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魚の目

by 夢喰

 背が中々伸びないので、入学祝いで買って貰った自転車が未だに大きすぎる。だから硬いサドルの天辺に尻を引っ掛けて乗っているが、そのためにアソコの付け根が当たって、どうにも居心地が落ち着かない。
 ある時、刺か何かがサドルについていて、それがズボンを透して付け根に刺さった。その時はチクッとした感じに何か刺さったかもしれないと思いつつも、友達と一緒だったので、そのまま乗り続け、いつしか忘れてしまった。こうして気を止めないうちに何日も普通に過ごしたけど、あとから思えば、この時の刺だと思う。
 かゆみのような傷みは一向に収まらず、それどころか次第にアソコの付け根にタコが出来始めて、2週間も経つとひりひりと痛くなった。まさかこれが魚の目だなんて、この時は全然思いもよらず、これは「自転車ダコ」なのだな、と勝手に思い込んでしまった。
 魚の目は、次第に穴が開いていく。そして芯を取らない限り治らない。しかし、そんな知識なんて魚の目に苦しんだ人間ぐらいしかないだろう。しかも、場所が場所だけに家族に見せる訳にもいかない。友達にだって知られるわけにはいかない。「痔」と囃されるのがオチで、下手をするとイジメの対象にすらなってしまう。だから、痛いのをひたすら我慢をして、無理して自転車にも乗り続けた。そんな不養生で、いつしか魚の目の穴が直径1センチぐらいに開いてしまった。痛い、痛い。

 そんな時に聞きかじったのが、半陰陽という言葉。検索すると、尿道下裂という症状が簡単なポンチ絵付きで出て来る。ああ、そっくりだと思った瞬間、冷や汗が出た。これとはきっと違うんだと否定する気持と裏腹に、自分は普通の男じゃないんだという強烈な喪失感と、自分は他人とは違うんだという奇妙な自慢がないまぜになる。
 なるほど背が中々伸びないのも理解できる。実はボクはそんなに背の高い方じゃない。チビではないけど伸びない気がするのだ。状況証拠がそろって、現に傷みが止まらない以上、本当なら医者に行くべきだけだ。でも診断という儀式が怖くてとても行けない。
 それでも、生活は少し変わった。だって、尿道下裂という名前の意味するところは、小便がそこから出る可能性があるということだから。それがいつ始まるか分からないので、立って小便をするのが怖くなった。だから家では必ず座って用を足す。それに、ボクがもしも半陰陽なら、将来、女子トイレを使わざるを得なくなるかも知れないので。もっとも、学校ではリスク承知でアサガオを使う。だって個室に入ると囃されるし、いきなり小便が下から出るとも思えないから。

 座って用を足すようになって更に1週間もすると、魚の目の中がイソギンチャクのように筋になってきた。気持が悪いので一本、二本と筋を抜くと、血が出た。もしかしたらこれは単なる怪我で、血の再現力で治るかも、と希望を持ったが甘かった。魚の目は芯を抜かないと治らない。この時は魚の目と知らないから、治らない理由が分からない。だから1週間後には元の木阿弥で、悪くなりこそすれ、治る気配はない。
 それはともかくも、血の処理には困った。バンドエイド程度では足りないからだ。結局、ガーゼとか脱脂綿とかいろいろ当てて何とかしたが、そんなものは、自転車のサドルに座ったら直ぐにずれる。結局、パンツに血がついただけのこととなった。
 尿道下裂と出血で検索すると、出て来るのは生理だ。それを見た時、死刑宣告を受けた気分になった。男の子では無くなってしまうんだと。

 その日以来、3日続けて血が出て、4日目にやっと収まった。収まるといってもサドルで擦れなければの話なので、自転車にのる直前に脱脂綿の位置を下裂部に当てて出血を抑えている。下裂のことを家族にも知られたくなかったので、パンツを洗濯機に放り込む前に手洗いで証拠を消して、母親に知られるのは避けた。もちろん、このままではいけないと分かっている。何よりも痛い。クロッチがあるショーツを履くと良いんだろうな、とは思いつつも、それも恥ずかしくて言い出せない。
 そうこうするうちに救急箱のガーゼと脱脂綿が切れた。バンドエイドもだ。うっかり、母親にそのことを告げたら、どこか怪我したのか追究された。十分な筈のストックが無くなれば、どんな母親だって同じことを考えるだろう。小遣いで補充しなかったミスだ。
 これが今回だけなら、もう治ったから気にしなくて良い、とその場は誤摩化すことも出来るだろう。でも、この先もガーゼ類が減ることは目に見えているし、何よりもいつかは母親にボクが半陰陽かも知れないことを話さないといけないのだ。ただただ、それを言ってしまうと、自分で自分に死刑宣言してしまうことになってしまいそうで怖かった。ボクは男を失いたくはないんだ。
 結局、お尻のサドルに当たるとことが痛い、と症状だけを答えた。幸運にも痔と勘違いしてくれた。今はこれで良い。

 出血から2週間もすると、下裂部のイソギンチャクのような筋が更に深く切り込んで、それがサドル+脱脂綿の圧迫で、痛みが激しくなった。そんな筋のうちに、とりわけ痛いやつを抜くと、前回以上の出血が始まった。慌てて、ガーゼなどで処置するものの、パンツには当然血がつく。ただ、母親は痔と勘違いしているから、もはや隠す必要はない。むしろ、痔の治療中でガーゼとかの補充が必要というアピールを込めて、洗わずに洗濯機に入れておいた。数日後、予想通り母親に気付かれた。
 計画通りと思ったが母親の様子がおかしい。それは、どのパンツも肛門部でなく、クロッチ部のど真ん中が赤くなっていたからで、母親から、どこが出血しているか尋問を受けた。
 ボクとて分かっている。認めなければならないのだ。ただ、自分の口から「女の子になった」なんて言えないので、症状だけを出来るだけ冷静に告げる。おチンチンの下にタコができて、それが時々裂ける、と。
 母親は黙って考えあぐねている。きっと察してくれたんだろうな。ここは、畳み掛けて、タコのところが分厚いパンツが良いと思う、と提案したら、母親も、それにのってくれた。様子見として最適だと考えたのか、あるいは、医者に見せても半陰陽は病気じゃないのでどうにもならないと思ったのか、もしくはボクと同じくショックで考える余裕がなかったのか。ともかくも、早速生理ナプキンと、それをしっかり支えられる弾力性のあるショーツを買ってくれた。

 ショーツは始めのうちは男の象徴の処理に困ったけど、下裂部には確かに優しく、1週間履いただけで、もはや手放せなくなっている。出血は今回も3日ほどで終わったので、生理ナプキンは外しているが、それでも優しさが違う。もう止められない。
 問題は体育の着替えだけど、始めからハーフパンツをズボンの下に履いているから大丈夫だ。ハーフパンツを頑張って下に下ろしたら、トランクス同様、アサガオはちゃんとつかえる。なんでも統計によると、男の子でパンツの窓を使っているのって少数派だそうだ。
 こうして、毎日ショーツを履き続けると、なんだかキャミッソールやブラジャーもつけてみたい気がしてきた。特別な存在なんだから、そのくらいの好奇心はいいよね。そんなことを思って3週間ほどするうちに、またも下裂部のイソギンチャクが痛くなったので、取り除いた。大した出血でもないので脱脂綿で誤摩化したら、やっぱりショーツに血がついた。

 その2日後、母親から生理ナプキンをするように叱られた。前回は生理ナプキンが便利かもしれない言い方だったのに、今回は生理ナプキンをするのが当然みたいな言い方だ。もしかすると、これって本当に生理で、やっぱり半陰陽の、しかも女の子に近いタイプで、このまま女の子になってしまうの? と不安に思う。
 男の子でなるなる不安に夜も寝られないのに、翌日には、母親が、タンクトップに近いプラトップを買って来て、今後、他人に乳首を見せてはいけないと言い含められてしまった。確かに、キャミッソールやブラジャーもつけてみたい気がはしたけど、それを着続けるのを強制されるとなると話は違い。いやだ、いやだ。そもそも、息子にブラトップを勧める母親って何だよ、と思いつつも、息子じゃなくて娘として扱ってのは当然なのかも知れない。強烈な喪失感が襲う。
 それはともかくも、体育の着替えが更に厄介になった。体操服の下に薄地のアンダーウエアを着ているから裸にはならないが、そのうちこれも乳首の透ける男物でなく、乳首を守る女物にせざるを得なくなるだろう。そして、女性下着いうのは、女の肌以上に男に見せてはいけないものだ。
 そうは言っても、男の胸なので、問題はない筈だ。少なくとも水泳までは、最低限の注意をすれば気付かれまい。
 しかし、現実はそう甘くない。というのも、体育のない日は、将来のことも考えて、プラトップを使ってみたくなるというのは人情だからだ。そして、そういうことが何度かあれば、目敏い女子に下着ラインを気付かれるのは時間の問題だからだ。
 結局、2週間もしないうちに、噂が大きくなって、男子にシャツを脱がされて白日のもとに曝さた。ついでにいつもハーフパンツをズボンの下に履いていることがやり玉にあがって、出血の事実を言わされていまった。

 生理は女の子の秘事だ。それを暴いた形になった男子は、直後に女子から激しい追究を受けて、いいざまだったけど、ともかくもこの日は非常に恥ずかしい思いをしてしまった。ただ、結果オーライ。だって、以来、男子でも女子でもない存在として扱われる事になったから。たとえば、着替えはトイレ、小便は個室、下着も毎日ブラトップ。何も気にしなくて良くなったのは有り難い。
 新しい経験って3ヶ月ぐらいはそれにのめり込むのが人情だ。しかもクラスでのカミングアウトのあとということもあり、毎日女性下着を着なければ申し訳ない気になってしまう。そんなボクを見て、母親はボクは女になる決心をしたと思ったらしい。下着ばかりかアウターも女の子の服ばかり買って来る。そうなりと、ボクも、そういう行為を無にしたくないという気持ちと、初めての経験という興奮とで、制服以外は完全女装の毎日が続くようになった。それがたまたま可愛い系の服だったのは、偶然なのか母親の勘違いなのか。

 だから、半年後に、魚の目と分かった時は目の先が真っ暗になった。だっていまさら女の子じゃないって言える筈がないから。一旦クラスの認識が女の子に変更してしまったら、それを男の子に戻すのは不可能だ。でも、そんな事情を母親に言える筈もない。ただただ、完全治療まではショーツが止められないだの、ショーツだけが女物だと却って変な目で見られるだの言い訳を続けて、ずるずると女装の毎日がつづけた。髪はもちろん伸ばっぱなし。
 生物学的に女になれなくとも、ボクは女の子を演じ続けなければならない。だから、骨格の違いとか気になって、骨を小さくする為にわざと小さなTシャツを着続けたり、食べ物を気をつけたりした。こうした努力のお陰で、いつしか胸囲75センチの、女子以上に華奢な体になった。
 今や女装の方が似合う。これが男の娘なんだよね。悪くはない。
 人生は面白い。魚の目の痛みに苦しんだ価値はあったみたい。


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