靴を取られたら後が面倒に決まっている。
 靴を持って行くべく、それを入れる袋が欲しいので車内をチラっと見回すと、川中さんは目敏く見咎めて
「靴、持ってってあげるから、先に行きなさい」と言って来た。ここは引けない。
「自分のものぐらい自分で持って行きます」
「無理しなくていいのに……」
 川中さんはそう言いかけた後に、気が変わったのか
「……あ、それなら、これ使っていいよ」
 と言って紙袋を手渡して来た。態度の豹変は要注意だ。裏があると警戒しながら紙袋を見ると、海外旅行の土産が入っていたと思しきおしゃれな奴だ。なるほど考えたな。確かにハンドバッグの代わりの装飾品にはなる。でもこのくらいなら全然妥協の範囲だ。

 ちょっと安心しつつ紙袋を受け取ると、中に何やら入っている。嫌な予感とともに「中に何か入ってますよ」尋ねると、
「あ、それ君に上げる積もりで持って来たから」
 と重大な事を平然と言ってきた。見なくても分かる、女物の服に決まっている。それでも「はっ?」と素っ頓狂な声が出てしまうのを止める事は出来ない。川中さんは今までのパターン通りに、
「中、見たら?」
 とニヤニヤし始め、その言葉に応じて中身を見ると、薄い色のひらひらした布地…ワンピースなのかスカートなのかブラウスなのか上下セットなのか分からない…と、パンストらしきものと、その下に2〜3枚服が見える。呆れて一瞬何も言えなくなった僕に川中さんは追い打ちをかけた。
「今着ている奴も、せーんぶ『小戸君のもの』だからね」
 反射的に僕がジト目で川中さんを見ると、
「あ、かわいい」
 逆効果だ。
「僕はこんなもの着ません」
「だって、今日は着るって約束でしょ?」
 いつの間にが『僕』が約束した事になってしまっている。反論しようと思ったが、反論する毎にどんどん深みにはまる事はさっきまでの経験で十分に知っている。下手すると今日以外にも着させられそうだ。でなきゃ『僕のもの』という表現は有り得ない。
 ここは戦略的撤退だ。
「もういいです!」
 そう言って、さっさと紙袋に靴を入れて車を出た。僕のそういう動きの間も、彼女は「あ、持ってく所をみると、やっぱり欲しいんだあ」と言っている。やってられない。

 ……でも、よく考えたら、これって、女装したいと密かに思っている奴には最高のプレゼントではないだろうか? 呆れた一瞬後には、とんでもない真理に気付いてしまった。女物の服を一時的に着るだけでなく、それを所有物として持ち続けるというのは、女装の恒久化、ひいては女性化の始まりを意味している。その手の人間にとっては憧れの瞬間の一つだろう。とすれば、川中さんは、その手の人にとって最高の『強制者』だ。
 そう気付くと、川中さんの術中にはまって、女性化への階段を今も登っているような不安が復活し、同時に、そんな事に気付いてしまうような自分自身にも不安を感じた。気付くという事は興味を持っていると云う事だからだ。そう、理科の先生が教えてくれた。
 男なら誰しも『女』という異世界に興味がある。その『女』を知る糸口として、女性しか着てはいけない服・女性の体型に合わせて作られた服というのは、新品であっても男の好奇心の対象だ。これを好奇心のままに追究すると女装の世界に繋がる。いわゆる性欲としての女装だ。でも、そこまで好奇心を本能のままに野放しにする事は、社会的にはタブーになっている。というのも、本能を野放しにしたら世の中が性犯罪のオンパレードになってしまうからだ。それは性欲による女装も例外ではない。好奇心と本能の赴くままに女装を試すような男は性犯罪を起こし易いと…それが事実であるかどうかは別として…世の中は思っている。だから、女装に興味を持っているという事を女性に知られるのは『エッチ』という意味で恥ずかしい事なのだ。

 でも、僕の不安はそんなものではない。川中さんの事を『最高の強制者』などと気付いてしまったときに思い浮かんでいたのは、性欲による女装ではなく男の否定としての女装だ。同じ女装でも方向性が全然違う。前者は行動に起こさない限り男としてノーマルだが、後者は思った段階でアブノーマルだ。そして、そういう危険な方向に僕の関心があったからこそ、川中さんが『理想の強制者』かもしれないと気付いたのかも知れないのだ。この構図は不安をかき立てる。興味が他人事なら良いが、そうと果たして言い切れるのか? 僕は心の奥底に、男の否定としての女装を『強制的にさせられる』状況を思い浮かんではいなかったか? 100%シロという自信は全く無い。だからこそ、何度『女装なんか怖くない』と否定しても、内面への怖さとして何度も不安が復活する。
 そんな事をぐるぐると考えながら、僕は車のドアを閉めて歩き出した。考えながらだから動きは遅い。そんな様子を見た川中さんは、僕がぐずっているとでも思ったのだろうか、車を降りて
「なにぐずぐずしてるの?」
 と言って来た。その言葉が僕を通常の世界に戻した。さもなくば、変な世界に洗脳されていたのかも知れないのだ! ありがとう、川中さん。最後に貴女は僕を救ってくれました。悩んじゃいけないんですね。

 先に歩き出した僕はようやく川中さんの目から自由になった。僕は反撃に徹しなければならない! その為には応援が欲しい。自分自身の男に自信が持てなくなった今、僕ひとりだけで川中さんに対抗するのは危険過ぎる。そして、その連絡のメールをするなら今がチャンスだ。手短に、
「川中さんを追い出したい」と江田に出す。
「考えとく」
 という返事を読んで目を上げると、横から暗闇の散策道が伸びているのが見える。アイデアが閃いたのはこの時だった。本来ならここで肝試しをして女子と仲良くなるきっかけにするのになあ、と思った次の瞬間、恐怖というキーワードが浮かんだのだ。そうだ、真子先輩や川中さんが僕の女装に恐怖を持てば良い。その為には……女装を武器として利用すれは良い!
 僕の持つ女装のイメージは、恥ずかしいものとか笑いものという受動的・ネガティブなイメージが強い。でも、元々は、女装とはスパイや脱走などの手段じゃなかったのか。人を喜ばすためのパフォーマンスじゃなかったのか。さっき会議室でそう力説していた伊豆の声が頭に甦った。騙せ! 笑え! そして闘え!!

 闘いの常套は敵の弱い所を奇襲で突く事、となればターゲットは真子先輩だ。彼女は少なくとも現実世界では古典的男女感を持つ人だろう。それは男子に対して潔癖過ぎる性癖から感ずるし、女装の経緯からも感ずる。女装を強要したのは確かに真子先輩だが、そっちの趣味が原因ではなく、川中さんに言われたのが原因に違いない。昨日、もともとズボンを没収する案だったのが夜になって急遽女装となったが、その段階では既に服のアレンジが決まっていた。服の提供は川中さん。という事は、女装を提案したのも川中さんだ。追って、すね毛を剃った時の経緯は、写真を見て僕の女装が余りに似合っていたと、川中さんがさっきべらべら喋っていた。彼女が真子先輩に指示を出したに違いない。ショーツやパンストだって、下着を持って来たのは川中さんだ。
 要するに今日の女装は川中さんの趣味が原因であって、真子先輩の趣味ではない。川中さんに会って、それは確信に変わった。という事は、僕がこの格好で真子先輩…男との付き合いが苦手…に迫ったらどうなるか? 女装男だけが例外とは思えない。むしろ効果が倍加するのではないだろうか。女性専用者に入る女装男を女性客は痴漢としてしか見ない。それと同じ原理だ。万が一、真子先輩に変な趣味があっても、シェークスピアの練習という事で誤摩化せる。そもそも男子女子総勢10以上の観客の前で、変な行為や発言を潔癖性の真子先輩がする筈がない! ターゲットは決まった。方針も決まった。急に女装という演技が楽しみになってくる。

 そういう気分と戦闘開始という高揚感で合宿所のロビーに入ると、男女入り乱れてにぎやかに騒いでいた。皆こちらを見るが何故か声を掛けて来ない。一瞬、シカトされているのかと疑ったが、川中さんの『驚かす』という言葉を思い出して、女装のお色直しが成功した事を確信した。こうなると更に嬉しい…そう完璧な女装と云うのは楽しいものだ! サービスで皆に微笑みかけながら、ゆっくりと優雅に奥に進む。ロビーに入る直前に江田にもう一度メールしたのが既に伊豆にも伝わっているらしく、僕の動きと平行して伊豆が奥の食堂に向かい、そこにいる宇津木と阿部の近くに座った。男子にだけ僕であるという情報が伝播していく。皆を騙した達成感…これは快感だ! そして、この先には本当の演技勝負…緊張と云う高揚…が待っている。もちろん、それはどん底との紙一重の掛けだ。実際、その危険性を数秒後に感じた。

 まだ女子に秘密が漏れないうちに、後ろから川中さんが現れ、それから数秒して女子に一斉に変化が現れたのだ。期待と違って、驚きに続いて明らかに気味悪がっている。2年の女子なんかどうでも良いけど、1年の女子に引かれるのはちょっと悲しい。そうなのだ、下手をすると僕に話しかけてくれる友達は誰もいなくなってしまうのだ。
 これは演技なのだ、演技は確かに成功しているのだと自分自身を奮い立たせて、真子先輩を捜した。他の女子ですら引いているのだ、真子先輩に迫ったら成功は間違いない…その筈だ! あとは真子先輩にショタ趣味が無い事を祈るだけ。真子先輩を見定めるや、急いで…小股を守りながらも…近づいた。嬉々とした表情は男女に違いは無いからカモフラージュの必要すらないが、女の子の早歩きってのだけはムツカシイ。

 江田達の助けもあって演技は見事に成功した。真子先輩には女装の怖さを思い知らせたし、なによりも川中さんを皆で追い出した。顔を下に向けていたので会話しか聞こえなかったが、その分、一年女子の陰口が良く聞こえ、川中さんが皆から嫌われていた事は分かった。車の音が遠くなり、潮時かなという頃合いに江田達が声を掛けてきた。
「川中さんは帰ったぞ」
「おい、小戸、いつまでそうしているつもりか」
「本当にそっちに目覚めたんなら、それでもいいけどよー」
 それに応じてゆっくりと顔を上げて本音を言う。皆が楽しい時を過ごしている間に、僕は多くの葛藤と悪魔の囁きを相手に闘って来た。だから、愚痴の一つぐらい言っても良いだろう。
「こっちの気も知らないで」
 もちろん、もはや演技の必要はない。野郎口調で構わない。
 態度の変化に驚いたのか、真子先輩が「今までの、全部、嘘?」と予想通りに聞いて来たので、わざと気の無い声で答える。
「演技と云って欲しいなあ、皆さんのリクエストに応えてやったつもりだけどー」
 唖然とした真子先輩の表情が、急速に怒りを加えていくのが良く分かる。ここは先手で、と思った矢先に江田が
「川中さんの嘘よりはよほどマシでしょう……」
 と援護してくれて、ついでに僕に「……おい、どんな目に会ったか説明してやれよ」と話を回してくれた。有り難い。ここは正直に車の中の出来事を説明すれば十分だ。誇張も何も要らない。だが、その話を始める前に、潔美先輩がタイミング良く「それより、食事しなくちゃ」と言って修羅場は終わった。

 食事では僕の独演会だった。これだけ苦労したんだから注目を浴びても当然だろう。一時は引いていた一年女子も真っすぐに僕を見て話を聞いてくれる。食堂のスタッフもこっそり遠くから聞いているようだ。話が終わった頃には、真子先輩の様子も一変して恥じ入っているようだったので、
「真子先輩、まあ、でも良い経験だったし、こうして皆と仲良くなれたんだから、僕は先輩に感謝してますよ」
 と慰めておいた。全ては笑い話だ。もっとも、一年女子が真子先輩に冷たい視線を向けるのだけは止められなかったが。


悟り編(エピローグ)<主人公視点>

 今は食後の夕涼みとしゃれ込んでいる。もちろん男女の親睦が目的だが、僕は何故かセーラー服を着ている。今朝、江田が破壊的女装を見せた奴だ。下はもちろんルーズソックスで、ショーツは履いたまま、カツラも着用したまま。ちなみに女子は半数がジーンズだ。

 夕食の時に川中さんとの詳しい経緯を説明して皆の同情を買ったまでは良いのだが、その時、うっかり女装をあと2回し直す下りまで喋ってしまったのだ。演技の間こそ、女子連はこぞって引いていたけど……もしかすると川中さんみたいな趣味の人もいるかも知れないけど、女の子って少数派と自覚しているうちは本心を言わないものだ……演技と分かってしまうと、引いた同じ連中がもう一度楽しみたいと言って来て、なんだかんだいっても一年女子のお願いを無下に出来ない僕は再女装…というよりコスプレ…をさせられる羽目になってしまったのだ。理由はそれだけじゃない。真子先輩を始めとして女子を震撼させた演技のせいで、シェークスピアを断るに断れなくなり、その練習ということで男子からも強要されてしまった。

 でも、何よりも決定的だったのは、僕がコスプレ案に軽く乗ってしまった事だろう。3時間前までの僕には考えられない。心境の変化の元を正せば、皆の為に女装を厭わないけど、でも女装趣味者ではない、という自信がついた事にある。その自信を決定づけたのは、
「しょうがないなあ、その代わり、日曜にデートしてよ」
 とまで言ってのけた(言ってしまった)事件…僕にとっては人生を左右する大事件だ。そんな経緯だから、一時間後の肝試し…一年女子の誰かと行く…には、たとい強制されなくとも、さっき川中さんがくれたヒラヒラの可愛い服に積極的に着替えなきゃならないだろうと思っている。それが喝采される事はあっても、変態と見られる事がないからだ。なんせ、トイレでの着替えに手伝った、メグとか言われている一年女子に至っては、向こう3ヶ月間ウエストニッパーで体型を変えろとまで言っているぐらいだから…これ冗談だよね? 

 他人の目の自分の性向を心配しなくて済むようになった今は、人には言えないが、実はコスプレを密かに楽しみ始めている。理由は服がそこにあるから。せっかく僕の為に用意された服が各種あるのだ。そういう色々な服の感触や似合い具合を確かめたくなるのは自然な好奇心だろう。今になって、女の子が色んな服を楽しみたがるのが分かった。男の服と違って女の服はバラエティが大きいのだ。着る事を想像するだけでも楽しいに決まっている…今の僕がそうだから。しかも、僕の場合、女子と違って、どの服も『禁断』の経験なのだ。僕にしか出来ない挑戦。そう、僕は禁断に挑戦する事を唯一認められた勇者とさえ言える。だから、これは女装趣味ではない…と思う。ただし自信はない。…っていうか、そんな事はどうでも良い事のようにすら思える。だって、僕だけの特権を生かさない手はないじゃないか。
 新しい経験への興奮に性差はないのに、男にだけは未だに女装の自由が無い。それが例外的に認められた僕は幸運者かも知れない。女装って素晴らしい。そう思うと、川中さんから押し付けられた服が宝物のように思えて来た。

 デートの方は、
「へー、誰とデートしたいの?」
 という冷やかしがあったが
「皆様のアイドルとしてはここで特定の名前をあげるのはまずいのでは」
 と答えて、あとは笑いの渦でうやむやになった。でも、僕が例のメールをくれた子に目をこっそり向けると、向うも見つめて来たから脈ありだろう。

 女装は僕に幸運をもたらしてくれた。


(終わり)

初出: web site 「秘密の小屋」(管理人:速沢知彦)、2009年9月

Home/Index

inserted by FC2 system