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天使の声に惑わされて

by 夢喰

天使の声に惑わされて:1

 俺は妻の浮気を知っている。
 子供は、あのナンパ野郎の仕込みだ。ボーカルのちょっと高めの声で女の子のキャーキャーされていた。だから女扱いに慣れていて、次々に他人の女を奪っては捨てていた。そしてなによりも俺が好きになった女がことごとく奴に靡いてしまうのだ。本人に悪気がないらしいのがタチが悪く「来る者は拒まず」とばかりに無節操に他人の関係を崩している。
 その血の入ったガキが俺の法律上の子供ってわけだ。妻は隠したつもりになって、これまた俺に寄生している。どうやら、俺と結婚したのは安定した高級取りの奥さんとして楽をしたいから。後から分かった事は、結婚前から身も心も奴に捧げていたってことと、新婚半年で妊娠した子供の種が奴だったってだ。晩婚だったのに子供が出来たって喜んだ俺はなんて馬鹿だろう。
 だがそれでも離婚はしない。というのも浮気探偵に調査させたところ、奴の血のつながった子供は僅かに2人、一人は女の子で別の犠牲者に育てられ、もう一人の男の子が俺の所ってのがわかったからだ。
 もちろん、俺だって自分の子供は欲しい。でもだ、妻の裏を知った今、この女と子供を作る気はしない。幸い、精子バンクに登録しているし、それが利用されたという裏情報も得ている。しかも晩婚の俺は、今から新しく結婚相手を捜す気にはならない。妻は単なる娼婦と看做して、専業主婦として縛り付ける。そして55歳ぐらいで不倫を理由に離婚するのだ。そうなれば慰謝料は例え払う事になっても雀の涙で済むはずだ。
 そして、この復讐計画を飾るのは、法的に俺の名義の奴の子供。素晴らしい歌手になってもらうぜ。


 ぼくは歌がうまいらしい。らしいというのは、お母さんがよく連れて行ってくれるスタジオの小父さんが
「さすが翔太だ」
と褒めてくれるから。まだ小学校に上がる前の話だ。
 小父さんはハンサムで、楽器が上手で、歌も上手い。いや、子供のぼくに歌の上手下手は分からないのだけれど、お母さんがピアノを弾きながらうっとりして聞いているので、きっと上手いのだろう。お母さんだって歌は下手じゃないから、時々2人でデュエットしている。デュエットの時は、ぼくがお母さんに教えられた和音をピアノで拍子のように叩くのがぼくの「仕事」だ。
 そんなことが何度もあると、ぼくだって小父さんとお母さんが歌う曲も口ずさめるようなる。その様子を見た小父さんが、お母さんの代わりにぼくに歌うように言って、覚えたままに歌ったら褒められた。たしか6歳になったばかりのことだったと思う。
 こうしてぼくはピアノの和音を弾く事と歌う事の楽しみを覚え始めた。ぼくの家にも不完全ながら防音の施している応接室があって、そこにピアノ型キーボードが置いてあるから、ときどきピアノで和音を弾くようにもなった。

 そんなぼくが小学校に上がると、音楽の授業がはじまった。始めは喜んだけど、数回で興味を失った。小父さんとお母さんの歌や楽器を聞き慣れていたぼくに、小学1年の音楽は歌もハーモニカも全然つまらなかったから。そのためか、ぼくの音楽の成績は他の科目より少し下だった。投げやりな感じで授業を受けている自覚のあるぼくには、その評価は当たり前な気がしたけど、お母さんは、担任が音楽が分かっていない憤慨した。なんでも、小父さんが褒める「音程のよさ」とか「高音の天上的さえずり」というのを、先生が評価対象にしていないのがおかしいとのことだった。もっとも、その意味はぼくにも分からなかったし、成績もどうでもよかったのだけど。音楽の成績への親の不満は2年だったか3年だったかに縦笛が加わった時も同じだった。ぼくは縦笛みたいなつまらないものよりピアノやバイオリンを弾く練習の方が楽しかった。
 小学校2年になるころには、ぼくは歌の中でも高音を好むようになっていた。というのも小父さんはもちろんのこと、メゾソプラノのお母さんでも出せない音が楽々と出せたので、誇らしく思えたから。とりわけ、小父さんの声の上にハーモニーを乗せるのが楽しかった。小父さんの声は音程が安定していて歌いやすかった。そのそんな贅沢な環境だったから、ぼくもいつしか自分の高音に自信を持つようになった。もっとも、それだけだったなら、高音をもっと極めようという野望は持たなかっただろう。
 それはぼくが8歳になったときのことだった。ぼくの誕生日に、お父さんがお母さんの伴奏でぼくに何か歌うように所望したのだ。「誕生日の無礼講だからこそできるんだぞ」と言われたものの、ぼくには気恥ずかしくて尻込みした。お母さんだって、びっくりしていたからぼくの尻込みはおかしくない。でもお母さんは、すぐに嬉しそうな表情になって、ぼくが普段スタジオで歌っている曲をキーボードで弾き始めたんだ。しかもお母さんのパートを歌い始める。こうなると、ぼくだってお母さんつられて歌い始めるのは当然で、直ぐに恥ずかしさも何も消えて、気がついたときには、目の前にお父さんとお母さんのとっても満足そうな顔があった。
 この日以来、ぼくは家の応接室をおおっぴらに使えるようになった。そればかりか、お父さんから「日本一を、世界一のボーイソプラノを目指せ」とはっぱをかけられた。男の子でなければ出せない音というのがあって、それは世界の超一流のソプラノ歌手でも出せないのだそうだ。だからこそウイーン少年合唱団は男の子ばかりで女の子はいない。
 ボーイソプラノとは男だけの特権。それはぼくの男の子としての自尊心を満たすのに十分だった。クラスメートには音楽を女の子の趣味みたいに思っている精神年齢の低い奴もいたけど、ぼくは小父さんが格好いいのを知っているし、テレビで出る歌手も男女半々であることを知っている。でなきゃ紅白歌合戦はありえないし、オペラだってできない。そればかりか有名な作曲家も指揮者もみんな男だ。ぼくはスポーツは人よりちょっとどんくさいけど、歌は人に負けない。
 声変わりまであと4-6年。それだけの時間があれば世界のトップも夢でないお父さんはいう。お父さんのいう事だけでは信用できないので、スタジオの小父さんにも話を聞いたら、お父さん以上に乗り気だった。あとでお父さんのことをお母さんに「あいつには悪い事をしたなあ」と小声で、でもなぜだか嬉しそうに言っていたので、もしかするとぼくはお父さんの音楽知識をもっと信頼すればよかったのかもしれない。
 音楽に関してお父さんへの信頼が強くなった理由は他にもあった。とっても物識りだったのだ。なぜ男の子の声が美しいのか、なぜ女の人が男の人より音が高いのか。それを喉仏とかいう訳のわからないものでなく、骨格の大きさと厚み、骨の太さで説明してくれたのだ。鳥の骨を使って説明したり、実際にプラスチックで肋骨のモデルを男、女、子供と作って音の高さを示してくれた。こんな模型なんて、作るにしても買うにしても大変なことで、お陰で確かに声の出し方を知るのにはとっても良かったものの、ちょっとしたプレッシャーも感じてしまった。

 こうして、ぼくは9歳になる頃までには、どんな骨格が澄んだ高い音を作るのか理解出来るようになった。それは、首や背中など脊髄が細い割に丈夫で、しかも肋骨の膨らみが平べったい骨格だ。それが天使の声を出す条件だと知った。
「他の人はこんな原理まで知らないぞ、そのぶん翔太が世界一に近くなったな」
とお父さんに言われて僕はすっかり嬉しくなった。だって生来の歌のうまさだけでなく、努力もまた世界一だと褒められた気がしたからだ。そういう解説には、お母さんも
「なるほどねえ、たしかにそうだわ」
と相槌を打ってくれたけど、なぜか小父さんだけは
「子供にそこまで教える必要はあるのかな」
と首を傾げていた。きっと小父さんはお父さんに嫉妬しているんだ。そりゃ歌も楽器も小父さんが凄いから、なんでも一番でありたいと思うかもしれないけど、でも知識だけはお父さんが上だなと思うようになった。
 小父さん達のプライドはともかく、模型とかで得た知識から、ぼくは
「食べ過ぎて骨が太くなってはいけない」
と思うようになっていた。そもそも、いま細くても、大人になったら大きくなる全然問題じゃない。
 ダイエットはお父さんは大賛成でお母さんは何もいわず小父さんは反対だったけど、それが世界一への道なんだと、ダイエットの努力を格好よいものだと思うようになっていった。運動の代わりに細さを自慢できるという考えに、体育の得意でないぼくを虜にした。そんな僕は
「腕を使いすぎると肋骨が太く大きくなる」
というお父さんの言葉に嬉しくて、積極的に無理な運動も避けた。幸い、ボール運動とかでも同級生の期待も少なかったので、重いボールを投げる機会もあまりなかった。

 そんな具合で、ぼくと小父さんの意思疎通が少しずつずれてきたものの、それでもぼくが小父さんから疎くなる筈はない。だって色々な歌を教えてくれるんだもの。そして確かに歌とピアノの実技指導は抜群で、担任の先生とは比べ物にならないことが、ぼくみたいなヒヨッコでも分かるのだから。
 小父さんが歌う曲には恋歌というのも少しあった。お母さんに歌う曲に至ってはほとんどが恋歌だった。小学校3年ともなると、学校で男女が別れて行動し始めるから、その分、気になる女の子というのも出て来るわけで、そうなると恋歌も少しずつ分かって来る。そして、意味が分かりだしたことを小父さんやお母さんは感じたらしく、歌への感情の篭め方を教えてくれるようになった。
 ところで、恋歌って、男視点はほとんどなくて、大抵が女視点だから、お母さんが歌う恋歌はもちろんのこと、小父さんが歌う恋歌にすら女視点がすこしある。ましてやぼくはソプラノ。しかも子供のやや弱々しい声。だから、女の子の、特に若い高校生ぐらいの女の子の恋歌が、小父さんやお母さんから与えられた。そして、そういう歌は女の子の気持になって歌わなければならないらしい。それは小父さんとお母さんだけでなく、お父さんも同じことを言っていた。でも、そんなの分かる訳ないし、そもそも、本当の意味での恋の感情なんてぼくには早過ぎるから、結局のところは、小父さんやお母さんの指導の通りに緩急強弱をつけるだけだ。それでも自分で何となく恋する女の子の気持を表現できたような気がするのは、歌の力なんだろうとおもう。恋歌ってすごいものだ。

 そんな日々を過ごしているうちに9歳の誕生日になった。なんと、この日、お父さんが小さな喫茶店を借りてくれて、そこで僕の発表会があったんだ。ワオー。
 お父さんとお母さんの話では、ぼくが少なくとも街一番のボーイソプラノであることを知らしめる為のデビューだとのことで、小父さんも全面的にバックアップしてくれるみたいだった。伴奏は小父さんとその音楽仲間。バックの合唱もやってくれた。
 こういう企画があると2ヶ月前から教えられていたぼくは、沢山の曲を練習していた。その中にはお父さんが薦めてくれた歌もあった。お父さんのお勧めは、どれも女の人の恋歌で、お父さんに言わせると
「それを天使のような男の子が歌うから、恋の美しさが昇華されるんだよ、下手に女の人が歌うとドロドロするんだ」
とのことで、ドロドロの意味は分からないけど、お父さんの言い分をお母さんと小父さんに伝えたら
「たしかにそうだねえ」
と感心していたから、やっぱりお父さんは正しいんだろう。
 発表会に誰が来るかは当日までのお楽しみだそうで、ワクワクしながら学校から帰ったぼくは、さっそくこの日の為の新しい服に着替えて、お母さんの車で喫茶店に出掛けた。なんとウイーン少年合唱団の制服と同じデザインの服なんだ。セーラー服のデザインなのがちょっと恥ずかしいけど、女子中学生が着ている紺色ではないし、下はちゃんと半ズボンだし、なんたって今日は歌の発表会だから、嬉しい気持の方が大きい。
 でも、その気持は喫茶店に入ってちょっと水をかけられた。だってクラスメートの女子が数人来ていたから。音楽の先生と担任も来ていて、先生や女の子から
「意外と似合っているわよ」
と言われると、なんだか恥ずかしい。
 だって女の子が「似合っている」という言葉を発する相手は大抵は女の子で、男の子ではないからだ。よしんば褒める事があっても「格好いい」という言葉が加わる。でもセーラー服は世界的にはともかく、日本では格好いいどころか、女の子っぽい。だから、なんだかぼくを「女っぽい」のが「似合っている」と言っているように気がする。
 気を取り直して歌い始めると、そこはさすがにサポートの楽器や合唱がしっかりしていて、さっきの気分を忘れて10曲近く歌いまくった。数曲で聴衆の多くは気に入ってくれたみたいで、いちばん怪訝そうな顔をする人の多かった恋歌も、最後は満足してもらえたみたいだった。もっともクラスメートのほうは同時に出されているケーキを食べるのに夢中だった気もするけれど。
 歌い終わると、皆が代わる代わるぼくの所にきて、誕生日のお祝いと、歌への感想という褒め言葉を残していってくれた。女の子の気持ちを表現していたという褒め言葉が、なんとなく恥ずかしい。本人は気楽にほめたつもりだけど、ぼくにとっては、喫茶店に着いた時の「準女の子扱い」へのもやもやとした気持ちを呼び起す発言ったからだ。そして、最後がクラスメートの
「ねえ、あんなに女の人の気持が歌えるなら、いっそのこと女の子の格好で歌えばよかったのに」
いう具体的な内容の発言は、ぼくの運命をも大きく変えた。

 恥ずかしさと嫌な予感で顔が熱くなるのを感じつつも、
「え、なに言ってんの」
としどろもどろに文句をいったぼくに、なんと、お父さんが
「あ、なるほど、それも修行に良いかもな。度胸もつくだろうし」
と乗って来たからだ。
 大人になって知った事の一つに、男の子の女装の最大のネックが父親の反対だというのがあるらしい。そして、それをこのとき一気にクリアーしてしまったんだ。とうぜん、お父さんの発言に続いて、同級生などから次々に同じような意見が出てくる。母親すら表立って反対せず、ぼくにこっそり
「あんたの顔立ちの良さを褒めて下さっているのよ」
と耳打ちするぐらいだ。両親の賛成、音楽への修行と言う意味、ぼくが男物とはいえセーラー服を着ている事実。それらが合わさって、担任と音楽の先生にすら
「コスプレで歌うのは良い練習になるから、学芸会でもやってみる?」
と言われてしまった。
 ぼくは男だ。女装なんてありえない。考えただけで恥ずかしくて顔が火照る。


 【クラスの女の子視点】
 今日は翔太君の誕生日ということで喫茶店貸し切りでケーキとか食べるらしい。音楽の先生(3年生から音楽は担任でなく音楽の先生になる)が教えてくれた。ただ、その代わりに翔太君の歌を聴かなくちゃならないみたいで、それでエレクトローンを習っている私達に声がかかったんだ。エレクトローンの同じクラスの子の下手な音楽を聞き慣れているだろうからだそうだ。
 翔太君は勉強も運動も普通の男の子で、歌はすくなくとも音痴ではないけど、元気に大声を張り上げるタイプではないので余り目立たない。楽器だってハーモニカも縦笛もうまい訳じゃないから、確かに歌は始めから期待できない。行く前から、どれだけ酷い自己満足に付き合わされるかと辟易したけど、でもケーキを食べられて、私だけでなく数人に声がかかっていて、しかも音楽の先生の心証が良くなるんだよね。それに、翔太君は顔立ちが奇麗で、男っぽいハンサムさというよりビジュアル系のハンサムって感じで、毛嫌いするような相手でもない。だから皆で行ってあげることにした。
 喫茶店につくと色々準備している。ライブって奴だ。翔太君の歌はどうでもよいけど、こっちは興味がある。そう思っていたら、直ぐに翔太君もやってきた。それもびっくりするような格好で。
 セーラー服だよ。始め、足の方が見えなかったから半ズボンとは気付かず、思わず
「女の子の格好、キモ、、、、くないかも」
って思ってしまったんだ。いや本当に引きかけたんだって。でも、ちょっとおどおどしているし、親に連れられているし、どちらかというとドナドナさんで、顔だって整っているから、意外とキモくない。そりゃ普段から女装してたらキモいけど、今日は翔太君の歌の発表会。つまりコスプレ。なら全然いいじゃん。
 そんな風に心の中で折り合いをつけていたら、なんでもこれは外国の少年合唱団の制服を真似たものだって。そういえばセーラー服って水兵服だよね。日本だけが女の子の服になっちゃったけど、もともとは男の服なんだ。なら今日にはぴったりの格好かもしてない。でも、逆にこの気合いの入り方が引いてしまう。モンスター親って奴? この誕生パーティーの行方がちょっと不安だな。そんなこと思いながら翔太君をみてると、まあいいかって気になって来る。素材がよいからだろうな。セーラー服の真ん中にリボンを付けてみたくなってしまった。
 そうして翔太君の歌が始まったのだけど、びっくりしちゃった。だってあんなに高い音を、そう、まるで大人の女の人のような音で、それでいてピアノッシモで可憐に歌うのだもの。親がセーラー服を着せたがるのわかるわあ。うんうん、日本じゃちょっと女の子っぽい服だからね。上だけみたら、ついつい翔太君が女の子じゃないか、って思ったほどの歌声じゃあ、やっぱりセーラー服しかないよねえ。しかも、あの整った顔つきは、女の子にすると美少女になりそうだし。
 でも何か足りない。女心の歌を女声で歌っているのが子供なんだ、大人の歌手と違って女の子が歌わないと合わないよ。しかも可憐な女の子。そう思い始めると、ズボンはもちろんのこと、セーラー服でも似合わない。ここはやっぱり可愛い水色ワンピースだよなあ。髪の毛も耳が隠れる程度に伸ばして、女の子風にカットして。
 隣の子に話したら、同感だって。だから、発表会が終わる頃には私達クラスメートで、しょーたんにどんな服を着せたら似合うかなって話の花を咲かせちゃったよ。翔太君じゃなくて「しょーたん」。そんな風にでも呼ばないとあの歌と容姿にたいして冒涜だわ。


天使の声に惑わされて:2

 誕生日の終わった夜、布団のなかで色々考える。あれだけの反響を冷静に考えれば、ぼくにそれなりの歌手衣装を着せたくなるのだろうと理解できた。男子アイドルだって女の子が着てもおかしくないキラキラした服をきている人がいるんだ。そして、女心の恋歌を女の子の格好で歌うのは「演技」であって女装じゃない。しかも、そんな格好で歌ったら、お父さんや担任の先生は言っていたように、感情のこめ方が違ってくるのかもしれない。だから、無理やり着させられることがあっても、そこまで抵抗しなくてよいかも、とも思う。
 でも、そういうことに興味があると皆に誤解されるのはいやだ。ぼくは男の子で女の子ではないのだから。不幸な事に、体育が苦手で、体も細めだ。そんなぼくが演技とはいえ女装したら、クラスの男子から「そういう趣味」と変態扱いされて、避けられたりいじめられたりしないだろうか? それが怖い。となれば、女装から逃げ回るのが無難だろうな。

 そんな風に心配していたけど、いつまでも親からは女装を言われる事はなかった。そういうものかもしれないな。結局、誕生日の女装云々は、ぼくの歌が女の子の共感を呼んだからだろうと思う。なんだか嬉しい。
 でも、こうなると、女装歌唱でどう変わるのか試すチャンスを失ってしまった気がして、ちょっと残念な気がした。次の機会があったら、もうちょっと「プロ演技」への興味を見せてもよいかも知れないかも。
 もっとも、女装の代わりに新しく始まったトレーニングがある。胸の回り、正確にはあばら骨の回りに、スポ根漫画で出て来るようなギブスみたいなのを付けて歌う訓練だ。正確にはギプスではなく、2年前に使っていた上着のシャツを板で補強して、ボタンの代わりにマジックテープを付けてその上からベルトでとめただけだけど。作ってくれたお父さんは、なんでも訓練用コルセットとか言うんだって。息も出来ないほどに窮屈で、板で押しつぶされるような圧迫感があるけど、こういう状況で声を出す事で、
「呼吸を無理に胸式にした状態での腹式呼吸の練習」
をするんだって。
 お母さんは
「へえ、面白いこと考えたわね」
と相槌を打っているので、お父さんのアイデアらしい。となれはスタジオの小父さんも知らないだろうな、と思ったら、案の定
「ようわからん、まあ無理するな」
とのことで別に反対もしていなかったから、きっと歌の訓練には良いのだろうと思う。

 実際、訓練用コルセットをして歌うのはとっても辛いけど、それを外した瞬間はとっても声が響くし、はめたままだと何だか高い声が出るような気がする。本当はそんな事はなかったらしくて、コルセットと関係無しに練習が増えたお陰で上手くなったらしいのだけど、特別なことをした時って、そのお陰で成果が上がったと錯覚するのが普通らしいんだ(大人になってから知ったことだけどね)。それで、ぼくはコルセットを役立つと思い込んでしまって、お父さんの言うままに少しずつコルセットを締める時間を長くしていった。小父さんやお母さんもぼくの歌の上達に、コルセットの効果があるのだろうと思い込んでいたから、ぼくだけの誤解じゃない。
 誤解でも何でも、ぼくの高音はますます澄んで、同時にコルセットで肋骨を締める時間が長くなった。そして、その理由として
「きっと肋骨が大きくなるのを防いだから良かったんだろうな」
とお父さんが説明してくれたのはとっても説得力があって、ぼくは次第に
「肋骨が小さいから大人でなく子供が天使の声を出せるんだろうな」
って確信するようになった。そういえば子供でも女の子や小さな子の方がより音が高いけど、やっぱり男の子より少し小さいからかも。でも女の子より男の子の方が響くからね。それでボーイソプラノが一番なんだ。

 家の方はこんな感じで、ぼくも満足していたんだけど、学校の方は話は別で、誕生日に来てた子から、翌日に「しょーたん」と呼ばれたにはびっくりした。いままで名字で呼んでいたのに、急に呼び名がかわったものだからきょとんとしていたら
「あ、ごめん」
と謝られて、あらためて名字で呼ばれた。でも、女の子同士ではぼくのことを「しょーたん」とか「しょったん」とか呼んでいるみたいで、なんだか居心地が悪い。
 そんなことがあって、1週間ぐらいしたとき、誕生日に来なかった女の子から
「先週、セーラー服で歌ったって本当?」
と尋ねられたのには面食らった。近くには誕生日に来た子もいるから、確認なのだろうと思うけど、その手の質問が出るなんて思ってなかったし、すでにほとぼりの醒めたあとだったのもあって、不意うちに近かったぼくは、まるで女装疑惑を持っているみたいで、おもわず恥ずかしくなって、そどろもどろに
「あ、いや、えっと、その、あれは合唱団の服で、ほら、外国の、そうそう、ウイーンってところので、それを誕生日の発表会でお母さんに着させられて」
と説明したけど、きっと顔が真っ赤だったよな。
 誕生日に来た子に助け舟を出して貰う様に目配せしたけど、それがまた逆効果みたいだったようで
「うん、まるで女の子だったわよ」
と言われて凹んでしまった。そのまま
「ふーん、だから『しょったん』なのね」
と納得されてしまって、彼女は次の話題に移り、とうとう弁解の機会すら与えられず。しかも、あとで思い直したら、「少年」合唱団と説明せず、単に合唱団って言っただけだから、女の子用の制服と思われたかもしれない。あーあ。
 幸い、人の噂は75日、9歳児の噂はその一週間というわけで、この日以外に恥ずかしい思いをすることはなく、いつしか、女装させられるとか、女装を思わせる噂が立つ心配はなくなったけど。

 こんな具合で、女装の方は問題なかったのだけど、(男の子用の)セーラー服とは縁が切れなかった。というのも、お父さんが
「正式の服を練習で着るのは訓練によいぞ」
「着慣れておかないと、本番で上がって失敗するぞ、誕生会のようにいつも客が優しいとは限らんからな」
と歌の練習で着るように言うからだ。お母さんも反対していないところを見ると、きっと正しいのだろうけど、そう言われて着る度に
「これって同級生からみたら女装なのかもな」
と後ろめたく思い、
「できれば同級生に見られたくないな」
と恥ずかしく思ってしまう。だから、親に言われない限りセーラー服は着ないし、そもそもスタジオでしか着ない。
 でも、その分、セーラー服で練習した日は、気合いが入って普段より上手く歌えるんだ。上手く歌えていることは小父さんやお母さんも認めていて、それで、小父さんやお母さんもぼくが練習の際にセーラー服に着替えることに積極的に賛成するようになった。このままでは毎回セーター服だと不安に思ったぼくは、なんとか週に2回だけセーラー服を使うことだけで許して貰えるようになったけど、ともかくもセーラー服を着ることは約束させられてしまった。
 お父さんに言わせると、
「本人が気恥ずかしいぐらいに衣装に凝ると、最高に歌わなければならないという気合いが入って、それで上手く歌える」
のだそうだ。そんな本音をいま言ってしまったら、逆効果でないかと思うけど、お父さんは
「人間って、分かっていても恥ずかしさには自然に反応してしまうんだよ」
「だから恥ずかしさは大事だよ」
とひどいことを言っている。練習は週4-5回、月、火、木、(金)、(土)。うち2回以上がセーラー服。仕方ないんだろうな。

 2学期も残すところ12月だけ。誕生日での成功が元で、誕生日の時にバックアップしてくれた小父さん達のバンドのクリスマス会で、ゲスト歌手として歌わせてもらえることになった。クリスマスソングにボーイソプラノ向けが多いのが理由の一つだそうだ。ただ、ぼくは主役じゃないので、小父さんたちと2重唱や3重唱をやったり掛け合いをやったりするのが多くて、特にラブソングではぼくが女役で小父さん達に合わせるという形だ。ちょっと気恥ずかしいけど、それ自体は普段の延長みたいなもので、まあ構わない。問題は、それを誕生会と同じセーラー服で、人の面前で歌うのってこと。いかにズボンだとはいえ、誕生会に「女装みたいだよなあ」と感じてしまった記憶があったので、ちょっと恥ずかしい。
 でも、こんな機会を設けてくれた小父さんに僕は全力で応えなければならない。ぼくには男女の恋とか未だにほとんど分からないし、ましてや女心なんて無理。だから、それらしい抑揚とか声の出し方とかも分からない。でも、そこは小父さんとお母さんの指導というか、練習の通りに歌えばどうにかなるらしく、なんとか本番までにそれらしく歌えるようになった。そして当日。
 小父さんと僕のデュエットに、観客は
「禁断の愛」
とか
「犯罪」
とか言いいつつ、喜んでくれた。これってきっと褒め言葉だよね? 観客の表情からそう判断したけど、その意味は分からない。まあ、成功すればよいか。
 観客には音楽の先生も来ていて、なんでも小父さんから連絡があったらしい。さすがに大人っぽいライブだったから、同級生はいなかったけどね。
 でも、このライブ、さいごに罠があったんだ。それは掛け合い型のラブソングの前に、お母さんに従業員室に連れられて
「最後の曲はクリスマスのサプライズってことで、この衣装に着替えなさい」
とむりやりセーラー服を脱がされて、いきなりワンピースをかぶせられたんだ。
「ちょ、ちょっとまってよ、こんなの恥ずかしいよ」
と言ったものの、ラブソングのパートがずっと女役だったし、最後の曲も10代の女の子の恋がテーマだったから、ワンピースもわからないでもなく、しかも横にいるお父さんに
「誕生日で皆にお世話になっただろ、ならこのくらいのサービスはプロを歌手を目指すなら当たり前だ」
と言われてしまっては、この場で抵抗するのも悪くて、そのままステージに上がってしまった。まあ、下の半ズボンは脱いでおらず、髪だって、ちょっと長めの坊ちゃん刈りに花を一差しただけで、本当に目先だけの女装だし、クラスメートもいなし。音楽の先生はきっと分かってくれるだろうから、まあいいか。
 ともかく、ぼくに出来る事は、衣装まで本格的に揃えた見た目に合うだけの感情のこもった歌を披露する事。さいわい、『特別な服を来ている』という高揚感と注目感で、確かに今までとは違う感情が籠っていたと思う。その為か、ライブが終わった時、ぼくは色々な人から、歌を褒められて、とりわけ最後のワンピースについては
「声とも歌の内容ともマッチしてたね」
「あういう事ができるならプロになれるよ」
と口々に絶賛された。
 観客から口々に褒められる横では、お父さんがお母さんに
「ほら言った通りだろ、服を変えるだけで大きく伸びるぞ」
と言っていたのが聞こえてきたから、さっきの女装は正解だったみたいだ。なんでも、この日の準備をお父さんがお母さんに呼びかかけたとき、お母さんは
「それはいたずらとして面白いかもしれないけどねえ」
とあまり乗り気ではなかったらしい。でも、今はお母さんも女装が正解だったと認めているみたい。
 もっとも
「似合っていたわ」
という褒め方をする人がいたのには複雑な気分になったし、
「そのワンピース、わざわざ買ったの? 買うぐらいなら貸してあげたのに」
と多くの聴衆が尋ねる度に、中古で500円でお父さんが勝手に買って来たと説明しなくちゃならなかったのには少し辟易したけど。そう貸りるのも面倒とのことで古着屋だったかバサーだったかでお父さんが買ってきたんだそうだ。ぼくにしてみれば、余計なことをしてくれた、という感情的な気持と、よくぞ買って来てくれたという冷静な感謝の両方の交ざった気分で、なんとも言い難い。
 そんな複雑な気分を知ってか知らずか、
「ああ、たしかに、ちょっと傷んでいるところがあるね。こんど機会があったら、もっと良いのを貸すから、言ってね」
と言って来るおばさんたちもいて、僕の「女装=変態レッテル」という不安は遠のいていった。
 女装=演奏という風に結びつけられる限り、ぼくが女装しても誰も変な目で見たり悪い噂を立てたりしないんだろう。女装演奏は悪くないのかもしれない。もちろん恥ずかしいけど、思ったほどは酷くないし、恥はいっとき、経験は人生の宝だ。って、これもお父さんの言葉か。
 そう思ってしまったぼくは、この日、クラスメートが誰もいないという事実をすっかり忘れていた。

 ライブは12月前半にあったので、年末までは元通り練習を再開する。再開前にはお父さんから
「どうだ、世界一はともかく日本一を目指す気になったか?」
と言われた。
「あれ、そのつもりだったんじゃなかったの?」
と思わず疑問を口にしたら
「今までのはまだまだ遊びだ、だって練習で気合いを入れたのは週2回だけだろ?」
と指摘された。たしかに週4、5回の練習のうち、セーラー服の制服で練習したのは2回だけ。そして、その2回だけは自分でも気合いの入り方が違っているのが分かる。
 しかも、相手は子供の頃から知っている小父さん。同級生の女の子でピアノとか習っている人は、ちゃんとした先生について月謝も払っているとか言っている。考えてみると遊びだ。
「ボーイソプラノはちゃんとした先生は捜すのが難しいから、こっちは仕方ないけど、練習ぐらいは毎回本番ぐらいのつもりで行け」
と言われては、セーラー服を着ざるを得ない。2ヶ月前なら、ちょっと嫌だったけど、男物だし、練習の時だけだし、今じゃぼくも抵抗はあまりない。
 あからさまにセーラー服って言っている訳ではないけど、この話の流れはそうだ。お母さんだって
「それもいいかもしれないわね。でもあなた、練習で毎回使うとなると、本番の頃にはくたびれてくるわよ、あれ薄地だから」
とセーラー服前提で話をしている。
 そんなこんなで、セーラー服は練習へ毎回持っていくことなった。着て行くんじゃなくて持って行くのは、さすがに、セーラー服で外を出歩くのは、事情を知らない人には女装に見えるので、今でもいやなんだ。

 セーラー服が当たり前になって暫くすると問題が2つ出たんだ。一つは洗濯。女子中学生が使っている紺色のセーラー服と違って、この「ニセ、合唱団制服」はちょっと薄地で、汚れの目立つ色で、簡単に汗臭くなる。きっとコスプレ用なのだろう。だから毎週洗濯をしなくちゃいけないんだけど、時々洗濯は間に合わなくなるんだ。特にズボンは上と違って家を出る時から履いているし、段々面倒になって、そこまで寒くない日はこの半ズボンで学校に行って、汚して来ることもある。男の子は半ズボンは週に2着は必要なんだ。でも、ぼくの持っている他のズボンは全然セーラー服に色も柄も合わない。
 とうとう新しいのを買うことになったんだけど、お母さんが一着買ってみたら、これも微妙に色が合わないうえにちょっと小さめで、お母さんは
「この色の男の子のズボンて、意外と種類がすくないのよねえ」
と嘆いていた。見かねたお父さんが
「まったく同じズボンがないのなら、むしろセーラー服を持って行って、それに合う奴をズボンと見比べながら買えばよいだろうに」
と助け舟を出して、結局、返品ついでにセーラー服も持っていて、それに似合うのをお母さんが見繕うことにになった。
 で、それで買って来たのが、こんどは裾がちょっとダブダブのズボンだった。
「色と柄があって、男の子がはいてもおかしくないのって、これしかなかったわよー」
と言ってるから、もしかしたら女の子用のズボンかも知れないって思ったけど、ここは気付かないを通した方がよい気がしたので、
「あー、うん」
と生返事して済ませた。だって、知らなかったら運悪く同級生とかに見つかった時に
「男物のズボンを履いたつもりだった」
って言い訳できるかも知れないって思ったから。実際はそんなことはないのだけど、ぼくがそう思えれば落ち着くんだ。だから、夜、お父さんがお母さんに
「子供用のズボンなら男用も女用も関係ないだろ」
とか言っているのが聞こえたけど、聞こえなかったことにした。
 でも、そのズボンで練習に出掛けた時はとっても恥ずかしかった、というか他人の視線が怖かったから。幸い、スタジオまでは上は男物のジャンパーを着ているので、だれも問題にしていないみたい。まあ、ダブダブといっても襞があるわけじゃないので、キュロットとズボンの中間って感じだものな。
 セーラー服を毎回の練習で着るようになって出た2つめの問題は、慣れで緊張感が減ったことだ。当たり前なんだよね。小父さんは
「肩の力が抜けて良い」
と言うけど、ぼくはもっと上を目指したい。お父さんは練習を一度も見たことが無いのに
「もしかしたら、マンネリで緊張感を持てなくなったとかないか」
と図星をついてくれる。もしかすると、ライブの時のワンピースでも着ないと、ライブの時のような気合い入らないのかも知れない。

 そうしてワンピースのことがちらちらと頭にかかり始めた1月の上旬、ぼくにアルバイトの話がもちあがった。なんと民放AMラジオにコマーシャルを出している地元の大型ショッピングセンターから、コマーシャルソングを歌うように小父さん経由で依頼されたんだ。小父さんには昔から音楽関係の伝手があるらしい。それは分かる。そして、クリスマスライブには他の音楽関係者も来ていたらしい。それも分かる。でも、こんなにとんとん拍子に認められるとは思っていなかった。これを断る馬鹿はいないよね。
 依頼の内容は、ティーン少女の恋歌。誰の曲だったか知らないけど、有名な歌らしい。そして、バレンタインで少女達の心を代弁するのに、僕の声質が一番良いらしい。もちろん地元レベルの話だけど、それで十分だ。もっとも、僕だったら安上がりってのもあったのかもしれない。だって、報酬は5000円。お金自体は親が取り上げるんだけど、ぼくにとっては、お金よりも自分の声がラジオから流れってのが誇らしい。
 地元のショッピングセンターが民放AMラジオ枠に費やせるお金は少ない。そもそも、利益の為の宣伝と言うより、コミュニティーのラジオを維持する為の寄付みたいな性格のあるAMラジオ広告枠らしい。だから広告には、僕のような「地元の期待の星」を発掘するという意味もあるらしく、コマーシャルが好評なら、最終的にはラジオの30分ゲストの可能性も出るそうだ。
 こうして、ティーン少女の恋歌の練習に没頭することになったけど、問題もあった。それは緊張感だ。ラジオとなると一曲だけ。もちろんスタジオ録音。ライブのラストみたいに勢いがつく訳ではない。これで最高の歌が出来るとは思えないのだ。しかも、今ではセーラー服を来てすら緊張感不足を感じるようになっている。それこそ、ライブの時のように、ワンピースでも着ないと女の子の感情を出せる歌は無理かもしれない。女装は嫌だけど、恥ずかしさによる気合いは必要悪だ。それが正しいかどうかはともかく、試す価値はある。でも僕からワンピースを着たいなんて言えるはずがない。
 そんな複雑な心境のぼくに後押ししてくれたのはお父さんだった。
「いかにスタジオ録音とはいえ、ワンピースを着て歌うのを考えるのがプロ意識というものだぞ」
このアドバイスは「言われた」じゃなくて「言ってくれた」という気がした。これなら、仕方ない形での、しかも歌衣装としての女装になる。有り難い。そんな心持ちでお母さんのほうをじっと見ると、
「お父さんの言うとおりよ。これも舞台練習ね」
と賛成してくれた。
 こうして、歌が完璧になって録音が済むまでの1週間、僕はワンピースで練習した。録音の前日と当日にはズボンも脱いだ。ああ、これが女の子の着感というものなのか。そう思いながら歌った恋歌は確かに最高のものとなった。
 その後はさすがにセーラー服に戻ったけど、それでも女の子の感覚というか、そういう気持を維持する為に週に1回2時間はワンピースで練習するのを続けている。いや、こっちのほうは着るだけで、下はズボンのままだし、とても女装とはいえないけど。だってズボンを脱ぐのは本番にとっておきたいから。


 隠し子の翔太は声が良い。さすがに両親の血を引いているだけのことはある。俺だけでなく、あの女も歌は声は奇麗だからな。
 そして、運の良いことに隠し子であることにあいつは気付いてないらしい。でなきゃ、翔太と母親を俺のところに遊びに来させたりしないだろうし、それどころか歌のレッスンと称して、しょっちゅう通わせることはない筈だ。お陰で、俺も存分に教えることができる。実の子ということで、こっちは気合いがはいるし、しかも翔太は俺のことを他人と思っているから、甘えることなくしっかり練習して帰る。まあ、俺だって、女に関してはいいい加減かもしれないけど、音楽だけは子供の頃から真面目だったからな。だからこそ女にモテたんだし、この分だと翔太は俺以上に女にモテるだろう。
 そして翔太の9歳の誕生日。あいつは、翔太の為に喫茶店を借り切りやがった。その話をあの女から聞いた俺は、元々はあの女だけの伴奏で済ませるつもりだったらしいところを、
「愛弟子のデビューだ。バックを受け持ちたい」
とボランティア志願した。俺の隠し子かも知れないと気付かれる危険も頭をよぎったが、そんな疑いがあったら始めから翔太の為に喫茶店借り切りなんてする筈が無いので大丈夫だ。
 案の定、奴はとっても感心して、打ち合わせの顔合わせの時に菓子折りを持って来たばかりか、制服の相談までしてきた。せっかくだから外国の有名な少年合唱団の制服を手に入れたいけど、入手先を知らないか、ということだった。こりゃもう親バカだ。翔太が俺の隠し子であるなんてバレたら一大事だな、と思いつつ、質問には
「ネットでも当たれよ」
と適当にアドバイスした。
 誕生会の成功で、翔太が俺の所にくる回数が増えた。俺のような隠し親には例外とも言えるだろう。世の中には息子の顔を週に2-3回しか見ない父親もいるというが、それは同じ家に住んでいる贅沢だ。俺のように親子相伝の技術を伝えるには、会っても足りない。
 もっとも、しょっちょう会うデメリットもある。それは翔太の俺への尊敬が減っている気がするのだ。昔はキラキラした目で好奇心いっぱいに俺の言うことを100%信じてくれていたが、最近は、音楽素人のはずのあいつの言うことを真に受けることが多い。練習用コルセット? なんじゃ、それ。聞いたことないぞ。親バカの素人がどこかで聞きかじったデタラメを真にうけて実行しているんだろう。
 悔しいのは、そのデタラメを証明できないことだ。週に5回も練習していれば、そんなもの着ようが着るまいが上達するに決まっている。なのに翔太は素人のあいつを言うことを信じて、コルセットの効果で高音が上手くなったと思っている。そりゃ、もしかしたら効果があるかも知れないけど、上手くなった最大の理由は練習だろうが。
 とはいえ、そんな文句をつけるのは贅沢というものだろう。あいつは俺の隠し子に多くの投資をし、俺にいくらでも会わせてくれる。それが事実。あいつの鈍感と親バカに感謝だ。
 ただ、ちょっと心配もある。それは翔太に女装趣味が生まれないかってことだ。俺とて翔太に女の子視点の恋歌を結構歌わせたから、人の事は言えないが、ライブのサプライズとはいえ、息子に着せる為にワンピースを買う父親なんて世の中どこにもいないぞ。
 ともかくも、トリで翔太がいきなりワンピースで来たのにはびっくりして、翔太の将来を心配し始めたのだけど、その分、普段より上手かったのは事実で、俺は、俺の内心の不安を隠しつつ、翔太を褒めるのがやっとだった。翔少なくとも今日だけは翔太に俺の不安を感じさせたらいけないんだ。
 不安をライブ後に持ち越したわけだが、俺に言えることはあまりない。だって、ここで隠し子だとばらしたら、翔太は確実に不幸になる。せっかく、あいつが純粋に親バカで翔太のことを考えてくれているのだ。だから、ライブのあと、翔太が毎回の練習でセーラー服を着て、その後のコマーシャル録画では例のワンピースをわざわざ着て練習するようになったのに、俺は何も言えなかった。そればかりか、コマーシャル録画が終わった後も週一回のワンピースが続くのを止めることができなかった。
 セーラー服の下のズボンは時々キュロットに見える。ワンピースの時の翔太は輝いているように見える。真綿に締められるような不安とはこれのことだろうか。


天使の声に惑わされて:3

 ラジオの話はクラスメートにはまだ知られていない。AMのラジオなんて小学生が聞いたりはしないものね。もちろん自慢したい気持ちはあったけれど、顔の出ないラジオで女声で歌っていたんじゃ僕だとは分からないし、それを主張でもしようものなら、まるで僕が女の子のふりをしている変態のように見られる気がして、怖かったから。そんなことが広まったら、それこそ無理やり女装させられそうな気がするんだ。あるとき、体育が終わった後の着替えで、自分の服が練習で使うワンピースにすり替えられている悪夢を見たことあって、それ以来、体育が終わったあとに自分の服が残っているのをみてホッとしているぐらいだもの。
 あと、お父さんの
「練習ってのは人知れずやったほうが格好いいだろ?」
というのも、誰にも言わなかった理由のひとつだ。いや、誰にも言わない言い訳というべきかな。とにかく、そんな感じで、3学期が進んでいった。
 そんな折、僕がラジオのコマーシャルで得た自信をへし折ることがあった。それは音楽の授業で歌うことになった「とうりゃんせ」だ。というのも、mpから聞かせれる女の子の声が、まさに鈴の音のようで今のぼくにはとっても出せそうにななかったから。
 何故そんなことまで考えながらとうりゃんせを聞いたかというと、お父さんが音楽の教科書をめくって、この曲がある事に気付いた翌日に、ぼくに男声女声の違いを説明しながらmpを聞かせてくれたからだ。父さんの言うのはもっともだ。クリスマスの曲は「天上の声」のイメージだったからボーイソプラノで良かったけど、日本の童謡の女の子向けの歌って、たしかに「鈴の音」としかいいようのなく、ボーイソプラノじゃ力強すぎて駄目なんだよね。日本は男声と女声でなく、男童の声と女童の声を使い分ける国らしい。
 で、お父さんに言わせると、この女童の声が出せなければ日本一のボーイソプラノとは言えないらしい。響き過ぎるソプラノではなく、鈴の音のようなか弱いソプラノ。それが出せればもの凄い希少価値らしい。それは僕にもわかる。響かないけど遠くに届く鈴の音。それにほど今のぼくの実力から遠いことを実感したので、ラジオに出て高くなった鼻が完全にへし折られてしまった。
 こうなると、意地でもとうりゃんせを女童の声で出したい。だれが聞いてもぼくと同じかちょっと小さいぐらいの女の子が歌っているとしか思えないような声。それは確かに究極だ。とうりゃんせだけでない、かごめ、さくら、手鞠唄、子守唄。そして、そんな声で恋歌を歌う。なんて新鮮なんだろう! 女童の声をだせる時を夢想するとうっとりする。そこに女装がペアでついて来るなんてことは、夢想から全く抜け落ちていた。
 女童の声を出すには、体の骨格が共鳴しすぎないことが肝要らしい。そう、お父さんが例の模型で説明してくれた。男と女は生まれた時から骨格の違っていて、レントゲンでプロが見れば一発なんだって。へえ。『第二次セイチョウ』とかいうので異なって来るんだよ、ってクラスメートの誰かが行ってたけど、やっぱり、彼の知ったかぶりだったんだな。ともかくも、声の違いの理由の一つである骨格の違いを誤摩化す為に、骨格を共鳴を押さえる仕掛けが必要で、コルセットもその一つみたい。模型で実験すると確かにそんな気がするし、なによりコルセットをして歌うと、声が少しだけ声が澄む事は2学期に実感している。その先に女童の鈴の音がありそうな予感は感ずる。
 実際、録音した僕の声を聞くと、コルセットをしている時の方が鈴の音に近い。このコルセットは大人の女の人が使うコルセットと違って、お父さんのお父さんん手作りで、材料は僕の昔の下着シャツ、それも伸縮性があまりない代わりに涼しい麻地のやつなので、手作りゆえに不格好で、友達に見られるのはちょっと恥ずかしいけど着る分には全然抵抗がないし、もともと下着なので長時間着てもそこまで苦にならない。そして、お父さんの説明では、一日16時間、毎日つけれ続ければ、歌の時だけコルセットを外しても声が細いままで暫くは歌えるし、歌の時だけより強力なコルセットで振動を完全に抑え込めば、骨に響かない歌い方も出来る筈だって。そして成長期の僕は8時間以上コルセットを外すと骨格が元に戻ってしまうらしい。
 だから僕は、例の上体コルセットを常時、夜も着るようになった。着ないのは学校に行っている時だけ。お母さんが『体に悪くないかしら』と聞いて来たけど、今、どんなに体を細くてもした所で、例の『第二次セイチョウ』になったら男の子は否応無しに太い体になるらしい。お父さんに云わせると、コルセットごときで10年後の体に影響が出るなら、とっくに誰かがやって専用歌手が生まれている筈だって。確かにそうだ。
 後日気になって、お父さんの説明の根拠を調べたんだけど、コルセット16時間の話も、成長に影響を出さないって話も、どこにも見つからなかった。でも、他の説明、例えば1日8時間で十分と言う話も根拠が見つからなかず、論理的な説得力はお父さんの話の方が正しそうだったので、この先、僕はずっとコルセットをするようになったし、それどころか次第にきつめのコルセットを使うようになった。きつめと言っても、二枚重ねとか、伸びない生地を使った手作りとかそういうレベルだけど。
 こうして骨格すら絞って練習したものの、音楽の授業までに理想の声にはならず、単純に「男の子なのに声が小さい」と注意されるほどだった。そりゃ、1ヶ月で成果が出るならお父さんの云う通り、誰かがやっているよね。でも、僕は、とうりゃんせ授業の3週間で変化を感じていた。それは小父さんも同じらしく、始めはコルセットをよりキツくする事にも、コルセットを常時着用する事にも
「そこまで意味はないと思うけど」
と消極的だったにの、1ヶ月もすると、
「うん、確かに、声は少し澄んで来たなあ」
「でも体に良くないから程々にな」
という言い方に変わった。
 体に悪いって、小父さん達のお酒だってそうじゃない。これだから大人は信用ならない。それにお父さんに「体が良くない」のかどうか尋ねたら、それは肋骨に守られていない内蔵を締めるタイプのコルセットの話であって、肋骨を締めるのは骨折の時に骨を支えるギブスと同じだから、話が違うと説明してくれた。うん、そうだそうだ。僕がネットで調べても内蔵の圧迫の話ばかりで骨の話は無かったんだよね。やっぱり理論はお父さんだな。
 体に良い悪いはともかく、懐疑的な小父さんですら僕の声が女童声に少しずつ近づいているのを認めてた。だから、コルセットを着ている時は、歌だけでなく日常か会話でも鈴の音が出るように喋り方の努力を始めたんだ。本当は学校でも発声訓練をしたかったけれど、そんな事をすると、僕の事を女の子になりたがっている変態って思われそうで出来なかった。だって、2学期の『しょーたん』というあだ名や、3学期にはいって何度かみた悪夢、それに、歌の練習に行く時に男物のジャンパーこそ羽織っているものの、セーラー服とキュロットらしきズボンで外を歩いているのを誰かに気付かれているんじゃないかという不安で、変態疑惑が現実になりそうな不安があったから。
 特に服は、男物だと思い込もうとすればするほど、これが実は女の子の格好そのものではないかという気がしてくる。しかも骨格まで女の子のそれに近づけようとしているんだから。気にならない方がおかしい。いくら、歌の為であり、歌っている時なら明らかな女装であるワンピースにすら慣れて来たとは言え、移動中、他人から見れば女装に見えるのは気になるそして、この不安は、女童声の練習が第二段階、つまりコルセット着用時の日常会話の女童声訓練を始めてから、大きくなり始めた。僕のやっている事って、知らない人が見ると女の子のふりをしている事になるのだから。いくら、ジャンパーと靴と靴下と髪型が男の子だとは言え、気になるものは気になる。
 でも、今更、以前のようにスタジオで着替えるスタイルに戻る訳にはいかない。だって、恥ずかしいって思い始めたことを小父さんや両親に知られると、なんだかプロ意識が足りないとか、本心では女装に興味があるのではないかと勘ぐられないかとか、いろいろ気になるんだ。それどころか、意識すればするほど、逆に「意識していません」をアピールしなければならない気分になってしまう。例えばワンピース着用時の靴下とか、髪型とか。それに、少年合唱団の制服のつもりの筈のセーラー服とて、下がキュロットだと意識すればするほど女装に思えてしまって、スタジオでの練習では、それに相応しい靴下とかを履かなければならない気がして来る。さすがに女物は恥ずかしいけど、男物を履くのも場違いで、プロ意識を疑われるように思えてしまう。髪の毛も同じ。そんな訳で、3学期は髪の毛を一度も切る事が出来ず、靴下も中性的なものしか履かなくなってしまった。
 そんな苦労が実って、3月に入ると、少しだけ鈴の音に近づいた声が出せるようになった。コルセットの効果はそれだけではなく、普通に発声しても女の子っぽいソプラノになって来たんだ。そうなると、そろそろ発表の場が欲しくなる。お父さんが何かアレンジしてくれないかな、小父さんはどうだろうな、ラジオはまたあるのかな、と期待していたけど、何の音沙汰もなく、痺れを切らせてお父さんに尋ねたら、クラスの発表会で歌えば良いだろうと言って来た。うわ、それはちょっとビビる。
 僕の学校ではどのクラスも年に1-2度、主に3月に学芸会とかお別れ会とかいう名の、皆の発表の日がある。劇だとか、歌だとか、楽器だとか、漫才だとかそんなの。土曜日も隔週で登校する僕の学校では、学級会の時間、要するに色々と議論をしたりする時間が土曜日にあるのだけど、それを2回分まとめて2時間ぶっ続けでそういうお楽しみ会を開く。歌を披露するには確かに最高の場所だ。特に2学期に練習していた奴だったなら。
 でも、3学期に力を入れて練習しているのは、女童の声で、そりゃ、まあ、他の曲も練習はしているけど、成果の発表という意味だと女童のわらべ歌が良い。でも、これってクリスマス会や誕生会のように大人向けに歌うのは良いけど、クラスメートの前で歌ってもなあ、って気がするし、それ以前にクラスメートの前で女声を出すことが恥ずかしいし、下手すると、「女になりたいのか」とか「女装しろよ」とか囃されそうな気がするんだ。
 とは言え、こんな不安をお父さんや小父さんに言っても「プロ意識が足りない」と逆に叱られそうで怖い。それに、学芸会で普通に歌うんじゃだめで、何か芸をしなくちゃならないんだ。その意味では思い切った女装が良いのかも知れない。冷静にそう思っても、普段クラスの皆に隠れて女装しているんだ、という意識で、却って思いきれず、誕生日に来てくれた女子にわざわざ相談して、やっとセーラー服の決心がついたんだ。この女子なら僕のセーラー服を後押ししてくれるだろうって踏んでいたら、やっぱり推薦してくれた。それでも恥ずかしいから
「でも、恥ずかしいから、一緒に歌ってくれない?」
って誘って、デュエットになって、女子には男の格好で男性パートを歌うって形にしたから、そこまで騒がれることはないと思う。
 こうして迎えた学芸会は、ちょっと調子抜けだった、だって、劇で堂々と女装している男子が2-3人いて笑いをとっていたから。僕の悩みは何だったんだろう。セーラー服という、女装に見える男子服、いやズボンはキュロットに違いないと思うから半分女装なのか、まあ、そんな中途半端な格好で歌ったのが恥ずかしい。そういう中途半端さは、相棒の女子も感じたのか、発表直前に髪の毛をちょっと弄って、髪飾りともいえるリボンをつけることにした。これだとセーラー服も女物っぽくみえるよね。
 こうして僕の番は済んで、学芸会後も、歌が良かったとか、格好もぴったりだったと褒められた。もっとも、格好がぴったりという意味は、あとからよくよく考えると、僕の容姿が女装向きという意味かもしれないと気付いて、おもわず恥ずかしくなったけど。いや、恥ずかしいというより、なんだか、男の子の仲間から外されるんじゃないかという不安もあるかも。
 理由はともかく、女童声の価値が実感できて、僕はますます磨きをかけるようになった。こうして3年生を終えて4年になったのだけど、その時、良いことがあった。それは身体測定で、胸囲が昨年と全く同じだったことだ。いや、2ミリ伸びたのかな。その程度。背のほうは昨年より3センチほど伸びているので(平均は5センチだそうだ)、相対的にほっそりしたきたってことになる。身長の伸びが平均以下なのも、去年までだったが嫌だっただろうけど、今年は「大人になるのが遅くなるそうだ」って思えて却って嬉しい。この調子なら。より長い期間、ボーイソプラノを続けられる。
 もちろん、男の子としては大きくなりたいし、このまま将来も背が小さいままで終わるんじゃなかろうか、という不安もあるけど、お父さんのいう「大器晩成ほど大きな体になる」との言葉を信じれば問題ない。唯一不便なのは、背の高さで、今まで男子18人中前から7番目だったのが、前から4番目になってしまったこと。それでも、僕より小さい奴が3人いるから問題ない。胸囲は比較していないから分からないけど、僕が一番細いかもしれない。細いって、デブの反対だから、ちょっと鼻が高いや。そう、この頃の僕は胸囲が小さいことが恥ずかしいことなんて全く思っていなかったんだ。
 ともかくも、僕はコルセットの効果を実感した。だから、学校でも体育の無い日で、寒くて上着を着るような日は使うようになった。


 【クラスの男の子視点】
 翔太って、今年になって変わったよな。なんか、上品ぶっているっていうか。元々運動神経が鈍い奴だったけど、去年あたりからは昼休みのドッジボールに加わらなくなって、今年皆で流行った相撲にも全然顔を出さない。水泳の時の体付きがひょろひょろなのも当然だよな。このままじゃ困るだろうって親切心で放課後に声をかけても、付き合い悪い。歌の練習があるからって言ってたけど、音楽の時間、縦笛で四苦八苦して、歌も声が小さいと注意されてるの知ってるぞ。お坊ちゃん? そんな感じ。それだから、いつまでも顔も格好良くなれないんだぜ。
 そうこうして2学期のある日、女子が翔太のことを「しょーたん」って呼んだことが2-3度あって、そのあだ名に納得したぜ。だって、全然覇気がないものな。ゲームもしないみたいだし、仲間に引き入れようにも、とっかかりがないんだよな。そのくせ女子が教室内のキーボードを弾いていると、そこに近づいていく。軟弱野郎が。男の風上にもおけない。女の子と仲良くやってればいいんだよ。
 以前はそう思っていた。でも、学芸会で翔太の歌を聴いて、ちょっと見る目が変わった。可愛い声って思ってしまったんだ。女子が一緒に歌っていたから、もしかしたら女子のほうの声かとも思ったけど、そっちは男の子パートを確かに歌っていて、そうなると残るは翔太、いや、しょーたんと言うべきかな。
 あのセーラー服も似合っているし、と思ったら、髪の毛伸ばしてんじゃん。偉い偉い。問題はズボンかな。芸に徹するならキュロットじゃなくてスカートにすべきだろ。まあ、でもほとんど女装に近い格好で、ほんとうに可愛い女の子の声で歌うのは褒めてやるぜ。
 あとから聞いたら、週に4-5回も歌の練習に行っているんだって。うん、分かった。これから昼休みも放課後は誘わないからな。ちゃんと歌を磨けよ。知り合いに男の娘がいたら、他の友達に自慢できるしな。


天使の声に惑わされて:4

 女童声がある程度満足できたので、春休みからアイドル曲を始めることになった。昨秋の古い歌謡曲と違って、今度はAKB系の曲だ。小父さんの提案した新曲に僕が「また昔の歌なの? はあ」って文句を言ったら、小父さんが提案してくれた。
 2週間ほど練習した頃に、ようやく親にも何を歌っているのか教えたら、一瞬きょとんとされたあとに
「アニメソングもやるんだろう」
と尋ねられた。そうだそうだ、あまりに身近すぎて忘れてた。これをやらきゃ、折角のボーイソプラノ、しかも女の子っぽい雰囲気のある声と言うボクの特徴が宝の持ち腐れじゃないの。いつも口ずさんっていうのに。大人の人はこれを「盲点だった」って言うらしい。だから、つい
「まだだけど、歌いたいなあ」
と答えると
「あ、でも、その前にアニメ声の練習が必要かな」
とお父さんが考え込んでしまった。
 アニメ声。普通の小学4年生はそんな言葉に詳しくないだろうけど、僕はアニメソングの歌手を調べているから知っている。魅力的な子供の声が出せるお姉さんたちが、アニメの時だけに出す特別な声だ。たとえば、「ロリッ子声」とか「可愛い声」とか。そんな声、同級生だって出さないものね。でも、多くの大人にとっては実際の子供より魅力的らしい。だからアニメ声優って人気あるんだって。
 声を作るならボクだってできる。声を作るだけじゃない。歌だって上手い。そんなボクがアニメの主題歌を歌う立場に抜擢されたら、きっと人気もあがるだろう。ふふふ、ボク有名人間違いなし!
 いつの間にか、アニメの中で、ボクの顔で魔女っ子の格好やお姫様の格好をする画面を思い浮かべてしまって、ボクは恥ずかしくなった。でもなんだろう、この気持ち。歌が本当に上手かったらきっと喝采ものだ。恥ずかしいけど誇らしい。そんな複雑な気持ちでいると、お父さんから
「アイドルの女の子ってのは、可愛らしさを作っているんだ。だってクラスの女の子の普通の姿と違うだろう?……」
と、さっきボクが思った事と同じ内容を言われた。うんうん、クラスの子がアイドルの真似なんぞ普通にしてたらキモい。アイドルはテレビの前で見るから良いんだ。
「……その一環として声もある、要するに連中だって努力しているんだな。それに勝つには、な」
 ここまで言われたら、次は「日常的な練習」って答えであることは直ぐ分かる。つい20秒前まで感じていた恥ずかしさがスーっと抜けて嬉しくなった反動で、ボクはお父さんにボクの自主性を見せるべく、出来るだけ可愛いらしさを出すような声で
「じゃあ、普段から練習してみるー」
と答えてしまった。冷静に考えればものすごく恥ずかしい真似だけど、その声があまりに酷かったのか、ボクの表情が変だったのか、お父さんだけでなくお母さんにまで
「プッ、フー、それじゃあ全然だめね、まあ、頑張ってみて」
と笑われてしまった。ふん、いいんだ。そう思ったボクはふて腐れた女の子のような顔を作って
「見てらっしゃい? 一ヶ月で可愛くなってみせるから」
と両親に宣言した。
 夜になって、さっきの宣言を思い出すと恥ずかしい。うわ、ボクって、家の中では「アイドルっぽい女の子」のふりをするって宣言してしまったようなものだから。でも、口に出した以上、家では「女の子の口振りの練習」を演じ続けなければならない。両親に本心でどう思われているか分からないけど、そうするしか思い当たる道がない。そして、そんな練習をしていることをしているなんて、両親以外に知られたら、もっと恥ずかしい。これは小父さんすら秘密にしたいぐらいの恥ずかしいことだ。だって、歌以外のことだから。
 しかし、そんな葛藤も、翌日に
「なんだ、もう練習は終わりか」
と笑い顔で親に言われてすっと抜けた。そうだよ、ボクはプロ級になるんだ。家の中だけならいくらでも声の練習をしてよいじゃないの。それに会話だけじゃなく、アニメソングを小声で歌う練習も家の中でしているから、その延長で女声を日常会話で使うのは、家の中だけなら、そこまで抵抗がないんだ。こうして意識して女声を出すようになった翌週にはゴールデンウイークとなった。

 連休は小父さんのところの練習が休みだから、ずっと家で「可愛らしさを作った」女声を出し続ける。それだけじゃない。連休の前半は家にいたが、後半は2度ほど日帰りで遠出して、その間もずっと可愛い声を出し続けた。というのも、肋骨を締め付けた状態で外を歩く事で、発声コントロールを試してみたらどうかな、ってお父さんに言われたからだ。ただ
「試す価値はあるという程度だけど、それよりも、将来、ステージ等に上がる時にあがらないように、外で女声を練習するという度胸付けの方が、意味が大きいかな」
だとのことで、効果の方はお父さんも自信はないみたい。
 でも、確かに遠出は「可愛い女の子の演技」には良いかもしれないと思って、ボクも同意したんだ。知り合いに見られるのは恥ずかしいけど、遠出の時なら少なくとも知り合いはいないから、恥のかき捨てで思い切ったことができる。だって、髪の毛は新学期の時にあまり切っていなくて、それが1ヶ月伸びた今は、お転婆な女の子として見られてもおかしくない程度にはなっているし、歩く為の子供服って、男女兼用が多いから、女の子の言葉を使っても問題ないんだよね。
 結局、トイレこそ、その前後だけ「可愛さを作る」をやめて、利用者の少ない男子トイレに入ったけど、それ以外は丸一日(それも2度)女の子を演じて、言葉遣いも仕草も女の子風にしたんだ。休みの残りも、突然仕草を変えては、それこそ不真面目な気がして、女の子を演じてしまったんだ。その結果、2度目の遠出では、やはり同じように遠出に出かけている家族連れの女の子と仲良くなってしまって(向こうはボクの事を完全に女の子と思ったみたい)2時間ほど一緒にいる羽目になったけど。
 このときまず思ったのは、異性と一緒にいると楽しいって事。小学4年となると、男女で垣根が出来てしまって、女子に近づけなくなる。だから、こうやって女の子と自然に仲良く話せたのは学級が変わって初めてだった。それが可能になったのは、ボクが女の子っぽいから。だから、相手も安心してボクと話をしてくれるってことに、ボクはそのとき気がついたんだ。(あとから聞いた話では)これを大人の男がやったら犯罪だけど、ボーイソプラノの男の子なら問題ないんだって。彼女と2時間で分かれたのはトイレに行きたくなりかけたから。まだ我慢できるけど、ギリギリになる前にお父さんがこっちの意を汲んで別行動を提案してくれた。さすがに女子トイレはないよね。

 そんな連休を過ごした結果、連休後も家では半分無意識に「可愛らしい」声と言葉遣いの練習をするようになってしまい、5月を終える頃には、それに違和感すら感じなくなった。でも、もちろん、それは家の中だけの秘密で、小父さんにすら打ち明けていない。
 とはいえ、小父さんはボクの変化に感づいているみたい。だって、ボクの「アイドル曲」の歌い方というか、その振り付けが明らかに上手くなっているからだ。声も、今までは単純に歌手を真似るだけだったけど、段々、ボク自身の可愛さを武器にするような歌い方になったみたい。そう、物まねでなくオリジナルな可愛さ。それを目を見張った小父さんが
「家で特別な練習をしてないかい?」
と尋ねるのも当然で、ボクはそれに
「そりゃ、世界一を目指すんだもの、復習しているよ」
とだけ答えている。いや、さすがに、正直に答えられないよね。その事に気付いて、急に自分のやっている事が恥ずかしくなったんだけど。
 秘密は知る人間が限られるほど、それを知られるのが恥ずかしい。でも、同時に、そういう恥ずかしい秘密は、秘密であるからこそ、のめり込む。そんな真実を他人から教えて貰ったのはずっとあとの事だけど、ボクはそれを肌で感じていた。そして、恥ずかしさの元になる秘密は、元々は女の子の真似をしているという「秘密」と、女の子を異性として意識し始めているからという「秘密」だけだったけど、女の子の気持ちを歌えば歌うほど、そして国語力が上がって歌詞の意味が以前より分かるようになるほど、異性としての女の子そのものになりきる事に興味が沸いて、その「秘密」の度合いが高くなっていったんだ。そういう気持ちって親にすら知れたくない。
 そういうやましい気持ちを持つと、今まであれほど(慣れたとはいえ)嫌だった、女の子の格好での歌の訓練が、女の子の格好が出来るということで興味が出てくる。でも、そんな嬉しさを皆に知られるわけにはいかないから、ひときわ
「プロ意識として、義務的に」(「いやいやながら」ってのは、プロ意識が足りないって怒られる)
という感じで小父さんとの練習の時にワンピースやセーラー服を着ている。

5月後半の衣替えは、ボクがそういう複雑な気持ちを持ち始めているときにやってきた。新学期に合わせて冬用の厚手のジャケットから春用の薄手のジャケットになった時は、結局のところセーター服(小父さんの所へ練習に出かける時の服)を隠すという役割に違いなかったから問題なかったけど、今回の衣替えはジャケットそのものを脱ぐというものだから、セーター服が人目に付くつくことになる。それはクラスメートなど知り合い見られてしまう可能性を意味している。
 一応は男の子用のセーラー服のはずで、実際リボンとかついていないし、下はズボンだから、女装ではないはずなのだが、以前お母さんが替えズボンを買った時に女物しか白・水色のズボンがなかったようなことを言っていたし、艦隊コレクションのコスプレが出て以来、この服がその系統に勘違いされるような気がして、街中で上下セットの様子を見せるのは少し恥ずかしい。でも、連休以来、女の子の格好に好奇心が出てきて、このどっちかずの格好であれば、恥ずかしさよりも自然に着てみたいという好奇心(誰かがウルトラマン変身願望とかいってたけど)の方が勝って、結局、セーラー服デビューを果たすことになったんだ。
 その初日はさすがに人目が気になった。だって、同年代だけでなく、大人たちがチラチラこちらを見るのが分かるから。きっとコスプレと思われているのだろう。でも、5・6回も同じ時間帯に小父さんのところに通っているうちに、そんな視線はほとんどなくなった。これって「案ずるより産むがやすし」って奴だよね。
 もっとも、初めて見かけるような大人だと、ボクのことをじっと眺めている人もいる。きっと、コスプレ少年なのか、ボーイッシュな女の子か分からないのだろう。だって視線に嫌らしさがないから。でも、そんな中にも変な視線を感じることがあって、ああ、これが「女の子の嫌がる視線なのか」って理解してしまった。去年までのボクならきっと分からなかったと思う。そして、そういう視線を通じてボクはますます女の子の気持ちで歌うのが上手くなっている気がするんだ。

 そういう普段の積み重ねが練習にも現れたのか、上達が認められて、七夕にいつもの喫茶店で小父さん達のコンサートに出演することになった。デュエット2曲とアイドル曲2曲と普通のソロ1曲。残りは小父さんが歌うやつで、これもクラスの音楽好きが来た。その為に服も新しくスカートとブラウスの組み合わせを買って(なんと新品!)、年末に使ったワンピースやセーラー服と途中で着替えたりしたんだ。
 歌う前は
「去年ほど恥ずかしくないよ」
って強気だったけど、いざ歌うとやっぱり恥ずかしくて、ぎこちなかったかも知れない。でも、お父さんにいわれた通りに小父さんへのサプライズとして、ボクの出番の最後のデュエットで、最後にアニメ声で歌ったのは、皆には好評で(小父さんは驚きつつも調子を崩す事なく普通に歌っていてさすがと思った)、コンサートは成功だったと思う。
 そこまでは良かったけど、クラスの女の子に
「その格好似合ってるよ」
「今度学校でも歌ってよ? 出来ればアニメ曲を。もちろん、その格好でお願いね」
「いや待って、私たちが服は用意するよ」
「放課後一緒に遊ばない? 女の子の格好をすれば私たちと一緒にいても囃されないわよ」
とか言われたのは予想外で、顔や火照ってしまった。恥ずかしいというだけでなく、冗談じゃないという気持ちと、でも興味がないわけでもない(それを隠したい)という複雑な気持ちで。それを受けて
「わー恥ずかしがっってカワイイー」
って言われたのには、さすがに恥ずかしさしか感じなかったけど。
 そのあとの打ち上げで、当然ながらアニメ声の話が出たけど、小父さんは一応怒りながらも、それがお母さんのいたずらだったと解釈したみたいで、
「あの声を秘密練習してたから、上手くなったんだな」
と納得してくれた。そして、
「アニメソングは基礎ができてからと思ったけど、良い結果がでているから解禁だな」
と言って、次の練習からはアニメソングも加わるようになった。

 コンサートから数日後、お父さんから魔法少女のコスプレを渡された。唐突でびっくりしたけど、話を聞いて更にびっくりした。お父さんが会社の後輩に
『小学校の子供が歌の練習のついでにアニメ声の練習もしている』
と七夕コンサートのついでに宣伝したところ、その時の
『実は当日のサプライズだけど、アニメ声でも歌うんだ』
という『アニメ声』キーワードに興味を覚えた後輩さんが、コンサートにこっそり来て、ボクがコスプレの原石だと思ったらしい。それで、後輩さんはノリノリでお父さんをその手のショップに連れて行って、無理矢理買わせたそうだ。子供サイズだったので元々安かったところを、さらに常連の強みで「着用して歌っている動画と引き換え」という条件の交渉をして更に5割引を勝ち取ったんだって。そのまま転売しても黒字になる価格らしい。ただし動画の期限は7月末までの3週間。夏休みイベントに間に合わせるんだって。
 単に1曲歌って動画を撮るだけなら、直ぐにでも出来る。でも
「良い動画だったら、宣伝に使われる筈だから、デビューのチャンスだぞ」
と言われたんじゃ、本気を出さなきゃいけない。その日からボクは家では常に女声だけでなくアニメ声を出すように努力したし、週5回の歌の練習でもアニメソングを優先させた。学校に(プールのない日に)コルセットで行くようになったきっかけもこの特訓だ。どうせ夏休みまで1週間程度だからバレないだろうと思ったのもコルセットを使うようになった理由の一つでもあるけど。
 選曲は、お母さんから話の行っている小父さんが、3週間で間に合うような曲をいくつか探してくれた。もっとも、さすがの小父さんも、アニメ声の出しかたは知らないらしく、どの曲を歌うかはボクが決める羽目となって、優柔不断なボクは、いろんな歌を練習してみて、その中から上手く歌えて踊れそうなのを10日で選んで、残りの10日で特訓ということになった。
 最終的に選ばれたのは4曲、全部で6種類の振り付けで、アニメ声での歌はどうにかなりそうでも振り付けが難しい。いや、動きをアニメのそれにできるだけ真似るだけならどうにかなるんだけど
「見た目に女の子の可愛らしさがないと、意味が無い」
とお父さん(の後輩の言い分らしい)に言われては、基本動作から可愛らしくしないといけない。そうなると歌の練習の時だけではなく、普段の生活でも気をつける必要があって、とうとう夏休みに入ってからの10日間は室内はワンピースやスカートで過ごすようになってしまった。強制されたんじゃないけど、七夕コンサートで使った服がをタンスの横に置かれて
「仕草の勉強なら、それらしい格好でないと実感が沸かないだろうな」
と言われたんじゃ、自主的に着るしかないじゃないの。っていうか、それがちょっと嬉しかったのはボクだけの秘密だ。
 女の子の格好をしたボクを見た母さんは
「それを着るんなら、それらしくしないとね」
と、女の子の仕草を丁寧に教わてくる。時々居間から聞こえてくるお父さんとお母さんの会話からは、お母さんは、ボクの女装特訓にあまり熱心でないと思ったけど、違うのかなあ?
 一番の問題は、クラスメートにどうやってバレないようにするか。歌以外での女装はさすがに恥ずかしい。そして、そうなると、まかり間違って見かけられる場合、とくにビデオを見られた時にに、ボクだと分からないように変装する必要がある。でも
「クラスメートにはバレたくない」
なんてお父さんに言ったら、プロ意識が足りないと言われそうだったので、お母さんに相談した。そしたら、なんと2日後にお父さんがカツラを買ってきてくれたんだ。それは良かったけど
「ほい、これで安心して女の子になりきれるだろ?」
と言われたのに続けて
「よかったな、これで女子トイレにもはいれるぞ」
と言われた時は、クラスの女の子の姿を思い出して背徳感と恥ずかしさで文句をいう声すらだせなかった。もちろん、お母さんが
「何いってるんですか、絶対、そんなことをしては駄目ですよ」
と直ぐに反論してくれたけど、
「おいおい、そんな意味じゃないぞ、スタジオ限定に決っているだろうが。性別隠して撮影する可能性も考えれば、レストランやスタジオのトイレのように男女とも個室式で誰かとかち合う心配がない場所じゃ、実際に女子トイレに入らざるを得ない場合だってあるんだぞ。その場合、子供ということもあって問題にはならないよ」
と言われて、なるほどと思ってしまった。そして、その代わり、ボクは学校以外では立って小便する事が禁止された。学校ってもう夏止みなんだよね。あれ、これって、もしかしたらプールとかで学校に行く日のことじゃなく、二学期のことまでさしているの? 気にはなるけど、そんなことを聞いたら、プロ意識が足りないって叱られそうだし、どのみち、洋式トイレは座ってしたほうが汚れないから、家ではその方が良さそうだしで、黙ってうなずいた。もっとも、お父さんは立ってしているけど、仕方ないや。
 そんなこんなで、締め切り前日に、小父さんのところでキチンと録画した。結局、4曲6種類の振り付けを全部撮影して、店の人に選んで貰うことになったけど、小父さん曰く、曲によっては、本当の女の子以上に女の子っぽい振り付けが出来ていたそうだ。なるほど「可愛い女の子」ってのは作るものなんだね。それは別に可愛らしさをアピールするんだけじゃなく、男の子っぽい激しい動きの中に浮き上がらせるて一生懸命ボーイッシュに振る舞っている女の子」というイメージを与えるのも効果的みたい。
 そして、締め切りの日、お父さんの後輩さんと一緒にコスプレの店にいって動画を渡したんだけど(本人が顔を出すのは礼儀だし)、その動画をみた店主さんと後輩さん(後輩さんもそのとき初めて見た)がすっかり興奮して
「1曲どころか4曲なんて、これは褒美を出さなくっちゃ」
と意気投合して、今度はフリルの、それでもスカート丈の短いコスプレ衣装をボクに押し付けてきたんだ。
「出来れば夏休み中に、その姿を見たいねえ」
という希望付きで。
 これが去年までのボクだったら、えらい迷惑と思っただろうけど、今のボクは新しい振り付けと「女の子の振りの練習」にピッタリだと思ってしまったんだ。可愛らしい服を色々着る口実にもなるし。え? ボク、今、なんか変なことを思わなかった? 思わず顔が赤くなったけど、それを大人の2人は単純に勘違いしたのか、
「恥ずかしいなら無理は言わないからね」
となだめてくれた。こうなりゃ、あとの可能性も考えて、イエスといっておかないと不味いと思い
「いや、やります」
と答えてしまった。その答えが、ボクが夏休み中は家で女の子の格好をすることを意味しているのに気付いたのは、家に帰って両親に話を告げたときだった。


 【父親の後輩視点】
 
 先輩のお子さんさんが歌うって話を聞いた時は「ここにも子供自慢がいた、うざい」って思ったけど、アニメ声を練習していると聞いて、ちょっと興味を覚え、大人の七夕コンサートで、ちょっとしたコスプレでアニメ声を出す、って聞いて、見るだけなら、先輩への顔も経つし、いいかも、と思って、ちょっと遅刻気味だけだけで出かけてきた。そしてびっくりした。
 男の子だったんだ。女装だったんだ。それがとっても似合っていたんだ。
 父親が息子の女装を支援する例なんて聞いたことがない。そんなにオタク仲間で男の娘を妄想しても、現実にそんな者はいない。高校生では既に体格に無理があり、とはいえ、それ以下の年齢での女装は母親が熱心な場合の小学2年生まで。あとは性同一障害の男の子だけだけど、目の前の男の子は、普通の男の子だ。小学4年の、ノーマルな男の子の女装を両親が支援するなんて、こりゃ、コスプレ界に激震が走る話だ。
 目的がボーイソプラノを最大に生かした歌であることが、全てを納得させる。となれば、是非ともプロモーションをしなければなるまい。早速、行きつけのコスプレ屋に、コンサートの時の写真を持って行って、裏工作をして、その上で先輩を、そこに連れて行く。赤札価格で人気コスプレ衣装を買わせて、その代わりにビデオデビューを持ちかける。同世代の女の子を越える声と歌心があるのだから、あとは振り付けだけだ。でも、質問されること以上のアドバイスはしない。だって、きっとサプライズな魔法少女を演じてくれると信じているから。
 俺の目に狂いはなかった。もたらされたビデオはそれほどの内容だった。こんなものをコスプレ屋の宣伝だけで済ませるのは勿体ない。あらかじめ手配していたとおり、オタク仲間やコスプレ仲間を通じて拡散させる。あ、もちろん先輩には逐次報告ね。だってデビューへの近道に先輩が反対するはずがないから。でも、先輩は一つ忘れている。このビデオ、中身が女の子だと視聴者が誤解する形で拡散しているんだね。だから、翔太くん、君は歌の世界では女の子としてふるわなければならないんだ。なんという萌えるシチュエーションなんだろう。


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