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ドーピング

by 夢喰

 ドーピングは常にスポーツ界を悩ませる問題だ。
 昔は問題なかった。勝てれば良いのだから。勝ったところでアマチュアである限り、金とは無関係だからだ。
 しかし、現代は違う。たとい賞金がなくとも「名誉」はがからむスポーツは「金」も動くし、名誉は金をも引き寄せる。メジャーレースに優勝した者は、その実績だけで、その後3年は参加するだけで大きな報酬がもらえる。ビッグネームは視聴率が稼げるからだ。
 そうなると、その昔設定された「才能と努力と精神的強さなどだけで人類のベストを決めるフェアな戦い」というが要求が、厳格に守られるようになる。視聴者が建前を本気にしてしまうからだ。その結果、建前を守れないレースは「メジャーレース」の座から転げ落ち、スポンサーもつかなくなる。2002年のソルトレーク五輪で大規模なドーピングが摘発された距離スキーなどは、テレビ放映権の大幅な値下がりで、その後1年以上にも渡ってワールドカップの開催自治体が大きな赤字を抱えるほどになった。

 ドーピング禁止の建前が生まれた元をたどると、事情はもっと複雑だ。
 その昔の冷戦時代、東側の選手には、国指導の元に男性ホルモンで筋肉作りをしているのではないか、という疑惑があった。それは今でも残る。だからこそロシアの国ぐるみドーピングに不思議さを感じなかったりするのだ。とはいえ、国レベルの介入を避難するのは冷戦時代には禁じ手だった。そこで登場したドーピング規制の理屈が「長い目で人体に悪影響を与える」という健康面からの配慮だ。
 西側の選手でも男性ホルモンの使用ケースはあり、その副作用として、女性が毛深くなったり男性的な体つきになったり(彼女らが「女装」すると、まさにムキムキ男の女装のように見えることもあった)するのは当然だが、実は男性にも男性機能不全などの副作用が出ていたのである。
 この種の長期的な「男性的」筋肉作りを目的とするドーピングの他にも、興奮剤のように試合前に使用する類いがある。身体機能の限界を超えて酷使させるので、当然これも体に悪影響を残す。規制の理由としては十分だ。
 しかしだからと言って、ドーピングのすべてが体に悪いかというと、それは限らない。スキージャンプではアルコールすらドーピングとして禁止される。適量であれば度胸がついて飛距離が伸びるからだ。ただし、その「適量」に個人差があり、それを超えると事故リスクが一気にあがる。だからこそ「公平」を期して一律禁止なのだ。
 健康問題という「建前上の規制理由」がかくも希薄である以上、ドーピング薬の需要は消えない。バレさえしなければ、僅かな健康リスクだけで生涯収入が大きくかわる可能性があるからだ。しかも新開発の直後は、検査の項目にない故に、バレるリスクがゼロに近い。だからこそ、この種の「新規開発」に対抗すべく「検体を一定期間保管して1、2年後の新しい検査リストに照らし合わせる」という対策が提案されているのだ。しかし、痴漢えん罪と同じく、ドーピングえん罪という厄介な事件が増え始めた現代、完全な検査は難しいだろう。そこに抜け道がある。
 その意味で、究極の長期ドーピング薬は、始めからドーピングリストに入りそうにない薬だ。たとえば、使用による身体的特徴の変化が、より華奢な方向に向かえば、たとい筋肉の質が圧倒的に上がるような薬でも、女性ホルモン同様に、はじめから登録されないだろう。特に、骨格までも女性的に変化させることができれば、間違ってもドーピングとは思われない。となれば、「骨を削り」「肉を削って」、筋肉の効率を一時的に高めるような薬は、むしろ盲点となろう。たとい多少の副作用があろうとも、それは医薬品・医薬代用品という厚労省的な意味で問題になろうとも、ドーピングというスポーツ的な意味では問題になりそうにないからだ。たとい長い目では男性機能を奪う事実上の去勢薬だとしてもだ。

 そんな夢のような薬なんて開発不可能だろう。そう、誰もが思っていた。我が社だってそうだ。というか我が社は、そんなグレーな薬は作らない全うな会社だ。その我が社が、そんなドーピング薬を開発してしまったのは偶然だった。
 我が社は色々な医薬品や医薬部外品を製造・販売しているが、その中でもウエートが高いのがダイエット薬と成人病予防薬だ。しかし、これら人気の高い分野は競争も激しく、利益率はそこまででもない。そこで開発を始めたのがメタボ対策薬だ。
 メタボ対策は中年太りの始まった男性が一度は考え、その配偶者が、口に出す出さないの差はあるにせと、本気で心配する、潜在需要の極めて高い分野だ。贅肉化した筋肉はエントロピー増大の法則に従って脂肪の塊と化し、成人病の元となるからだ。そのくせダイエットや運動等を試した99%が失敗して、最終的に諦める。
 そこで登場するのがダイエット薬だが、女性と違い男性はただ痩せればよいのではない。脂肪を筋肉に戻したいのだ。そんなの無理に決まっている、と誰もが思い、いつまでも開発されなかった。そこに我が社は注目したのだ。対象を男性に絞ることで、無差別に脂肪を減らす(それは女性の象徴からも脂肪を消して筋肉に変えることを意味するからダイエット薬としては禁忌だった)という発想と、脂肪のみに限らず「無駄な組織を全て筋肉に変える」という発想で開発を続けた結果、多くの偶然が重なって薬は完成した。
 効果は覿面だった。皮下脂肪はもちろんのこと、年齢相当に発達した内臓脂肪も筋肉と変わり、骨すらも一部が筋肉に変わったのだから。骨だって老人の例を見れば分かるように軽くなることがある。それが新陳代謝ってやつだ。具体的には消失する無駄な組織の容積の半分が筋肉となり、半分が、この「若返り新陳代謝」のエネルギーとして消失した。特にメタボ内蔵の圧力で肥大化していた肋骨の矮小化は速かった。肋骨が小さくなれば、肩だっていかり肩からなで肩になり、その分が筋肉に変わる。細マッチョの誕生である。

 そうして生まれた薬は、何らかの形で臨床実験しないと売り物にならない。しかも各種の規制をクリアーしないといけない。そこで思いついたのが、これをドーピング薬として裏で捌くことだった。というのも、薬の性質上、普通に発売したら、自転車やスケート、馬術など、軽量な体と良質の筋肉の組み合わせが最適となる競技を中心に、ドーピングリストに載ることは間違いないからだ。そして、普通のメタボ対策薬でなく、ドーピング薬として「臨床実験」させた場合、10倍以上の価格を設定出来そうだからだ。
 こうして、我が社は「メタボ対策薬」を「筋肉の質、特に持久力をを高める」「まだドーピングリストに載っていない」薬として水面下で流通させることを始めた。それは決して違法行為ではない。ドーピングという点においてのみグレーなだけだ。
 こうして流通を始めた薬は、ドーピングに頼ってしまいそうな心の弱い男子選手に究極の選択を与えたあたえた。その結果は我が社に取っては若干不十分だったといえよう。というのも、意志の弱さ故に、この「グレーゾーン」の薬に頼ってしまった選手は、確かに3年間だけの栄光を得た。しかし、その後はすっかり女子と見まごう輪郭となったことによる「性同一性障害」疑惑への恥ずかしさから、引退を余儀なくされる結末を与えたからだ。以下は、その被験者の体験談だ。


 私が大学1年のとき、とある会社から「筋肉の質、特に持久力をを高める」という薬の1年間モニターを提案された。会社の説明を鵜呑みにした私は、大学生1年夏休み直後(どんなに頑張っても無理だと夏休みで悟った)から使用しはじめて、部活の最下辺から1年でエースにのしあがり、念願の彼女も出来た。だから、2年目以降は、ちょっと高いと思いつつも購入することにしたのだ。それは私に輝かしい戦績を残した。
 ただ、気になったのが、使用1年半を過ぎたあたりから、次第にシャツと靴がブカブカになりはじめたことだ、そのくせ骨盤のサイズだけは変わらないので、サイズのあうズボンが見つからなくなってきた。そうして2年半、リクルートスーツを買う季節となったが、どんなに細めを選んでもブカブカすぎて面接で調子が出ない。極めつけは4年の後半、ズボンの裾が広がって踏みつけそうなりはじめたのだ。面接で悪印象を与えないことを望むしかない状態だった。
 とはいえ、就職自体は部活のエースという経験のお陰で、なんとか第3志望(本音)に滑り込めたが、そもそもエースというだけで、人を統率する能力があった訳ではないから(だから部長にもキャプテンにもなれなかった)、仕事は縁の下系の内容が多く、同期に比べて外部の人に会う機会も少なかった。まあ、私のようにスーツが体型的に似合っていない社員を表に出すのはためらわれるだろうし、持久系スポーツの能力から我慢強いと思われたのだろう。
 会社に入っても私はスポーツを続けた。頻度こそ週4回に減ったが、年齢的にまだまだ伸びる時期だからだ。練習不足分は薬で補っているものの、量を増やしているのに効果が落ちていて、私はそれを練習不足の為だと単純に思っていた。
 そうして更に1年。体が華奢になっただけでなく、その代償のお陰で高まっていた筋肉の質は、入社以来停滞し、最後の数ヶ月は筋力が目に見えて落ち始めたのだ。だから才能に見切りをつけた私はスポーツを完全に趣程度にして、薬も減らした。
 その頃からだろうか、女子社員から変な質問を受けるようになった。どうやって内股にするのか、とか、腰の括れってどうやって作るのとか、レディースのズボンを持っていないのかとか。そんな質問を男にするのが解せない。いや、こういう質問を受けて、私は自分の体が単に華奢なだけでなく、女性的になっていることに気がついて愕然とし、その副次作用にショックを受けた。例えば飲み会。忘年会あたりから芸のリクエストでコスプレを要求されるようになった。女のコスプレだ。
 深刻なのが朝の満員電車だ。変な体験は増えているのだ。尻を触られ、そして直ぐに引っ込められるというものだ。痴漢が触ってみて、男の尻筋肉だと気付くパターンだと気付くまでに時間がかかったが、それに気付いてから自分の体を姿見で見ると、確かに女性的だ。おそらく骨と脂肪の比率は同じなのだろうけど、体のサイズが一回り大きい分(でも何故だか肋骨は女子のそれと変わらない)、尻と腿が張って見えてしまうのだ。それどころか、尻と太腿は、女子社員のそれより女性的だった。痴漢に対して不快感が急速に上がっただけでなく、恐怖を覚えるようにすらなった。同じ車両に乗りたくないと。
 体型変化はドーピング薬のせいに違いない。そう思った私は薬を完全に止めて、筋肉トレーニングに精を出し、プロテインを飲んだ。それでも転落は早かった。華奢な体つきのまま、筋肉がどんどん贅肉に変わり、女性的な弾力を持つようになったからだ。女性専用車をこの時ほど羨ましく思ったことはない。今の私なら、女装して香水をすれば女性専用車でもバレないだろう。でもそれはやっぱり犯罪だよなあ、
 入社して1年半。研修を終えた1年後輩の新入社員には「なぜあの人は男装が許されているの?」と陰口を叩かれたこともある。通勤時に尻を触られる頻度も遥かに増えてしまった。それだけではない。こっちが男と気付かないケースが急速に増えているのだ。以前思った女装という考えが頭をよぎる。
 女装は女子社員からも冗談半分に薦められたりしている。実際、完全なネタのつもりで言っているのだろうが、こっちとしては深刻に考える問題となってしまったのだ。
 だから、女装の練習を兼ねて、飲み会で覚えたコスプレに最近はまっている。コスプレ会場なら女装も公認だからだ。そして私の心の中では、会場だけでなく、自宅からの往復も女装を試してみたい挑戦心が芽生えている。


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